ベアトリスはサラに引っ張られてホテルのエレベーターに乗せられた。
「どこへ行くの?」
「実は部屋を取ってあるの。ほらこんな格好でしょ、お化粧崩れにも気を遣わないといけないし、大人数のパーティだとトイレって混み合うから、ゆっくりできるように個室のトイレを確保したって感じね」
ベアトリスは唖然と聞いていた。
エレベーターが止まると、サラは真剣な顔になり、部屋へ向かう。ベアトリスはただ言葉なく後をついていった。
カードキーを差込みドアを開け、二人は部屋へ入る。サラの緊張感が高まり、事がうまく行くことを願いベアトリスを見つめて静かに微笑した。
ベアトリスは何も知らず、部屋を見渡した。
クィーンベッドが一つあり部屋の真ん中辺りに置かれている。ベッドの前には引き出しつきの棚、その上には大きなテレビも置かれ、窓際には小さなテーブル とゆったりと座れる椅子が二つ置かれていた。その端にはデスクがあった。
壁紙や絨毯の色合いも暖かみのある暖色で落ち着き、高級感が漂っていた。
「きれいなお部屋なんだね」
ベアトリスが窓際に寄って景色を眺めている。そして大きく欠伸をした。その欠伸をサラは見逃さなかった。
「ベアトリス、ちょっと疲れたんじゃない? 時間かかるかもしれないからベッドで少し横になってていいよ。それじゃ、バスルームでちょっと身支度してくるね」
サラがバスルームのドアをバタンと閉めると、ベアトリスはベッドの端に腰掛けた。座りながら窓の景色を見ている。
そしてまた欠伸が出て、それが短い間隔で何度も出るようになってしまった。
「やだ、なんか眠たくなってきた」
堪えようとするが、強い睡魔が瞼を重くする。何度抵抗しても、その眠気は決して追い払えなかった。そして10分経ったころには、ベッドに体を横たわらせ眠りについていた。
バスルームのドアをそっと開け、サラはベアトリスの様子を見る。ベッドに倒れこんだように横になっているベアトリスを見ると、息をふぅーっと吐いた。
「薬が効いたみたいね。だけど、あまり長く持ちそうにないわ」
サラはベアトリスの足をベッドに乗せ体をごろんと押してベッドの中央付近に来るように寝かせてやった。横向きになりベアトリスは無防備に眠っていた。
「これを見たらヴィンセントは理性を保てないかも」
そんなこと言ってる暇はないと、サラは大急ぎで会場に戻って行った。
同じ頃、ヴィンセントと睨み合いを続けていたパトリックが睡魔に襲われ、こっくりと何度も首をうなだれ始めた。
ヴィンセントが静かに笑う姿が何重にもダブってみえていた。
「くそっ、急に眠たくなってきやがった。しかも抵抗できないくらい、体が沈むように眠たい。ヴィンセント、まさかお前、飲み物に何かいれた…… ん じゃ……」
パトリックは立ち上がろうとするが、突然がくっと電池が切れたロボットのようにテーブルの上に顔を伏せて崩れた。
ヴィンセントは静かに立ち上がり、テーブルを後にする。
「おい、ヴィンセント、どこへ行くんだ。お前こいつに何をしたんだ」
ヴィンセントはコールを無視した。そしてこれからが本番と気合を入れた。
ホテルの廊下でサラと出会う。言葉を交わさず、目だけで合図をしてすれ違った。
テーブルにサラが戻ってくると、コールは怪しげに見ていた。
「おい、ベアトリスはどうしたんだ?」
「あら、先に戻ってるっていってたけど、まだ戻ってなかったのね」
サラはパトリックの側に寄り、辺りを見回してホテルのスタッフを呼んだ。
「ん? お前ら一体何を企んでいるんだ。ベアトリスはどこなんだ」
サラもまたコールを無視をする。そしてホテルのスタッフが二人が現れると、パトリックの腕をそれぞれの肩に抱えてどこかへと運ぼうとしていた。サラはその後をついていった。
「ちょっと待てよ」
コールが立ち上がろうとすると、アンバーが彼の腕を掴み、睨みつけた。
「もう、いい加減にして、私がプロムデートなのに、ベアトリスのことばかり。もう我慢ならない。最後まで私に責任もって付き合ってよね」
「おい、放せよ」
「嫌っ!」
アンバーも必死ですがりついていた。
上昇中のエレベーターの中でヴィンセントはタキシードの襟元を正した。これからが勝負と、強張った表情でかなり緊張している。
エレベーターが止まり、ドアが開く。それぞれのドアの部屋番号を確認しながら、サラから予め与えられたカードキーを持つ手に力が入った。
そして頭に描いていた番号と一致するドアの前に立つ。一度大きく深呼吸をしてカードキーを挿入し、カチッとロックが解除された音と共に、ドアノブ附近に付いていたビーズほどの小さなランプが赤から緑へと変わった。
息を飲んでドアをそっと開けた。
心臓がドキドキと激しく高鳴り痛いほどだった。ベアトリスのシールドも働き体も締め付けられる。それをぐっと堪えて、部屋に進入──。
ベアトリスが何も知らず眠らされてベッドに横たわっている姿が目に飛び込むと、罪悪感が突然襲い一度顔を背けてしまった。
息苦しくなり、蝶ネクタイを外した。
体をくの字にかがめながら、暫く顔を背けたままだったが、過去に二度ベアトリスに近づけても満足に何もできなかったと思うと、ヴィンセントは腹の底から力を込めて覚悟を決めた。
