死んだ僕の愛する人へ


あっという間に、表題作以外の短編を読み終わった。

さすが小説家といった具合に、文章は読みやすくて内容がすらすらと頭に入っていった。

ネットの記事に書いていた通り、どれもハッピーエンドだった。ネタ切れで悩んでいたのを思わせないような、いままで悲惨な話しか書いていないなんて信じられないほどに、ハッピーでわくわくが詰まった話だった。

とくに、『こころのはる』は、とてもよかった。人のこころを可視化できる女の子が主人公の話だった。主人公の描写がたまに私と重なるところがあって、おじさんとの日々が懐かしくなった。

残念だったのは、手がかりのようなものはなにもなかったこと。

「うーん」

残されたのは、死の間際に書いた『死んだ僕の愛する人へ』という話。

おじさんの真実を知りたいような知りたくないような複雑な気持ちで、躊躇しながらもゆっくりとページをめくった。




死んだ僕の愛する人へ。

まずこれは、僕の独り言だ。ただ僕が、何者でもない僕がつぶやく、独り言だ。これを見つけたのなら、君に届く前に破り捨ててほしい。

僕は暗い子供だった。太陽のような兄の影で、おばけのようにひっそり生きてきた。誰も僕を気にもとめなかった。僕も、それでよかった。

唯一好きだったのは国語の授業だった。自分のこころに眠る感情に名前があると知ったときは、興奮した。夜通し辞書を読みながら当てはめていって、自分を構成するそのひとつひとつの語彙を愛でた。

それをいつしか別の言葉で飾りつけて、ひとつの空想上の世界へ吐き出すようになっていた。

母親は下品な娼婦にして、存在感のない父親は間抜けな詐欺師にして、僕をいじめる同級生はカタルシスを演出するためわざとむごく殺す。そうやって、僕は僕のこころを落ち着けていた。

それはやがて、10冊ほどの本が出せる分量になっていた。僕は自分で書いた小説のようななにかを、塾に行くふりをしてホテルの廃墟で眺めているのが好きだった。

そんなある日、君に出会った。僕の落とした生徒手帳を拾ってくれた。それから、毎日のようにあの廃墟で出会った。会ったけれどそこに会話はない。彼女が帰る頃、僕が行く。まるで昼と夜のような関係だった。交わることはないけれど、お互いの存在を認識している、そんな関係だった。

そんな関係は、君がハンカチを貸してくれたことで終わった。僕が塾をさぼっていたことが母親に知られ、食器を投げつけられたときにできた傷を、君は目ざとく見つけた。誰も知らない僕の名前を、呼んでくれた。僕も知らなかった血を、ハンカチで拭ってくれた。

汚れたハンカチを君に返すわけにはいかず、百貨店で店員に言われるまま新しいハンカチを買った。はじめての体験で胃の内容物をひっくり返すほどに緊張した。店員という生き物は、思ったよりも怖くないものだと知った。

翌日それを渡すと、君はとても喜んでくれた。生きててよかった、初めてそう思った。

それから昼と夜の関係はおわり、僕は早くから君をホテルの廃墟で待った。昼の世界に僕が混じったのだ。大きな光の中で小さな闇というのはかき消されてしまうらしい。僕にも笑顔ができるのだと、筋肉痛になった表情筋を撫でながら驚愕した。おかしな話だ。君との時間はいつもあっという間だった。

僕が小動物を殺していると噂がたったときも、君だけは疑わなかった。だから僕は君に自分をさらけ出すことができた。

僕が初めて君に小説を見せたとき、君は素直に言った。「こんなのこわくて読めない」と。正直がっかりした。だけど続けて言った。「でも、こわくても引き込まれる。ねえ、これをコンテストに出してみない?」と。

僕はそのコンテストで1番の賞をとった。そして小説家になった。

話はとんとん拍子に進んで、作品はどんどん売れた。書き溜めていたものを編集者に言われるがまま校正して出版すれば、すべてヒットした。君も一緒になってよろこんでくれたけど、結局僕の本はいつも「やっぱりこわくて読めない」と途中でやめていた。

そのころには僕らは付き合っていた。君から告白してきたんだ。夢みたいだった。僕も君が好きだったけれど、勇気がなかった。告白する勇気じゃない。君を幸せにする勇気だった。君にはすでに仲の良い男友達がいたし、僕のそばにいたら君まで陰気になるんじゃないかと不安だった。

