「あんたは……?」
「わたくしはアリシス・フィルティアと申します」
アリシス。
その名前を聞いて、やはりかと思った。
「じゃあ、あんたがあの子の保護者か」
「保護者、とは違いますね。メアリーはわたくしたちの王女ですから」
「王女?」
「ええ、わたくしたち狐人族《コレット》が暮らす国の王女です」
狐人族というのはよくわからないが、それはきっと、俺達とは違う種族ってことだろう。
姿は人間だが、半分だけ狐の血が混じった……そんな感じ。
おかしな話だが、意味不明なことが多々あると、理解するのに時間がかからない。
俺はため息をつき、目の前のアリシスに伝える。
「その国の王女が俺の家でいびきをかいて寝てるぞ? 早く連れて行ってくれないか?」
「……残念ですが、それはできません」
「なんでだよ?」
「元々、彼女が危険になると思い、わたくしたちはメアリーをこの世界へ避難させました。なので、しばらくは元の世界へ連れて帰ることはできないのです」
「あの娘に危険?」
「ええ、少し元の世界について説明します。メアリーをこの世界へ避難させた理由、それに、あなたに預けた理由を──」
そう言って、アリシスは淡々と説明を始めた。
──メアリーがいた世界は、本当にファンタジーな世界だった。
人間がいて、動物に似た種族がいて、魔法がある。
それらの種族は以前まで仲良くやっていたそうだが、突如として、その平和な世界は失われた。
そして現在。メアリーとアリシスのような狐に似た姿をした狐人族は、他種族から狙われているのだとか。
異世界事情なんてのはどうでもいいし、よくわからない。ただ他の種族と戦争中──というよりは、一方的に攻撃を仕掛けられているということだけはわかった。
だけど防戦一方というわけではなく、狐人族は反撃をしてるという。
狐人族は魔法を使えるそうだから、かなり劣勢というわけではないのだとか。
ただメアリーは別らしい。
まだ幼いメアリーは魔法を使うことができず、反撃するすべを知らない。だけど彼女は王女。メアリーの身を案じてる者は多く、自分の身を危険にしても、大勢いる配下はメアリーを守る。
それが原因で、均衡していた戦況は崩れていったそうだ。
──これ以上、メアリーを守りながら戦っていたら狐人族は全滅する。
そう思ったアリシスを含めた配下連中は、メアリーをこの戦争が終わるまで、危険の無い、平和な世界へ転移させようと考え、この世界に、俺の家に、転移させたという。
「──そして、わたくしたちは安住祐一さん、あなたに一時的にメアリーを預かっていただきたいのです」
アリシスは全ての説明を終える。
異世界事情はやっぱりよくわからないが、狐人族とかいう連中はメアリーを大切に思って、メアリーを安全な場所に避難させようとしたんだろう。
ただ、
「どうして俺の家なんだ?」
そこだけが不思議だ。
もっと金持ちの家に避難させてやればいいだろ。
だがアリシスはゆっくりと首を左右に振って否定する。
「いいえ。安住祐一さんの元が最も安全だと思っております」
「なんでだよ? というより、俺の気持ちとかは無視かよ?」
「残念ですが、こちらとしてはお願いしたいというよりも、既に決定事項でございまして」
「はあ? 決定事項って、俺が頷いてもないのにかよ?」
そう伝えると、アリシスは「はい」と短く返事する。
俺は腕を組み、そっぽを向く。
「だったら、俺があの子に何しても文句は言わねえよな?」
魔法とかいう力があるなら、ただの平凡なサラリーマンなんて一瞬で消されるかもしれない。それでも、こんな一方的な押し付けをすんなり受け入れることはできない。
少しぐらい困れ、そう思ったが、アリシスはクスッと笑った。
「あなたは、そんなことする方ではないですよね?」
「は?」
「わたくしたちだって誰でも良いわけではありませんし、人の資質を見抜く魔法があり、それを元にちゃんと見定めて決めましたから」
「人の資質……?」
「その者が良い人か悪い人かです。その結果、安住祐一さん、あなたがメアリーの保護者に適任だと思いました」
「勝手なことを……」
どうやって見定めたんだ? そう問いただしても、おそらく意味不明なことを言われそうだ。
だから俺は最後に、
「あの子を捨てるかもしれないが、本当にいいんだな?」
そう伝えた。
別に本心ではない。というより、かわいいメアリーにそんなことはできない。ただちょっと。ほんの少しだけ。勝手な物言いに苛立っただけだ。
だけどそんな俺の心の中を見透かすように、アリシスは優しい聖母のような笑みを浮かべる。
「そんなこと、しないですよね?」
ああ、そうですか。
じゃあもういいです。ほんとに捨てます。
──なんて、できるわけないよな。
俺はため息をつく。
「んで、いつ迎えに来るんだよ?」
「そうですね。おそらく、一年は迎えに来れないかと思います」
「一年!? じゃあなにか、一年もメアリーはこの世界で暮らすってのか?」
「そうなりますね。それが彼女を守る為ですから」
「……じゃあ、俺がメアリーを捨てたら、あいつは一人でこの世界を生きていかないと駄目ってことか……?」
そう言うと、アリシスは「そうなってしまいますね」と答えた。
そんなこと言われたら、なおさら捨てられるわけないだろ。
「どうなっても知らないからな。外を連れまわすかもしれないぞ?」
「きっと、メアリーにはそっちの方が嬉しいと思います」
「なに?」
「元の世界でも、ずっと守られて育てられてきましたから。メアリーはお城の外に出たことがありません」
「マジかよ……」
箱入り娘じゃあるまいし、そんなことあんのかよ。
髪をクシャクシャと掻きながら、俺はアパートへと歩き出す。
「本当に、どうなっても知らねえかんな」
「すみませんが、よろしくお願いします。それとまた時間がありましたら、祐一さんに会いに行きますね」
「は? 俺に? メアリーにじゃねえのかよ」
階段を上がりながら聞くと、アリシスは初めて寂しそうな表情をする。
「わたくしたち大人の勝手な考えで、あの子には不自由で辛い生活を強いてきましたから。それに、これからも。だから会いに行っても、何を話せばいいのかわからないのです」
ただ邪魔になったから捨てる、ってわけではないのはわかる。俺が知らないだけで、異世界とやらには異世界の考えがある、とかかもしれない。
どっちにしろ、押し付けられた方にとっては迷惑な話だが。
そう思いながら俺はアパートへと戻っていく。
そして扉を開けると、部屋の中からは騒々しいいびきが消えていた。
「起きたのか」
そう思ってリビングへと通じる扉を開けると、ベッドの上から外をジッと見つめるメアリーがいた。
俺とアリシスが話してた場所とは逆側だから見えていないだろう。それでも、飼い主を待つペットのような寂しそうな表情をしているように見えた。
「どうした?」
「は、はい!? えっと」
声をかけると慌てた様子のメアリー。
そしてベッドから下りて立ち上がると、また外を眺めた。
「ここから見る景色は、とても穏やかなのだなと思ったの」
「穏やか、か」
俺はそんなことを考えたことなかったが、メアリーが見てきた世界よりも、ここは平和なんだろう。
「メシでも食うか?」
「メシ?」
「ご飯だよ。お腹空いてんだろ?」
「え、あの……いいの? メアリー、ご飯もらっていいの?」
「いらないのか?」
遠慮してるのか、少し困った表情をする。
だがそう聞くと、メアリーはぶんぶんと首を振って、
「食べたいの。お腹空いてるの」
とお腹を撫でた。
その反応が少し可愛くて、やっぱり捨てるという発想はないなと思った。