ベアトリスと向かい合い、右手をあげて、指をパチンと鳴らすと、青白い炎がベアトリスに放たれた。
あっという間に青白い炎はベアトリスを包み込み、体の中のライトソルーションを激しく燃やしていく。
ごくりと唾を飲み込み、ヴィンセントは不安になりながら燃えるベアトリスを静かに見つめていた。
ベアトリスは何も気がつかず、炎に覆われながらも安らいで寝ている。やがてその火は勢いをなくし、そしてすっと消えていった。
ヴィンセントはゆっくりとベアトリスに近づき、苦しくないのを確認した。
ベアトリスの頬に触れようと、手を伸ばす。その手は神聖なものに触れるかのように恐々と震えていた。
温かく柔らかい頬に触れると、ほっとした笑みが自然とこぼれたが、次の瞬間突然表情が厳しくなった。それが何を意味しているか、ヴィンセントにはよくわ かっていた。
ベアトリスがもっとも危険な状態。
もう後には引けない、そして失敗もできない。このチャンスを逃せば、ベアトリスはパトリックのものとなってしまう。
相当な覚悟を持ち、ヴィンセントは暫くベアトリスの顔を眺めていた。ベアトリスが目覚めるその時を静かに待った。
パトリックが二人のホテルのスタッフに抱えられ、エレベーターに乗せられようとしているときだった。
突然ぱっと目が覚め、抱えられている手を払いのけた。
一瞬のうちに置かれている立場を把握する。
「何をするんだ」
パトリックは少しふらつきながら、普段見せない恐ろしい怒りの目を側に居たサラに向けた。
「卑怯じゃないか。飲み物に薬なんか入れて、僕を眠らせるなんて。ベアトリスはどこにいる。ヴィンセントは? まさか、あいつベアトリスを眠らせて手を出そうとしてるんじゃ」
サラは血の気が引いた。睡眠薬入りの飲み物を半分しか飲んでないとはいえ、異常な程に効き目が短かったことに計算が狂った。
サラの誤算だった。パトリックはベアトリスと一緒に住んでいる間、ライトソルーションの影響を受けたバスルームで、ベアトリスと同じように表面から吸収 していた。普通のディムライトよりも摂取量が増え、その能力も増し、薬の効き目も効果が薄れた。
サラはその場で崩れるように泣き出した。何度もごめんなさいと繰り返した。パトリックに嫌われてはもうお終いだった。
パトリックは機転を利かす。脅してはいけないと急に優しい態度を見せ、サラに近づき肩に軽く手を置いた。
「サラ、落ち着くんだ。全てはヴィンセントが企んだことなんだろう。君は利用されただけなんだ。ベアトリスはどこにいるんだ。お願いだから教えて欲しい。 正直に答えてくれたら僕は君の事を許すよ」
パトリックの巧みな言葉にサラは呑まれ、部屋のカードキーを渡し、フロアーとルームナンバーを呟いた。
パトリックはそれを受け取り、エレベーターのボタンを押して、開いたドアに滑るように乗り込み、フロアーのボタンを拳で叩いた。
上昇する間、フロアーの数字を睨みつける。目的の階につくと、ドアが開く前から真正面に立ち、少しの隙間をこじ開けるように飛び出した。
慌てて、つんのめりそうに走りながら言われた部屋の番号を見つける。そしてカードキーを差込み、部屋に入り込んだ。
物音に驚きヴィンセントが振り返ると、そこにはパトリックが恐ろしい表情で立っている。計画の失敗に髪が逆立ちそうなぐらい驚き、ヴィンセントは目を大きく見張っていた。
パトリックはベッドに横たわるベアトリスの側でヴィンセントが立っているのを見ると、腹の底から煮えくり返った怒りが噴出する。
「ヴィンセント、なんて卑怯な。見損なったぜ」
パトリックはヴィンセントに近づき、殴りかかろうとすると、ヴィンセントは素早く避け、パトリックの腕を掴んだ。
「くそっ! あっ、お前、ベアトリスのシールドを……」
ヴィンセントがベアトリスの側で平然としていることにパトリックがすぐに気がついた。
「ああ、解除したよ。こうするしか俺はベアトリスに近づけない」
「お前、何をやってるのかわかってるのか」
「ああ、判ってるさ。何もかも承知の上さ」
パトリックはもう片方の手で殴りかかろうとするがどちらもヴィンセントに掴まれ手の自由を失った。
「放せ」
「殴られるのはごめんだ」
二人が怒りをぶつけ言い争いに気をとられているとき、ベアトリスは目が覚めるが、暫く状況を把握できずにベッドでぼーっと横たわっていた。
──あれ、ヴィンセントとパトリック?
「卑怯なことをしておいて、何が殴られるのはごめんだ。やはりお前はダークライトだ。やり方が汚すぎる」
──ダークライト? どっかで聞いたことがある。
「ディムライトのお前だって卑怯なところがあるだろうが。お前の親がベアトリスの正体に気がついたとたん彼女の親に金と権力を見せびらかせてその地位を約 束し、ベアトリスの意思も無視して親同士で勝手に婚約させちまいやがった。地位を手に入れるためなら手段を選ばない。そしてお前もホワイトライトの力が欲 しかったんじゃないのか。だから親の言いなりになって婚約した」
──ディムライト? 私の正体? ホワイトライトの力が欲しくて婚約?
