男は、今や映画に対する理想を熱弁することもなく、酔っぱらいながら同世代が撮る映画を罵倒したり、世の中に対する恨み辛みを吐き続けるだけの存在になり果てた。
もともと悪口を言うのも聞くのも嫌いな悦子は、ある時男に言った。
「そこまで言うなら、もっとすごい映画、あなたが自分で撮ればいいじゃない」
「まあな。その気になりゃいつでも撮ってやるよ」
「いつ、その気になるわけ」
自身の創作活動もままならず、うっぷんを溜め込んでいた悦子の言葉には、あからさまなとげがあった。
「なんなんだよ、お前。その言い方は」
「あなたこそ何なのよ。どうせ映画なんか撮る気もないくせして」
「はぁ?」
「恐いんでしょ」
「何、わけ分かんねぇ・・・」
「いっつもこき下ろしてる連中の映画さえ、自分には撮れやしないって分かってるから。自分で撮ったら、そんな現実を受け入れなくちゃいけないって分かってるから。だから恐いんでしょ」
容赦のない男の平手が、悦子の頬を打った。
生まれて初めて手を上げられた悦子は一瞬怯んだが、ますますむきになって続けた。
「この際だから言うけどね。作品を世に出して、それが酷評だろうと何だろうと、どんな評価だって真正面から受けとめる覚悟がない、そんな意気地なしにアーティストを名乗る資格なんてないわよ。ぶれない信念だって、ほかの人からあれこれ批評される中で磨かれるんだから。賞なんか取らなくたって、誰からもほめられなくたって、けなされたっていいじゃん。あなたが信じてる映画、撮ってみなさいよ」
悦子は、自分でも気づかぬうちに涙を流していた。
男は無言のまま、乱暴に開けたドアを閉めもせずに部屋を出て行った。
なんでこんな男に一時でも本気で恋をしたのだろう。はじめから私のお金と体が目当てだったのかも知れない。
そんな風に思うようになった頃、悦子は自分が妊娠しているのに気づいた。こんな状況で子供なんてと絶望的になった。子育てをする自分がどうしてもイメージできなかった。
これで子供を産んだら、きっと創作活動ともお別れね。
そう考えると辛すぎて、誰にも言わずに堕胎手術を受けようかとも考えた。
でも、もし妊娠したことを告げたら、悦子の貯金を食いつぶすだけだった彼も、真面目に働くようになるかもしれない。
映像作家の夢を諦めろと言いたいわけではない。悦子自身、ステンドグラス作家を諦めたわけではない。ただ、お互い創作活動からはいったん手を引いて、長い人生におけるほんの数年間を育児のために差し出そう。子供が成長して、手がかからなくなったら、また始めればいいのだから。
そんなかすかな希望にすがって男に妊娠したことを告げた。
翌朝、目を覚ますと悦子のアパートから男の姿が消えていた。八ミリカメラも一緒に無くなっているのを見て、男が逃げ出したのを確信した。
逃げた男のことは、悦子にとってはどうでもよかった。恋心など、とうの昔に醒めており、口論の絶えない毎日にうんざりしていたので、正直ほっとしたところもある。あんな男にわずかでも期待した自分が情けないだけだった。
問題は妊娠という事実の方である。今さら実家の親を頼ることはできない。かといって一人で産んで育てるのも不可能だった。あれだけ期待感に満ちていた悦子の将来は、今や暗い影にすっぽりと覆われていた。
でも、お腹の中に宿った命には何の責任もない。それなのに、その命と引き換えに自分の人生を諦めなければいけないなどと、私は勝手に落胆している。そんな気持ちを抱くこと自体、思い上がりも甚だしいのではないか。
そう思うと、悦子の中に親としての責任感が芽生え、勇気が湧いてきた。私の中に宿った新たな命。必ずこの世界に迎えてあげよう。そして立派に育ててみせる。つまらないプライドなどさっさと捨てて親に相談すべきだ。
