女性の言った通り四つ角を左に曲がると、錆びついて文字も薄れているが『谷口商店』という小さな看板が目に入った。
お店は引き戸になっていて、私たちはゆっくりとドアを開ける。立て付けが悪いのかガタガタと軋む音が響いて、はめ込まれているガラスが揺れた。
中は薄暗くエアコンが効いているわけでもないのにひんやりとしていて、汗がすっと引いた。
昔ながらという言葉がぴったりで下は剥き出しのコンクリート、棚も木製で力を入れたら崩れそうな具合だ。
生ものはほとんどなく、しなびた不揃いな野菜が中心で、他には缶詰やお菓子などがまばらに並んでいる。賞味期限が怪しいものも絶対に混ざっていそうだ。
食べ物以外にはラップや絆創膏など日用品も置いてあった。今の時代を考えればどれも貴重な商品だ。しかし誰もいないのは不用心すぎる。
「誰も、いないね」
「ちょっと、声をかけてみよう」
穂高が奥に足を進めたところだった。私たちが来たときと同じようにドアが音を立て、来訪者の知らせを告げたのは。
自然と私たちの意識は揃ってそちらに向く。
店主かと期待して見れば、入ってきたのは若い男性だった。体格はがっしりとしていて、アメフトか柔道選手を彷彿とさせる。
色褪せたTシャツにジーンズという格好で、無精ひげをはやし吊り上がった目は血走っている。
髪は寝癖なのか癖毛なのか妙な方向にうねっていて、お世辞にも人相がいいとは言えない。どう見てもこの店の人間じゃないのも明白だ。
「なんだ、先客がいたのかよ」
私たちの存在に気づき、男性はちっと舌打ちした。その仕草ひとつで私は嫌悪感にも似た恐怖で体がすくむ。
さりげなく穂高が私を背に庇うようにして前に出た。
その様子を男性は薄気味悪い笑みを浮かべて見やると、私たちからふいっと視線を逸らし店内にさらに足を進め、中を物色しはじめた。
そしてお菓子や乾物系の棚の前に立つと、乱暴にそれらの商品を開けて中身を頬張っていく。食べるというよりは、胃に押し込むといった感じ。手あたり次第だ。
こういった光景は珍しいものじゃない。綺麗事だけじゃ今は生きていけない。もう慣れていたはずだ。
しかし、目の当たりにするとやっぱり異様さが滲み出ている。
「それ」
「うっせー! 邪魔するならぶっとばすぞ。こっちはもう三日もなにも口にしていないんだよ!」
わずかに穂高が反応したことに対し、男性は唾を飛ばしながら鬼の形相で激昂する。勢いで彼のうしろの棚が音を立てて崩れた。少ない商品が床に転がり盛大な音を立てる。
男性の気迫もあって、私は止めるように穂高の背中のシャツを必死に掴んだ。
彼がこちらに向かってくるんじゃないかと思い、気が気じゃない。歯の根が合わずに体が震えだす。
商品なんてどうでもいい。それを食べて気が済むなら持っていくなりして、早くどこかに行ってほしい。
そのとき店のドア越しに、ちらりと人影が写った。どうやらシルエットからして女性らしい。
助けてほしい一心で目を凝らすと、なんと先ほど谷口商店までの道を教えてくれた女性だった。
この際、誰でもいい。祈るように視線を送ると、彼女は中の異常さに気づいたのか、すぐにドアを離れ行ってしまった。
絶望にも似た感情が体を支配する。今の地球ではこんなこと日常茶飯事で、誰だって厄介事に巻き込まれたくない。触らぬ神になんとやら、だ。
でも当事者となってしまっては、見放された気持ちで泣きそうになる。
「おい」
そこで一際低い声が響き、驚きで飛び上がりそうになった。目の前の男のものではない。だって聞こえてきたのはうしろからだった。
おそるおそる顔だけそちらに向けると、ものすごい光景が飛び込んできた。
白い髪は短く刈り上げられ、険しい表情をしている男性が、じりじりとこちらに近づいて来ている。さらに目を引くのはその格好だ。
男性はビニールタイプのエプロンをしているが、そこにははっきりと血痕のようなものがついている。
さらに彼は斧のような鉈のようなものを持っていた。
『ここらへんジェイソンが出るんだから』
ふと理恵さんの台詞が脳内で再生され、私の心拍数を上昇させる。この人は、いったいなにをしていたんだろう。そして、なにをするつもりなの?