「違う、僕はお前があの夏現れる以前からずっとベアトリスのことが好きだった。お前があの夏僕たちの町にやってこなければ、ベアトリスはこんなことにならなかったんだ。全てはダークライトのお前のせいだ」
──あの夏、ヴィンセントが町にやってきた? どういうこと?
「全ては俺が引き起こしたことなのは認める。だが俺もベアトリスがホワイトライトだと気づく前から彼女のことを好きになっていた。ずっとずっとその気持ち を抱いて今に至る。だが、俺がダークライトのせいで、彼女に近づけなかった。不公平じゃないか。彼女のシールドを取り除かない限り、俺は近づくことも自分 の気持ちも伝えられない。それなのに、お前はアメリアの弱みに付け込んで、ベアトリスとの結婚を認めさせた。そっちこそ卑怯じゃないか」
──二人は何を言ってるの。
「それは自分の都合だろ。そこまで僕に責任転嫁されても困るぜ」
「俺が近づけないことを良いように利用してそう仕向けただけだろ。俺がベアトリスと意識を共有したとき、彼女は俺を抱きしめてくれた。そして意識が戻ったとき一番に俺の名前を呼んだのをお前も聞いたはずだ」
「ヴィンセント、見苦しいぞ。それは過去のことだ。今は違う。今は彼女は僕を選んだんだ。それに、お前の父親がベアトリスの両親を殺したこと知ったらどうなると思う」
──ヴィンセントのお父さんが私の両親を殺した?
「違う。親父は誰も殺してなんかいない。あれは……」
ベアトリスはもう黙って聞いていられなくなった。
「止めて! 一体どういうことなの。何を話しているの。これが私の知ってはいけない真実なの?」
ベアトリスはベッドから体を起こした。両親の死因を聞いてショックで放心状態になっていた。
「ベアトリス、聞いていたのか」
パトリックが、しまったと顔を歪めた。
ヴィンセントも掴んでいたパトリックの手を離し、自分の頭を抱える。我を忘れて言い争ってベアトリスが起きていたことに気がつかなかったことを悔やんだ。
「二人は知り合いだったの? そしてあの夏ヴィンセントが私の住んでた町に来ていたの? 私も小さい頃にヴィンセントに会ってたってことなの?」
ベアトリスはもう真実から逃げられなくなった。ヴィンセントとパトリックを交互に見て、失望を抱いたように潤んだ瞳で震えている。沈黙が暫く続く。
パトリックが近づいてベアトリスに触れようとする。
「触らないで、側に来ないで」
ベアトリスはコールが言っていた言葉を思い出した。
『その事故、ほんとに事故だったと思うかい? そしてどうして子供の時に婚約させられたかも不思議に思わないのかい?』
頭の中が混乱する。一つ判ったことは、自分は何かに利用されているということだった。
──だったら私は一体何者?
「ベアトリス、落ち着いて」
パトリックが焦りながら対応する。
「落ち着くのはお前の方だろうが」
ヴィンセントがつっこんだ。
「お前は黙っていろ。元はといえば全てお前が引き起こしたこと。お前が卑劣な方法でベアトリスに手を出そうとしたからこうなった」
「俺はただ、ベアトリスと二人きりになりたかったんだ」
「だからといってこんな手を使うことないだろう。卑怯者」
「こんな手でも使わないと二人っきりになれなかったんだよ」
パトリックは腹立たしさでヴィンセントに殴りかかる。不意をつかれてヴィンセントは頬を殴られると、一気に怒りが湧き起こり、応戦した。
目の前で激しい殴り合いをする二人に、ベアトリスの心に怒りが吹き荒れた。それと同時に眠っていた力が呼び覚まされる。
「もう二人とも止めて!」
そう叫んだとき、眩しいばかりの閃光が爆発のごとくベアトリスの体から四方八方に放たれた。
ヴィンセントもパトリックもその眩しさに目をやられて動けなくなった。ベアトリスは自分自身が恐ろしくなり、気が動転して部屋から飛び出した。
ちょうど階に来ていたエレベーターに乗り込んだ。
ヴィンセントとパトリックの視界が徐々に元通りになると、目の前にベアトリスがいないことに気がつき、慌てて、部屋を飛び出し追いかけた。
ベアトリスが乗ったエレベーターのドアが直前で閉まるところを見て、不安に襲われた。
「ベアトリス!」
二人とも大声で叫ぶ。パトリックはそのまま、次のエレベーターを焦る気持ちの中待っていたが、ヴィンセントは階段を使った。そして飛ぶように駆け下りた。
その頃コールはアンバーにまだ手を引っ張られたまま、テーブルから動けないでいた。
「アンバー、いい加減に放せ」
「嫌よ」
「しょうがねぇーな」
コールは口笛を吹いた。すると突然目の前にゴードンが現れ、赤い目で辺りを見回していた。
アンバーは突然現れた男にビックリして、手を緩めた。コールがその隙にアンバーから離れた。
「ゴードン、暴れる時間だぜ。頼むぜ」
ゴードンは各テーブルに次々に瞬間移動しては、テーブルの飲み物や食べ物を投げつけた。ゴードンの動きが早いために皆、目の前の人物にされたと思い込 み、衣装を汚されたものは仕返しとばかりに手当たり次第のものを投げつけた。誰もが怒り喧嘩をし始めると、あっという間に辺りは蜂の巣を突付いたような大 混乱となっていった。こ れも余興の一種だと思うものまでいて自ら参加するものも現れた。
