姫を助けたのはボロ布をまとった青年でした

☆☆☆

真夜中、ローズはそっと起き出してドレスのポケットに隠していた赤い薬を取り出した。


洞窟の気配を感じたのか、ホワイトが「キュゥ」と、小さく鳴いた。


「シィ」


ホワイトへ向けて、『静かに』と、人差し指を立てて見せる。


熱で額に噴出す汗をぬぐい、ローズはその薬をアリムの口の中へ入れた。


「ん……」


少し眉間にシワを寄せ、無意識にそれを飲み込むアリム。


「どうか、効きますように」


ローズはそう囁き、アリムの頬にキスをしたのだった。
翌日、アリムが熱が下がっていることに気づいたのは起きてすぐだった。


昨日はあれほど体が重たく、凍えるほど寒かったのに今はすっかり治ってしまっている。


「ローズ、大丈夫か?」


自分だけでなくローズも治ったのかと思っていた。


しかし、横でまだ苦しそうに汗をかく姿に、その期待はすぐに打ち消された。


「アリム……治ったの?」


うっすら目を開け、そう訊ねるローズに「あぁ、俺は平気だ」と、答える。


ローズは「よかった」と、弱弱しく微笑んだ。


「じゃぁ、早く行きましょう」


「おい、何考えてんだよ」


体を起こそうとするローズを、慌てて止めるアリム。


どう見たって、まだ動くことはできない。


熱は昨日よりも更に高くなっているようだし、上半身を起こすだけで呼吸が乱れている。


「あたしは、大丈夫よ」


「どこがだよ、寝てろって」


「でも……早く行かなきゃ妹さんが……」


そう言うとアリムはローズから視線を外し、無言になってしまった。


やっぱり。
もう間に合うかどうかギリギリなのだ。


「あたしなら大丈夫。国につけば、お父様が助けてくれる」


何年も助けに来なかった親など、信用はできない。


でも、今はそんなことを言ってここにとどまっている時間などなかった。


「本当に、大丈夫なんだろうな?」


嘘をつくなよ。


そんな目で、アリムが見つめてくる。


ローズはそれに微笑み、頷いた。


「大丈夫よ、絶対に」


保障なんて、どこにもない。


国王とローズの関係を知ったアリムにも、それはわかっていた。


「わかった」


でも今はその言葉を信じ、行動するしかなかった……。
☆☆☆

数週間ぶりの国は閑散としていた。


感染病が拡大したためか、人々はほとんど家の中に閉じこもり、時折野良犬の鳴き声がするものの、それ以外の物音はしない。


赤レンガの家の窓はどれも閉じられ、店も『クローズ』の看板がかけられている。


「ひどい有様だな」


ホワイトの背中から降りて、アリムが呟く。


たった数週間で、ここまでになっているとは考えもしなかった。


早くしないと、この国までダメになってしまうかもしれない。


「行こう」


再びホワイトの背中にまたがり、宮殿を目指した。


それからほんの数分後。


ローズとアリムは国王の玉座の前まで通されていた。


金の女性像が両端に鎮座し、赤い椅子に座っている国王。


久しぶりに見る父親の姿にローズはとまどいの色を見せた。


白い髭に、細かく刻まれた顔のシワ。


ローズが幼いころに見ていた父親とは、かけ離れていたから。


「ローズ、久しぶりだな」


そういう国王の口調は淡々としていて、義務的だった。


まるで自分の娘だなんて思っていない。
わかっていたことだけれど、ローズの胸は締め付けられた。


「おい、娘は風邪をひいてる。部屋へ連れていけ」


近くにいた兵士へそう声をかけると、重たい鎧をつけた兵士がローズへ歩み寄る。


「薬を出してやれ」


小声でそう言ったのはアリムだった。


兵士はそれに答えず、ヨタヨタと歩くローズを抱えて、部屋を出てしまった。


一抹の不安を感じながらそれを見送ると、国王はため息まじりに立ち上がり、アリムを一瞥した。


「娘を助けたお前に、褒美をやる」


「ありがとうございます」


待ち望んでいたものに、思わず目を輝かせるアリムに、「欲の腐った男が」と、国王が吐き捨てた。


今はなにを言われてもいい。


とにかく、もらった金で買えるだけの薬を買い、この街を救わなければならない。


「これが褒美だ。とっとと出ていけ」


白い袋をアリムへ投げてよこすと、国王は鋭い目でにらんだ。


アリㇺはその袋をキャッチして、すぐに中身を確認する。


そこには、目がくらむほどの金塊がパンパンに詰められていた。


これだけあれば十分だ。


妹のサリエも、街のみんなも、きっと助かるだろう。
アリムは国王に礼も言わず、はじかれたようにその場から駆け出していた。


「二度と来るな!」


そう怒鳴る国王の声を振り払うように、宮殿を後にした……。
☆☆☆

兵士に抱えられたローズはそのまま地下室の重たい扉の向こうへと投げ込まれた。


「痛っ」


小さく悲鳴を上げるが、兵士は答えない。


中は真っ暗で、明かりの1つもない。


寒くて震えるローズを尻目に、兵士は重たい扉を閉じた。


「ちょっと……ちょっと、待って!」


這うようにして扉へ向かい、そのノブに手をかける。


しかし、鍵をかけられてしまったらしく、びくともしない。


「開けて! 開けなさい!」


国王の娘として命令してみるけれど、扉の向こうからな何も返事はなかった。


「……っ」


しばらく待ってみても物音1つ聞こえず、ローズはあきらめたように扉を背にして身を丸めた。


泣くな。


わかってたことじゃないか。


自分が戻って来たって、喜ぶ人間なんていない。


おまけに、今自分はウイルスに感染している。


だから、こんな場所に閉じ込められたんだ。
わかっているのに……。


涙が、次から次へと溢れ出した。


もしかしたら、誰かが自分の帰りを待ってくれているかもしれない。


もしかしたら、誰かが抱きしめてくれるかもしれない。


もしかしたら、あたたかい言葉で迎えてくれるかもしれない。


そんな期待が、すべて打ち砕かれたから。


きっと、アリムはもうここへは来ないだろう。


元々褒美を目的で自分を助けたんだから、それが終われば、もう自分は用なしだ。


魔女のザイアンには強気な事を言ったけれど、この状況下でその気持ちもしぼんでいく。


もう、ダメなんじゃないか。


国王は感染を恐れ、自分をここから出す気もないだろう。


このまま、誰にも会わずにここで死んでいくしかないんじゃないか。


そう思った時だった。


「ローズ」


背中の扉の外から国王の声が聞こえてきて、ローズはハッと顔をあげた。


「今、あのボロ雑巾のような男は帰って行ったぞ」


「……そう」
「褒美を渡したら、あっという間に宮殿から出て行った」


おかしそうに笑う国王の声が響く。


ローズは唇をかんで、また泣きそうになるのをなんとか耐えた。


「言っておくが、お前に飲ませる薬はないぞ」


「……わかっています……」


「そうか。物わかりのいい娘でよかったよ」


それだけ言うと、国王の足音は遠ざかって行った……。