映画から感じ取った、何かが終焉を迎える予感。あれは一体何だったのか。
そんなことを考えながら、気がつけば妹尾は見覚えのある通りを歩いていた。辺りはほんの微かに白み始め、夜明けの気配を漂わせている。
あの不思議な映画館からここまでの記憶が一切ない。周辺を見渡しても、映画館どころか迷路のような路地さえ見当たらないのには戸惑ったが、とにかく無事に抜け出せたことだけは確かだ。
ほっとすると同時に猛烈な眠気が襲ってきた。休暇もとうとう今日で終わりだ。明日から再び、外人部隊での日々が始まる。馴染みの軍隊生活へと逆戻りするのがむしろ楽しみだった。
それから一ヵ月もしない頃。休暇中に観た映画から妹尾が感じた、何かが終わる予感が現実のものとなった。
それは最悪のかたちで現れた。
降下訓練のために二十四名の第2落下傘連隊の兵士を乗せて離陸したC‐130輸送機が地中海沖に墜落し、乗組員を含む全隊員が死亡したのだ。墜落の原因は不明で遺体回収も不可能だった。
このニュースは、外人部隊のみならずフランス軍全体を重苦しい空気で包み込んだ。妹尾も衝撃に叩きのめされた。だがそれは、一歩間違えていれば自分がその運命にあったという類の感情からではなかった。軍人である以上、いつ何時命を落とそうとも悔いはない。そう心に誓い、実際そのように感じてもいる妹尾には、むしろ軍人として死ぬのは本懐である。
では、何がこうも妹尾を打ちのめしたのかといえば、それは彼らの死亡理由だった。戦闘行動中の戦死ならば文句は言うまい。それは、今回命を落とした隊員たちも同じ思いだろう。いざ戦争となれば、全員が喜んで自分の命を差し出す連中ばかりだった。だが彼らは墜落事故で死んだ。戦わずして散っていったのだ。
妹尾はこの時初めて、シビアな現実を直視せざるをえなくなった。軍隊で死ぬということは、すなわち敵と戦って死ぬこと。そんな風に都合よく考えていた自分の甘さを呪いたくなった。
不注意なミスや不運な事故で命を落とす者のみならず、味方が誤射した銃弾に倒れる者、友軍の攻撃で爆死する者など、実際の死亡原因はさまざまで、理不尽なこともしばしばだ。
あれだけ厳しい訓練に励み、技量を高めた兵士の中の兵士である男たちが、戦うことなく海の藻屑と消えた。まさに犬死だ。
生存者ゼロのため、実際何が起こったのかは一切不明だった。墜落する前に、機外に脱出した隊員はいなかったのか。その暇もなく、輸送機もろとも海面に激突したのか。よもや空中で爆発したなどということは・・・。
彼らの死の瞬間を想像する時、妹尾の脳裏には、パリの路地裏に佇む謎めいた映画館でみたあの映画のラストシーンが蘇ってくる。あの時感じた終末の予感とは、このことだったのか。
もし自分の最期が、やはり無意味な犬死にだったとしたら・・・そう考えると、初めて味わう類の恐怖が津波のように押し寄せてくる。
結局どれほど鍛錬を重ね、自己肯定感を味わったところで、自分ではどうにもできない大いなる力、こう言って良ければ宿命と呼ばれる、その強大な力に飲み込まれたら、なす術もない。
そう考え始めた途端に、過去十数年に渡って妹尾の人生そのものだった、飽くなき強さへの渇望、高みへの挑戦といったもの全てが無意味に思えてきた。
あれほど強い男になりたいと願い、試練にも自ら望んで飛び込み、それを乗り越えられる強者なのだということを証明すべく、血反吐を吐く思いでがんばってきたというのに、実際は何一つ強くなどなってはいなかった。とんだ勘違いをしていたのだ。
いや、肉体的には本物の強さを手に入れた。それは間違いない。だが、肉体を鍛え抜くことで身に着けたと信じていた強靭な精神力は、どうやら偽物だったらしい。無情な現実を前にして、こうもあっさりと挫けてしまう不甲斐なさは、妹尾自身にとっても意外なほどだった。