大学を卒業した舞子は、広告代理店のグループ会社であるデザイン事務所に就職した。そこで、女子美で心ゆくまで満喫した青春の代償を払う時がきたのを思い知らされた。
大学時代は、例えさまざまな制約のある課題制作であっても、自分の創造性を発揮することができた。それがデザイン事務所では、舞子のクリエイティビティなど道端に落ちているゴミほどの価値もないのだ。
もちろん入社早々、デザイナーとして現場の第一線で活躍できるなどとは、ゆめゆめ考えもしていなかった。時代は、デザインの世界にパソコンが普及する前夜である。技術やセンスがあろうとも、それは学生だから通用したもの。プロの世界で食べてゆくには、地道な修行が必要なことくらい舞子も承知していた。
それでも毎日がコピー取りやお茶くみ、クライアントへの書類届けでは、一体何のための美大で学んだ四年間だったのかと悩まずにはいられなかった。
先輩の女性デザイナーからは「あんたのデザインセンスなんて誰も当てにしてないわよ」と言われて、その場では「ですよねぇ」とへらへら取り繕いながら、帰りの電車で泣きそうになったこともあった。
だが、本当に舞子を苦しめ追い込んだのは、そんなやりがいの感じられない実務ではなかった。
広告制作会社系列のデザイン事務所勤務ともなれば、九時に出勤して五時に退社するというサラリーマン生活は真っ先に諦めなければならない。舞子自身、終電を逃して、事務所や近くのカプセルホテルに泊まることも頻繁だった。
実のある仕事のための残業ならばそれもいい。だが、クライアント相手に延々と続く、打ち合わせという名の宴会に強制的に参加させられて、終電に間に合わないというのが実情だった。
宴会で話し合われる内容も「次回広告のキャンペーンガールの○○ちゃんへのプレゼントは何がいいか」だの「前に企画したイベントでアイドルの誰それと知り合ってそのままホテルにいった」だのといった次元で、舞子には悪夢でしかなかった。
さらに、舞子は新人なので、クライアントや上司にお酌をして回らなければならず、グラスが空になっていないかばかり気になって愛想笑いもでなかった。
そんな舞子に、酔った上司は「井口、なにつまらん顔してんだよ、歌でも歌って盛り上げろ」と無茶な注文をつけてくるし、クライアントのスケベおやじは、隙あらばお酌をする舞子の胸や尻を触ろうと狙っている。舞子にとっては地獄としか言いようがなかった。
あからさまに元気のない舞子を気遣ってくれる男性社員も何人かいた。だが食事に誘われてついていけば、そのまま舞子をホテルに連れ込もうとする男だったり、あるいは相談に乗ってあげると言われて飲みに行けば、底の浅い人生論を一席ぶって自分だけ気持ちよくなる男だったりで、舞子の疲労はむしろ増すばかりだった。
お願いだから、せめてわたしに構わないで
そう切に願っても、お局社員からは「今どきの新人は、男に色目使うのだけは一人前なのね」と、わざわざ聞こえるように嫌みを言われる始末だった。
誰が色目なんか使うもんか、このっ・・・
叫び出したいのをぐっと飲み込んで、聞こえないふりをしながら書類のコピーをとり続けた。
そんな日々を送る舞子は、やがて空想の世界に逃避するようになった。楽しかった大学時代にはすっかり忘れていた空想癖が戻ってきたのだ。
だが、社会人の舞子が空想するイメージは、彼女の精神状態を反映するかのように殺伐としていた。カタストロフを想起させる恐ろしいイメージに取りつかれるようになった。『ノストラダムスの大予言』にあるように、数年後に迫った世紀末には、恐怖の大王とやらが降臨することをむしろ願いさえした。