次に着いたのは都会にある大きな病院だった。
「ここだ」
「また病院?」
「まあ突然の事故でない限り病院で亡くなる人が多いからな」
病室のベッドには一人の女性が寝ていた。
歳は五十歳くらいだろうか。女性の身体には大量の管と医療機器のケーブルが繋がれている。
その脇には医師と看護師の他に、五十歳くらいの男性が一人と高校生の女の子が並んで立っていた。この女性の夫と娘だ。
その女性の意識は全く無かった。
「ジャンク、これから亡くなるのは、この女の人?」
「そうだ。重い脳障害でかなり前から意識不明が続いてる。ずっと植物人間状態だ」
夫は黙ったまま、動かない妻を見つめている。
娘も何か思いつめたように母親の顔を見つめていた。
何か言いたそうだが声が出ない、そんな感じだった。
「では、よろしいですか?」
医師が夫に尋ねた。
「はい・・・よろしくお願いします」
静かな声で夫は答えた。
パレルは医師と夫の会話に違和感を感じた。
「お願いしますって、どういうこと? これから何が始まるの?」
「これからこの人の生命維持装置を外すんだよ」
ジャンクは女性のほうを見ていなかった。いや、見られなかったのだろう。
「外すと・・・どうなるの?」
「この人は死ぬ・・・」
「何それ? 意味わかんないよ」
「この人は脳障害が酷くてもう回復の見込みが無い。今はこの機械のおかげで、ただ呼吸をして心臓が動いているだけだ」
「心臓が動いてるだけ?」
「そう。この人はもう目を覚ますことは無い。だから家族で決めたんだ。こんなたくさんのケーブルに繋がれたお母さんをもう楽にしてあげようってな」
「そんな・・・せめて最期に一言くらい家族とお話しさせてあげられないの?」
「無理だ。もう話すことはもちろん、見ることも、聞くこともできない」
「そんな・・・」
パレルは俯いたまま何も言えなくなった。
「さあパレル、時間がない。この人の記憶の中に入れ。家族と会話はさせてやれなくても、家族との楽しい思い出は見せてやることはできる。」
「うん。わかった」
吹っ切れたようにパレルは起き上がる。そして、すぐに女性の顔に自分の頭を近づけた。
パレルが女性の頭の中の記憶に入り込む。
「うん。見えてきた。この人の記憶が」
パレルの頭の中にこの女性の思い出が映し出されていく。
家族三人が一緒の楽しい思い出を捜した。
しかし、そこに映し出された記憶は楽しい思い出ではなかった。
娘がこの母親に反抗している記憶ばかりだ。
あまり平穏な家庭環境ではなかったようだ。
ある日の記憶が映像として映し出される。
夕飯の支度をしているところにこの娘が帰ってきた。
この女性の声が聞こえる。
『奈美ちゃん、おかえりなさい』
奈美、この娘の名前だろう。
でも娘は返事をしなかった。
『ごはんは? 奈美ちゃん』
母親がまた呼び掛ける。すると奈美は母親を強く睨みつけた。
『あんたが作ったものなんかいらない。それにその名前、気安く呼ばないで!』
「どういうこと? 親子なのに何でこんなに仲が悪いの?」
パレルは不思議に思った。
何とか親子の楽しい思い出を見つけよう、パレルはそう思い、懸命に記憶の中を捜しまわる。
でも、出てくる思い出は娘が反抗しているものばかりだ。
時には暴力まがいのものもあった。
辛い記憶しか見つからない。
「どうして?・・・」
記憶を遡っていくと、その理由が分かった。
夫が奈美にこの女性を新しいお母さんだと紹介している。
この女性は継母だったのだ。
奈美はすでに高校生になっていた。
どうやら奈美はこの新しいお母さんに馴染めなかったようだ。この人をお母さんと認めたくなかったのだろう。
でも、彼女は奈美に気に入られようと懸命にがんばっていた。
どんな酷い言葉を掛けられても、笑顔で接し続けて・・・。
しかし、ダメだったようだ。
「やっぱりダメか。そう、この母娘、はっきり言ってうまくいってなかったんだ」
ジャンクが心配そうに声を掛けた。
「ジャンク、知ってたの?」
「ああ、ある程度の情報はな。三人の楽しい思い出が無いんならしようがない。出会う前のもっと昔の思い出でいいから捜せ」
「うん、分かった。可哀そうだけど仕方ないよね」
パレルは諦めて、もっと昔の記憶を捜そうとした。
その時、パレルはすぐ横にいた奈美の異変に気が付いた。
「あれ、この子、泣いてる? なんでだろう。お母さんのこと嫌いじゃなかったのかな?」
奈美が何か呟いている。
「ごめんなさい・・・お母さん・・・」
とても小さい声だが、パレルにははっきりと聞こえた。
「え?」
奈美の目から涙が溢れていた。
