安曇(あずみ)穂高(ほだか)は、高校の入学式で新入生として颯爽と現れ、その場にいた多くの人間の注目や関心をさらっていった。
朱に交われば赤くなるというのは、きっといつも正しいわけではなくて、どこに交じっても彼は彼だった。むしろ周りが彼の存在の引き立て役になっているとでもいうか。
くりっとした瞳、笑うとできるえくぼ、ほどよく日に焼け引き締まった体。背が高いのにどこか可愛いと思わせてしまう人懐っこい印象で、性格も穏やかならモテないわけがない。
ルックスも文句なしで頭もよく、生粋の日本人でありながらアメリカ生まれのアメリカ育ちで英語もペラペラ。
当然彼はすぐに学校一の人気者になった。それはもう半端なものではなく、動物園のパンダ並みに。
彼の噂を聞きつけ、一目見ようとクラスや学年などの境界を越えて、連日休み時間には教室に人が集まった。対する彼はやはりパンダのようになにも気にすることなく、マイペースに過ごしている。
そんな彼が進学校とはいえ、こんな田舎にやって来たのは家庭の事情らしく、高校から市内に住む祖父母宅でお世話になっているのだと人伝いに聞いた。
だからか、彼は学校を休むことも多々あった。それがさらに彼のレア感を高めていく。
都会ならわからないけれど、こんな田舎にアイドルのような外見と才能を持つ彼が流星のごとく現れたので、しばらく学校だけではなく町中で彼は話題の人となった。
そんな彼とたった一年。ううん一年もない。高校生活を一緒に過ごした。
目を引く彼を入学式で認識し同じクラスとはいえ、どちらかといえば地味で男子が苦手な私が彼と関わり合うのはきっとほとんどない。そう思っていた。
ところが私と彼にはある共通点があって、よく会話するようになった。
『紺野さん、この問題教えてくれない?』
『原(はら)先生、いなかった?』
『今、三年生の補習中らしくて』
困ったように目尻を下げる安曇穂高の表情は、捨てられた子犬とでもいうのか、どうも突き放せない。
私はため息をついて読んでいた本を閉じた。
『どこ?』
彼は嬉しそうに私の前の席に座り、うしろを振り向いて問題集を開いた。
『現国ってさ、文章を書かすだろ。はっきりとした正解があるわけでもないし、どうも苦手なんだ』
『英語だって英作文の問題あるでしょ?』
そう言って私は彼の示す問題文を読んでいく。安曇穂高は優秀だった。いつも成績は学年でトップ。一番か二番のどちらか。
そして私、紺野ほのかの成績も常に一番か二番だった。
うちの学校は『月城高校』と市の名前を掲げ、こんな田舎にあるにも関わらず、全国的にもちょっとした有名な進学校だった。
おかげで視察に訪れる学校関係者は後を絶たず、この学校に入学するため県外からやって来て一人暮らしをする学生も少なくはない。
そんな学生のために市が専用の寮を作って生活を保障するなど行動し、それが称賛を呼んで入学希望者はさらに増えた。
わざわざ家族で移住してくる人もいて、人口減少が問題となっている市としては学校のために投資するのは悪い話ばかりではないらしい。
つまりこの学校に入学するだけでそこそこのレベルなのは証明されていて、そんな中で私は新入生代表として入学式で挨拶をした。自分にとっては当たり前だと思っていた。
ところが翌日の実力テストの結果が張りだされたときに、私は自分の目を疑った。中学まで自分の名前は常に一番上にあった。それ以外の光景を見たことがない。
なのに今、自分の上に名前がある。そのインパクトの強烈さといったら……。
【安曇穂高】
大袈裟だけれど、足元から崩れ落ちそうになった。彼だから、というわけじゃない。誰かに成績を抜かれるなんて。
全国模試で一番を取ることも珍しくない私が、学内でトップをあっさりと譲るとは夢にも思っていなかった。
たった一点差、でも一位と二位とでは天と地ほどの差がある。
周りは私が一位から転落した事態などどうでもよく、それよりも安曇穂高のすごさをさらに思い知らされ、彼に向けられる羨望の眼差しと人気に拍車がかかった。
自惚れていたわけじゃない。ライバルが身近なところにいただけ。悔しさをバネにしてもっと頑張ればいい。
私は静かに闘志を燃やす。彼に、というより自分自身に。
彼の存在は逆に私のやる気を掻き立てた。身近にはっきりと負けたくないと思える相手がいるのはいい刺激だ。私は一方的に彼をライバル視した。
もちろん自分の中だけで。彼に直接宣言したり関わろうという気は微塵もない。
『安曇くんってかっこいいよね』
しかし、彼に対してそんなふうに思っているのは私だけのようで、女子たちの会話での彼の話題はいつも似たり寄ったりのものが多かった。
『本当。外見も性格も文句なしだし』
『英語もペラペラでお父さんはNASA勤めなんでしょ? すごすぎ!』
