「では、土曜日の十時少し前に伺います」
「うん。待ってます。あ、表の募集は一旦剥がしておくね。どうか前向きに考えておいて」
「……はい」

 穏やかに笑う雷蔵に一度深くお辞儀をして、千聖は店を後にした。



*****



「ただいまー」

 誰もいないアパートの部屋に一人帰宅を知らせ、玄関の扉を閉める。千聖の母・麻唯子(まいこ)は、まだ仕事中だ。千聖はベランダに出て洗濯物を取り込み、二人分のそれらを慣れた手つきで畳み始める。

 これは、もう十年以上は続けてきたこと。小学校低学年の頃は身長が足りず、台に乗って洗濯物を掴んでいた。炊事はなかなか任せてもらえなかったが、高学年にもなれば、簡単な食事くらいは作れるようになっていた。そうやって、千聖と麻唯子は支え合って生きてきた。

(アルバイトのこと、お母さんにも相談しなきゃ……)

 千聖はふと、仏壇の方へと視線を向けた。そこには父・悟(さとる)の遺影がある。「仕事が忙しい」と言って家庭を顧みず、千聖のことも麻唯子に任せきりだった父親だ。麻唯子の作った食事には文句を言い、家事だって一切手伝わなかった。

 それどころか、仕事を辞めたことを長い間隠して過ごしており、千聖たちに黙って借金を繰り返していた。悟の通帳に一切触れさせてもらえなかった麻唯子は、それに気付けなかった。

 厳格で仕事一筋な悟がなぜ、辞職するに至ったのか。彼は、重篤な病気を患っていた。プライドの高い悟は、最後まで家族に見栄を張って、毎日仕事に行っているフリをしていたのだ。詳細な病名については、麻唯子ですら千聖には教えてくれなかったが、なんとなく、これだろうという予想はついている。

(簡単には、許せないよ……)

 悟がいなくなった後、麻唯子と千聖がどれほど苦労するかも考えず、プライドだけは一丁前に守り切ったことに、千聖は今でも嫌悪感を抱いている。遺影を睨みつけつつも、飲食(おんじき)として供えたご飯を下げる。これも、千聖の日課だ。

 家族の繋がりは、そう簡単に切れるものではない。麻唯子は悟のことを今でも大切に思っているようなので、千聖も表面上は父思いの娘を演じている。だが、もしも今、悟と話ができるなら、たっぷりと文句を言ってやりたいぐらいだった。