「そうだ。お姉さんもよかったら肉食べていきなよ! ね、じいちゃんいいだろ!」

 谷口さんはトングを持ち上げ、『おう』と軽く返事する。宮脇さんだけが席に着いて黙々とお肉を食べていた。

「どうしてお肉が……」

「じいちゃんが牛を育ててるんだよ! 俺も世話、手伝ってるんだぜ」

 理恵さんの質問に健二くんは胸を張って誇らしげに答えた。それでピンと来たのか理恵さんが谷口さんを見た。

「もしかして……『おおつき食堂』をされていました?」

 肉を焼いていた谷口さんが手を止めこちらに顔を向けた。

「ああ。節子(せつこ)が、家内が元気なときにやってたんだよ。あんた地元の人かい?」

「はい。小さい頃、おおつき食堂さんによく両親とお邪魔しました。お肉がとても美味しくて、県外に出てもよく思い出してましたよ」

「そうか、それは有り難いね」

 谷口さんの視線は再び七輪の上に向けられる。一見、無表情に見えるけれど、微妙に口角が上がっている。嬉しさが隠しきれていなかった。

「あんた、名前は?」

「石津理恵です」

「ああ、東島(ひがしじま)の石津さんのとこかい?」

「はい」

 谷口さんは合点がいったという顔で今度は素直に笑う。目尻の皺を増やし目を細めた。

「おー。ってすると、あの小さかった女の子があんたかい。覚えてるよ。ご両親は元気かい?」

 理恵さんの顔が曇り、私は勝手にハラハラと成り行きを見守る。控えめの声の理恵さんの声がさらにすぼめられる。

「……父も母も亡くなりました」

 小さいけれど凛とした声は全員が聞き取れた。

 無関心だった宮脇さんもさすがに反応して、口に運ぼうとしていた肉を皿に戻す。そしてじっと理恵さんに視線を送る。

 沈黙を受けてか、理恵さんはゆっくりと語りだした。

「月が地球に落ちてくる可能性が高いって報道されて、両親は私に会社を辞めて実家に戻ってくるように言ってきました。でも私は半信半疑で……仕事もあるし、すぐに帰るのは無理だって取り合わなくて」