『大きな斧を持った血まみれの男が『なにをしているんだ?』って声をかけてくるのよ』
「なにをしてるんだ?」
他者を威圧するような声、鋭い眼差し。それは店内を荒らしていた男性だけはっきりと向けられている。
私や穂高の存在なんてまるで無視だ。さっさと私たちの横を通り過ぎ、彼は男性へと距離を縮めていく。
「な、なんだよ、お前は!」
持っていた商品を手から落とし、男性は狼狽えだした。
「それは必要としている人間がほかにもいる。置いていけ」
あくまでも冷静な声に対し、男性は喚き散らした。
「命令すんな! しょうがねぇだろ。地球が滅びるとか知らねえけど、その前に飢え死になんて俺は御免だ!」
子どものワガママのような主張に初老の男性は鼻を鳴らす。
「だったら、なおさらそれを置け。もっといいもんを食わしてやる」
まさかの発言に耳を疑ったのは私だけではないはずだ。その証拠に言われた男性もぽかんと口を開けている。張りつめていた空気が一瞬にして溶ける。
さらに店のドアが開いたかと思えば疲労感の漂う少年の声が聞こえてきた。
「じいちゃん、やっぱりミケ見つからねぇよ」
「もういい加減諦めろ。弱肉強食は自然界の摂理だ」
「セツリ? 焼肉定食はもういいって」
状況に相応しくない少年の発言と彼の祖父のやりとりに気が抜ける。そして彼には見覚えがあった。それは彼も同じようで私たちに気づくと、ぱっと目を輝かせた。
「あー、あのときの! なに? もしかしてミケ見つかった?」
期待に満ち溢れた表情詰め寄ってくる少年に、私はぎこちなくも答えた。
「そういうわけじゃないんだけど……」
「なーんだ」
少年はあからさまに肩を落とした。その姿に胸が痛む。
「健二(けんじ)。少し早いが飯にするぞ」
「はーい」
健二くんはぱっと切り替える。この状況になにも思わないのか、祖父の姿に対してもなにもツッコまない。
彼の祖父は孫に指示を出すと。さらにまだ放心状態の男性に声をかけた。
「お前も手伝え。働かざる者食うべからずだ」
「兄ちゃんたちもせっかくだし食べていきなよ」
健二くんが私達にも明るく提案してきた。しかしどう答えればいいのか、すぐに返事はできなかった。
お店は引き戸になっていて、私たちはゆっくりとドアを開ける。立て付けが悪いのかガタガタと軋む音が響いて、はめ込まれているガラスが揺れた。
中は薄暗くエアコンが効いているわけでもないのにひんやりとしていて、汗がすっと引いた。
昔ながらという言葉がぴったりで下は剥き出しのコンクリート、棚も木製で力を入れたら崩れそうな具合だ。
生ものはほとんどなく、しなびた不揃いな野菜が中心で、他には缶詰やお菓子などがまばらに並んでいる。賞味期限が怪しいものも絶対に混ざっていそうだ。
食べ物以外にはラップや絆創膏など日用品も置いてあった。今の時代を考えればどれも貴重な商品だ。しかし誰もいないのは不用心すぎる。
「誰も、いないね」
「ちょっと、声をかけてみよう」
穂高が奥に足を進めたところだった。私たちが来たときと同じようにドアが音を立て、来訪者の知らせを告げたのは。
自然と私たちの意識は揃ってそちらに向く。
店主かと期待して見れば、入ってきたのは若い男性だった。体格はがっしりとしていて、アメフトか柔道選手を彷彿とさせる。
色褪せたTシャツにジーンズという格好で、無精ひげをはやし吊り上がった目は血走っている。
髪は寝癖なのか癖毛なのか妙な方向にうねっていて、お世辞にも人相がいいとは言えない。どう見てもこの店の人間じゃないのも明白だ。
「なんだ、先客がいたのかよ」
私たちの存在に気づき、男性はちっと舌打ちした。その仕草ひとつで私は嫌悪感にも似た恐怖で体がすくむ。
さりげなく穂高が私を背に庇うようにして前に出た。
その様子を男性は薄気味悪い笑みを浮かべて見やると、私たちからふいっと視線を逸らし店内にさらに足を進め、中を物色しはじめた。
そしてお菓子や乾物系の棚の前に立つと、乱暴にそれらの商品を開けて中身を頬張っていく。食べるというよりは、胃に押し込むといった感じ。手あたり次第だ。
こういった光景は珍しいものじゃない。綺麗事だけじゃ今は生きていけない。もう慣れていたはずだ。