そして、ベアトリスがロビーに到着すると、すぐに電話を探した。化粧室の隣に電話があるのを見つけると、コレクトコールでアメリアに電話をする。
「アメリア、お願い。迎えに来て」
「どうしたの? ベアトリス」
そのときジェニファーが化粧室から出てきた。ベアトリスには以前ほど抱いていた怒りはなく、落ち着いた行動で無視をしてそのままふんと通りすぎていく。 しかし体に潜んでいた影がベアトリスの正体に気がつき、自らジェニファーの体を抜け出した。
ベアトリスは何者かに見られている気配と、肌を突き刺す殺気を感じ後ろを振り返った。
そこに、恐ろしい形相の黒い影が自分に襲い掛かろうとしていたのを見ると、悲鳴をあげた。
「キャー」
その声はちょうどエレベーターから降りたパトリック、階段を下りてロビーに到着したヴィンセント、そして辺りをうろついていたコールにも届いた。
三人はすぐに駆けつける。
ベアトリスは電話の受話器を投げつけ必死に逃げる。
「ベアトリス、どうしたの? 何があったの」
ただならぬ事態にアメリアは顔を青ざめ、車に飛び乗りホテルへと向かった。
「あの時と同じだ」
ベアトリスは全てが夢じゃなかったと気がついた。
「ベアトリス!」
パトリックがデバイスを取り出し、光の剣を構えて影に立ち向かう。
ベアトリスは身を縮めながらそれを見ていた。
影はパトリックの攻撃をかわし、そして容赦なくパトリックに襲い掛かった。
そこへヴィンセントも加わり、手だけ黒く変化させ長い爪を影に向かって引っ掻いた。
影はそれも避けるがすぱっと体の一部が切られて動きが鈍くなった。
一瞬の怯みをついてパトリックが影の頭に剣を貫くと、影は消滅していった。
ベアトリスは息をするのを忘れるぐらい、その光景に目を見開き、二人を凝視していた。
「ベアトリス大丈夫か」
パトリックが声をかける。
ヴィンセントも心配そうにベアトリスを見つめている。
「嫌っ、側に来ないで、お願い、一人にして」
ベアトリスは走り出す。混乱して怖くなり、この状態でまともに二人と話などできないと思うと逃げることしかできなかった。
「ベアトリス!」
ヴィンセントもパトリックも同時に叫んでいた。
コールは一部始終見ていた。影が自ら襲ったことでベアトリスのシールドがなくなっていることに気がつくと、チャンスだとばかりに笑みを浮かべ、その瞳は邪悪に輝きだした。決行の時が来たと脳内で歓喜の音楽が流れていた。
ベアトリスは無我夢中でホテルの外に飛び出すと、そこで人とぶつかってしまった。
「ベアトリス…… じゃないか」
「あなたは、ヴィンセントのお父さん」
──どういうことだ、ベアトリスのシールドが完全に解除されている。
ヴィンセントとパトリックが後を追ってくる姿にリチャードが気がついた。
「何かあったのかい」
優しそうな目でベアトリスを気遣うが、ベアトリスは急に怯え出した。
──この人、私の両親を殺した?
ベアトリスは咄嗟にリチャードをも避けた。
そしてさらに走り出す。
そこに車が滑り込むように止まって助手席のドアが開いた。
「ベアトリス、さあ、乗れよ。送っていってやるよ。悩みのない場所にな」
コールだった。
「だめだ、ベアトリスその男に近づいちゃいかん」
リチャードがベアトリスを捕まえようとすると、ベアトリスはそれに恐れて、却ってコールの車に乗り込む選択しかなくなってしまった。
ベアトリスは車に乗り込んでしまった。そしてドアが閉まり、車は猛スピードで走り去っていく。
「しまった」
リチャードが慌てた。
コールの車は後を追いかけられないくらいにあっという間に視界から消えていった。
その時、ホテルがパニックに陥ったように沢山の悲鳴が一つになって大きく辺りを震撼させた。ゴードンは影も呼び寄せ、辺りは殴り合いの派手な喧嘩になっ ていた。
冷静なリチャードが顔を歪ませて焦った。
「一体ホテルで何が起こってるんだ。とにかくヴィンセント、よく聞け、何がなんでもベアトリスを見つけろ。あの車に乗っていた男はコールだ」
「なんだって。どうみたってアイツはポールじゃないか」
ヴィンセントが驚いた。
「あの男がコールだって? どういうことなんだ」
パトリックは驚きのあまり、呼吸困難になりそうだった。
「大変な誤算をしていたんだ。コールはノンライトに成りすましていた。それがお前のクラスメートだったんだ。まんまとコールの策略に我々はひっかかってしまったんだ」
リチャードが悔しさを滲ませながら、ベアトリスを救える方法を同時に模索する。
「くそっ、なんで気がつかなかったんだ。あんなにポールがおかしくなってたのに、ダークライトの気ばかり気にしすぎて目に見える事を見逃していたなんて」
ヴィンセントは己の愚かさを呪い、ベアトリスのことが心配で気が狂いそうになっていた。体を震わせ、息を激しくしては爆発しそうな怒りを必死に体に封じ込めていた。
「今、後悔している暇はない。なんとしてでもベアトリスを見つけなければ、ライフクリスタルを奪われてしまう。きっと共犯者がいるはずだ。そいつが会場を荒らしているに違いない。そいつを捕まえて場所を聞くんだ」
パトリックが助けられる方法があると二人に叫んだ。
「ゴードンか」
リチャードはゴードンを探しに混乱している会場に乗り込んだ。その後をヴィンセントとパトリックも続く。会場は既にプロムの華やかさはなく、狂気に満ち溢れた闘技場となっていた。
