「昨日はごめんね。今日こそ一緒に帰ろう」
「なんだ急に。昨日逃げたくせに、素直すぎて逆にこえーよ」
登校中、朋君にそう声をかけると、人相の悪い顔で睨まれた。
「人聞きの悪い! あのね、昨日おじさんに説教されたんだ」
「また出た、おじさん」
「うん。おじさんがね、明日も会える保証なんてどこにもないから、僕よりも朋君を優先しなさいって言ったんだ。朋君とのほうが、過ごした時間が長いからって。朋君の大切な話が聞けなかったら、絶対後悔するからって」
「おじさんいいこと言うじゃねーか」
「なんかいろいろ経験してるんだろうね」
朋君がはじめておじさんのことを褒めた。
「なーんか女子高生と話すとか、やばそうなおじさんかと思ったら、案外まともなのな」
「結婚してるしねー」
「あ、そうなの?」
朋君の機嫌がとたんによくなる。なんだかんだ言って、おじさんの話に興味あるんじゃん。
「……お前、なんで泣いてんの」
「え?」
朋君に言われて初めて気がつく。涙が頬を伝っていた。
「あ、ほんとだ、やばいやばい」
「ハンカチとか持ってねーの?」
「持ってたけど昨日使っちゃった!」
「毎日持ち歩けよ!」
朋君がポケットから灰色のハンカチを取り出し、私の頬を拭う。
「女子力高いね、朋君」
「ぁあ!? 心春が昔っから危なっかしいせいじゃねーか!」
「そうだっけ?」
「よく転んだり、男子とケンカして泣いたりな。わんぱく小僧だったからな、お前」
「だからいつも用意してんだよ」とぶっきらぼうに言う朋君の横顔は、おじさんと違ってつるんとしていた。
肌も髪も、10年の差があれば違うのは当たり前なのに、そんなことにも今気がついた。
「そんなこともあったなあ」
わんぱく小僧というのには異論があるが、たしかに私はよく朋君の手を焼かせていた。
小さい頃の一番の友達は朋君だったから、友達が多くて運動神経もよかった彼から置いていかれないように、いつもはりきっていた気がする。
空回りして失敗したときは、いつも朋君が助けてくれた。心春の保護者だねって、みんなに言われていた。
思い返すと、私の思い出の中にはいつも朋君がいる。おじさんが言った通り、朋君の大切な話を聞くことができなかったら、一生後悔するだろう。
「心春、おじさんのこと好きなの?」
「えっ!?」
「結婚してるって、自分が今言った言葉にダメージ受けて泣いたんじゃねーの」
朋君の鋭い視線は、夏の日差しみたいだ。弱ったこころに当たって、じわじわ熱くて、じんじん痛む。
「わからない……。おじさんは、知り合ったばかりだし、まだ好きって気持ちまでは……ないと思う……。人を好きになったことなんて、ないし」
「俺は心春のこと、ずっと昔から近くで見てきたけど、そうやって男のことで泣いてんの初めて見た」
「……え?」
「また放課後な。そのハンカチ、今日1日貸してやるから、洗って返せよ」
私の肩にぽんと手を置いて、朋君は先を早足で歩いていく。
彼から渡されたハンカチを見ていると、時田君はあれから頬の傷は塞がったのだろうか、とぼんやり考えた。
あれからあの庭に行ったのなら、もしかしたらおじさんと遭遇したかもしれない。
――ああ、また。
現実逃避したくても、すぐにまたおじさんの顔が浮かんでしまう。
授業中も、友達と過ごす休み時間も、試合の日が近づいた部活中でさえ、頭の中はおじさんのことでいっぱいだった。
あの人が愛した人は、どんな顔をして、どんな言葉を話すのだろうと考えると、こころの中が嫌な気持ちでいっぱいになった。
青い痣を指で押してしまうように、こころが痛むとわかっていることをわざわざしてしまうのはどうしてだろう。