「お母さん、目を覚まして。このまま逝かないで。私、あなたを一度もお母さんって呼んでない・・・」
パレルは確信した。
「この娘は決してこの母親を憎んでいなかった。ずっと謝りたかったんだ」
そう。奈美は決してこの母親を嫌いではなかった。でも素直になれなかったのだ。
本当の母親も忘れられず、新しい母親を認めたくなかった。
でも、とても優しく接してくれるこの人を心では嫌ってはいなかった。
『お母さん』と呼びたかった。
でも呼べなかった。
母親が懸命に娘と仲良くしようとすればするほど反抗してしまっていたのだ。義理の、いや、たとえ血が繋がっていたとしても、親子とはそういうものなのかもしれない。
奈美は、母親が病気になって以来、ずっとそれを悔やんでいた。
一言でいい、『お母さん』と呼びたい、謝りたい、そう思っていた。
「ジャンク! この人、死ぬ前にちょっとでもいいから意識を戻すことできない?」
「バカ言うな!」
「だって・・・だって何とかしてあげようよ。一言でいいからこの娘(こ)の声を聞かせてあげようよ!」
「そんなことできる訳ないだろう!」
「やだよ! このままじゃ絶対にやだ! 何か方法あるでしょ!」
ジャンクは大きなため息をふっとついた。死神の役目は人を死に導くことで、生き返らせることではない。
ジャンクは悩んだ顔でしばらく下を向いて考えていた。そして、何か決意をしたかようにパレルのほうを見る。
「ひとつだけ・・・方法があることはある。僅かな時間だけなら意識を戻す方法が・・・」
「どうするの? やろう! 私、何でもやるよ!」
「俺たち死神は人が亡くなる時に思い出を見せてるだろう。この時、俺たちはその人が安らかに逝ってもらうためにプラーナというオーラを出してるんだ。これを浴びることで人の生命は最期を迎える」
「私たち、そんなオーラを出してるの?」
「ああ、そうだ。そのプラーナを逆流させることで、その人に一時的だが生命力を与えることができる。ほんの一瞬だけどな。リヴァイブと呼んでいるが・・・だが、簡単じゃあない」
『リヴァイブ』
それは死を直前にした人間に生命エネルギーを与えて一時的に蘇生させる術。
死神が召喚者を逝かせるために出すプラーナというオーラを逆流させて放射する。
そうすることで僅かな時間だが、意識不明の人間であっても蘇生させることができるのだ。
しかし、とてもイレギュラーな行為であり、誰にでもできる術(わざ)ではなかった。
天界のベテランの天使や死神であっても、成功できるものはごく僅かだった。
精神的、体力的な負担も並大抵なものではない。
「私やってみる!」
「かなりハードな術だぞ」
「大丈夫! 私やる。やらせて!」
「分かった。お前がそこまで言うならやってみるか。だたし、うまくいくかどうかは保証しねえぞ。俺も実際に成功したのは見たことねえ」
「分かってる。やるだけのことはやってみたいの!」
パレルは母親の顔にピタリと頭を近づける。
「いいか? この人の記憶の中心に集中して『生きろ』と念じろ! いつもは安らかに逝くように念じてるだろうが、今回はその全く逆だ。難しいぞ」
「分かった!」
パレルは大きな声で返事をする。
その目は鋭く研ぎ澄まされていた。
ジャンクは思った。
「ひょっとしたら、こいつならできるかもしれねえ・・・」
パレルは目を瞑り、意識を集中し念じ続ける。
「生きて・・・目を覚まして・・・」
パレルの顔がだんだんと赤く染まってくる。
「もっとだパレル。もっと意識を集中させろ!」
「了解!」
パレルは意識をさらに集中させる。
しばらくの時が経過した。
昏睡状態の母親の体は動く気配がない。
やはり、そう簡単なものではないようだ。
「パレル、そのままだ、そのまま頑張れ!」
「・・・うん」
パレルの声が少し苦しそうになってきた。
体力が徐々に奪われつつあった。
パレルはさらに強く念じ続けた。
「目を・・・お願い、目を覚まして・・・」
パレルの顔がかなり紅潮している。
息が上がり、顔もかなり苦しそうになってきた。
パレルの幼い体はもう限界に達していた。
意識がもうろうとなる。
ジャンクが、もう限界かと諦めかけたその時だ。母親の目がピクリと動いた。
「う・・・動いた?」
娘が叫んだ。
その声に横にいた医師が驚きながら言う。
「ばかな。もうほぼ脳死状態です。動くことはありえない・・・」
「いいえ、今、確かに目が動きました」
娘が懸命に声を掛け始める。
「お母さん! お母さん! 分かる?」
その懸命な娘の姿を父親と医師はやりきれない気持ちで見つめていた。
「もう少しだ! パレル!」
ジャンクが叫ぶ!