「どこへ行くの?」
「実は部屋を取ってあるの。ほらこんな格好でしょ、お化粧崩れにも気を遣わないといけないし、大人数のパーティだとトイレって混み合うから、ゆっくりできるように個室のトイレを確保したって感じね」
ベアトリスは唖然と聞いていた。
エレベーターが止まると、サラは真剣な顔になり、部屋へ向かう。ベアトリスはただ言葉なく後をついていった。
カードキーを差込みドアを開け、二人は部屋へ入る。サラの緊張感が高まり、事がうまく行くことを願いベアトリスを見つめて静かに微笑した。
ベアトリスは何も知らず、部屋を見渡した。
クィーンベッドが一つあり部屋の真ん中辺りに置かれている。ベッドの前には引き出しつきの棚、その上には大きなテレビも置かれ、窓際には小さなテーブル とゆったりと座れる椅子が二つ置かれていた。その端にはデスクがあった。
壁紙や絨毯の色合いも暖かみのある暖色で落ち着き、高級感が漂っていた。
「きれいなお部屋なんだね」
ベアトリスが窓際に寄って景色を眺めている。そして大きく欠伸をした。その欠伸をサラは見逃さなかった。
「ベアトリス、ちょっと疲れたんじゃない? 時間かかるかもしれないからベッドで少し横になってていいよ。それじゃ、バスルームでちょっと身支度してくるね」
サラがバスルームのドアをバタンと閉めると、ベアトリスはベッドの端に腰掛けた。座りながら窓の景色を見ている。
そしてまた欠伸が出て、それが短い間隔で何度も出るようになってしまった。
「やだ、なんか眠たくなってきた」
堪えようとするが、強い睡魔が瞼を重くする。何度抵抗しても、その眠気は決して追い払えなかった。そして10分経ったころには、ベッドに体を横たわらせ眠りについていた。
バスルームのドアをそっと開け、サラはベアトリスの様子を見る。ベッドに倒れこんだように横になっているベアトリスを見ると、息をふぅーっと吐いた。
「薬が効いたみたいね。だけど、あまり長く持ちそうにないわ」
サラはベアトリスの足をベッドに乗せ体をごろんと押してベッドの中央付近に来るように寝かせてやった。横向きになりベアトリスは無防備に眠っていた。
「これを見たらヴィンセントは理性を保てないかも」
そんなこと言ってる暇はないと、サラは大急ぎで会場に戻って行った。
同じ頃、ヴィンセントと睨み合いを続けていたパトリックが睡魔に襲われ、こっくりと何度も首をうなだれ始めた。
ヴィンセントが静かに笑う姿が何重にもダブってみえていた。
「くそっ、急に眠たくなってきやがった。しかも抵抗できないくらい、体が沈むように眠たい。ヴィンセント、まさかお前、飲み物に何かいれた…… ん じゃ……」
パトリックは立ち上がろうとするが、突然がくっと電池が切れたロボットのようにテーブルの上に顔を伏せて崩れた。
ヴィンセントは静かに立ち上がり、テーブルを後にする。
「おい、ヴィンセント、どこへ行くんだ。お前こいつに何をしたんだ」
ヴィンセントはコールを無視した。そしてこれからが本番と気合を入れた。
ホテルの廊下でサラと出会う。言葉を交わさず、目だけで合図をしてすれ違った。
テーブルにサラが戻ってくると、コールは怪しげに見ていた。
「おい、ベアトリスはどうしたんだ?」
「あら、先に戻ってるっていってたけど、まだ戻ってなかったのね」
サラはパトリックの側に寄り、辺りを見回してホテルのスタッフを呼んだ。
「ん? お前ら一体何を企んでいるんだ。ベアトリスはどこなんだ」
サラもまたコールを無視をする。そしてホテルのスタッフが二人が現れると、パトリックの腕をそれぞれの肩に抱えてどこかへと運ぼうとしていた。サラはその後をついていった。
「ちょっと待てよ」
コールが立ち上がろうとすると、アンバーが彼の腕を掴み、睨みつけた。
「もう、いい加減にして、私がプロムデートなのに、ベアトリスのことばかり。もう我慢ならない。最後まで私に責任もって付き合ってよね」
「おい、放せよ」
「嫌っ!」
アンバーも必死ですがりついていた。
上昇中のエレベーターの中でヴィンセントはタキシードの襟元を正した。これからが勝負と、強張った表情でかなり緊張している。
エレベーターが止まり、ドアが開く。それぞれのドアの部屋番号を確認しながら、サラから予め与えられたカードキーを持つ手に力が入った。
そして頭に描いていた番号と一致するドアの前に立つ。一度大きく深呼吸をしてカードキーを挿入し、カチッとロックが解除された音と共に、ドアノブ附近に付いていたビーズほどの小さなランプが赤から緑へと変わった。
息を飲んでドアをそっと開けた。
心臓がドキドキと激しく高鳴り痛いほどだった。ベアトリスのシールドも働き体も締め付けられる。それをぐっと堪えて、部屋に進入──。
ベアトリスが何も知らず眠らされてベッドに横たわっている姿が目に飛び込むと、罪悪感が突然襲い一度顔を背けてしまった。
息苦しくなり、蝶ネクタイを外した。
体をくの字にかがめながら、暫く顔を背けたままだったが、過去に二度ベアトリスに近づけても満足に何もできなかったと思うと、ヴィンセントは腹の底から力を込めて覚悟を決めた。
ベアトリスと向かい合い、右手をあげて、指をパチンと鳴らすと、青白い炎がベアトリスに放たれた。
