自分探しの旅に出る?気怠い遥香の夏休み


そうして、二時間後狙いの写真が撮れた頃奏美が声をかけにきた。

「遥香、そろそろお風呂入っちゃえって!」
「はーい!ありがとう」

こうして、普段は入らないという奏美と一緒に私達はお風呂に入り、今回は特別だとのお許しを得て、私の泊まる部屋で奏美と二人沢山話しをした。

「奏美は、将来何になるの?」
私の聞いたことに奏美は答えた。
「私はね、看護師。お母さんと同じ道だね。大変だろうけど、昔お世話になった看護師さん達のことが忘れられないから」

そう話す奏美は今でこそ丈夫になったが、昔は喘息で発作を起こしたりして大変だった。
うちに遊びに来ててなった時には、美佐子おばさんの勤める病院へ担いで行ったこともある。
私は健康優良児ってくらい病気知らずなので、奏美の発作を見るのは苦しそうでなにも出来なくって、悔しかった記憶がある。

「そっか、奏美は看護師を目指すんだね」

「遥香はどうするの?」
「食べていくのは大変かもしれないけど、私はこの旅でカメラを使って写真を撮ってきて、写真を撮ることを仕事に出来たらと思ったよ」

そう、やりたいことを見つけた。
私はお祖父ちゃんみたいな写真を仕事にしつつ、趣味でも様々な写真を撮り続ける、そんな生き方がしたいと思うようになった。

「そっか、遥香は写真家目指すのね」
「写真家って程ではないだろうけど、お祖父ちゃんの写真館を再開出来たら良いなって思ってる」

お互いに話して、それぞれのこれからや今のことを語り明かして、いつの間にか眠っていた。
私達は、これから互いに歩んでそれでも話したり愚痴ったり、相談したりできる。
そんな幼なじみが互いであることに、温かくなった。

旅を終えて、無事に帰るとお父さんとお母さんは私の感じがまた変わったことに少し目を見張ったが、結果私の二年続いた怠惰生活が終わったことに安堵していた。

目標ができたことで、やるべき事も定まり、行動的になった私はこの旅行で撮った写真たち数枚を、コンテストのコンセプトに合うものがあったので送ってみた。

こうして終わった夏休みから数ヶ月後……。

家のポストに封書が届いた。
私宛だったので、気になって学校から帰ってきたそのままの格好で封を切って中身を見た。

一人の居間で私は中身の文を凝視して固まった。
そこに書かれていたのは、出すだけ出して忘れていたフォトコンテストの結果だった。

【この度は×〇社の青少年フォトコンテストへのご応募ありがとうございます。
津田遥香さんの作品が特別審査委員賞を受賞しました。
つきましては、下記に開催されます受賞式典に参加頂けますと幸いです。

〇月×日 土曜日 開場十一時
場所 クラジュアルホテル 鳳凰の間】

二ヶ月前に出したコンテスト。
通るなんて思ってなかったし、そんな意気込みを持って出したものでもなかった。
それがこんなことになるなんて……。

「どうしよう……。」

送られてきた手紙の中身が到底信じられなくって、三度見した。
しかし、そこに書かれている名前も間違いはなく……。
そして、何度読んでも確かに写真を出したところに間違いないのだ。

私は手紙を持って、お祖母ちゃんの所に行くことにした。
両親は仕事で今日は帰宅しないからだ。


そうして、私はお祖母ちゃんの所に行って手紙を見せるとお祖母ちゃんはニコッと笑って言った。

「おめでとう。良かったじゃないの。ここなら行けないこともなし、授賞式に行ってきたらいいわ」

実に呆気なくそう言うお祖母ちゃんに、私はポカンとしつつ言った。

「間違ってない? ほんとに合ってる? これ参加していいもの?」

そんな私にお祖母ちゃんはカラカラ笑って言う。
「合ってるし、こんな詐欺もないでしょうよ。おめでたいことじゃないの、行ってらっしゃい」

こうして、お祖母ちゃんやこれを見た両親は驚きつつも私に行っておいでと言って新しい服を用意してくれて、当日は美容院まで予約されてとっても着飾って母と二人授賞式へと向かうことになったのだった。

そこには、まさかのお相手がいるとは想像もせずにいた。



冬に差し掛かる頃、青少年フォトコンテストの授賞式は行われた。
会場は有名なホテルの宴会場だ。
ドレスコードがあるようなレストランも入っているホテルなので、私と付き添いのお母さんは今日はバッチリとよそ行き状態だ。
慣れない服に場所で、二人して固くなっているとポンポンと肩を叩かれて振り返ると、そこには金髪の長い髪を後ろに流して、ちょっと軽い感じのお兄さんが立っていた。

