「それで、どうして俺の家にいるんだ? というより、どうやって家に入った?」
ソファーに座り頬杖を付きながらため息をつく。
少し離れてちょこんと横に座るメアリーと名乗る狐幼女は、膝に手を置いて、ずっと下を向いていた。
「わ、わからないの。ここに居てって……アリシスが」
「アリシス?」
「ひゃい!」
俺が視線を向けると、メアリーはビクッと肩を強ばらせ、うるうるした瞳を俺に向けてくる。
見知らぬ大人と二人っきりで怖いのかもしれないな。だけど俺も、帰ってきたら知らない幼女が部屋にいて怖いんだよ。
家出少女。冤罪の誘拐。逮捕。ロリ誘拐。
これが世間にバレたら、俺はいったいどうなってしまうんだろうか。
「んー」
というよりも、彼女の頭に付いてる耳と背中から伸びる尻尾は本物か? どうも偽物には見えない。
そう思い手を伸ばすと、透き通るような水色の瞳は更にウルウルさせ、彼女は俺と距離を取る。
「すまん……」
なぜ不法侵入者に謝ってるのかわからないけど、怖がらせたのは確かだ。だから小さく謝って、缶ビールを一気に飲む。
「はあ。それで、なんで俺の家にいるんだ? 親は?」
「……パパとママは、いないの」
「そ、そうか。すまない」
「えっと、パパとママは、生まれたときに殺されたって、アリシスが言ってたの」
え、殺された? めちゃくちゃ物騒なこと言うな。
気になるが、そこに触れていいのだろうか。もしかしたら病気で死んだ事を殺されたって……いや、それはないか。ただ、あまり触れない方がいいよな。
「じゃあ、そのアリシスっての誰なんだ? 仮の親とかか?」
「アリシスは、メアリーをずっと面倒見てくれるの」
「保護者かなんかか。んで、そのアリシスはどこだよ? 一緒に忍び込んでるのか?」
俺が借りてる狭いアパートには、他には誰もいない。
ここには俺とメアリーだけ。
するとメアリーは、悲しそうに俯きながら答える。
「アリシスが、ここに居てって。メアリーが危ないから、この世界で少しだけ居てって言ったの」
「危ない? この世界?」
酒が入った頭で少し考える。
彼女の耳と尻尾はまぎれもなく本物だ。だけどそれは有り得ない。ここは現実世界。だけど本物ということは、信じられないけど彼女は別の世界から来たというのが最もらしい感じか。
漫画とかアニメでよくある、ファンタジー世界から。
俺はため息をついて、缶ビールをテーブルに置く。
「……まあ、わかった。わかんないけど、納得するしかないか。……それで、他に帰る場所はあるのか?」
そう聞くと、メアリーは首を左右に振る。
「アリシスは、ここに居てって。パパから離れないでって、言ってたの」
「……パパ? 誰が?」
「……パパ」
ジッと、メアリーは俺を見つめる。
そして小さくて白い指先は、俺を捉える。
その表情はまるで、目の前にいる俺がパパだと言わんばかりの、幼い可愛らしさのある眼差しだ。
「いや……いやいや、俺がパパ? 君の? 違うよ、俺は君のパパじゃない」
「だけど、アリシスがパパだって……」
「その人が嘘を付いてるんだよ。ほら、君のパパは殺──」
俺は言葉を詰まらせる。
パパが殺されたというのが本当だとするなら、彼女は深い傷を負って、俺をパパだと思い込もうとしてるのかもしれない。
だけど違うと疑問に思ってほしい。さっき言ったことから考えて、自分の言ってることがおかしいって。
だけどそれは難しいのかもしれない。
俺は彼女じゃない。子供でもない。だから彼女の考えがわからない。
言い方を、変えてみよう。
「そのアリシスって人の居場所は、わからないんだな?」
「うん。アリシスはここで待っててって言って、どっか行ったの。たぶん、元の世界に帰ったの」
「元の世界に……随分と無責任な保護者だな」
こんな幼い子を、理由も教えないで置いてくなんて。まるで捨て子だ。彼女が耳と尻尾が無ければ、ただの捨てられた子供と何も変わらない。
苛立つ気持ちを抑えて、俺はソファーの背もたれに全身を委ねる。
「いつ迎えに来るか、わからないんだよな?」
「……うん。だけどアリシスが『全部解決したら迎えに来る』って言ってたの」
「全部解決……わかんねえな」
押し付けられたってことか?