あっという間に青白い炎はベアトリスを包み込み、体の中のライトソルーションを激しく燃やしていく。
ごくりと唾を飲み込み、ヴィンセントは不安になりながら燃えるベアトリスを静かに見つめていた。
ベアトリスは何も気がつかず、炎に覆われながらも安らいで寝ている。やがてその火は勢いをなくし、そしてすっと消えていった。
ヴィンセントはゆっくりとベアトリスに近づき、苦しくないのを確認した。
ベアトリスの頬に触れようと、手を伸ばす。その手は神聖なものに触れるかのように恐々と震えていた。
温かく柔らかい頬に触れると、ほっとした笑みが自然とこぼれたが、次の瞬間突然表情が厳しくなった。それが何を意味しているか、ヴィンセントにはよくわ かっていた。
ベアトリスがもっとも危険な状態。
もう後には引けない、そして失敗もできない。このチャンスを逃せば、ベアトリスはパトリックのものとなってしまう。
相当な覚悟を持ち、ヴィンセントは暫くベアトリスの顔を眺めていた。ベアトリスが目覚めるその時を静かに待った。
パトリックが二人のホテルのスタッフに抱えられ、エレベーターに乗せられようとしているときだった。
突然ぱっと目が覚め、抱えられている手を払いのけた。
一瞬のうちに置かれている立場を把握する。
「何をするんだ」
パトリックは少しふらつきながら、普段見せない恐ろしい怒りの目を側に居たサラに向けた。
「卑怯じゃないか。飲み物に薬なんか入れて、僕を眠らせるなんて。ベアトリスはどこにいる。ヴィンセントは? まさか、あいつベアトリスを眠らせて手を出そうとしてるんじゃ」
サラは血の気が引いた。睡眠薬入りの飲み物を半分しか飲んでないとはいえ、異常な程に効き目が短かったことに計算が狂った。
サラの誤算だった。パトリックはベアトリスと一緒に住んでいる間、ライトソルーションの影響を受けたバスルームで、ベアトリスと同じように表面から吸収 していた。普通のディムライトよりも摂取量が増え、その能力も増し、薬の効き目も効果が薄れた。
サラはその場で崩れるように泣き出した。何度もごめんなさいと繰り返した。パトリックに嫌われてはもうお終いだった。
パトリックは機転を利かす。脅してはいけないと急に優しい態度を見せ、サラに近づき肩に軽く手を置いた。
「サラ、落ち着くんだ。全てはヴィンセントが企んだことなんだろう。君は利用されただけなんだ。ベアトリスはどこにいるんだ。お願いだから教えて欲しい。 正直に答えてくれたら僕は君の事を許すよ」
パトリックの巧みな言葉にサラは呑まれ、部屋のカードキーを渡し、フロアーとルームナンバーを呟いた。
パトリックはそれを受け取り、エレベーターのボタンを押して、開いたドアに滑るように乗り込み、フロアーのボタンを拳で叩いた。
上昇する間、フロアーの数字を睨みつける。目的の階につくと、ドアが開く前から真正面に立ち、少しの隙間をこじ開けるように飛び出した。
慌てて、つんのめりそうに走りながら言われた部屋の番号を見つける。そしてカードキーを差込み、部屋に入り込んだ。
物音に驚きヴィンセントが振り返ると、そこにはパトリックが恐ろしい表情で立っている。計画の失敗に髪が逆立ちそうなぐらい驚き、ヴィンセントは目を大きく見張っていた。
パトリックはベッドに横たわるベアトリスの側でヴィンセントが立っているのを見ると、腹の底から煮えくり返った怒りが噴出する。
「ヴィンセント、なんて卑怯な。見損なったぜ」
パトリックはヴィンセントに近づき、殴りかかろうとすると、ヴィンセントは素早く避け、パトリックの腕を掴んだ。
「くそっ! あっ、お前、ベアトリスのシールドを……」
ヴィンセントがベアトリスの側で平然としていることにパトリックがすぐに気がついた。
「ああ、解除したよ。こうするしか俺はベアトリスに近づけない」
「お前、何をやってるのかわかってるのか」
「ああ、判ってるさ。何もかも承知の上さ」
パトリックはもう片方の手で殴りかかろうとするがどちらもヴィンセントに掴まれ手の自由を失った。
「放せ」
「殴られるのはごめんだ」
二人が怒りをぶつけ言い争いに気をとられているとき、ベアトリスは目が覚めるが、暫く状況を把握できずにベッドでぼーっと横たわっていた。
──あれ、ヴィンセントとパトリック?
「卑怯なことをしておいて、何が殴られるのはごめんだ。やはりお前はダークライトだ。やり方が汚すぎる」
──ダークライト? どっかで聞いたことがある。
「ディムライトのお前だって卑怯なところがあるだろうが。お前の親がベアトリスの正体に気がついたとたん彼女の親に金と権力を見せびらかせてその地位を約 束し、ベアトリスの意思も無視して親同士で勝手に婚約させちまいやがった。地位を手に入れるためなら手段を選ばない。そしてお前もホワイトライトの力が欲 しかったんじゃないのか。だから親の言いなりになって婚約した」
──ディムライト? 私の正体? ホワイトライトの力が欲しくて婚約?
「違う、僕はお前があの夏現れる以前からずっとベアトリスのことが好きだった。お前があの夏僕たちの町にやってこなければ、ベアトリスはこんなことにならなかったんだ。全てはダークライトのお前のせいだ」
──あの夏、ヴィンセントが町にやってきた? どういうこと?
