「痛たたた……」

 ミユキが吹きかけた消毒液の刺激に衛は悲鳴をあげた。

「しっ、瑞葉が起きちまうだろ」
「はい……」

 衛の怪我は水で濡れて血が沢山流れているように見えたものの、実際はさほど深くは無かった。

「朝になったら病院行くんだよ」
「はい」

 衛は痛む頬を抑えながら、眠る我が子の隣で朝まで横になる事にした。

「龍の愛し子……ってなんだ」

 神室はまたやって来るだろうか。その時は絶対に捕まえなくては。こんな小さい子をさらおうとするなんてまともな神経じゃない。
 衛が張り詰めていた息を吐いて横になると、すぐに睡魔が訪れた。

「衛さん……衛さん……」
「穂乃香?」

 衛が振り返ると、そこには穂乃香がいた。衛は思わず、彼女を抱きしめる。本物だ。体温も匂いも穂乃香そのものだ。

「衛さん、瑞葉の事守ってやって」
「ああ、もちろんだ。それよりどこに行っていたんだ?」
「……ごめんなさい、衛さん」

 穂乃香の両目からはぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。しかし、何度問い詰めても穂乃香は黙って首を振るばかりだった。

「どうしたんだ穂乃香……穂乃……」

 誠が目を開けるとそれは見慣れた寝室だった。夢か、と衛にどっと疲労感が襲ってきた。

「衛、朝食できたよ」

 そこにミユキが衛を起こしに来た。もうそんな時間か。気が付けば瑞葉の姿も無い。

「ああ、ミユキさんすいませんやって貰っちゃって」
「怪我人が何言ってんだい」
「パパ、怪我してる!? 大丈夫?」

 昨日の一件を知らない瑞葉が驚いた声を出した。衛はたどたどしく転んで怪我をしたんだと瑞葉に言い訳をした。

『瑞葉ちゃーん、学校に行きますよ』
「あっ、白玉だ! それじゃパパ、ミユキさんいってきまーす!」

 瑞葉が学校に行ってしまうと、衛はミユキの前に立ちはだかった。

「説明して貰えますよね、『龍神の愛し子』の事」
「しかたないねぇ……」

 ミユキは少々バツの悪い顔をして、衛と向き合った。

「あたしの部屋においで」

 ミユキの部屋に行くと、彼女は壁際の引き戸を引いた。そこには大きな水晶を真ん中に祀った社があった。

「『龍神の愛し子』、それはあたしのような『見る力』を持つ者の血筋を言う。いいや、違うね私も穂乃香も瑞葉も龍神の力で『見る』事ができるのさ」
「それって……」
「龍神の使いとなって加護を受ければ、より強い力を持つようになる」

 ミユキはそこまで言うと、観念したかのように目をつむり衛に頭を下げた。

「衛さん、穂乃香はきっと今、龍神の使いをしているんだと思う」
「ミユキさん、ミユキさんでも連れて帰れないんですか」

 ミユキは衛の問いかけに黙って頷いた。

「どこにいるか、なにをしているか、あたしには分からん。一つだけ確かなのは……いずれ戻って来るという事だ」
「そうですか……」

 衛は肩を落とした。しかし、死んだ訳でも衛が嫌になって出て行った訳でもないと知って、衛の心に光明が点った。

「分かりました。その日まで、俺待ちます」

 きっぱりと衛は言い切った。

「すまないね。衛」
「いいえ、それより瑞葉の事です。神室は瑞葉をさらってどうするつもりなんです」
「おそらく、龍の血筋を従えて、自分も水神の一柱になるつもりなんだろう……」
「そんな事を……」

 させるものか、と衛は拳を握りしめた。

「さ、神室がいつ来てもいいように準備するから、衛は病院に行っておいで」
「でも……」
「穂乃香が帰ってきた時、跡でも残ってたらきっと悲しむから」

 ミユキが珍しく優しく微笑えんで、衛を病院に行かせた。

『学校っておもしろいですねー』
「子供がいっぱいいるんでしょ」
『いっぱいなんてもんじゃないです、こうわらわら来るものだから白玉は食われるかと思いました』

 衛が病院から帰ってくると、『たつ屋』の店先で藍と翡翠が白玉を囲んでいた。

「あ、お帰りなさい衛さん」
「店番ありがとう。瑞葉はどうだった」
『元気に学校に行きました』

 そう、と衛は言って白玉にご褒美の煮干しを与えた。

「なにか変わった事は?」

 そう藍に聞くと、藍はちょっと困った顔をして上を見上げた。

「ミユキさんが二階でなんだかドタバタしてます」
「ふうん……ちょっとまだ店見ててくれ」

 衛は二階に上がると、ミユキの部屋のドアをノックした。これまた不機嫌そうなミユキが顔を出した。

「ミユキさん、大丈夫ですか?」
「なんだい衛。怪我はどうだった?」
「全治一ヶ月だそうです……うわっ」

 衛がミユキの部屋を覗いて絶句した。その部屋には大量の縄が散乱している。

「ふっふっふ、今度来たらただじゃ置かないからね」
「ミユキさん、これでふん縛ろうっていうんですか?」
「その通り! ……なんだい衛、何か不満かい?」
「いえ……」

 衛はミユキの事だからなにか護符でも用意しているのかと思ったのだが、まさかの物理攻撃とは……とちょっとがっかりした。

「でも、不意打ちのタックルは効いたよな」

 衛はふと思い直す。あの時の感触は人間のそれと特に変わりは無かった。あの手から出る水流が厄介なだけだ。

「よーし、じゃあ俺も」

 衛は部屋の段ボールをごそごそとあさり、バットを取りだした。

「今度来たら俺はホームラン王になる」

 そう言って衛は高校時代の青春を共にした愛刀を構えた。

「あらあら……」

 そんな衛の姿を見て、藍と翡翠は顔を見合わせた。