「やぁ、久しぶりだね」
その声に私は驚いて目を見張った。
私に声をかけてきたのは、夏休みの一人旅の途中で出会ったサファーのお兄さんだった。

「どうしてここに?」
驚きを隠せないまま、私はお兄さんに聞くとお兄さんはニコッと笑って言った。

「うん?俺はね、このコンテストの審査委員の一人なんだ。カメラマンもしつつ、出版社の編集の仕事もしてるんだよ」

私が写真を撮った相手は、撮ることのプロだったらしい。
びっくりしたままの私に、お母さんが聞いてくる。
「なに、遥香。お知り合いの方なの?」

「お母さん、えっと。夏休みの旅行の時に知り合ったの」

そんな私のしどろもどろな答えを笑って聞きつつお兄さんは名刺をお母さんに差し出して答えた。

「私、〇〇出版社でカメラマンと編集をしております。信楽 龍星と申します」

その名刺には編集とフリーカメラマンの肩書きが書かれていた。
その雑誌は写真系では著名な雑誌で、しかも副編集長と書かれていた。

「プロの方を撮っていたなんて、私が撮って良かったんですか?」
思わず尋ねてしまう私に、信楽さんは笑って言った。

「あの時も言っただろう?君はいいセンスを持っているって」

「確かにそんなことを言ってましたが……」

そんな自信なさげな私に、信楽さん言った。
「俺が言った通りだから、いま 君はここにいるんだろう?これは君の実力が掴んだものだよ。だって出した写真は、俺以外の写真だったじゃないか」

そう、私がこの青少年フォトコンテストに出した写真は信楽さんを撮ったものでは無い。

私が出した写真は、綺麗な夜空を眺める奏美の後ろ姿だった。
夜の中に白のワンピースで佇む、そのコントラストが綺麗に思えて撮った一枚だった。
それが私には旅行で撮った中で一番気に入った写真なので、応募するのはいい挑戦だと送ってみたのだった。

それで、賞を貰えるなんて思ってもみなかったのだ。
取りたいという意欲を持っての、応募だったわけじゃないから。
だから、ここまで来てるが授賞式に出ていいものかという気持ちがあった。

そんな私に信楽さんは気づいたのだろう、私とお母さんにこう話しかけた。
「少し早めですが、もう関係者は入れますので良かったら一緒に入りましょう」
その声に、後押しされるように私とお母さんは授賞式会場に足を踏み入れた。
そこには受賞者を登壇させるのであろうひな壇と、周囲にテーブル席。
ひな壇には受賞者の写真を大きく伸ばしたであろう、パネルが飾られていた。

そして、そこを見ていてお母さんが言った。
「遥香の写真はこれでしょう?」
送った写真は見せていなかったのだが、お母さんは直ぐに私の写真を当てた。
「よくわかったね、そうだよ。私が撮って送ったのはコレだよ」
そんな私たち親子会話を聞いていた信楽さんんは、お母さんに問いかけた。
「見せてもらってなかったんですね?それで、どうしてお分かりになったか聞いても?」

そんな信楽さんの質問にお母さんはニコッと笑って言った。

「遥香の写真は、この子の祖父と似た柔らかくも優しい世界観が広がってたので。あと、写ってる子ね。この被写体の子は、遥香の幼なじみですから」
そんあお母さんの答えに、信楽さんは頷いて言葉を返した。



「お母さんは、遥香ちゃんがこの道に進むと言ったらどうしますか?」
続いた質問にお母さんは表情も変わらずに、にこやかに答えた。
「この子はきっとこの道に進むと思ってましたよ。だから、今回の受賞はいいきっかけだと思います」
その言葉に信楽さんは先を促すようにお母さんを見つめた。

「だって、遥香は物心着く頃から本物のカメラを玩具として与えられてて、写真を撮っては褒められていたんですもの。本人はすっかり忘れてましたがね」
クスリと笑ったお母さんに、信楽さんは納得したように笑って、そして言った。

「遥香ちゃん、君がこの世界に飛び込むならその時は連絡をくれれば手助けしよう。まぁ、この受賞がバネになるからやっていけるとは思うよ。俺も俺もこの賞出身だからね」

そう言って、信楽さんは私に道のひとつを指し示してくれたのだった。

授賞式はとっても立派で、私は緊張していたけれど何とかこなせた。
受賞者インタビューも聞かれたけれど、どう答えたか覚えていない位の緊張っぷりだった。
後日、そのインタビューと受賞写真が載った雑誌はうちに届けてくれるそうだ。
本になるまで受け答えがわからないのも、なんとも言えないが仕方ないとすっぱり諦めて切り替えた。

