狭間雑貨店で最期の休日を

「あの日。プロポーズをしようと……でも、勇気が出なかった。食事中、いつ切り出そうか迷っている間に、帰ることになって。別れ際に、駅前の噴水広場でならって思った」
「信一さん……」
「後で、とてつもなく後悔した。なぜ、早く渡さなかったんだって……亡くなる前に、二人で幸せな時間を過ごせていたらって、何度も思った」

 信一も、ずっと後悔を引きずってきた。一人取り残され、絶望を味わったのだろう。大切な誰かを喪う悲しみは、そんなに簡単に吹っ切れるものではない。

「羽根田さん。これをどうにか、彼女に渡せないものでしょうか?」
「え? えっと……」

 物理的に無理があるようだが、千聖は知春に触れることができる。知春も、物には触れられるようだ。ならば、千聖が手渡せば、知春が受け取れるのではないか。試してみようと思った瞬間、背後から声がした。

「できますよ」
「店長!」
「遅くなってすみません。この周辺、入り組んでいまして……」

 雷蔵がやってきて、知春と信一、それぞれの肩に触れた。すると、信一が大きく目を見開く。

「知春……! あ、あの時のままだ……! 本当に知春だ!」
「信一さん!」
「一時的に、境さんにも『見える』ようにしました。特別サービスです」

 知春と信一は立ち上がり、強く抱きしめ合った。周囲からは、信一が何もない空中を抱きしめているように見えるので、客たちがひそひそと話し始める。千聖と雷蔵は、その好奇の視線から二人を守るようにして立った。

「会いたかった……本当に、帰ってきたんだな……」
「信一さん。私を愛してくれて、本当にありがとう。でも、帰ってきたんじゃなくて、もうすぐ黄泉に行かなければならないの」
「……え?」
「さっきも言ったでしょう? どうか、幸せになって。もう立派なおじさんなんだから」
「……そうか。そうだよな」

 知春の身体が、いよいよ透け始めた。想いが満たされかけている証拠だ。千聖は慌てて鞄からラッピング袋を取り出して、いつでも渡せるように準備した。

「境さん、指輪を渡すなら、お早めに」
「あ、はい! 知春、これをどうか、持って行って。僕の気持ちだ」
「……嬉しい。ありがとう」
「僕の方こそ、渡せて……嬉し、いっ……」

 知春が左手を差し出すと、信一は震える手でそっとその薬指に指輪をはめた。サイズもぴったりだ。知春はそれをうっとりと眺めて、涙をたたえた。

「私からも……この指輪には遠く及ばないちっぽけなものだけど。信一さんにプレゼントがあるの」
「……え?」
「これを」

 千聖が知春に袋を手渡し、それを知春が信一へと渡す。中から出てきた栞を見て、信一は嗚咽をもらした。