真夜中に、ホテルのベッドの上で突然目を覚ました妹尾を、不意打ちのように襲った三十数年前の出来事。これまで、思い出すことさえなかったのに、いきなり記憶の底から蘇ったそれは、あまりにも鮮明で、遊び場だった河原の匂いまでも嗅げそうなほどに現実味があった。
自分は、卑怯な人間なのだ。
そんな痛烈な自己批判を、大人になった妹尾に対し、長年の時を超えて今さら突き付けてきた。
陸上競技に汗を流すスポーツマンで、クラスの人気者だった妹尾。
柔道に打ち込み、ストイックに強さを追及した妹尾。
自衛隊に入隊し、試練を乗り超えて精強無比の空挺隊員にまでなった妹尾。
それでも飽き足らず、本当の戦闘を求めてフランス外人部隊に参加した妹尾。
そんな妹尾の生き様からすっぽりと抜け落ちていた、卑怯者という本質。
いや、抜け落ちていたわけではない。ただ、見ないふりをしているうちに完全に忘れていただけなのだ。
妹尾は堪らず叫び出したかった。だが金縛りの状態は続いたままで、声を出すこともできない。
身動きが取れない状態で、後悔の念だけが暴走していった。
もし過去に戻れるならば、子供とは言え卑怯だった自分自身を死ぬほど殴りつけたい。
いや、それよりもあの名も知らぬ少女に謝りたい。そして許しを乞いたい。
例え許してくれなくてもいい。むしろ罵倒された方が気持ちは楽かもしれない。
とにかく、少女の前で首を垂れてひたすら謝りたかった。
だが、もちろんそんなチャンスは決して訪れない。
どんなに望んでも、絶対に不可能であることに対する無力感に泣きたかった。
だが、そんな自己憐憫に浸る暇があるならば、卑怯者である自分自身を受け入れる勇気を持て。そしてこの先、こんな思いで後悔しないように、自分の気持ちに素直に従うのだ。
結果を見てから、自分の行動を決めることはできない。自分で決めた行動が結果を生むのだから。だが、結果がどうであれ、自らの意思で選んだ道ならば、少なくとも後悔はないはずだ。
さぁ、ケン・オルブライトの力になってやれ。
妹尾を押さえつけていた、目に見えない力が急に抜けたように楽になり、体を自由に動かせるようになった。妹尾は、寝返りをうってベッドのわきに置いてあるバッグを見た。中に入っている現金四千五百万の使い道は決まった。自分が取るべき行動もはっきりと見えた。

グラスキャンドルの火が一つ、また一つと消えていった。
ケンは、すっかり眠っている舞子の寝顔を眺めていた。この日本人の美少女が(いや、年齢的には美女というべきだろうが、そう呼ぶには何となく違和感がある)、俺に恋愛めいた感情を抱いているであろうことは、もちろん気がついている。だが、敢えて舞子のそんな気持ちに気づかない素振りをしているのは、同じ空間で生活を共にしながらも、井口母子と自分の間には、決して超えられない一線が引かれているからだ。それは深くて巨大で、断絶とでも呼べるほどのものなのだ
それを忘れて接してしまったら、しばらくはいいかも知れないが、結局は舞子が傷つくことになるだろう。数年前、まだ高校生だった舞子と出会って以来、彼女のことはかわいい妹のように感じていた。そんな存在に辛い思いをさせるわけにはいかない。
そして今、そんな風に距離を置いてきたのは正解だったとケンは思っていた。なぜなら舞子と、そして悦子との別れが近いのを分かっていたからだ。
あのカメラマンを装う妹尾という男が、唐島興行か、あるいは俺を追ってきた二人組に続いてヤクザが差し向けたヒットマンなのかどうか、それははっきりしない。だが俺の勘が、妹尾がただ者ではないことを知らせている。