◇
放課後、わたしは山ちゃんに職員室前の廊下に呼び出されていた。今朝、追いかけられていたことについてだろう。
「春山、おまえは成績も悪くないし授業態度もしかりだ。けどな、その見た目はそのすべてを台無しにしてるんだぞ、わかってるか?」
「はあ」
「気の抜けた返事だな、本当にわかってるのか? 今年は受験も控えてるし、いくら成績が良くても周りはおまえを評価してくれなくなるんだぞ」
本当にわかってるのか、なんて言われたって。
放課後の職員室前、長机に向かって座らされたわたしは山ちゃんと向き合って話を聞いていた。たしかに山ちゃんの言っていることはきっと正しくて、この社会を生きていくのに当たり前の選択をさせてくれようとしていて。
わかってる。わかってるけど。
人と違うことが、誰かのルールを外れることがそんなに悪いことなのか私にはわからない。個性を持つことが大事だと、自分を持つことが大切だと、そんなことを教えるくせに私たちをルールで縛る学校が理解できない。
「山ちゃんはさ、」
わたしが突然声を出したので、山ちゃんは長々話していた言葉を止めた。
「わたしがちゃんと規則を守ったら、未来が見えてくると思う?」
「……未来?」
「未来っていうか、進路っていうか、さ」
真っ白なまま、書けなかった進路希望調査を思い出す。2年生のはじめとおわり、そしていま。ずっと、ずっと、私の明日は見えないでいる。
「春山がどういう道に進みたいか俺にはわからんが、いらない敵はつくらないほうがいい。違うか? おまえに行きたい道が出来た時、できるだけそこにたどり着くのを手伝ってくれる人がいた方がいいだろう」
「今の私じゃ、ダメなの?」
「……俺や古田先生がゆるしても、世間は認めてくれないだろうな」
びっくりした。なんとなく気づいてはいたけれど、山ちゃんはやっぱり、古田センセーが私の容姿についてなにも言わないでいてくれるのを知っていたんだ。
「春山は、何になりたい? 何がしたい?」
「……」
答えられなかった。
何になりたいとか、何がしたいとか、そんな明確な答えがあるならとっくにそれに向かって歩いてる。わたしにはそんな類のものが一切なくて、進路希望調査も、自分が想像する未来も、真っ白なままだ。
キラキラしたアイシャドウとか、パープルピンクの髪の毛とか、潤った艶のあるリップとか。そういうものに憧れて、焦がれて、手を伸ばした。
けれどそれだけだ。変わったのは外見だけ。誰より自由に生きてるように見えて、本当は誰よりずっとずっと縛られて、囚われてる。中身はずっとずっと変わらない。ううん、きっと変わりたくないと思ってる。
大人になるために捨てなきゃならないものが多すぎて、いっそのこと大人になることをやめれたらって、ずっとずっと。
「山下先生」
何も答えることができなくて、スカートの裾をぎゅっと握ったのとほぼ同時。向かい合って座る私と山ちゃんの上から、聞き覚えのある声がした。
「古田先生……どうなさいました?」
山ちゃんの声に、ゆっくり顔を上げる。そこには、にこりと笑った古田センセーが立っていた。
「あとは僕から話をしときますから、今日はこのくらいにしておいてやってください」
「いや、でも……」
「お願いします、この通り」
びっくりした。
だって、古田センセーが山ちゃんに向かって、深く頭を下げたから。
「やめてください古田先生、わかりましたから……頭上げてください」
焦って立ち上がった山ちゃんに、古田センセーは勢いよく顔を上げてニヤリと笑った。その瞬間、ああこれも作戦だったのかとわたしはセンセーを感心してしまう。
「それじゃ、連れて行きますね」
そのまま古田センセーがわたしの手首を掴んで歩き出す。え、という声を発する時間もないくらい。振り返ると驚いた顔をして山ちゃんが口をあんぐりと開けたまま固まっている。
ごめんね山ちゃん、山ちゃんがわたしのために言ってくれているのもわかっているけど。
掴まれた手首は何故だか熱く感じる。古田センセーは、社会科資料室に着くまでその手を一度も離さなかった。