しかし、目の当たりにするとやっぱり異様さが滲み出ている。
「それ」
「うっせー! 邪魔するならぶっとばすぞ。こっちはもう三日もなにも口にしていないんだよ!」
わずかに穂高が反応したことに対し、男性は唾を飛ばしながら鬼の形相で激昂する。勢いで彼のうしろの棚が音を立てて崩れた。少ない商品が床に転がり盛大な音を立てる。
男性の気迫もあって、私は止めるように穂高の背中のシャツを必死に掴んだ。
彼がこちらに向かってくるんじゃないかと思い、気が気じゃない。歯の根が合わずに体が震えだす。
商品なんてどうでもいい。それを食べて気が済むなら持っていくなりして、早くどこかに行ってほしい。
そのとき店のドア越しに、ちらりと人影が写った。どうやらシルエットからして女性らしい。
助けてほしい一心で目を凝らすと、なんと先ほど谷口商店までの道を教えてくれた女性だった。
この際、誰でもいい。祈るように視線を送ると、彼女は中の異常さに気づいたのか、すぐにドアを離れ行ってしまった。
絶望にも似た感情が体を支配する。今の地球ではこんなこと日常茶飯事で、誰だって厄介事に巻き込まれたくない。触らぬ神になんとやら、だ。
でも当事者となってしまっては、見放された気持ちで泣きそうになる。
「おい」
そこで一際低い声が響き、驚きで飛び上がりそうになった。目の前の男のものではない。だって聞こえてきたのはうしろからだった。
おそるおそる顔だけそちらに向けると、ものすごい光景が飛び込んできた。
白い髪は短く刈り上げられ、険しい表情をしている男性が、じりじりとこちらに近づいて来ている。さらに目を引くのはその格好だ。
男性はビニールタイプのエプロンをしているが、そこにははっきりと血痕のようなものがついている。
さらに彼は斧のような鉈のようなものを持っていた。
『ここらへんジェイソンが出るんだから』
ふと理恵さんの台詞が脳内で再生され、私の心拍数を上昇させる。この人は、いったいなにをしていたんだろう。そして、なにをするつもりなの?
『大きな斧を持った血まみれの男が『なにをしているんだ?』って声をかけてくるのよ』
「なにをしてるんだ?」
他者を威圧するような声、鋭い眼差し。それは店内を荒らしていた男性だけはっきりと向けられている。
私や穂高の存在なんてまるで無視だ。さっさと私たちの横を通り過ぎ、彼は男性へと距離を縮めていく。
「な、なんだよ、お前は!」
持っていた商品を手から落とし、男性は狼狽えだした。
「それは必要としている人間がほかにもいる。置いていけ」
あくまでも冷静な声に対し、男性は喚き散らした。
「命令すんな! しょうがねぇだろ。地球が滅びるとか知らねえけど、その前に飢え死になんて俺は御免だ!」
子どものワガママのような主張に初老の男性は鼻を鳴らす。
「だったら、なおさらそれを置け。もっといいもんを食わしてやる」
まさかの発言に耳を疑ったのは私だけではないはずだ。その証拠に言われた男性もぽかんと口を開けている。張りつめていた空気が一瞬にして溶ける。
さらに店のドアが開いたかと思えば疲労感の漂う少年の声が聞こえてきた。
「じいちゃん、やっぱりミケ見つからねぇよ」
「もういい加減諦めろ。弱肉強食は自然界の摂理だ」
「セツリ? 焼肉定食はもういいって」
状況に相応しくない少年の発言と彼の祖父のやりとりに気が抜ける。そして彼には見覚えがあった。それは彼も同じようで私たちに気づくと、ぱっと目を輝かせた。
「あー、あのときの! なに? もしかしてミケ見つかった?」
期待に満ち溢れた表情詰め寄ってくる少年に、私はぎこちなくも答えた。
「そういうわけじゃないんだけど……」
「なーんだ」
少年はあからさまに肩を落とした。その姿に胸が痛む。
「健二(けんじ)。少し早いが飯にするぞ」
「はーい」
健二くんはぱっと切り替える。この状況になにも思わないのか、祖父の姿に対してもなにもツッコまない。
彼の祖父は孫に指示を出すと。さらにまだ放心状態の男性に声をかけた。
「お前も手伝え。働かざる者食うべからずだ」
「兄ちゃんたちもせっかくだし食べていきなよ」
健二くんが私達にも明るく提案してきた。しかしどう答えればいいのか、すぐに返事はできなかった。