まさか自分があのハル先輩とメッセージアプリで繋がる事になるとは、夢にも思っていなかった。
まるで現実味のないこの現状に、どうしたものかと今更ながら狼狽える。
「シキ」
「っ、」
その声に名前を呼ばれた途端、まるで胸を鷲掴みにされた様な感覚を覚えた。
ごちゃごちゃと考え込んでいたのが嘘の様に、それは紙切れの如くどこかに吹き飛んでしまう。
耳心地の良いクリアなその声がわたしの中に刺さって抜けない。
昨日まで話したこともないあのハル先輩に、”シキ”と名前を呼び捨てにされた事で完全に思考回路が停止した。
「——って呼んでいい?」
そこで思わず鼓膜を震わすその声の持ち主と視線が絡む。
「っ、」
だけどその問いに対する答えを持ち合わせていないわたしは、ヘラヘラと笑って誤魔化すことしか出来ずにいた。
だって頷いてしまえば——、あのハル先輩から名前を呼び捨てにされるという事で、これまでわたしが徹底して築き上げてきたはずの”その他大勢の内の一人”では居られなくなる恐れがあるからだ。
完全に思考回路が停止してしまっているわたしには、この場合なんと答えたらいいのかが分からなかった。
居心地の悪さから視線を外そうとするのにその視線から逃れることが出来ないのは、ハル先輩が真っ直ぐとわたしを見つめているから。
「ダメ?」
「っ、」
追い討ちをかける様に畳み掛けてくる辺り、ハル先輩は人との距離感を読むのが上手い人なのだと思う。
そうする事で、嫌とは言えない状況を作り出すから。そしてわたしが断らない——いや、断れないタイプの人間である事を瞬時に見抜いたのだろう。
自分という存在が周囲の人間に一目置かれ、愛され、受け入れられると言う事実が彼にとっては当たり前すぎて、自然と仲良くなりたいから名前で呼んでいいかという発想になるのだろう。
それはまるで、小さな子供の様な純粋さを秘めていた。
だけどわたしは違う。
その距離感の縮め方はわたしの中には無い発想で、それに対して”はい”と答える勇気はわたしには無い。
だからこそ、”ダメ?”という簡単な答えにも躊躇してしまうのだ。