パレルは残りわずかな気力で意識を集中し続けた。
しかし、それ以上は母親の体は動くことはなかった。
だんだんとパレルの息遣いが荒くなってくる。
その時、後ろから突然女性の叫び声が掛かった。
「何をしてるの?」
天使のクレアだ。
この母親の召喚のためやってきたのだ。
「ジャンク! あなたパレルに何をさせてるの?」
「見ての通り、召喚者を蘇生させてるんだ」
「まさか、リヴァイブ? そんなことできるわけないでしょ! ましてパレルはまだ研修生よ」
「できる! パレル(あいつ)なら!」
パレルはほぼ気を失いかけていた。
クレアはこれを見て、かなり危険な状況であることを察知した。
「すぐ止めさせなさい! ジャンク」
「うるせえ! お前は黙ってろ!」
ジャンクは思った。ここで止めたら今までのパレルの苦しみが全て無駄になる。絶対に成功させるんだと。
「パレル、無茶よ! やめなさい!」
クレアは必死に呼びかけた。
「無茶は最初から承知だ! やれるなパレル!」
「うん・・・平気・・・」
パレルはジャンクの呼び掛けに苦しみながらも返事を返した。
でもその声はかなり弱っている。
「ダメよパレル。これ以上はあなたの精神(からだ)がもたない」
「大丈夫、クレアさん、やらせて!」
パレルはめいっぱいに振り絞った声で叫んだ。
「パレル・・・あなたって子は・・・」
リヴァイブは大量を精神力を消耗する。
ベテランの天使や死神でも精神に相当な負担がかかる大変危険な行為だった。
肉体を持たない天界人はいわゆる精神体だ。
そのため精神の崩壊は最悪の場合、魂そのものが分解して消滅する。
パレルの意識はほぼ無くなり、僅かな気力だけで動いていた。
「パレル! もうちょっとだ!」
ジャンクも懸命に呼び掛ける。
パレルの体はもう限界を過ぎていた。
しかし、パレルは念じ続けた。
「やめて! パレル! もう無理よ」
クレアは泣き叫ぶように呼び掛けた。
もうこれ以上は危険なのは明らかだった。
パレルの意識が遠のいていくのが見えた。
「くそっ・・・やっぱり駄目か・・・」
絶望したようにジャンクは俯いた。
パレルのまぶたがゆっくりと閉じらてれていく。
横にいたクライネスもその姿を真っ直ぐに見ることができずにずっと俯いている。
その目に涙が溢れた。
「パレルさん、無理です。もうやめて下さい・・」
クライネスは祈るように呟き、パレルと母親のほうに目をやった。
母親の顎がピクっと動く。
「う・・・動いた?」
その僅かな動きをクライネスは見逃さなかった。
「行ける・・・」
クライネスが微かな声で呟く。
「え?」
クレアが驚いた顔でクライネスを見た。
「パレルさん行けます! もう少しです!」
クライネスはめいっぱいの大声で叫んだ!