『アメリカに住んでいたら英語ができるのは当たり前だし、お父さんの件は本人とは関係ないんじゃないかな?』
思ったままを口にしたのに、私の発言は場に水を差した。気を使ってか、その場にいた女子に質問される。
『じゃぁ、ほのかは安曇くんをどう思う?』
『わからない。話したこともないから』
私の回答に場が一気にしらけたのを感じたけれど、時すでに遅し。後悔先に立たずだ。私はどうも女子特有のノリというか、空気を読むのが苦手だった。
逃げるようにそそくさと席に戻って勉強を始める。勉強は頑張ればきちんと結果が出るけれど、人間関係を築くのはどうすれば上手になるんだろう。
そういう意味で私は安曇穂高に完璧に負けている。いつもにこやかで、たくさんの人に囲まれている彼には。
やっぱり彼はすごいな。悔しいし機会もないから本人には伝えないけれど。
ところがただの顔見知りでしかない私たちの運命が交わったのは、意外な彼からの一言だった。
ある日の放課後、教室に残って自習していると今まで会話したことがない安曇穂高が、突然つかつかと長い足を動かしてこちらに一直線にやってきたのだ。
なにを言われるのかと思わず身構えていると、彼は真剣な表情を崩さないまま私との距離を縮めてくる。
『紺野さん、ちょっと勉強を教えてくれないかな?』
自分でもすごい顔をしたと思う。まさかの発言が彼の口から飛び出したとき、私は鳩が豆鉄砲を食らったようだった。
『俺さ、日本語というか現国がどうしても苦手で……。だからお願いします』
『や、やめてよ。同級生なんだから』
律儀に頭を下げる彼に私は慌てる。突っぱねることもできず、ノーとも言えない。そんな気さえ起らなかった。
『なら、OKってことかな?』
顔を上げた彼の表情はどうもしたり顔だった気がする。私は瞬時にあれこれ思い巡らせたけれど、答えは決まっていた。
『いいよ。人に教えるのも自分の勉強になるしね』
『ありがとう』
男子に免疫がなく、つい可愛くない切り返しをした私に彼は穏やかにお礼を告げた。
こうして彼をライバルだと意気込んでいた私は、まんまと彼の罠にはまってしまった。それを後から彼に話すと、『罠じゃないよ』とおかしそうに笑っていた。
なにはともあれ、それから私たちは互いに勉強を教え合うようになった。
私の一番の得意教科が現代国語で、どちらかといえばそこまで得意ではないのが英語。彼はその逆だった。だから利害が一致した、それだけ。
朱に交われば赤くなるというのは、きっといつも正しいわけではなくて、どこに交じっても彼は彼だった。むしろ周りが彼の存在の引き立て役になっているとでもいうか。
くりっとした瞳、笑うとできるえくぼ、ほどよく日に焼け引き締まった体。背が高いのにどこか可愛いと思わせてしまう人懐っこい印象で、性格も穏やかならモテないわけがない。
ルックスも文句なしで頭もよく、生粋の日本人でありながらアメリカ生まれのアメリカ育ちで英語もペラペラ。
当然彼はすぐに学校一の人気者になった。それはもう半端なものではなく、動物園のパンダ並みに。
彼の噂を聞きつけ、一目見ようとクラスや学年などの境界を越えて、連日休み時間には教室に人が集まった。対する彼はやはりパンダのようになにも気にすることなく、マイペースに過ごしている。
そんな彼が進学校とはいえ、こんな田舎にやって来たのは家庭の事情らしく、高校から市内に住む祖父母宅でお世話になっているのだと人伝いに聞いた。
だからか、彼は学校を休むことも多々あった。それがさらに彼のレア感を高めていく。
都会ならわからないけれど、こんな田舎にアイドルのような外見と才能を持つ彼が流星のごとく現れたので、しばらく学校だけではなく町中で彼は話題の人となった。
そんな彼とたった一年。ううん一年もない。高校生活を一緒に過ごした。
目を引く彼を入学式で認識し同じクラスとはいえ、どちらかといえば地味で男子が苦手な私が彼と関わり合うのはきっとほとんどない。そう思っていた。
ところが私と彼にはある共通点があって、よく会話するようになった。
『紺野さん、この問題教えてくれない?』
『原(はら)先生、いなかった?』
『今、三年生の補習中らしくて』
困ったように目尻を下げる安曇穂高の表情は、捨てられた子犬とでもいうのか、どうも突き放せない。
私はため息をついて読んでいた本を閉じた。
『どこ?』
彼は嬉しそうに私の前の席に座り、うしろを振り向いて問題集を開いた。
『現国ってさ、文章を書かすだろ。はっきりとした正解があるわけでもないし、どうも苦手なんだ』
『英語だって英作文の問題あるでしょ?』
そう言って私は彼の示す問題文を読んでいく。安曇穂高は優秀だった。いつも成績は学年でトップ。一番か二番のどちらか。
