「羽根田さんも、こっちへ」
「は、はい……!」

 想像を超える事態に腰が抜けるかと思っていたが、千聖の心身はまだまだタフだったらしい。雷蔵に呼ばれると、自然に足が動いた。それなりに心の準備ができていたからかもしれない。

 千聖が雷蔵の隣に座る間に、彼はあの面接の時のように紙とペンを用意し、女性に名刺を差し出した。

「店長の鳴神です。そして、こちらはアルバイト体験生の羽根田といいます。まずは、あなたのお名前をお聞かせください」
「はい。尾形知春(おがた ちはる)と申します」
「尾形知春様、ですね。尾形さん、とお呼びしてもよろしいですか?」
「どうぞ」

 雷蔵の適度に砕けた口調は、知春の緊張を解していったようだ。知春は静かに息を吐いて、肩の力を抜いた。

「亡くなった当時のご年齢と、西暦や日付は分かりますか?」
「二十六歳でした。二〇〇八年の十二月二十四日だったことまでは覚えています」
「十年前のクリスマスイブ、ですね」
「十年? もう、そんなに経つんですか?」
「はい」

 今は二〇一八年の四月。生きていれば、知春は三十六歳ほどだということだ。千聖は未だ目の前の出来事が信じられずにいるのだが、知春は真摯に答えている様子だった。

「それで、尾形さんの未練とは?」
「私がどうして亡くなったのか、その理由を知りたいです。それで、できればその時の恋人に……感謝の気持ちを伝えたい」
「恋人というのは、先程仰っていた『レストランで一緒に食事をしていた男性』ということですか?」
「はい。彼の名前は境信一(さかい しんいち)といいます。私と同じ職場の先輩で、二十八歳でした。とても優しくて、思いやりのある人で……。でも、十年も経っていれば、新しい恋人ができて……もしかしたら、結婚もして、幸せな家庭を作っているかもしれませんね」

 知春は声の調子を萎ませ、悲しそうに目を伏せた。それを見ていた千聖の胸も、きりりと痛む。彼女の死因がどうであれ、こんなにも恋人を想っていたというのに、彼女の気持ちはこのままでは報われないのだ。

(お父さんも、少しくらいは後悔してるのかな……)

 千聖は、白い服を着て静かに横たわる悟の姿を思い出した。あの時は、悲しみと怒りが同時に込み上げてきて、涙が止まらなかったものだ。対照的に黒い服を纏った千聖と麻唯子は、強く抱き合って、二人で生きていく決意を固めた。あの時、悟の魂はどこにあったのだろうか。既に黄泉に召されているのか。

 大きくなった千聖や、年をとった麻唯子を見て、悟はどう思うだろう。千聖は目を泳がせながら、思いを馳せていた。