いつもの大人しいクライネスには考えられないような大きな叫びだ。
「クライネス! 何を言うの!」
クレアも思わず叫んだ。
しかし、そのクライネスの声が聞こえたのか、パレルの目が再び開き、鋭く光った。
「くううう・・・」
パレルの最後の気力が絞り出される。
その時だ。母親の目がゆっくりと、ゆっくりと開き始めた。
「え???」
母親のまわりにいた全ての人が、その奇跡に茫然と固まった。
「おかあ・・・さん?」
娘がゆっくりと呼びかけた。
「なみ・・・ちゃん?・・・」
小さな、かすかな声が病室内に響いた。
「バカな! ありえない!」
医師は思わず叫んだ。
母親は間違いなく脳死の状態であったため、意識が戻ることは医学的には考えられないことだった。
「やったぜ! 本当にやりやがった!」
ジャンクの目からも涙が溢れ出した。
「嘘? 信じられない・・・本当にリヴァイブできたの・・・」
クレアも驚きで茫然とせざるえなかった。
クライネスはもう何も言えず、横でただ泣いていた。
「おかあさん!」
もう一度娘が叫んだ。そして母親の顔に抱きついた。
「ごめんなさい、おかあさん! 今までありがとう」
娘は母親の体を抱きしめながら叫んだ。その声に母親が残り少ない僅かな気力で懸命に答える。
「あり・・が・・・とう・・おかあ・・さ・・呼んで・・くれて・・・」
微かな・・・ほんの微かな声だった。でもその声はしっかりと娘に届いた。
そして、その母親の目は再びゆっくりと閉じられた。
その閉じた目からはひと滴の涙が頬を伝わり・・・流れ落ちた。
病室内に心停止の警告音(アラーム)が鳴る。
「おかあさん・・・・」
母親は静かに息を引き取った。
でもその顔はとても安らかに微笑んでいた。
「パレル! やったな!」
ジャンクがパレルに呼びかけた。しかし、パレルの返事はない。
「おい!パレル?」
パレルは母親の脇で倒れていた。
「パレル! 大丈夫か?」
ジャンクは慌ててパレルを抱き上げた。
すぐにパレルの身体の状態を見る。
「大丈夫だ。気を失っているだけだ」
「無理させ過ぎよジャンク。この子はまだ研修生よ」
「でも、できただろ、リヴァイブ」
「ええ、確かに。私も実際に成功したのを見るのは初めてよ。この子、いったい何者なの?」
ジャンクはふっと笑いながら言った。
「天使試験に落ちた、ただの劣等生だよ」
母親の体からプシュケーの霊体が出てきた。
「ほら、このあとはお前らの仕事だぜ」
「本当にありがとうございました。これで心残り無く向こうへ行けます」
母親は涙ぐみながら大きく頭を下げた。
「お礼ならあの死神の子に言って下さい。懸命にあなたの意識を戻したんです」
クレアが気を失っているパレルのほうに顔を向けた。
「あの子が・・・本当にありがとうございました」
母親はさらに深く頭を下げた。
そしてクレアとクライネスに連れられて、ゆっくりと天へと昇っていった。
ジャンクが意識の無くなったパレルの体を抱き上げる。
「まったく、大したヤツだぜ! お前は」
ジャンクがパレルをおぶりなから歩いている。
「う・・ううん・・・」
パレルが目を覚ましたようだ。
「目が覚めたか、パレル」
「あ、ジャンク。さっきの女の人は?」
「ああ、お前のリヴァイブで目を覚ますことができた。一瞬だけどな。僅かな時間だが、お母さんと娘さんは最期の話をすることができたぞ。お前のおかげだ」
「本当?」
「ああ、すごくお前に感謝して天国へ昇っていったぞ」
「よかった・・・」
パレルはとても嬉しそうな顔をしながらジャンクの背中をぎゅっと掴んだ。
「ジャンク。ずっと私をおぶって歩いててくれてたの?」
「ああ。そうだ」
「・・・」
「ジャンク・・・」
「何だ?」
「お尻触ったでしょ?」
「ばっ・・・馬鹿! 触ってねえよ!」
ジャンクは慌てて危うくパレルを落としそうになる。
「降ろして。もう大丈夫だよ。歩ける」
「ふん、遠慮すんな。今日はゆっくり休め。明日は研修の最終日だぞ。この研修が終わったらお前も一人前の死神だ」
パレルは何も返事をしなかった。
「・・・ああ、そうだったな。お前は死神になりたくなかったんだよな」
「ううん。死神も悪くないかなあって思ってたとこ」
パレルはにこっと笑いながらまたジャンクの背中をぎゅっと掴んだ。
「おい! 苦しいよ!」
ジャンクはそう言いながら、まんざらでもないようで嬉しそうに笑っていた。
「ここだ」
「また病院?」
「まあ突然の事故でない限り病院で亡くなる人が多いからな」