放課後、わたしは山ちゃんに職員室前の廊下に呼び出されていた。今朝、追いかけられていたことについてだろう。
「春山、おまえは成績も悪くないし授業態度もしかりだ。けどな、その見た目はそのすべてを台無しにしてるんだぞ、わかってるか?」
「はあ」
「気の抜けた返事だな、本当にわかってるのか? 今年は受験も控えてるし、いくら成績が良くても周りはおまえを評価してくれなくなるんだぞ」
本当にわかってるのか、なんて言われたって。
放課後の職員室前、長机に向かって座らされたわたしは山ちゃんと向き合って話を聞いていた。たしかに山ちゃんの言っていることはきっと正しくて、この社会を生きていくのに当たり前の選択をさせてくれようとしていて。
わかってる。わかってるけど。
人と違うことが、誰かのルールを外れることがそんなに悪いことなのか私にはわからない。個性を持つことが大事だと、自分を持つことが大切だと、そんなことを教えるくせに私たちをルールで縛る学校が理解できない。
「山ちゃんはさ、」
わたしが突然声を出したので、山ちゃんは長々話していた言葉を止めた。
「わたしがちゃんと規則を守ったら、未来が見えてくると思う?」
「……未来?」
「未来っていうか、進路っていうか、さ」
真っ白なまま、書けなかった進路希望調査を思い出す。2年生のはじめとおわり、そしていま。ずっと、ずっと、私の明日は見えないでいる。
「春山がどういう道に進みたいか俺にはわからんが、いらない敵はつくらないほうがいい。違うか? おまえに行きたい道が出来た時、できるだけそこにたどり着くのを手伝ってくれる人がいた方がいいだろう」
「今の私じゃ、ダメなの?」
「……俺や古田先生がゆるしても、世間は認めてくれないだろうな」
びっくりした。なんとなく気づいてはいたけれど、山ちゃんはやっぱり、古田センセーが私の容姿についてなにも言わないでいてくれるのを知っていたんだ。
「春山は、何になりたい? 何がしたい?」
「……」
答えられなかった。
何になりたいとか、何がしたいとか、そんな明確な答えがあるならとっくにそれに向かって歩いてる。わたしにはそんな類のものが一切なくて、進路希望調査も、自分が想像する未来も、真っ白なままだ。
キラキラしたアイシャドウとか、パープルピンクの髪の毛とか、潤った艶のあるリップとか。そういうものに憧れて、焦がれて、手を伸ばした。
けれどそれだけだ。変わったのは外見だけ。誰より自由に生きてるように見えて、本当は誰よりずっとずっと縛られて、囚われてる。中身はずっとずっと変わらない。ううん、きっと変わりたくないと思ってる。
大人になるために捨てなきゃならないものが多すぎて、いっそのこと大人になることをやめれたらって、ずっとずっと。
「山下先生」
何も答えることができなくて、スカートの裾をぎゅっと握ったのとほぼ同時。向かい合って座る私と山ちゃんの上から、聞き覚えのある声がした。
「古田先生……どうなさいました?」
山ちゃんの声に、ゆっくり顔を上げる。そこには、にこりと笑った古田センセーが立っていた。
「あとは僕から話をしときますから、今日はこのくらいにしておいてやってください」
「いや、でも……」
「お願いします、この通り」
びっくりした。
だって、古田センセーが山ちゃんに向かって、深く頭を下げたから。
「やめてください古田先生、わかりましたから……頭上げてください」
焦って立ち上がった山ちゃんに、古田センセーは勢いよく顔を上げてニヤリと笑った。その瞬間、ああこれも作戦だったのかとわたしはセンセーを感心してしまう。
「それじゃ、連れて行きますね」
そのまま古田センセーがわたしの手首を掴んで歩き出す。え、という声を発する時間もないくらい。振り返ると驚いた顔をして山ちゃんが口をあんぐりと開けたまま固まっている。
ごめんね山ちゃん、山ちゃんがわたしのために言ってくれているのもわかっているけど。
掴まれた手首は何故だか熱く感じる。古田センセーは、社会科資料室に着くまでその手を一度も離さなかった。