「全ては俺が引き起こしたことなのは認める。だが俺もベアトリスがホワイトライトだと気づく前から彼女のことを好きになっていた。ずっとずっとその気持ち を抱いて今に至る。だが、俺がダークライトのせいで、彼女に近づけなかった。不公平じゃないか。彼女のシールドを取り除かない限り、俺は近づくことも自分 の気持ちも伝えられない。それなのに、お前はアメリアの弱みに付け込んで、ベアトリスとの結婚を認めさせた。そっちこそ卑怯じゃないか」
──二人は何を言ってるの。
「それは自分の都合だろ。そこまで僕に責任転嫁されても困るぜ」
「俺が近づけないことを良いように利用してそう仕向けただけだろ。俺がベアトリスと意識を共有したとき、彼女は俺を抱きしめてくれた。そして意識が戻ったとき一番に俺の名前を呼んだのをお前も聞いたはずだ」
「ヴィンセント、見苦しいぞ。それは過去のことだ。今は違う。今は彼女は僕を選んだんだ。それに、お前の父親がベアトリスの両親を殺したこと知ったらどうなると思う」
──ヴィンセントのお父さんが私の両親を殺した?
「違う。親父は誰も殺してなんかいない。あれは……」
ベアトリスはもう黙って聞いていられなくなった。
「止めて! 一体どういうことなの。何を話しているの。これが私の知ってはいけない真実なの?」
ベアトリスはベッドから体を起こした。両親の死因を聞いてショックで放心状態になっていた。
「ベアトリス、聞いていたのか」
パトリックが、しまったと顔を歪めた。
ヴィンセントも掴んでいたパトリックの手を離し、自分の頭を抱える。我を忘れて言い争ってベアトリスが起きていたことに気がつかなかったことを悔やんだ。
「二人は知り合いだったの? そしてあの夏ヴィンセントが私の住んでた町に来ていたの? 私も小さい頃にヴィンセントに会ってたってことなの?」
ベアトリスはもう真実から逃げられなくなった。ヴィンセントとパトリックを交互に見て、失望を抱いたように潤んだ瞳で震えている。沈黙が暫く続く。
パトリックが近づいてベアトリスに触れようとする。
「触らないで、側に来ないで」
ベアトリスはコールが言っていた言葉を思い出した。
『その事故、ほんとに事故だったと思うかい? そしてどうして子供の時に婚約させられたかも不思議に思わないのかい?』
頭の中が混乱する。一つ判ったことは、自分は何かに利用されているということだった。
──だったら私は一体何者?
「ベアトリス、落ち着いて」
パトリックが焦りながら対応する。
「落ち着くのはお前の方だろうが」
ヴィンセントがつっこんだ。
「お前は黙っていろ。元はといえば全てお前が引き起こしたこと。お前が卑劣な方法でベアトリスに手を出そうとしたからこうなった」
「俺はただ、ベアトリスと二人きりになりたかったんだ」
「だからといってこんな手を使うことないだろう。卑怯者」
「こんな手でも使わないと二人っきりになれなかったんだよ」
パトリックは腹立たしさでヴィンセントに殴りかかる。不意をつかれてヴィンセントは頬を殴られると、一気に怒りが湧き起こり、応戦した。
目の前で激しい殴り合いをする二人に、ベアトリスの心に怒りが吹き荒れた。それと同時に眠っていた力が呼び覚まされる。
「もう二人とも止めて!」
そう叫んだとき、眩しいばかりの閃光が爆発のごとくベアトリスの体から四方八方に放たれた。
ヴィンセントもパトリックもその眩しさに目をやられて動けなくなった。ベアトリスは自分自身が恐ろしくなり、気が動転して部屋から飛び出した。
ちょうど階に来ていたエレベーターに乗り込んだ。
ヴィンセントとパトリックの視界が徐々に元通りになると、目の前にベアトリスがいないことに気がつき、慌てて、部屋を飛び出し追いかけた。
ベアトリスが乗ったエレベーターのドアが直前で閉まるところを見て、不安に襲われた。
「ベアトリス!」
二人とも大声で叫ぶ。パトリックはそのまま、次のエレベーターを焦る気持ちの中待っていたが、ヴィンセントは階段を使った。そして飛ぶように駆け下りた。
その頃コールはアンバーにまだ手を引っ張られたまま、テーブルから動けないでいた。
「アンバー、いい加減に放せ」
「嫌よ」
「しょうがねぇーな」
コールは口笛を吹いた。すると突然目の前にゴードンが現れ、赤い目で辺りを見回していた。
アンバーは突然現れた男にビックリして、手を緩めた。コールがその隙にアンバーから離れた。
「ゴードン、暴れる時間だぜ。頼むぜ」
ゴードンは各テーブルに次々に瞬間移動しては、テーブルの飲み物や食べ物を投げつけた。ゴードンの動きが早いために皆、目の前の人物にされたと思い込 み、衣装を汚されたものは仕返しとばかりに手当たり次第のものを投げつけた。誰もが怒り喧嘩をし始めると、あっという間に辺りは蜂の巣を突付いたような大 混乱となっていった。こ れも余興の一種だと思うものまでいて自ら参加するものも現れた。
そして、ベアトリスがロビーに到着すると、すぐに電話を探した。化粧室の隣に電話があるのを見つけると、コレクトコールでアメリアに電話をする。
「アメリア、お願い。迎えに来て」
「どうしたの? ベアトリス」