病室のベッドには一人の女性が寝ていた。
歳は五十歳くらいだろうか。女性の身体には大量の管と医療機器のケーブルが繋がれている。
その脇には医師と看護師の他に、五十歳くらいの男性が一人と高校生の女の子が並んで立っていた。この女性の夫と娘だ。
その女性の意識は全く無かった。
「ジャンク、これから亡くなるのは、この女の人?」
「そうだ。重い脳障害でかなり前から意識不明が続いてる。ずっと植物人間状態だ」
夫は黙ったまま、動かない妻を見つめている。
娘も何か思いつめたように母親の顔を見つめていた。
何か言いたそうだが声が出ない、そんな感じだった。
「では、よろしいですか?」
医師が夫に尋ねた。
「はい・・・よろしくお願いします」
静かな声で夫は答えた。
パレルは医師と夫の会話に違和感を感じた。
「お願いしますって、どういうこと? これから何が始まるの?」
「これからこの人の生命維持装置を外すんだよ」
ジャンクは女性のほうを見ていなかった。いや、見られなかったのだろう。
「外すと・・・どうなるの?」
「この人は死ぬ・・・」
「何それ? 意味わかんないよ」
「この人は脳障害が酷くてもう回復の見込みが無い。今はこの機械のおかげで、ただ呼吸をして心臓が動いているだけだ」
「心臓が動いてるだけ?」
「そう。この人はもう目を覚ますことは無い。だから家族で決めたんだ。こんなたくさんのケーブルに繋がれたお母さんをもう楽にしてあげようってな」
「そんな・・・せめて最期に一言くらい家族とお話しさせてあげられないの?」
「無理だ。もう話すことはもちろん、見ることも、聞くこともできない」
「そんな・・・」
パレルは俯いたまま何も言えなくなった。
「さあパレル、時間がない。この人の記憶の中に入れ。家族と会話はさせてやれなくても、家族との楽しい思い出は見せてやることはできる。」
「うん。わかった」
吹っ切れたようにパレルは起き上がる。そして、すぐに女性の顔に自分の頭を近づけた。
パレルが女性の頭の中の記憶に入り込む。
「うん。見えてきた。この人の記憶が」
パレルの頭の中にこの女性の思い出が映し出されていく。
家族三人が一緒の楽しい思い出を捜した。
しかし、そこに映し出された記憶は楽しい思い出ではなかった。
娘がこの母親に反抗している記憶ばかりだ。
あまり平穏な家庭環境ではなかったようだ。
ある日の記憶が映像として映し出される。
夕飯の支度をしているところにこの娘が帰ってきた。
この女性の声が聞こえる。
『奈美ちゃん、おかえりなさい』
奈美、この娘の名前だろう。
でも娘は返事をしなかった。
『ごはんは? 奈美ちゃん』
母親がまた呼び掛ける。すると奈美は母親を強く睨みつけた。
『あんたが作ったものなんかいらない。それにその名前、気安く呼ばないで!』
「どういうこと? 親子なのに何でこんなに仲が悪いの?」
パレルは不思議に思った。
何とか親子の楽しい思い出を見つけよう、パレルはそう思い、懸命に記憶の中を捜しまわる。
でも、出てくる思い出は娘が反抗しているものばかりだ。
時には暴力まがいのものもあった。
辛い記憶しか見つからない。
「どうして?・・・」
記憶を遡っていくと、その理由が分かった。
夫が奈美にこの女性を新しいお母さんだと紹介している。
この女性は継母だったのだ。
奈美はすでに高校生になっていた。
どうやら奈美はこの新しいお母さんに馴染めなかったようだ。この人をお母さんと認めたくなかったのだろう。
でも、彼女は奈美に気に入られようと懸命にがんばっていた。
どんな酷い言葉を掛けられても、笑顔で接し続けて・・・。
しかし、ダメだったようだ。
「やっぱりダメか。そう、この母娘、はっきり言ってうまくいってなかったんだ」
ジャンクが心配そうに声を掛けた。
「ジャンク、知ってたの?」
「ああ、ある程度の情報はな。三人の楽しい思い出が無いんならしようがない。出会う前のもっと昔の思い出でいいから捜せ」
「うん、分かった。可哀そうだけど仕方ないよね」
パレルは諦めて、もっと昔の記憶を捜そうとした。
その時、パレルはすぐ横にいた奈美の異変に気が付いた。
「あれ、この子、泣いてる? なんでだろう。お母さんのこと嫌いじゃなかったのかな?」
奈美が何か呟いている。
「ごめんなさい・・・お母さん・・・」
とても小さい声だが、パレルにははっきりと聞こえた。
「え?」
奈美の目から涙が溢れていた。
「お母さん、目を覚まして。このまま逝かないで。私、あなたを一度もお母さんって呼んでない・・・」