そして私、紺野ほのかの成績も常に一番か二番だった。
うちの学校は『月城高校』と市の名前を掲げ、こんな田舎にあるにも関わらず、全国的にもちょっとした有名な進学校だった。
おかげで視察に訪れる学校関係者は後を絶たず、この学校に入学するため県外からやって来て一人暮らしをする学生も少なくはない。
そんな学生のために市が専用の寮を作って生活を保障するなど行動し、それが称賛を呼んで入学希望者はさらに増えた。
わざわざ家族で移住してくる人もいて、人口減少が問題となっている市としては学校のために投資するのは悪い話ばかりではないらしい。
つまりこの学校に入学するだけでそこそこのレベルなのは証明されていて、そんな中で私は新入生代表として入学式で挨拶をした。自分にとっては当たり前だと思っていた。
ところが翌日の実力テストの結果が張りだされたときに、私は自分の目を疑った。中学まで自分の名前は常に一番上にあった。それ以外の光景を見たことがない。
なのに今、自分の上に名前がある。そのインパクトの強烈さといったら……。
【安曇穂高】
大袈裟だけれど、足元から崩れ落ちそうになった。彼だから、というわけじゃない。誰かに成績を抜かれるなんて。
全国模試で一番を取ることも珍しくない私が、学内でトップをあっさりと譲るとは夢にも思っていなかった。
たった一点差、でも一位と二位とでは天と地ほどの差がある。
周りは私が一位から転落した事態などどうでもよく、それよりも安曇穂高のすごさをさらに思い知らされ、彼に向けられる羨望の眼差しと人気に拍車がかかった。
自惚れていたわけじゃない。ライバルが身近なところにいただけ。悔しさをバネにしてもっと頑張ればいい。
私は静かに闘志を燃やす。彼に、というより自分自身に。
彼の存在は逆に私のやる気を掻き立てた。身近にはっきりと負けたくないと思える相手がいるのはいい刺激だ。私は一方的に彼をライバル視した。
もちろん自分の中だけで。彼に直接宣言したり関わろうという気は微塵もない。
『安曇くんってかっこいいよね』
しかし、彼に対してそんなふうに思っているのは私だけのようで、女子たちの会話での彼の話題はいつも似たり寄ったりのものが多かった。
『本当。外見も性格も文句なしだし』
『英語もペラペラでお父さんはNASA勤めなんでしょ? すごすぎ!』
『アメリカに住んでいたら英語ができるのは当たり前だし、お父さんの件は本人とは関係ないんじゃないかな?』
思ったままを口にしたのに、私の発言は場に水を差した。気を使ってか、その場にいた女子に質問される。
『じゃぁ、ほのかは安曇くんをどう思う?』
『わからない。話したこともないから』
私の回答に場が一気にしらけたのを感じたけれど、時すでに遅し。後悔先に立たずだ。私はどうも女子特有のノリというか、空気を読むのが苦手だった。
逃げるようにそそくさと席に戻って勉強を始める。勉強は頑張ればきちんと結果が出るけれど、人間関係を築くのはどうすれば上手になるんだろう。
そういう意味で私は安曇穂高に完璧に負けている。いつもにこやかで、たくさんの人に囲まれている彼には。
やっぱり彼はすごいな。悔しいし機会もないから本人には伝えないけれど。
ところがただの顔見知りでしかない私たちの運命が交わったのは、意外な彼からの一言だった。
ある日の放課後、教室に残って自習していると今まで会話したことがない安曇穂高が、突然つかつかと長い足を動かしてこちらに一直線にやってきたのだ。
なにを言われるのかと思わず身構えていると、彼は真剣な表情を崩さないまま私との距離を縮めてくる。
『紺野さん、ちょっと勉強を教えてくれないかな?』
自分でもすごい顔をしたと思う。まさかの発言が彼の口から飛び出したとき、私は鳩が豆鉄砲を食らったようだった。
『俺さ、日本語というか現国がどうしても苦手で……。だからお願いします』
『や、やめてよ。同級生なんだから』
律儀に頭を下げる彼に私は慌てる。突っぱねることもできず、ノーとも言えない。そんな気さえ起らなかった。
『なら、OKってことかな?』
顔を上げた彼の表情はどうもしたり顔だった気がする。私は瞬時にあれこれ思い巡らせたけれど、答えは決まっていた。
『いいよ。人に教えるのも自分の勉強になるしね』
『ありがとう』
男子に免疫がなく、つい可愛くない切り返しをした私に彼は穏やかにお礼を告げた。
こうして彼をライバルだと意気込んでいた私は、まんまと彼の罠にはまってしまった。それを後から彼に話すと、『罠じゃないよ』とおかしそうに笑っていた。
なにはともあれ、それから私たちは互いに勉強を教え合うようになった。
私の一番の得意教科が現代国語で、どちらかといえばそこまで得意ではないのが英語。彼はその逆だった。だから利害が一致した、それだけ。