だけど君はまっすぐで、そんな君を見れば大丈夫な気がした。君と一緒なら。

それからは、本当に幸せだった。幸せすぎて、夢じゃないのかと腕をつねるばかりだった。痛みが喜びになるなんて初めて知った。

小説のほうはさっぱりだった。あの毒を持っていたころの僕を真似て話を書いてみても、ナイフの柄しかないみたいに、切れ味のない話ばかりだった。

ファンも減り、才能の枯渇だとか、ゴーストライターが死んだとか、散々な言われようだった。担当編集者からも見放されかけていた。

そんなときでも、君は僕の味方だった。「あなたはやさしいんだから、やさしい話を書いてみたら?」、「絵本はどうかな? いつかこの子に読み聞かせてあげたい」。膨らんだお腹をおさえた君が、本当に愛おしかった。

きっと君は、僕の本質を知ってくれていた。僕の書いた話はこころの掃き溜めだったと理解し、僕がこころから楽しんで書ける話を望んでいた。

僕についていた過激なファンも、僕の方向転換を見て離れていってくれるだろうと期待していた。電話番号を変えて、引っ越しをして、心機一転頑張ろうとふたりで決意した。

すべては僕の不注意のせいだった。その日はたまたま仕事の打ち合わせが長引いて、雪のせいで電車が遅れ、やっとの思いで家に帰ったら、君はもう、動かなくなっていた。僕のファンに、殺されていた。

死の現場をこれまで話に書いて来たものの、本物を目にすると自分はあまりに無力だった。泣き叫ぶことしかできなかった。



それから僕は、生と死の境目に存在していた。髪やひげは伸びっぱなしで、服はそのへんのものを着て、ただひたすらに、過去へ戻る方法を探していた。

数年かけて有力な情報を得た。莫大な金額を払えばタイムマシンを借りることができるらしい。僕は藁にもすがる思いで全財産を投げうった。

タイムマシンは一度限りで、使えば自分の体に負荷がかかり下手すれば死んでしまうかもしれないこと、過去を変えると自分が帰るところは元いた世界とは異なっていることなど、注意事項を聞いた。とにかく戻れるなら、なんでもよかった。

戻りたい日を設定するとき、君との幸せな時間を求めたけれどそれはやめた。一度しか使えないタイムマシンだから、自分の願いとは何か熟考した。


君が僕と添い遂げないためにも、僕らが高校生だった時代に行くことにした。

タイムマシンだから、あの時代に僕はふたり存在していた。27歳の僕と、17歳の僕だ。

ホテルの廃墟で君と出会ったとき、驚いた。記憶の中よりも鮮明に、あの頃の君が生きたまま目の前にいたのだから。

僕は不審者のふりでもして、君をここに来させないようにするつもりだったが、魔が差した。君に話しかけてしまったのだ。

僕がもたもたしていたせいで、君は17歳の僕に会ってしまった。

君は僕が干渉したこの世界でさえ僕の名前を認知して、僕にハンカチを貸してくれたんだね。

僕は17歳の僕にも出会った。人と接することが苦手な、殻に閉じこもっていた僕だ。この子はこれから君を愛し、明るくなっていくはずだったけれど、それはもう叶わぬことになる。

僕は僕に伝えた。未来から来たこと、君は小説家になれるから執筆活動を続けること、自分でお金が稼げるようになったら親なんてそう重要じゃないということ、今気になっている女の子にはすでにすてきな相手がいるから諦めたほうがいいということ。

僕は少し絶望して、それからまた燃えていた。それでいいと思った。僕はもう這いあがれないような暗い底で、ひとりで、毒にしかならない小説を書き続けていればいいんだから。君の命が助かるのなら、それでいい。

君は27歳の僕に好きだと言ってくれた。君が愛おしくて、君を無意味に傷つけたことが口惜しかったけれど、もう未来は変わったのだと確信した。

君にとって僕は通過点のおじさんとして生を終える。君の世界の僕はただの無愛想な通りすがりの高校生。それでいい。

僕は目標を達成したため、元いた世界に戻った。そこは以前とは違いすぎていた。

僕は教祖のように崇められていた。17歳だった僕は、伴侶もなくただ孤独のまま筆を握り、鬼才と呼ばれるまでのぼりつめていた。スランプに悩んでいた僕とは大違いだった。

そんな僕は、僕がこの世界に帰ってきたことで消滅してしまった。正真正銘おばけになってしまった。

君はなにをしているのだろう。あの幼馴染とはどうなったのだろうか。

僕には確かめる術はあるけれど、その勇気がなかった。隣にいるのが僕ではないことが悔しくて、幸せにできなかったことが無念で、君が僕のことを通過点としてしか見ていないことがさみしくて、それでも君が今もこの世界に生きていることがただひとつの幸福だった。