 一つひとつを思い出すような、後悔を乗せた声色だった。私は自然と自分の手を強く握る。

「あの頃は電話もインターネットも繋がりにくくなっていましたから、直接話そうとしたのかもしれません。それで私を車で迎えに来ようとして両親揃って事故にあったんです」

 『月が地球に落ちてくる』

 そのニュースが世界を駆け巡ったとき、大半の人々は冷静さを失った。混乱と動揺により、多くの場所で事故が相次ぎ殺人や強奪なども増えた。

 国民的アイドルが『月に殺されるくらいなら自分で命を終わらせる』というセンセーショナルな遺書を残し自殺したことで、自殺者も後を絶たなかった。

 たくさんの人が亡くなる日々で報道も追いつかず、正確な数も出来事も知らない。あまりにも死がありふれて感覚が麻痺しそうになった。

 誰も言葉を発しない。この沈黙を裂いたのは意外な人物だった。

「お姉さんも父さんと母さんがいないんだ。なら俺と同じだな」

 声変わり前のあどけない健二くんの声が場を包む。彼はにかっと白い歯を見せて笑うと、理恵さんの手を取った。

「でも俺には、じいちゃんとミケがいるんだ。お姉さんも家族になればいいよ」

「え……」

「とにかく飯食おうぜ。おい、兄ちゃん。全部ひとりで食うなよ」

「食わねーよ」

 最後は宮脇さんに対しての台詞だ。唖然としている理恵さんの手を引いて健二くんは座るように促した。

「あら? これってどういうことなの?」

 またまた唐突に第三者の声が間に入る。穂高が『え?』と小さく声を漏らし、私も声の主を視界に捉えて目を見張った。

 驚いたのは私たちだけのようでは谷口さんは冷静だった。

「樫野(かしの)さん、あんたどうしたんだ?」

 『樫野さん』と呼ばれた女性は、先ほど店を覗いて去っていた女性だ。その前に突拍子もなく私に貧血の薬をくれた人で……。

「それはこっちの台詞よ。さっきお店の前を通って中を覗いたら、なんだかただごとじゃない雰囲気だったから、お巡りさんを呼びに行って一緒に来てもらったの」

「お父さん!?」

「ほのか?」

 樫野さんから遅れて現れた人物に、私は思わず今日一番の声をあげる。見慣れた紺色の制服、制帽。樫野さんが連れてきた警察官は、まぎれもなく私の父だった。

「え、お父様?」

 樫野さんが不思議そうな顔をして、私と父を交互に見た。父の顔はすっと険しくなり、眉間に皺が深く刻まれる。

「こんなところでなにをしてるんだ。もう日も沈みそうだっていうのに」

「お父さんに関係ないでしょ!」

 私は突っぱねる。それは父の感情を逆なでするだけだった。

「関係あるだろ。だいたい、お前は」

「あの」

 ヒートアップしそうになる寸前で私たちの間に穂高が入った。視界には彼の逞しい背中が映り、続えて穂高は父に深々と頭を下げた。

「ほのかさんの高校の同級生で安曇穂高といいます。すみません、今日は俺が誘って彼女を連れ出したんです」

 意表を突かれたように父は目を見開いた。すかさず理恵さんが私の右隣にやってくる。

「それで私が体調を崩していたら、娘さんが気遣って家まで付き添ってくれたんです」

「いなくなったミケも探してくれたんだよ」

 いつのまにか健二くんも私の左側にしがみつくようにして主張した。

「孫が世話になった礼に、ここで夕飯をご馳走していたんですよ」

 締めくくるように谷口さんが現状を伝える。父は立て続けの勢いに押されてぽかんとしている。ややあっておもむろに口を開いた。

「店に不審者がいるという話は……」

「ああ。ちょっと知り合いに店の整理を手伝ってもらっていたんだが、なんせ初めてで棚を倒したりしてな。粗暴だがこのご時世、番犬にはいいだろ」

 谷口さんのフォローに宮脇さんが目を丸くして視線を送った。さらに樫野さんがつけ加える。

「ごめんなさい。私の勘違いだったみたいね。ほら、今はこんな世の中だから少しのことで怖くなってしまって」

 父は目を伏せて制帽を整え直した。

「いえ、なにもなかったのならよかったです。しかし空き巣や喧嘩も増えています。皆さん、戸締りはしっかりしてください」

 警察官の顔を見せた後で父は私の方を見つめた。

「ほのか。遅くなるかもしれないが、今日は仕事を切り上げてくる。お邪魔にならないようここで待ってなさい。家まで送っていく。君もだ」

 最後は穂高を見つめて父は言った。有無を言わせない重たさを感じる。でもそれでは私たちの目的は達成できない。

 もっと夜にならないと星は見えない。とはいえ正直に話して父が納得してくれるとも思えなかった。

「私は……」

 言い返そうとしたものの言葉に詰まる。

「よかったらうちに泊めますよ」

 前触れもない助け舟は、樫野さんからだった。

「さっきもお話しした通り、部屋はたくさんありますから。みんなで集まっていた方が防犯の意味でもいいでしょ?せっかくの機会ですしお父様もお仕事終わったら、こちらにいらっしゃいませんか?」

「なんであんたが仕切ってるんだ」

 お約束のように谷口さんがツッコんだけど樫野さんはまるで聞こえてもいないかのように父と向き合ったままだった。

「いいえ。仕事がありますから。ほのか、迷惑にならないようにな」

「……うん」

 静かに答えると、父は踵を返してさっさと行ってしまった。複雑な感情を抱えながら父の背中を見送る。

 結局その場に理恵さん、樫野さんも加わり、行きずりといってもいい共通点がまったくないメンバーで七輪を囲む状況になった。