父はこちらの様子を窺っていた。自分の鼓動音が大きく響く。

「お父さん」

 かすれた声。一瞬、気持ちがぐらついたが、必死で踏ん張る。大丈夫、私はひとりじゃない。言い聞かせてから、自分の心の奥底にあった気持ちをゆっくりと解き放つ。

「私、ずっと謝りたかった。お母さんとまなかのこと……ごめんなさい」

 声も、唇も震えて、上手く言葉を紡げない。堪えきれずうつむくと、涙の膜で視界が一気にぼやけた。感情が勝手に走りだす。

「なんでほのかが謝るんだ」

「だ、って。私の、せいで。私が、お守りを頼んだから。だから、お母さんとまなかは……」

 涙が溢れだし、もう制御不可能だ。

 責めてくれたらよかった。お前のせいだってはっきり言われた方が楽だったのかもしれない。

 重すぎる罪悪感を自分で処理することはできなくて、ずっと苦しかった。でも実際は怖くて……父に拒絶されるのも不安で言い出せなかった。

 静かに嗚咽を漏らして泣いていると、私の頭に大きな手が乗せられた。

「ほのかはなにも悪くない。それだけは言える」

 ゆっくりと、はっきりとした父の声。こんな近くに父がいるのはいつぶりだろう。

「でも、私が……」

「でも、じゃない。天国の母さんもまなかも、ほのかを責めるような気持ちはひとつも持っていない。絶対にだ」

 私は手で乱暴に涙を拭う。熱い液体が皮膚に染みた。鼻を軽くすすり、調子を取り戻そうと試みる。

「お父さんは……私に怒ってるから、こんな状況になっても仕事をずっと続けているんじゃないの?」

「そんな理由なわけないだろ」

 反射的に否定されたものの、それから言葉がない。しばしの沈黙。それを経て父は唐突に語りだした。

「母さんとな、約束したんだよ」

 その言葉に私はゆるゆると顔を上げる。いつ見る厳格な父の面影はなく、どこか寂しそうで切なそうな表情だった。

「もし自分になにかあっても、どんなことがあっても警察官としての役目を果たせって。あなたはそれができる人なんだからって」

 初めて語られる話だった。今まで父から母の話を聞く機会などほとんどなかった。

「車を運転していた犯人を憎んだ。落ちてくる月を恨んだ。自棄を起こしそうにもなった。でもな、母さんとの約束があって、ほのかがいたから父さんはここまで生きてきたんだ」

「私、お父さんにあまり好かれていないと思ってた。お父さんはいつもまなかの方を可愛がっていたし」

 予期せぬ本音も思わず漏れ、父は虚を衝かれたような顔になる。それを受け、珍しく動揺しているのが伝わってきた。

「誤解だ。父さんは、ほのかもまなかも同じように大事に思っているよ。ただ……まなかは母さんに似ていて、ほのかは自分に、父さんに似ていたから」

 父から飛び出た言葉に、今度は私が狼狽える。そこで一区切り入れるた父は顎を触りながら、続きを悩んでいるように見えた。

「父さんもどちらかといえば人付き合いが苦手で、自分からあまり誰かと関わっていくのは得意じゃない。だから、ほのかが人間関係で悩んでいるって母さんから聞いたときは、痛いほど気持ちがわかったよ」

 母になにげなく愚痴をこぼすように人間関係について相談した覚えがある。上手く振る舞えない自分に嫌気が差すって。

 それからしばらくして非番で家にいた父が突然、私の部屋のドアをノックして顔を出した。

『ほのか。みんなにいい人って思われなくてもいいんだぞ。お前が大事にしたい人のために、誠実でいたらそれでいいんだ』

 前触れもなくあまりにも唐突に言い捨て、父はその場をさっさと去っていた。私は意味がわからず、しばらくぽかーんと口を開けたままだった。

 そっか。父は父なりに私を気遣ってくれていたんだ。嫌われていたわけでもなくて、私だって自分から父に歩み寄ろうとしなかった。

 どちらも受け身なら、関係は進まない。やっぱり私たちは親子で似た者同士なんだ。

 結論付けてようやく私は笑えた。ずっと長い間、遠回りしていたんだ。

 さらに父の弁明によると、地球が終わりそうだからとはいえ、元々仕事人間だったのもあり今さら娘とどう接していいのかずっと悩んでいたのだという。

 基本的に家にいる私に安堵していたそうで、だから今日、谷口商店で私を見かけ驚きと外にいることで強く当たってしまったんだとか。

「ほのかまでいなくなってたら、父さんはきっと今、生きていない。ごめんな。父さんも自分のことでせいいっぱいでほのかの気持ちを汲んでやれなくて」

 涙で顔がぐちゃぐちゃだ。私は大袈裟に首を左右に振る。

 思い出した。私が勉強を頑張りだしたのも、小学生のとき普段無口な父が『ほのかは頭がいいんだな』と成績を褒めてくれたからだ。

「……お父さん、私が生まれたとき嬉しかった?」

「嬉しかったよ。ほのかとまなかが生まれたときが、生きてて一番幸せだと思った」

 そう言って父はハンカチを差し出してくれた。真っ白の綺麗なハンカチだ。申し訳なく思いつつ私は遠慮なく受け取ると、顔に押し当てて涙を拭った。