「ふん、ふん、ふふーん」


 風呂場から上機嫌な鼻歌が響く。


「暑くないか?」
「はいなの! すっごく気持ちいいの!」


 風呂に入るのは初めてなのか? と思ってしまうほどの幸せそうな声。
 俺は洗面所を出て、一人の部屋へ戻る。
 いつもの休みならボケーッとして終わっていたのに、今日は騒がしかった。
 笑って、笑って、笑う。
 だけど一人になって、ふと思い出す。


「失恋したんだったか、昨日」


 メアリーがいなかったら、きっと今もふて寝してるだろう。だけど一人でベッドに腰掛けるまで、そのことを忘れていた。
 思い出せないほど忙しくて楽しかったからかもしれない。
 これは、メアリーに感謝だな。


「明日は休みか……」


 今日は風邪を引いたと会社を休んだが、明日は正真正銘の休みだ。
 今日と同じくメアリーと動画とか見て過ごすか……とも思ったけど、それよりも、少ししてみたいことがある。


「メアリー、外に出たことないんだったか」


 アリシスが言っていた。メアリーは城から出たことがないと。どんな城なのか、それはわからない。だねど想像の範囲なら大きなお城だろう。長い廊下があって、部屋が幾つもあって。だけど外に出たことがないっていうなら、メアリーには外に出て、今まで見たことない日常を見せてやりたい、そう思った。

 きっと色々な表情を見せてくれるだろう。笑ったり、驚いたり、外に出たらもっと反応してくれるはずだ。

 そう思ったら、俺は立ち上がって財布を後ろポケットに突っ込んでいた。


「メアリー、ちょっと出掛けてくるな」
「え、あ、はいなの!」


 一人にするのは心配だが、彼女が外に出るには尻尾と耳を隠す服が必要だ。
 だから俺は外へ出る。
 軽自動車に乗り込み、車を走らせる。

 空は暗くなり、街灯が辺りを照らす。
 東京の街並みは夜になって一層、騒がしく映る。

 そして街中まで車を走らせると、俺はショッピングモールの駐車場に車を停める。


「どうするか……」


 女性用の、それも子供服なんてどんなのがいいのかわからない。それも尻尾と耳を隠せるような服。

 お店をあちこち見て周る。
 そんなとき、俺は見知った人達を見つけて慌てて隠れた。


「仕事終わりか……」


 偶然だろうが、同僚がこちらへ歩いてるのを見てしまった。
 さすがに風邪を引いて休んだ俺が、こんなとこで、ましてや子供服を買ってるとこなんて見せられない。

 なんとかこのまま隠れてやり過ごそう。
 そう思ったとき、ふと、同僚の会話が聞こえた。


「──安住先輩、失恋のショックで来れないんですかね?」
「だろうな。まあ、先輩のこと好きだったから仕方ないかもな」


 え? なんで?
 背中を向けてると、同僚の会話は俺についてのことだった。それも俺が失恋したと。同僚は知らないのに、どうしてそんなことを。


「このまま辞めるって、ありますかね?」
「さあな。ただ、来たくないってのはあんじゃねえか? まあ、俺たちは知らない程《てい》で接してやるしかないよな」
「ですね。みんな知ってたことですけど、そこは知らん顔してた方がいいっすよね」


 ああ、そうか。
 みんな知ってたのか、俺が先輩に片思いしてたのを。
 知ってて、気付かないフリをしてくれてたのか。

 俺は同僚が過ぎ去るのを待って、二人の背中を見る。


「会社に、行きにくくなったな……」


 失恋したから休んだ。そう思われてるのだろう。
 だけど休んだのは、別に失恋のショックとかではない。
 ただメアリーを一人にできないと思ってだ──けれど、そんなことは誰にも言えない。 

 異世界から狐幼女が来て休みました。
 そんなことを言って信じる者はいない。むしろ、ショックで頭がおかしくなったかと余計に心配させてしまう。


「とりあえず、服を買って帰ろ」


 憂鬱な気分だが、このままここで突っ立ってるわけにもいかない。
 そう思い、俺は周囲の視線を気にしながらお店を巡る。
 ただ尻尾を隠せる服は見当たらない。
 そんなとき、ふと気になるチラシが目に止まった。