パレルは確信した。
「この娘は決してこの母親を憎んでいなかった。ずっと謝りたかったんだ」
そう。奈美は決してこの母親を嫌いではなかった。でも素直になれなかったのだ。
本当の母親も忘れられず、新しい母親を認めたくなかった。
でも、とても優しく接してくれるこの人を心では嫌ってはいなかった。
『お母さん』と呼びたかった。
でも呼べなかった。
母親が懸命に娘と仲良くしようとすればするほど反抗してしまっていたのだ。義理の、いや、たとえ血が繋がっていたとしても、親子とはそういうものなのかもしれない。
奈美は、母親が病気になって以来、ずっとそれを悔やんでいた。
一言でいい、『お母さん』と呼びたい、謝りたい、そう思っていた。
「ジャンク! この人、死ぬ前にちょっとでもいいから意識を戻すことできない?」
「バカ言うな!」
「だって・・・だって何とかしてあげようよ。一言でいいからこの娘(こ)の声を聞かせてあげようよ!」
「そんなことできる訳ないだろう!」
「やだよ! このままじゃ絶対にやだ! 何か方法あるでしょ!」
ジャンクは大きなため息をふっとついた。死神の役目は人を死に導くことで、生き返らせることではない。
ジャンクは悩んだ顔でしばらく下を向いて考えていた。そして、何か決意をしたかようにパレルのほうを見る。
「ひとつだけ・・・方法があることはある。僅かな時間だけなら意識を戻す方法が・・・」
「どうするの? やろう! 私、何でもやるよ!」
「俺たち死神は人が亡くなる時に思い出を見せてるだろう。この時、俺たちはその人が安らかに逝ってもらうためにプラーナというオーラを出してるんだ。これを浴びることで人の生命は最期を迎える」
「私たち、そんなオーラを出してるの?」
「ああ、そうだ。そのプラーナを逆流させることで、その人に一時的だが生命力を与えることができる。ほんの一瞬だけどな。リヴァイブと呼んでいるが・・・だが、簡単じゃあない」
『リヴァイブ』
それは死を直前にした人間に生命エネルギーを与えて一時的に蘇生させる術。
死神が召喚者を逝かせるために出すプラーナというオーラを逆流させて放射する。
そうすることで僅かな時間だが、意識不明の人間であっても蘇生させることができるのだ。
しかし、とてもイレギュラーな行為であり、誰にでもできる術(わざ)ではなかった。
天界のベテランの天使や死神であっても、成功できるものはごく僅かだった。
精神的、体力的な負担も並大抵なものではない。
「私やってみる!」
「かなりハードな術だぞ」
「大丈夫! 私やる。やらせて!」
「分かった。お前がそこまで言うならやってみるか。だたし、うまくいくかどうかは保証しねえぞ。俺も実際に成功したのは見たことねえ」
「分かってる。やるだけのことはやってみたいの!」
パレルは母親の顔にピタリと頭を近づける。
「いいか? この人の記憶の中心に集中して『生きろ』と念じろ! いつもは安らかに逝くように念じてるだろうが、今回はその全く逆だ。難しいぞ」
「分かった!」
パレルは大きな声で返事をする。
その目は鋭く研ぎ澄まされていた。
ジャンクは思った。
「ひょっとしたら、こいつならできるかもしれねえ・・・」
パレルは目を瞑り、意識を集中し念じ続ける。
「生きて・・・目を覚まして・・・」
パレルの顔がだんだんと赤く染まってくる。
「もっとだパレル。もっと意識を集中させろ!」
「了解!」
パレルは意識をさらに集中させる。
しばらくの時が経過した。
昏睡状態の母親の体は動く気配がない。
やはり、そう簡単なものではないようだ。
「パレル、そのままだ、そのまま頑張れ!」
「・・・うん」
パレルの声が少し苦しそうになってきた。
体力が徐々に奪われつつあった。
パレルはさらに強く念じ続けた。
「目を・・・お願い、目を覚まして・・・」
パレルの顔がかなり紅潮している。
息が上がり、顔もかなり苦しそうになってきた。
パレルの幼い体はもう限界に達していた。
意識がもうろうとなる。
ジャンクが、もう限界かと諦めかけたその時だ。母親の目がピクリと動いた。
「う・・・動いた?」
娘が叫んだ。
その声に横にいた医師が驚きながら言う。
「ばかな。もうほぼ脳死状態です。動くことはありえない・・・」
「いいえ、今、確かに目が動きました」
娘が懸命に声を掛け始める。
「お母さん! お母さん! 分かる?」
その懸命な娘の姿を父親と医師はやりきれない気持ちで見つめていた。
「もう少しだ! パレル!」
ジャンクが叫ぶ!
