おどけつつも、それが本気であることが舞子の表情から分かった。それどころか、紙に書かれた三箇条を約束させられる始末だった。

舞子からのお願い(というか厳守のこと!)
・わたしが工房を使用している時は、絶対に入室しないこと
・作品が完成しても、わたしの許可が下りるまでは絶対に見ないこと
・ケンさんには、わたしが作品を制作していることは内緒

「何よこれ。絶対に入室しないことって『鶴の恩返し』じゃあるまいし」
「母さんだってアーティストなら分かるでしょ?制作過程を見られたくないって。気が散って集中できないもん」
確かに舞子の言うことには一理あった。美大受験のためにここで静物デッサンを描いていた時も、良かれと思ってアドバイスしては煙たがられたものだ。まして受験用デッサンではなく舞子の作品なのだから、私がとやかく口を挟むことではない。悦子は納得して約束を守ることにした。
三箇条の最後、ケンに内緒という項目から察するに、ひょっとして舞子が作ろうとしているステンドグラスは、ケンさんに関係があるのかしら。悦子は思わず微笑んだ。

穏やかな秋の日差しが射し込む「ゲルニカの木」にはクラシック音楽が流れており、それは工房のドア越しに、舞子の耳にも届いていた。
「祭まであと一週間・・・完成できるかな」
作業台の上で徐々に形になりつつある作品を眺めながら、舞子は背伸びをして凝り固まった体をほぐした。
傍らのスケッチブックには、アイディアを具体的にするための下絵が何枚もスケッチされている。全てに共通しているモチーフは狼だった。
ガラスを使って動物をリアルに再現するのは不可能だが、重要なモチーフを簡略化するのも気が進まない。そこで舞子は、絵付けステンドグラスとして制作することに決めた。特殊な染料を使って筆でガラスに直接狼を描き、その周りは従来のステンドグラス同様に色ガラスの組み合わせで作る。琥珀色の滑らかなガラスの上に、動物の体毛が緻密に描かれつつあった。
「いい線いってない?」
独り言をつぶやきながら、舞子は確かな満足感を味わった。
この作品に適切な題名は何だろう?ああでもない、こうでもないと格闘してみたが、なかなかいい題が浮かばない。
やがて、静かな工房内のまるで時が止まったかのような空気が、舞子を過去へと誘った。

父親の記憶は一切ない。おかげで片親で寂しいという感覚もなければ、舞子が生まれる前に蒸発したらしい父のことを、詳しく知りたいと思ったこともなかった。
幼稚園児の頃はよく祖父母の家に預けられていた。そこは田舎でもめったに見かけないくらい大きな屋敷で、幼い舞子は昼間でも薄暗い洋風の応接間に掲げられていた般若のお面が怖くて仕方なかった。
祖父母はとても優しくしてくれたが、どちらかというと一人で絵を描いたり、空想に耽って過ごす方が好きだった。
その頃から舞子はすでに、周囲に馴染めない自分を自覚していた。幼稚園児にして、すでに周りとの温度差を感じていたのだ。
他の園児たちの騒々しさに我慢できず、何も言わずに教室を抜け出したことも度々あった。退室できない時は、耳をふさいで周囲の音を遮断し、自分の世界に没頭するような子だった。
薄暗い雨の日の、蛍光灯の明かりが点いた教室の雰囲気が嫌で、そんな日は家に帰りたいと泣き出してしまうほどセンシティブだった。