ヴィンセントは居間のソファーに浅く座り、父親の帰りを待っていた。
 叱られる覚悟と、そして殴られる覚悟をして、目を瞑って動かずじっとしている。
 ベアトリスを守る、自分なら守れると言い切ったが、すぐに爆発し、関係のないものを傷つけるようでは偉そうに言えた義理はないとつくづく反省する。
 もう過ちは繰り返したくないと、父親にこてんぱんに肝に銘じてもらうつもりでいた。
 ヴィンセントなりに反省し、男らしくけじめをつけたかった。
 これもベアトリスを守りたい、愛するがゆえにひ弱な自分を捨てたい一心であった。
 しかしそう思うことも子供じみて甘ったるく弥縫策に過ぎない。
 まだこの時点では謝ることを軽く疎んじている。
「それにしても、遅い!」
 叱られることを待ち望むのも変な気がしたが、この気持ちのままでは落ち着かず、決めたことはさっさと方をつけたかった。
 待つことに痺れを切らし、足がカタカタと揺れ出した。頭を掻きながら、イライラしてきだしたが、これがいけないと、また無心になりじっとする。
 リチャードの車が家のドライブウェイに停まった気配がしたとき、いよいよかと、ヴィンセントは立ち上がり、背筋を延ばした。
 そして玄関のドアを凝視していた。
 ドアが開いて、リチャードが入ってきた。ヴィンセントが視線を合わせた瞬間、電光石火のごとく飛んできた拳で後ろにぶっ倒れていた。
 リチャードは空が裂けるくらいの怒りを体に溜めて、鬼そのものになっていた。
 ヴィンセントもそれくらいは想像できたが、それ以上のことは情けないながら考えてなかった。
 殴られることを覚悟していても更に窮地に追い詰められる。リチャードの言葉で甘かったと心の底から自分の情けなさを痛感してしまった。
「お前はもうここから出て行け。どこか遠くで一人で生活しろ。ここへ戻ることもベアトリスに会うことも許さない」
 許されるはずはないと思ったが、謝る隙も与えられず、リチャードの言葉の重みを真摯に受け止めた。
 反省してるとはいえ、リチャードの条件は素直に受け入れられないでいた。
 自分がやってきた数々の行動を今一度恥じる。
 そしてプライドも捨て、恥をさらけ出しよつんばになって土下座するような形で必死に慈悲を求める。
「親父、聞いてくれ、俺が悪いのは百も承知だ。だがもう一度だけチャンスをくれ。俺、心入れなおす。二度とこんなことはしないと誓う。親父にも逆らわない。だからだから…… 」
 ヴィンセントの声は震え、腹の底から救いを求める。
 リチャードは暫く黙り込み、殴り足らない拳を無理に引っこめて、ヴィンセントを冷静に見つめようとしていた。
 息子が素直に謝るのは初めてのことであり、また必死に自分にすがりつく態度も見た事はなかった。
 ヴィンセントはもう一度真剣な眼差しでリチャードに訴える。
 その瞳の色は真実を映し出す鏡のように曇りは一切なかった。
「親父、すまない。俺本当に反省してるんだ。今日…… 」
 大事なことを伝えなければならなかったが、ヴィンセントの話の腰を折るように携帯電話の呼び出し音がリチャードの背広の内ポケットから聞こえてきた。
 リチャードはまだ冷静に人と話せる気分ではなかった。暫く呼び出し音が部屋に響く。その間ヴィンセントは何も話せなくなった。
「親父、先にその電話取ってくれないか。それじゃないと落ち着いて話せない」
 リチャードは大きく息を吐いて、電話を懐から取り出した。そして掛かってきた番号をディスプレイで見るなり血の気が引き、すぐに通話ボタンを押した。
「ハロー、リチャードだ。ハロー」
 相手からの声が聞こえない。だが音がする。もだえて苦しんでいる声にならない悲鳴。
 リチャードは我慢できずに叫ぶ。
「どうした、アメリア。何が起こってるんだ。アメリア、一体何が」
 リチャードが呼びかけた名前に、ヴィンセントもただ事ではないと反応する。リチャードは何度も声を上げてアメリアの名前を呼んでいた。

 楽しい食事の場所から一人の悲鳴で、異様な雰囲気に包み込まれ、誰もが一瞬にして恐怖を植えつけられた。
 ベアトリスはアメリアを助けようとドアを目指して走り出す。
 それよりも前に店から飛び出した何人かの男性も、アメリアを救おうとすでに立ち向かっていた。
 フードをすっぽりと頭から被ったずんぐりむっくりの男は、不愉快そうにブツブツと呟く。
「お前、ほんとのホワイトライト違う。紛らわしい奴」
 アメリアから手を放ち、アメリアはどさっと地面に崩れるように倒れこみピクリとも動かない。
 通報を受けた警察がサイレンを轟かせて近づいてきたが、そいつは慌てることもなく、アメリアを救おうと店から出てきた男達にゆっくり近づき、猫が威嚇をするような音を立てて脅した。
 怖がって後ろに後ずさる様子が面白いのか、その後、腹を抱えて笑っていた。
 そのまま何もせずまた駐車場の停めてある車をすり抜けて去っていく。
 そして一瞬にして姿を消した。
 アメリアの様子を心配して何人か囲んでいた中に、ベアトリスが店から飛び出し走りこんで割り込んだ。
 何度もアメリアの名前を呼び、半狂乱になっていた。
 誰かが側に落ちていた携帯電話に気づき、通話が繋がってるとベアトリスの前に差し出した。ベアトリスは恐る恐る耳にあてる。
「アメリア、どうしたんだ、一体何が起こってるんだ」
 携帯電話から男の声が聞こえる。電話の相手はリチャードだった。