パレルは残りわずかな気力で意識を集中し続けた。
しかし、それ以上は母親の体は動くことはなかった。
だんだんとパレルの息遣いが荒くなってくる。
その時、後ろから突然女性の叫び声が掛かった。
「何をしてるの?」
天使のクレアだ。
この母親の召喚のためやってきたのだ。
「ジャンク! あなたパレルに何をさせてるの?」
「見ての通り、召喚者を蘇生させてるんだ」
「まさか、リヴァイブ? そんなことできるわけないでしょ! ましてパレルはまだ研修生よ」
「できる! パレル(あいつ)なら!」
パレルはほぼ気を失いかけていた。
クレアはこれを見て、かなり危険な状況であることを察知した。
「すぐ止めさせなさい! ジャンク」
「うるせえ! お前は黙ってろ!」
ジャンクは思った。ここで止めたら今までのパレルの苦しみが全て無駄になる。絶対に成功させるんだと。
「パレル、無茶よ! やめなさい!」
クレアは必死に呼びかけた。
「無茶は最初から承知だ! やれるなパレル!」
「うん・・・平気・・・」
パレルはジャンクの呼び掛けに苦しみながらも返事を返した。
でもその声はかなり弱っている。
「ダメよパレル。これ以上はあなたの精神(からだ)がもたない」
「大丈夫、クレアさん、やらせて!」
パレルはめいっぱいに振り絞った声で叫んだ。
「パレル・・・あなたって子は・・・」
リヴァイブは大量を精神力を消耗する。
ベテランの天使や死神でも精神に相当な負担がかかる大変危険な行為だった。
肉体を持たない天界人はいわゆる精神体だ。
そのため精神の崩壊は最悪の場合、魂そのものが分解して消滅する。
パレルの意識はほぼ無くなり、僅かな気力だけで動いていた。
「パレル! もうちょっとだ!」
ジャンクも懸命に呼び掛ける。
パレルの体はもう限界を過ぎていた。
しかし、パレルは念じ続けた。
「やめて! パレル! もう無理よ」
クレアは泣き叫ぶように呼び掛けた。
もうこれ以上は危険なのは明らかだった。
パレルの意識が遠のいていくのが見えた。
「くそっ・・・やっぱり駄目か・・・」
絶望したようにジャンクは俯いた。
パレルのまぶたがゆっくりと閉じらてれていく。
横にいたクライネスもその姿を真っ直ぐに見ることができずにずっと俯いている。
その目に涙が溢れた。
「パレルさん、無理です。もうやめて下さい・・」
クライネスは祈るように呟き、パレルと母親のほうに目をやった。
母親の顎がピクっと動く。
「う・・・動いた?」
その僅かな動きをクライネスは見逃さなかった。
「行ける・・・」
クライネスが微かな声で呟く。
「え?」
クレアが驚いた顔でクライネスを見た。
「パレルさん行けます! もう少しです!」
クライネスはめいっぱいの大声で叫んだ!