「コスプレか……」


 それは都内で行われてるマンガやアニメなどを販売したり紹介してる、大規模なイベントのチラシだった。 
 それも明日。ナイスタイミングだ。そこにはコスプレイベントなんかもあると記載されていた。


「コスプレなら、メアリーが尻尾を出していても気にされないかもしれないな」


 とすれば、耳と尻尾を出していても普通に外へ出れる。
 俺はメアリーに似合う服を買っていく。
 白いYシャツに、花柄の短いスカート。尻尾を出せる部分もあるから、これで問題なさそうだ。
 あとは日用品なんかも買っていく。

 そして帰り道。
 俺は仔狐のぬいぐるみを買った。
 なぜこれを買ったのかはわからない。ただなんとなく、目に止まったから買った。

 また車を走らせる。
 一時間ぐらいか、買い物をして。
 メアリーは一人で寂しがってないだろうか。そんなことを車の中で考えていた。


「──ただいま」
「あっ! おかえりっ!」


 普段は言わない、ただいま。
 普段は返ってこない、おかえり。

 そんな些細なことで俺の気持ちは、少しだけど晴れた気がする。
 だけどリビングへ向かうと、両手に持つ荷物を床へ落としてため息をつく。


「メアリー、どうして服を着てないんだ……?」
「ん? だって、体濡れてるんだもん!」


 瑞々しい白肌に、濡れた髪と尻尾。そして幼女の生まれたままの姿。幼女に興味なんてないが、それでも、目のやり場に困って顔を背ける。
 それに対してニコニコと、あたかも当然と言わんばかりの笑顔を浮かべるメアリー。
 まあ、バスタオルで体を拭いて、服を着て待ってろって言わなかったけど。
 これが異世界から来た者との考え方の違いか。

 俺はバスタオルを持って、メアリーに渡す。


「ほら、早く体を拭いて」
「え、うん……パパ、怒ってる?」
「怒ってないよ。ただ、そうだな……風邪でも引いたら大変だろ?」


 そう言うと、メアリーは嬉しそうに「良かった」と口にして体を拭いていく。
 彼女が歩いたであろう箇所には足跡が残ってる。これは後で拭いておこう。
 すると、自分で尻尾は拭けないのか、なにやら苦戦していた。


「ほら、尻尾は俺が拭いてあげるから。クルッてして」
「うん!」


 飛び跳ねてクルッと反転する。
 お尻の上から出る尻尾は本物だ。

 バスタオルを当てると微かに揺れる尻尾と、「んー!」と反応するメアリー。


「どうした?」
「えっと、尻尾、触られたら変な感じなの」
「そ、そうか」


 変なことを言わないでくれ。
 俺は目を閉じながら尻尾を拭いていく。
 そしてここへ来たときに着ていたワンピースを着ると、メアリーは俺の買ってきた荷物をジーッと見つめる。


「パパ、これなーに?」


 指差したのは仔狐のぬいぐるみ。
 そして紙袋から取り出すと、メアリーは口を大きく開いて瞳を輝かせる。


「うわー、かわいいっ!」
「メアリーに買ってきたんだ」
「メアリーに? これ、メアリーに?」
「ああ、そうだよ」


 そしてぬいぐるみを渡すと、メアリーは嬉しそうにそれを抱きしめる。
 まるで自分の子供のように、ギュッと。
 そして仔狐の頭を撫でながら、俺を見上げる。


「ありがとう、パパ!」


 その言葉に嬉しく思う。
 俺はメアリーの頭を撫で立ち上がる。


「俺も風呂に入るから、メアリーはぬいぐるみと遊んでてくれ」
「うん、わかったの!」


 ぬいぐるみを抱きしめながらベッドへダイブするメアリー。
 その姿は子供だ。初めてオモチャを買ってもらった子供だ。その姿が微笑ましく見つめてから、俺は風呂場へ向かう。

 服を脱ぎ、浴室へ。
 やっぱりメアリーといると、どうしてか悲しいことが忘れられる。


「子供が好きなのかもな」


 そんなことを思う。
 明日はメアリーと外へ出る。
 楽しい外出になると思い、俺は少しにやけていた。