もう腕が動かない。体が重い。情けないね。

きっと、タイムマシンなんてものを使ったから、体に負荷がかかっているんだろうね。

この手紙は、誰に向けて書いているんだろう。君に見てほしいという浅ましい想いもあるけれど、重すぎるこの感情を知った君がどうなるのか考えると、破いて捨てたほうがよいのかもしれない。

だけど僕は、これを死の間際まで大切にしておきたいと願う。君と僕の唯一の接点だろうから。君と僕があの日たしかに一緒にいて、一緒に笑って、一緒に悲しい気持ちになった、その記録だから。


死んだ僕の、愛する人へ。

この意味が、この世界で変わっているのなら、こんなに幸せなことはない。


時田奏太より


苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて、言葉で表せられない気持ちが押し寄せてきて、どうして私は国語が得意じゃなかったんだろうと後悔する。

陸地に打ち上げられた魚みたいに、体中が痛くて熱くて呼吸ができなかった。

朋君に伝えられるはずもなくて、それでもひとりで抱えるには重すぎて、ただただ彼の形見となってしまったレースのハンカチに、涙を吸い込ませる毎日だった。

もしも田中瀧人さんが今も生きていたならば、私の結末をどう書いてくれたのだろうか。

きっと今の彼なら、私はこの手紙を知らずに幸福な生涯を送ったのだと、ハッピーエンドにしてくれるのかもしれない。

でも、彼はもうどこにもいない。これは現実で、私が結末を作らなければいけない。



仕事帰り、10年ぶりに廃ホテルの庭園に訪れた。

草木が伸びて以前より廃れてしまったけれど、相変わらず時が止まったかのように静かで美しかった。

「……時田君、別の世界では私たち、結婚してたんだね」

彼がいつも座っていた噴水の縁に、涙でごわごわになってしまった『死んだ僕の愛する人へ』の本を置く。

「……私は、せいいっぱい生きるよ。大切に、生きるよ。あなたが守ってくれた分」

本当はこんなきれいごと、言いたくなかった。だけどおじさんは、私とお別れのときに、「幸せになってね」と言った。

幸せになるには、時が止まったこの場所に、この想いを隠しておくしかなかった。

まだまだ、吹っ切れるには時間がかかりそうだったから。

「だから、またね」

いつかこのことに、本当に向き合えるようになったら。いつかこの感情の名前がわかったのなら。

そのとき、私はこの本を迎えにいく。


「あ、もしもし、朋君? ……あのね」


悲しいことがあっても、泣きそうになっても、もうおもしろGIFには頼らない。


「これから、激辛ラーメン食べにいこう」


電話口の朋君の笑い声がくすぐったくて、自然と笑顔がこぼれた。


主人公の『心春』は放課後、廃ホテルの庭でのんびりするのが好きだった。ある日10歳年上で小説家の『おじさん』と出会う。彼はスランプに悩み、ネタ探しのためここに訪れているらしい。彼の帰宅後、無口な『時田』という男子生徒とも出会う。

それから毎日その場所へ訪れると、いつもおじさんがいた。次第にふたりは仲良くなるが、幼馴染の『朋秋』はそれをよく思わなかった。

ある日おじさんに妻がいることを聞かされ、ショックを受けた心春は彼が好きなことに気づき、おじさんに告白する。おじさんは、妻がファンに殺されたことを言い、心春に青春しろと諭して別れを告げた。

10年後、朋秋と結婚間近の心春はたまたまおじさんの小説を見つける。そこで『おじさんは去年27歳で亡くなっていた』と知る。

彼の死の間際に書かれた小説には、タイムマシンで妻の死をなかったことにしたと綴られていた。実はおじさんの妻は心春で、おじさんの正体は10年後の時田だった。

おじさんの真意を知った心春は、胸の痛みを感じながらも懸命に生きることを決意する。

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