さらに追い打ちをかけるように、主任教官のあの時の言葉が脳裏にまざまざと蘇った。「レンジャー徽章を輝かせるのも、曇らせるのも君たち次第」。ここ数年の間、俺はレンジャー徽章を、そしてあの頃の自分を裏切り続けてきた。
あれほど輝いていたからこそ、今では見るのも辛い徽章は、仕事道具を保管している金庫の奥にしまい込んだままになっている。栄光の時代の象徴など、とっとと廃棄すべきなのだ。大好きだった祖母と遊んだ屋上遊園地の甘い思い出さえ、あえて破壊して人間的な心を捨て去っているのだから。良心などこの仕事に於いては害でしかない。
それでもレンジャー徽章を捨てられずにいるのは、掃除屋稼業から足を洗って再びまっとうな人生に舵を切りたいという思いがあるからだろう。自己への挑戦や自己肯定など最早どうだっていい。ひっそりと堅気の生活を送ることさえできればそれで十分だ。
「ところで、徳子さんは元気にしてますか」
徳子と別れて以来、今の今まで、彼女のことなど思い出したこともなかった妹尾だが、なぜか気がついたら口に出していた。
「徳子?ああ、元気にやってるよ。今じゃ三人の子供のお母さんだよ」
栗岩の言葉に、激しく動揺し頭に血が上るのを感じた。
「ほぉ、それはそれは・・・」
「上の子が来年中学進学で、次が今、小学二年生。一番下が今年から幼稚園。三人とも女の子で、まぁこの先色々心配だよ」
栗岩の言葉や表情からは、孫娘たちの成長を見守る喜びが溢れ出ていた。
「徳子さん、きっといいお母さん振りを発揮してるんでしょうね?」
妹尾は、辛うじて平静を装いながら思った。自分は何を動揺している。まさか、徳子とよりを戻せば、己の人生もまたあの頃に戻るのではないか、生まれ変わって幸せな生活を送れるのではないか、などと自分勝手に考えていたのか。
無意識とはいえ、徳子のことをそんな風に、都合のいい存在とし見ていた自分が情けなかった。彼女にとって自分は、人生における通過点の一つに過ぎないのだ。自分にとっての徳子がそうなのだから、当たり前ではないか。徳子はすでに立派に自身の人生を歩んでいる。こちらが知る由もない生活を送っている。妹尾は、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
「旦那も真面目ないい男でさ。普通の会社員。まぁ、妹尾君からしてみたら、つまらん男に見えるだろうけど、徳子にはああいうタイプがお似合いだ」
「・・・いえ、平凡な人生を歩む覚悟というのは、それはそれで立派かと」
顔も名前も知らない徳子の夫に、微かな嫉妬心を覚えている自分を認めたくなくて、なんとか絞り出した精いっぱいの言葉だった。
「そう思う?」
「はい・・・」
「まぁ、私もね、定年したらのんびりしようと思ってるんだけど、なんだかんだ孫の相手で忙しくなるかもなぁ。下の子なんか幼稚園に入ったばっかりだからさ」
そう言って笑う栗岩は、本当に幸せなおじいちゃんの顔になっていた。
妹尾は、さっきまで美味しく感じていたナマズ料理の味が分からなくなってしまった。心地よいほろ酔い気分からも完全に醒めていた。
気がつけば、時計の針は二十二時を回っていた。三時間以上も話していたことになる。
「さて、君も忙しいだろうから。今夜はこの辺でお開きにしようか」
栗岩が宴の終了を告げた。妹尾は少しがっかりした。それは懐かしい再会の終了からくる気持ちというよりも、期待を裏切られた気分によるものだった。栗岩に会えば何かが変わるのではないかという勝手な思いが希望的観測でしかないことは、初めから分かっていたのに。
「はい・・・栗岩さん、今日は会って頂いてありがとうございました」
「いやいや、私の方こそお礼を言わなくちゃ。連絡をくれてありがとうね。嬉しかったよ」
あれほど輝いていたからこそ、今では見るのも辛い徽章は、仕事道具を保管している金庫の奥にしまい込んだままになっている。栄光の時代の象徴など、とっとと廃棄すべきなのだ。大好きだった祖母と遊んだ屋上遊園地の甘い思い出さえ、あえて破壊して人間的な心を捨て去っているのだから。良心などこの仕事に於いては害でしかない。
それでもレンジャー徽章を捨てられずにいるのは、掃除屋稼業から足を洗って再びまっとうな人生に舵を切りたいという思いがあるからだろう。自己への挑戦や自己肯定など最早どうだっていい。ひっそりと堅気の生活を送ることさえできればそれで十分だ。
「ところで、徳子さんは元気にしてますか」
徳子と別れて以来、今の今まで、彼女のことなど思い出したこともなかった妹尾だが、なぜか気がついたら口に出していた。
「徳子?ああ、元気にやってるよ。今じゃ三人の子供のお母さんだよ」
栗岩の言葉に、激しく動揺し頭に血が上るのを感じた。
「ほぉ、それはそれは・・・」
「上の子が来年中学進学で、次が今、小学二年生。一番下が今年から幼稚園。三人とも女の子で、まぁこの先色々心配だよ」
栗岩の言葉や表情からは、孫娘たちの成長を見守る喜びが溢れ出ていた。
「徳子さん、きっといいお母さん振りを発揮してるんでしょうね?」
妹尾は、辛うじて平静を装いながら思った。自分は何を動揺している。まさか、徳子とよりを戻せば、己の人生もまたあの頃に戻るのではないか、生まれ変わって幸せな生活を送れるのではないか、などと自分勝手に考えていたのか。
無意識とはいえ、徳子のことをそんな風に、都合のいい存在とし見ていた自分が情けなかった。彼女にとって自分は、人生における通過点の一つに過ぎないのだ。自分にとっての徳子がそうなのだから、当たり前ではないか。徳子はすでに立派に自身の人生を歩んでいる。こちらが知る由もない生活を送っている。妹尾は、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
「旦那も真面目ないい男でさ。普通の会社員。まぁ、妹尾君からしてみたら、つまらん男に見えるだろうけど、徳子にはああいうタイプがお似合いだ」
「・・・いえ、平凡な人生を歩む覚悟というのは、それはそれで立派かと」
顔も名前も知らない徳子の夫に、微かな嫉妬心を覚えている自分を認めたくなくて、なんとか絞り出した精いっぱいの言葉だった。
「そう思う?」
「はい・・・」
「まぁ、私もね、定年したらのんびりしようと思ってるんだけど、なんだかんだ孫の相手で忙しくなるかもなぁ。下の子なんか幼稚園に入ったばっかりだからさ」
そう言って笑う栗岩は、本当に幸せなおじいちゃんの顔になっていた。
妹尾は、さっきまで美味しく感じていたナマズ料理の味が分からなくなってしまった。心地よいほろ酔い気分からも完全に醒めていた。
気がつけば、時計の針は二十二時を回っていた。三時間以上も話していたことになる。
「さて、君も忙しいだろうから。今夜はこの辺でお開きにしようか」
栗岩が宴の終了を告げた。妹尾は少しがっかりした。それは懐かしい再会の終了からくる気持ちというよりも、期待を裏切られた気分によるものだった。栗岩に会えば何かが変わるのではないかという勝手な思いが希望的観測でしかないことは、初めから分かっていたのに。
「はい・・・栗岩さん、今日は会って頂いてありがとうございました」
「いやいや、私の方こそお礼を言わなくちゃ。連絡をくれてありがとうね。嬉しかったよ」