よくわからない狐の幼女を?
何の罰ゲームだよ。こっちは失恋したばっかだってのに。
俺は左手に付けた腕時計を確認する。
──4/1 22:30
もう子供は寝る時間。この時間まで一人ってことは、今日はそのアリシスって奴は来ないだろう。
「とりあえず、今日は寝るか……」
色々あって疲れてるから、今日は早く寝たい。
するとメアリーはそわそわと、辺りを見渡していた。
「帰る場所、無いんだろ? ベッド使っていいから、また明日、詳しい話を聞かせてくれよ?」
彼女が悪い奴ではないのは、なんとなくわかった。それにこんな可愛い子が悪い奴なら、世界中の奴が悪い奴だ。
そして立ち上がると、メアリーは立ち上がり首を傾げる。
「ベッド、いいの?」
ベッドを指差した彼女。
俺は頷き、ネクタイを緩める。
「ああ、使っていいよ。俺はソファーで寝るから」
「ほ、ほんとに? ほんとにほんとに?」
「いいって」
そう伝えると、メアリーは嬉しそうにしながらベッドへと向かう。
ペタペタと、裸足が床を踏む音が響き、そのままベッドにダイブする。
「やわらかいー」
ベッドは初めてなのか? そう思わせるほどの嬉しそうな表情に、少しだけ、俺は頬を緩める。
「いやいや、そんな趣味はねえっての」
幼女を見てニヤニヤする趣味はない。
俺はため息をつきながら、そのままソファーに横になる。
失恋したその日。
早く寝て、明日は心機一転頑張ろうと思ったのに、なぜ幼女と部屋を共にしなければいけないのか。
まあ、明日には消えてるだろ。
酔って頭がおかしくなっただけ。そう、これは夢なんだ。
俺はそう思いながら目を閉じる。
♦
──4/2
目覚めると、いつもよりどんよりした朝だった。
久しぶりの酒ですんなり寝れたけど、上半身を起こして、なぜかため息が漏れる。
「──グウゥゥゥ、カアァァ! グウゥ、カアァ!」
朝早くから、カアーカアー鳴いてるカラスよりも騒がしい何かが、いつも寝るベッドの上で鳴いてる。
「可愛い見た目が台無しだな……」
口を大きく開けたり閉じたり、自分の尻尾を抱き枕にして──おっさんのようないびきをかくメアリー。
メアリーが眠る姿は誰もが微笑ましくなる。だけどその可愛らしい姿を台無しにする残念ないびきに、俺はため息をつき、昨日の出来事は夢ではないと思う。
「ほんと、なんなんだよ」
訳が分からず黒髪を掻き乱す。
俺の憂鬱なんて気にせず、メアリーは起きる気配がない。
そして俺は携帯を持って部屋を出る。
こんな状況で出社するのは難しい。メアリーを置いて出社できるわけもない。
だから朝早くに上司へ連絡して、今日は休むことを決めた。
上司は心配していた。
先輩の結婚を知って傷心してる、なんてのは思ってないと思うけど、今まで皆勤してた俺が急に風邪で休むとなれば心配するのは当然か。
「──すみません。はい、はい、よろしくお願いします。はい、失礼します」
せっかく皆勤だったのに。
そんなことを考えながらため息をつく。
昨日からずっとため息をついてるな。ため息の数だけ幸せは逃げるか。まあ、今の俺には幸せなんてのはないか。
そして家へ戻ろうとすると、
「──安住祐一さん」
「え?」
ふと声をかけられた。
振り返ると、そこにはふんわりとしたクリーム色の髪の女性が、こちらをジッと見てる。
早朝ということもあって周囲には人がいない。
だから俺を呼んだのが彼女だとわかる。それに彼女は俺を見てる。名前を知ってる。けれど俺は彼女を知らない。
それに、
「耳と、尻尾……?」
彼女もまた、メアリーと同じく三角形の耳と大きな蝋燭の灯りのような形の尻尾を付けてる。
そしてこちらへと近付いてくると、彼女は笑顔をこちらへと向けた。