その言葉にびくっとして顔を上げる。ずっと掴んでいたスカートの裾はしわくちゃになってしまった。
「それは……この、写真たての?」
バレてたか、とセンセーは乾いた声で笑った。ずっと気づいていて聞けなかった、この綺麗な女の人のこと。
「もうきっと二度と会うことなんて出来ないだろうけどね」
伏せ目がちにそう呟いて、そっとその写真たてを手に取る。その指先は心なしか震えていた。
私は何も言うことができなくて、この話が私にどう関係あるのかなんてわからないけど、センセーの中にあるもの全部、知りたいと思ってしまっていて。
「……どうして?」
「消えたんだよ、家族から、世間から、あいつの周り全部の人たちと縁を切って、1人で旅立った」
「どういうこと?」
「元々器用な奴でね。勉強や運動はどれも人並みくらいだったけど、芸術関連に関してあいつは同世代の中で群を抜いて才能があった」
センセーは一切こちらを見ようとしなかった。その代わりに、私はセンセーから視線を離そうとはしなかった。
「音楽や美術はもちろんだけど、あいつがいちばん興味を持ったのが映像関連だった。写真も撮るし、映像もつくる。学生の頃、あの年齢でこんなにいい作品が作れるなんて、って割と注目されてた」
「それなのに……消えたの?」
「問題はSNSだった。今の時代、誰でも自分ことを発信できる時代だからね。けれど、人と違う道を歩むことを決めたあいつを妬んだ輩が大勢いたんだ」
才能に嫉妬して、一般人の群れを出た妹は社会の闇を見た、と。
SNSで浴びせられる顔の見えない誹謗中傷、根拠のない噂、過度な好意、その他諸々。段々と弱っていくその姿が、痛々しくて、と。
「見てられなかったんだ、壊れていく自分の片われを。誰よりも応援してたし、誰よりも俺がいちばんあいつの才能を認めてたはずなのに、気づけば反対側の人間になって、こっちに戻ってこいと手を引いてたんだ」
そのままで、変わらないでいてくれと泣くほど妹の才能に憧れていたのは俺の方だったのに、いつの間にかずっと一緒にいることを拒んで、責め立てた。
……そう続いたセンセーの声は、いつものそれよりも随分と弱々しく情け無いものだった。
「正直自分でも、何が正解かなんてわかんないんだ、こんな教師でごめんって本当に思うよ。でもな、春山、おまえが変わることに対して背中を押した俺は絶対に嘘じゃない。嘘じゃないんだ。でもわかっただろう、変わり続けていることが、周りから後ろ指を指されることだって」
センセーがこっちを見た。そのゆらゆらとした瞳に、グッと何かが込み上げてくる。
高校2年、自分の好きなように容姿を変えた。
キラキラした毎日が待っていると思っていた。自分の好きなことを貫いて、人と違ったように生きることが、すごいことなんだって思ってた。
でも実際は、どこか息苦しかった。
誰にも認めてもらえなくて、ただ少し容姿が違うだけ、ルールから抜けただけ、あとは何も変わっていないのに、全部を否定するみたいに周りの人間は私を遠ざけた。
変わることは簡単だった。
けれど、それをずっと続けていくことの方が、変わらないでいることの方がきっとずっとずっと難しいことだったんだ。