いつもの大人しいクライネスには考えられないような大きな叫びだ。
「クライネス! 何を言うの!」
クレアも思わず叫んだ。
しかし、そのクライネスの声が聞こえたのか、パレルの目が再び開き、鋭く光った。
「くううう・・・」
パレルの最後の気力が絞り出される。
その時だ。母親の目がゆっくりと、ゆっくりと開き始めた。
「え???」
母親のまわりにいた全ての人が、その奇跡に茫然と固まった。
「おかあ・・・さん?」
娘がゆっくりと呼びかけた。
「なみ・・・ちゃん?・・・」
小さな、かすかな声が病室内に響いた。
「バカな! ありえない!」
医師は思わず叫んだ。
母親は間違いなく脳死の状態であったため、意識が戻ることは医学的には考えられないことだった。
「やったぜ! 本当にやりやがった!」
ジャンクの目からも涙が溢れ出した。
「嘘? 信じられない・・・本当にリヴァイブできたの・・・」
クレアも驚きで茫然とせざるえなかった。
クライネスはもう何も言えず、横でただ泣いていた。
「おかあさん!」
もう一度娘が叫んだ。そして母親の顔に抱きついた。
「ごめんなさい、おかあさん! 今までありがとう」
娘は母親の体を抱きしめながら叫んだ。その声に母親が残り少ない僅かな気力で懸命に答える。
「あり・・が・・・とう・・おかあ・・さ・・呼んで・・くれて・・・」
微かな・・・ほんの微かな声だった。でもその声はしっかりと娘に届いた。
そして、その母親の目は再びゆっくりと閉じられた。
その閉じた目からはひと滴の涙が頬を伝わり・・・流れ落ちた。
病室内に心停止の警告音(アラーム)が鳴る。
「おかあさん・・・・」
母親は静かに息を引き取った。
でもその顔はとても安らかに微笑んでいた。
「パレル! やったな!」
ジャンクがパレルに呼びかけた。しかし、パレルの返事はない。
「おい!パレル?」
パレルは母親の脇で倒れていた。
「パレル! 大丈夫か?」
ジャンクは慌ててパレルを抱き上げた。
すぐにパレルの身体の状態を見る。
「大丈夫だ。気を失っているだけだ」
「無理させ過ぎよジャンク。この子はまだ研修生よ」
「でも、できただろ、リヴァイブ」
「ええ、確かに。私も実際に成功したのを見るのは初めてよ。この子、いったい何者なの?」
ジャンクはふっと笑いながら言った。
「天使試験に落ちた、ただの劣等生だよ」
母親の体からプシュケーの霊体が出てきた。
「ほら、このあとはお前らの仕事だぜ」
「本当にありがとうございました。これで心残り無く向こうへ行けます」
母親は涙ぐみながら大きく頭を下げた。
「お礼ならあの死神の子に言って下さい。懸命にあなたの意識を戻したんです」
クレアが気を失っているパレルのほうに顔を向けた。
「あの子が・・・本当にありがとうございました」
母親はさらに深く頭を下げた。
そしてクレアとクライネスに連れられて、ゆっくりと天へと昇っていった。
ジャンクが意識の無くなったパレルの体を抱き上げる。
「まったく、大したヤツだぜ! お前は」
ジャンクがパレルをおぶりなから歩いている。
「う・・ううん・・・」
パレルが目を覚ましたようだ。
「目が覚めたか、パレル」
「あ、ジャンク。さっきの女の人は?」
「ああ、お前のリヴァイブで目を覚ますことができた。一瞬だけどな。僅かな時間だが、お母さんと娘さんは最期の話をすることができたぞ。お前のおかげだ」
「本当?」
「ああ、すごくお前に感謝して天国へ昇っていったぞ」
「よかった・・・」
パレルはとても嬉しそうな顔をしながらジャンクの背中をぎゅっと掴んだ。
「ジャンク。ずっと私をおぶって歩いててくれてたの?」
「ああ。そうだ」
「・・・」
「ジャンク・・・」
「何だ?」
「お尻触ったでしょ?」
「ばっ・・・馬鹿! 触ってねえよ!」
ジャンクは慌てて危うくパレルを落としそうになる。
「降ろして。もう大丈夫だよ。歩ける」
「ふん、遠慮すんな。今日はゆっくり休め。明日は研修の最終日だぞ。この研修が終わったらお前も一人前の死神だ」
パレルは何も返事をしなかった。
「・・・ああ、そうだったな。お前は死神になりたくなかったんだよな」
「ううん。死神も悪くないかなあって思ってたとこ」
パレルはにこっと笑いながらまたジャンクの背中をぎゅっと掴んだ。
「おい! 苦しいよ!」
ジャンクはそう言いながら、まんざらでもないようで嬉しそうに笑っていた。