そう決意すると、悦子はすぐに実家に電話をかけた。
もともと悪口を言うのも聞くのも嫌いな悦子は、ある時男に言った。
「そこまで言うなら、もっとすごい映画、あなたが自分で撮ればいいじゃない」
「まあな。その気になりゃいつでも撮ってやるよ」
「いつ、その気になるわけ」
自身の創作活動もままならず、うっぷんを溜め込んでいた悦子の言葉には、あからさまなとげがあった。
「なんなんだよ、お前。その言い方は」
「あなたこそ何なのよ。どうせ映画なんか撮る気もないくせして」
「はぁ?」
「恐いんでしょ」
「何、わけ分かんねぇ・・・」
「いっつもこき下ろしてる連中の映画さえ、自分には撮れやしないって分かってるから。自分で撮ったら、そんな現実を受け入れなくちゃいけないって分かってるから。だから恐いんでしょ」
容赦のない男の平手が、悦子の頬を打った。
生まれて初めて手を上げられた悦子は一瞬怯んだが、ますますむきになって続けた。
「この際だから言うけどね。作品を世に出して、それが酷評だろうと何だろうと、どんな評価だって真正面から受けとめる覚悟がない、そんな意気地なしにアーティストを名乗る資格なんてないわよ。ぶれない信念だって、ほかの人からあれこれ批評される中で磨かれるんだから。賞なんか取らなくたって、誰からもほめられなくたって、けなされたっていいじゃん。あなたが信じてる映画、撮ってみなさいよ」
悦子は、自分でも気づかぬうちに涙を流していた。
男は無言のまま、乱暴に開けたドアを閉めもせずに部屋を出て行った。
なんでこんな男に一時でも本気で恋をしたのだろう。はじめから私のお金と体が目当てだったのかも知れない。
そんな風に思うようになった頃、悦子は自分が妊娠しているのに気づいた。こんな状況で子供なんてと絶望的になった。子育てをする自分がどうしてもイメージできなかった。
これで子供を産んだら、きっと創作活動ともお別れね。
そう考えると辛すぎて、誰にも言わずに堕胎手術を受けようかとも考えた。
でも、もし妊娠したことを告げたら、悦子の貯金を食いつぶすだけだった彼も、真面目に働くようになるかもしれない。
映像作家の夢を諦めろと言いたいわけではない。悦子自身、ステンドグラス作家を諦めたわけではない。ただ、お互い創作活動からはいったん手を引いて、長い人生におけるほんの数年間を育児のために差し出そう。子供が成長して、手がかからなくなったら、また始めればいいのだから。
そんなかすかな希望にすがって男に妊娠したことを告げた。
翌朝、目を覚ますと悦子のアパートから男の姿が消えていた。八ミリカメラも一緒に無くなっているのを見て、男が逃げ出したのを確信した。
逃げた男のことは、悦子にとってはどうでもよかった。恋心など、とうの昔に醒めており、口論の絶えない毎日にうんざりしていたので、正直ほっとしたところもある。あんな男にわずかでも期待した自分が情けないだけだった。
問題は妊娠という事実の方である。今さら実家の親を頼ることはできない。かといって一人で産んで育てるのも不可能だった。あれだけ期待感に満ちていた悦子の将来は、今や暗い影にすっぽりと覆われていた。
でも、お腹の中に宿った命には何の責任もない。それなのに、その命と引き換えに自分の人生を諦めなければいけないなどと、私は勝手に落胆している。そんな気持ちを抱くこと自体、思い上がりも甚だしいのではないか。
そう思うと、悦子の中に親としての責任感が芽生え、勇気が湧いてきた。私の中に宿った新たな命。必ずこの世界に迎えてあげよう。そして立派に育ててみせる。つまらないプライドなどさっさと捨てて親に相談すべきだ。
そう決意すると、悦子はすぐに実家に電話をかけた。