私もそろそろ帰ろうかと立ち上がると、近くの男子高の制服を着た男の子が現れた。

ここで人に会うなんて滅多にないことだったのに、今日は二人目。秘密の場所だなんて思っていたけれど、結構メジャーなところだったのかもしれない。

「……」

男の子は私を見ると、ぺこりとお辞儀をした。ぱっちりとした大きな二重まぶたの目が印象的だった。

彼はさっきまでおじさんが座っていたところに座り、スクールバッグから本を取り出して読み始めた。慣れた手付きから、どうやら常連らしい。ますます秘密感が薄れ、肩を落とす。

しょんぼりしながら夕焼け色の林道を歩いていると、ローファーがなにか硬いものを踏んだ。拾い上げてみると、生徒手帳だった。

証明写真に映っていたのは、先程噴水の庭で出会った男の子だった。まだあそこにいるだろうから、来た道を戻ることにする。

歩きながら生徒手帳を改めて見てみると、近くの男子高に通う2年生だとわかった。私と同い年だ。名前は『時田奏太(ときたかなた)』というらしい。

噴水のところまでたどり着くと、予想通り彼はまだいた。先程と同じ位置に座っていて、まだ本を読んでいた。

「あの、これ落ちてました。あなたのですよね?」

時田君の目線の位置に生徒手帳を差し出すと、彼は律儀に本を閉じてそれを受け取った。

「……はい」

時田君はぼんやりと生徒手帳を見つめて、素早い動作でスクールバッグにしまい込んだ。それから再び本を開く。その様子に、ついお節介を焼いてしまいたくなった。

「……あの」
「ん?」
「ここ、出るそうなので、早く帰ったほうがいいですよ」

おじさんがやっていたみたいに両手を下げておばけの真似をすると、時田君は眉をひそめた。

「……はあ、おばけ、ですか」
「はい」
「確かに、おばけが出そうな雰囲気ですよね、ホテルの廃墟なんて」

時田君は人ごとのようにそう言って、再び本に目を落とす。

「……? こわくないんですか?」

そう聞いた私に、彼は目を合わせることなく「家に帰れば、おばけよりこわいものが待ってるから」とだけ言った。

「え? ゴキブリとか……?」
「……」

 私のしょうもない言葉は、ページをめくる音によってかき消されてしまった。

こんな日も暮れる時間に、本を読みにホテルの廃墟に来る無口な男子高校生……。しかも、おばけを恐れない。

「じゃ、じゃあさよなら……」
「あ、はい。生徒手帳、ありがとうございました。さようなら」

そそくさと逃げるように家へ帰る。

もしかしたら、時田君こそがおばけかもしれない。というか、そうに違いない!

とりあえず忘れないうちに、スマホのメモ帳に『時田奏太』と入力した。