私はひとり砂浜に立ち、穏やかな海を見つめる。気づけば九月も半ばだ。ここまで世界が続いていることに感謝している人はどれくらいいるんだろう。

 このまま小康状態が続いて地球は助かるんじゃないかと人々が希望を抱く頃、それをあざ笑うかのように月は地球との距離を以前よりも縮め、確実にカウントダウンは始まっていた。

「世界はどうなるんだろうね?」

 投げかけたひとり言は潮風にさらわれる。

 私は彼と別れたあの日からできるだけ毎日ここを訪れている。っていってもついでだ。父の職場も近いし、谷口さんや樫野さんのところにお邪魔したりとか。そっちがメインだ。

 父とは以前よりも顔を合わせて会話する機会がぐっと増えた。知らなかったお母さんとのエピソードや私が子どもの頃の話など意外と話題は尽きない。

 職場にもちょくちょく顔を出させてもらって、飯島さんは会えばいつも娘ちゃんの写真を見せてくれる。

 谷口さんは変わらないように見えて、前よりもずっと元気になったんだと健二くんがこそっと教えてくれた。

 宮脇さんは意外にも真面目に谷口さんの元で働き、県の中心部から必要物資や食料などを谷口商店まで運んできている。

 おかげで谷口商店は、今やここらへんでは欠かせない存在になった。訪れるお客さんの姿に、こんなにも人が残っていたんだと内心驚いた。

 買い物がてら店に行けば、そのまま店番や商品を並べる手伝いを頼まれたりして、すっかり身内扱いだ。そのとき理恵さんと一緒になることもしばしば。

 理恵さんの経過は順調らしく、つわりも一時に比べたらマシになったんだとか。ずっと寝たきりなのもなんなので、こうして体調のいいときは谷口商店で働いているらしい。

 性別がわかるのはまだ先らしいけれど、こっそり名前の候補なんかも聞いた。

 樫野さんは相変わらずで、専門は産科だけれど診られる範囲で体調の悪い人を診察している。パワフルさは健在だ。

 そしてつい先日、また谷口商店の前で前回同様のメンバーで焼肉を食べた。あのときの穂高の代わりにお父さんが参加して、最後の晩餐かもしれない、なんてみんなで笑い合った。

 世界の終わりでも、ご飯は食べるし、笑って冗談だって言える。

 けれど穂高だけがいなくて、私の心にはぽっかりと穴が開いたままだ。

「帰ってきて……くれるんでしょ?」

 不安になって漏らした声は震えていた。

 みんな、穂高を心配してたよ? あなたが思っている以上に、たくさんの人が気にかけているんだよ。

 海に向かって訴えかけてもしょうがない。どちらかといえば空にかな。先日も月に向けてのロケット打ち上げ計画が失敗したというニュースが流れていた。

 潮風は肌や髪をべたつかせる。冷たくなってきたのもあり、私は大きく息を吐いてここを立ち去ろうとした。

「ほのか」

 そのとき幻聴が聞こえた。すぐに足元に届きそうな波が現実に戻す。ところが再度彼の声で名前を呼ばれ、それははっきりと耳に届いた。

「ほのか!」

 辺りを見渡せば、いつか私が彼を追いかけてきたときのように堤防の階段を下りてこちらに向かってくる人物が目に入った。

 嘘――。

 信じられない気持ちで、瞬きひとつできず私は固まる。しばらくして近づいてくる存在が幻ではないと悟り、私は彼の元に駆け寄った。

 足がもつれそうになりながら、手を伸ばせばすぐに届きそうな距離まで詰め寄る。彼は穏やかに笑った。その笑顔は私の記憶の中のまんまで、変わっていない。

「ただいま、ほのか」

「遅い! 遅すぎるよ!」

「でも、間に合っただろ?」

 感情的になる私とは対照的に、穂高はいつも通りだ。たくさんの文句を言ってやりたいのに、それよりも先に涙が溢れる。

「ふっ……」

 泣くつもりなんてなかったのに。もしも再会したら笑顔でって決めていたのに。私の思惑も計画もまったく意味なし。

 目尻から伝う涙を自分ではどうしても止められず、手の甲で頬を擦る。次の瞬間、穂高は正面から私を力強く抱きしめた。そして真剣な声色で謝罪の言葉を口にする。

「ごめん」

 ああ、もう。結局私はこうして彼を許してしまうんだ。だって帰ってきてくれたんだから。言葉を発する代わりに彼の背中に腕を回すと、押し留めていた本音が口を衝いて出た。