そのときジェニファーが化粧室から出てきた。ベアトリスには以前ほど抱いていた怒りはなく、落ち着いた行動で無視をしてそのままふんと通りすぎていく。 しかし体に潜んでいた影がベアトリスの正体に気がつき、自らジェニファーの体を抜け出した。
ベアトリスは何者かに見られている気配と、肌を突き刺す殺気を感じ後ろを振り返った。
そこに、恐ろしい形相の黒い影が自分に襲い掛かろうとしていたのを見ると、悲鳴をあげた。
「キャー」
その声はちょうどエレベーターから降りたパトリック、階段を下りてロビーに到着したヴィンセント、そして辺りをうろついていたコールにも届いた。
三人はすぐに駆けつける。
ベアトリスは電話の受話器を投げつけ必死に逃げる。
「ベアトリス、どうしたの? 何があったの」
ただならぬ事態にアメリアは顔を青ざめ、車に飛び乗りホテルへと向かった。
「あの時と同じだ」
ベアトリスは全てが夢じゃなかったと気がついた。
「ベアトリス!」
パトリックがデバイスを取り出し、光の剣を構えて影に立ち向かう。
ベアトリスは身を縮めながらそれを見ていた。
影はパトリックの攻撃をかわし、そして容赦なくパトリックに襲い掛かった。
そこへヴィンセントも加わり、手だけ黒く変化させ長い爪を影に向かって引っ掻いた。
影はそれも避けるがすぱっと体の一部が切られて動きが鈍くなった。
一瞬の怯みをついてパトリックが影の頭に剣を貫くと、影は消滅していった。
ベアトリスは息をするのを忘れるぐらい、その光景に目を見開き、二人を凝視していた。
「ベアトリス大丈夫か」
パトリックが声をかける。
ヴィンセントも心配そうにベアトリスを見つめている。
「嫌っ、側に来ないで、お願い、一人にして」
ベアトリスは走り出す。混乱して怖くなり、この状態でまともに二人と話などできないと思うと逃げることしかできなかった。
「ベアトリス!」
ヴィンセントもパトリックも同時に叫んでいた。
コールは一部始終見ていた。影が自ら襲ったことでベアトリスのシールドがなくなっていることに気がつくと、チャンスだとばかりに笑みを浮かべ、その瞳は邪悪に輝きだした。決行の時が来たと脳内で歓喜の音楽が流れていた。
ベアトリスは無我夢中でホテルの外に飛び出すと、そこで人とぶつかってしまった。
「ベアトリス…… じゃないか」
「あなたは、ヴィンセントのお父さん」
──どういうことだ、ベアトリスのシールドが完全に解除されている。
ヴィンセントとパトリックが後を追ってくる姿にリチャードが気がついた。
「何かあったのかい」
優しそうな目でベアトリスを気遣うが、ベアトリスは急に怯え出した。
──この人、私の両親を殺した?
ベアトリスは咄嗟にリチャードをも避けた。
そしてさらに走り出す。
そこに車が滑り込むように止まって助手席のドアが開いた。
「ベアトリス、さあ、乗れよ。送っていってやるよ。悩みのない場所にな」
コールだった。
「だめだ、ベアトリスその男に近づいちゃいかん」
リチャードがベアトリスを捕まえようとすると、ベアトリスはそれに恐れて、却ってコールの車に乗り込む選択しかなくなってしまった。
ベアトリスは車に乗り込んでしまった。そしてドアが閉まり、車は猛スピードで走り去っていく。
「しまった」
リチャードが慌てた。
コールの車は後を追いかけられないくらいにあっという間に視界から消えていった。
その時、ホテルがパニックに陥ったように沢山の悲鳴が一つになって大きく辺りを震撼させた。ゴードンは影も呼び寄せ、辺りは殴り合いの派手な喧嘩になっ ていた。
冷静なリチャードが顔を歪ませて焦った。
「一体ホテルで何が起こってるんだ。とにかくヴィンセント、よく聞け、何がなんでもベアトリスを見つけろ。あの車に乗っていた男はコールだ」
「なんだって。どうみたってアイツはポールじゃないか」
ヴィンセントが驚いた。
「あの男がコールだって? どういうことなんだ」
パトリックは驚きのあまり、呼吸困難になりそうだった。
「大変な誤算をしていたんだ。コールはノンライトに成りすましていた。それがお前のクラスメートだったんだ。まんまとコールの策略に我々はひっかかってしまったんだ」
リチャードが悔しさを滲ませながら、ベアトリスを救える方法を同時に模索する。
「くそっ、なんで気がつかなかったんだ。あんなにポールがおかしくなってたのに、ダークライトの気ばかり気にしすぎて目に見える事を見逃していたなんて」
ヴィンセントは己の愚かさを呪い、ベアトリスのことが心配で気が狂いそうになっていた。体を震わせ、息を激しくしては爆発しそうな怒りを必死に体に封じ込めていた。
「今、後悔している暇はない。なんとしてでもベアトリスを見つけなければ、ライフクリスタルを奪われてしまう。きっと共犯者がいるはずだ。そいつが会場を荒らしているに違いない。そいつを捕まえて場所を聞くんだ」
パトリックが助けられる方法があると二人に叫んだ。
「ゴードンか」
リチャードはゴードンを探しに混乱している会場に乗り込んだ。その後をヴィンセントとパトリックも続く。会場は既にプロムの華やかさはなく、狂気に満ち溢れた闘技場となっていた。