時代は六十年代末。
海の向こう、アメリカにおけるベトナム反戦運動やフランスの五月革命など、反体制の機運は日本にもダイレクトに伝わってきていた。全国の大学では学生運動が盛んで、闘争の時代と呼ぶにふさわしい状況だった。
そんな中、確実に時代が動いているという感覚を肌で感じながらも、芸術家志望の悦子は、政治ではなく文化に影響を受けた。それらは世相を反映した時代の産物であり、音楽、映画、演劇、文学、アート等々、いずれも何らかのステートメントを表明するものが多かった。
『ゲルニカ』鑑賞を目的とした人生初の海外旅行で、大いに刺激を受けて帰国した悦子は、そんなムーブメントに首まで浸かりながら、若き自称芸術家の仲間たちと自由気ままなボヘミアン的生活を送った。喫茶店に何時間も居座って、芸術談義、政治談議に花を咲かせていた。
今、この歳になって振り返れば、青臭い理想論やポーズだけのニヒリズムに思わず苦笑してしまうが、それでもあの頃のことは全面的に肯定したい気持ちでいる。
例え結果的には見当はずれだったとしても、何か大きなことが起こるのではないかという期待感に満ちた毎日。それがあの時代だった。
舞子の父となる男と出会ったのもその頃だった。
悦子と同い歳のその男は、映像作家を自称しており、酒を飲んでは映画についていつも熱く語っていた。スタン・ブラッケージ、ジョナス・メカスといった実験映画作家や、ゴダール、トリュフォーらヌーヴェルヴァーグの一派に心酔しており、口を開けば映画の商業主義からの解放を謳っていた。
そんな男にいつしか魅かれ、二人だけで会うようになった。男はすぐさま悦子のアパートに転がり込んできて、二人の同棲生活が始まった。
どこで知ったのかは今もって謎だが、やがて同棲は悦子の両親の知るところとなった。田舎の裕福な地主で、海外渡航をはじめ大学卒業後も金銭的な援助をしてくれていた父だったが、これ以降、ぱったりと仕送りもなくなった。
ちょうどそんな頃に、二人で映画館に観にいったのが『卒業』だった。
きっとシリアスは悲劇なんじゃないかしら、という悦子の予想をいい意味で裏切る映画だった。ダスティン・ホフマン演じる優等生ベンが、目標を失い、自堕落な生活のなかで人妻との情事に耽る姿は全く共感できなかったが、時代の空気を捉えたみずみずしい映像と、サイモンとガーファンクルの歌の素晴らしさもあって、さわやかな感動を覚えた。
そしてラストの、主人公が教会から花嫁を奪って逃げるシーンに衝撃を受けた。結婚式場から逃げ出してバスに飛び乗った二人は、初めこそ見事に成功した花嫁掠奪劇に笑っているが、やがて不確かな未来に思いを馳せて不安な表情を浮かべる。まさに行き先不明な同棲生活を始めた、今の自分たち二人を映しているかのようなラストシーンだった。
悦子は、観終えたばかりの映画を反芻し余韻にひたりながら、明かりのついた映画館の座席にしばらく身を沈めたままでいた。
そんな悦子の手を引いて「行こうか」といった同棲相手の優しい顔。思えば、その日が、彼と過ごした平穏な日々の最後の一日であり、あれが最後に見た笑顔だった気がする。
実家からの仕送りが止まり、貯金も底をついて、二人の生活は徐々に困窮するようになった。
悦子も、材料費や専用の工具などに金のかかるステンドグラス制作を続けることが困難になってきた。せっかく自分が求める表現手段に出会ったというのに、金銭を理由に諦めなければならないのか。そう思うとやるせない気持ちでいっぱいになった。
そんな状況にあっても男は働くでもなく、かといって映像作家を名乗るわりには何かを撮るわけでもなく、毎日ただぶらぶらしていた。彼の八ミリカメラは部屋の片隅に放り投げられたままだった。
そのうち二人は、顔を合わせれば口論をするようになった。