こうして授賞式を終えて、私は出していた進路希望を急遽変更することを担任に伝えて、受験勉強に本腰を入れることになったのだった。

夏までの怠惰だった私はどこえやら、その後はいつになくあれこれと動き回り、勉強にも力を入れて、受験対策も考え始めた。
そんな頃に、貰った名刺から信楽さんに写真学科の受験を伝えると、月一でプロのいろはを教えて貰えることになった。
なので、現在は月一で都内のスタジオに出かけて信楽さんのアシスタントをしたりしつつカメラを勉強中だ。

好きなことをするのは楽しい時としんどい時とが半々なことにも早々に気づいた。
けれど、私は投げ出して怠惰な私には戻らないと必死だった。
思い通りの一枚が取れた時の嬉しさ、その写真を見て人が感想や綺麗や好きだと言ってくれることが何よりの励みになった。

そうして私は高校生活の残り一年は、かなりの速度と充実さを持って過ごすことが出来た。
怠惰なときでは得られなかった充足感に、私はすっかりハマってしまったのだろう。

そんなおり、私は前回よりも規模は小さいものの、フォトコンテストでグランプリを撮った。
その写真は、信楽さんのサーフィンの姿を撮ったもの。
それも、最初のじゃなくて月一でカメラについて学ぶようになってから撮ったもの。
ちょうど出会って一年が過ぎた次の夏のことだった。
その写真コンテストは、地域の海の写真コンテストで地元ならではの写真の応募に限定されていた。
ちょうど、誘われて一年前のように私は波に乗る信楽さんを撮った。
その日はサーフィン仲間も居たので様々な人を撮ったが、一番光って見えた被写体は信楽さんだった。
なので、本人の了承を得てこの商に応募していた。
グランプリを撮った時は、最初は「モデルが良いからな!」
なんて茶化していたが、送った写真を見ると信楽さんは私の頭を撫でつつ言った。
「グングン成長しやがって、俺もうかうかしてらんねーな」
そう言って不敵に笑った。

その授賞式には被写体も参加だったので、信楽さんと共に出て、頂いた地元レストランのお食事券も一緒に使って帰ったきた。
「遥香ちゃん、俺と使っちゃって良かったのか?」
使った後に聞くのもどうなの?と思いつつ、私は笑って答える。
「お母さん達にあげてもいいかなとも思ったけど、うちの両親は忙しくってここまで来れそうにないから、使うならモデルのお礼にと思って」

私はすっかり信楽さんに慣れて懐いていた。
信楽さんも、私のことは弟子で年の離れた妹みたいに扱っている。
こうして出かける時は立派な保護者代理である。
お父さんとお母さんも、すっかり信楽さんにおまかせしちゃってる。
いいのかね、それでと思わなくもない。
しかし、年の離れた私と信楽さんはカメラという共通項ですっかり男女の仲も年の差も飛び越えて馬の合う同志だった。
こういった出会いもあるのかと思ったものだ。
その後もこんな感じの師弟関係が続くんだと思っていたのだが、変化というのはなににおいても訪れるものなのだった。

冬、受験シーズンも真っ盛りになるとカメラの月一授業は受験の学科対策に切り替わった。

元々やる気はなくてもしっかり授業は受けてたし、そこそこだったが志望校はそこそこでも模試の結果ちょっと怪しいB判定だったので本腰をこちらに入れるしかなかった。
浪人なんて出来ないし、学校で学ぶのも一つの手だと思うから。

そんな私に月一から週一に変えて、信楽さんが家庭教師に来るようになった。
聞くと、信楽さん写真は独学と卒業してから出版社に入って仕事で仲良くなったカメラマンさんに師事して学んだので、大学は普通のとこと聞いて軽く家庭教師をお願いしたら、とんでもなかった。
信楽さんは出身は長野、そこから関西の国立大卒で東京で就職したらしい。
出身大学聞いてポカンとしたのは言うまでもない。
めちゃくちゃ頭いいよね?ってなりましたとも。
しかも、元は理系らしくって数学も、化学も、物理も強かった。

おかげで、年末最後の模試ではA判定をとり、安心して試験を受けて、高校卒業前に無事に志望校への合格を手にしたのだった。

正直、後半の信楽さんの家庭教師期間がなければ合格は厳しかったと思う。
そして写真学科への試験においても、コンテストでの入賞経験は大きかった。
試験課題にも、真摯に向き合ったからこその合格だと思う。

こうして迎えた三月の卒業式。
私は青天の霹靂に見舞われた。
この日、お母さんは朝から担当患者さんの陣痛が始まり急遽仕事に行くことになった。
「ごめんね、こんな晴れの日も行けなくって」
バタバタと支度をするお母さんに私は言った。
「卒業式くらいどうってことないよ。新たな命と頑張るお母さんを支えるのがお母さんの仕事でしょ?頑張ってきてね」

そう、心から言えるのも、私にも目標ができたからかもしれない。

「ありがとう。行ってくるわ!」