 だがベアトリスには誰だかすぐにはわからない。でも救いを求めるように話し出した。
「アメリアが襲われたの。この電話を掛けてるときに」
 警察と救急車のサイレンも聞こえてくる。その音にリチャードは強く反応した。
「ベアトリス、君は大丈夫なのか。今どこにいるんだ」
「あなたは、誰なの?」
 自分の名前を呼ばれたことでベアトリスは非常に驚いた。
 困惑しているベアトリスに、リチャードは自分のことを話していいものかと躊躇した。
 しかし側で聞いていたヴィンセントが電話の向こうにベアトリスがいると知ると黙っていられなかった。リチャードの電話を奪い取ってしまった。
「ベアトリス、どこにいるんだ。大丈夫なのか」
「ヴィンセント、よせ、邪魔するな」
 電話の向こうでヴィンセントの声が聞こえる。ベアトリスは益々訳がわからなくなってきた。
「ヴィンセントなの? どうして…… 」
 いつの間にか辺りは騒然と人で囲まれ、警察が慌しく動いている。アメリアもタンカに乗せられ、これから救急車で運ばれるところだった。ベアトリスも一緒に同行しろと指図されている。
「あの、これから病院に向かうところで…… その」
「わかった、また後で連絡する」
 リチャードが慌てて電話を切った。
 ベアトリスは電話のことも気になるが、酸素マスクをつけられているアメリアの姿にもっと動揺して、この時は思考回路が遮断されたかのように頭の中が真っ白になっていた。

「ヴィンセント、どうしてお前は事をややこしくするんだ」
 リチャードが苛立ちと落ち着かなさで取り乱し、どうしたものかと顔を歪ませて自分の職場に電話を掛けていた。
「違うんだ親父、聞いてくれ。今日コールを見たんだ」
 リチャードはヴィンセントの言葉に一瞬で動きが止まった。
 全ての怒りが吹っ飛び、手に持っていた携帯電話が繋がっていることに暫く気がつかないほど動揺していた。
「親父? 親父?」
 ヴィンセントの呼び声ではっとすると、電話を耳にあて話し出した。アメリアに関する事件について何か情報が入ってないか確認を取っていた。
 相手が調べているのかリチャードはしばらく待たされる。ヴィンセントは独り言のようにこの沈黙の中呟いた。
「俺が先日余計なことしてしまったばっかりにコールがホワイトライトの気配を感じてここに現れやがった。まさかそれが関係していてアメリアが巻き込まれたんじゃ」
 その時また通話が繋がったのかリチャードは相槌を打って会話を始めていた。
「そっか、わかった。ありがとう」
 リチャードが電話を切り、困った表情をしている。ヴィンセントは催促するような目でリチャードを見つめていた。何も話さない事に痺れを切らす。
「親父、どうなってるんだよ。俺にも教えてくれ」
 ヴィンセントを静かに見つめ返し、懸念した顔で話し出した。
「大通りに面したレストランの前で女性が一人襲われた情報が入っていた。アメリアが電話を掛けてきた時間とちょうど一致する」
 その後少し黙ってしまった。ヴィンセントは早く言えといわんばかりに苛立っていた。
「それでどうなったんだよ」
「それが、目撃証言から犯人は目の前で消えたとあった」
「それって、ダークライトってことなのか」
「アメリアが襲われた時点でそう考えれば筋が通る」
「ベアトリスはベアトリスは…… 」
「落ち着けヴィンセント。彼女は大丈夫だ。彼女が電話に出たときはもう犯人は消えていたと考えられる。もし見つかっていたら、彼女は連れ去られていたはず だ。私の憶測だが、アメリアは危険を察知して、助けが欲しくてすぐに私に電話をした。そしてベアトリスからその犯人を遠ざけるために咄嗟に自分が囮になっ たんだろう。彼女にはホワイトライトの血が混じってる。だから犯人のホワイトライトに反応する五感を撹乱できると思った。そして完全なホワイトライトでは なかったために犯人も諦めて去っていったって訳だ」
「そっか、アメリアはホワイトライトとノンライトの血が混ざっている。あの水を飲むことである程度の力を得られるが、ホワイトライトのように完璧じゃないってことか」
「ヴィンセント、さっきコールを見たと言ったな」
「ああ、偶然町で出会った。俺を仲間に入れようと誘ってきた。もちろん断ったぜ。でも奴はこの町にホワイトライトがいると睨んでやがる」
「そっか…… アメリアを襲ったのはコールではないのは判るが、奴が一枚噛んでる疑念は拭えない。いや、これから噛んでくるのかもしれない。嫌な予感がする」
「親父、すまない。全ては俺が自分で蒔いた種だ。俺、俺…… 」
 ヴィンセントは歯をギシギシと食いしばる。悔やんでも悔やみきれないと体を震わせていた。
「私に謝って済む問題ではない。お前はとにかくベアトリスには一切近づくな。それが今出来る最善の策だ。わかったな」
 ヴィンセントは深甚なる反省を込め、目をぎゅっと瞑って素直に首を縦に振った。それはベアトリスへの思いを断つと同じ意味を持っていた。
 リチャードはアメリアの無事を確認するために詳しい情報を得ようとまた署へと戻る。
 ヴィンセントは何も出来ず、一人ポツンと居間に取り残され呆然と立ちすくんでいた。
 体は闇に蝕まれたように、光を二度と得る事のできない世界に落ちた気分だった。
 自分で引っ掻いた胸の傷がこの時になってズキズキと痛み出し、 胸を押さえガクッと崩れて床にうずくまる。
 リチャードに叱られて殴られるよりも一番堪えていた。