──俺はいつもそうだ。

 大事な時に何も言えない。
 そして、後になっていつも後悔をする。

 ──あの時こうしていれば。

 そんな事を終わってからいつも後悔する。
 過去に戻れたら……何てことを思って過去に戻れても、結局は何も変わらない。

 だから俺は今日も、作った笑顔を浮かべながら心の中で後悔する。

 オフィス内で職場の皆が手を叩く。
 パチパチと、それに合わせて俺も手を叩く。


「おめでとうございます!」
「幸せになってくださいね、先輩!」


 皆が幸せを喜んでいる。
 それに合わせるように、俺も作った笑顔を浮かべながら、おめでとうございます、と誰にも聞こえない声量で伝える。

 大学を卒業し、この会社に入社してから四年。
 新人の頃に教育係りを勤めてくれた先輩が今日、寿退社を発表した。
 主任から渡された花束を抱える先輩の左手の薬指には、真新しい婚約指輪が付けられている。

 そして花束を手にする先輩は、幸せそうに、それでいて恥ずかしそうに頬を赤く染めて、皆にありがとうと口にする。

 そんな先輩に俺は、ずっと恋をしていた。

 最初は面倒見のいい先輩。だけど優しく仕事を教えてもらって、いつからか恋をした。
 ただその気持ちを伝える日は来なかった。

 ──いや、伝えられなかった。

 それは臆病な自分が悪い。それにこの先輩と後輩という関係に、どこか満足してしまっていたんだ。

 だけど、やっぱり違う。

 この結末を迎えて、気持ちを伝えていればと思う。
 もし駄目だとしても、言葉にしていればここまで後悔しなかっただろう。

 先輩は俺に気付くと、幸せそうな笑顔を浮かべる。


「おめでとうございます、先輩……」
「ありがとうね、安住君。それと相談に乗ってくれてありがとうね」


 先輩が結婚する前から、俺は先輩に恋愛について相談されていた。
 そのときは苦しかったけど、力になれることが嬉しかった。

 ──こんなに幸せな先輩を目の前にして、後悔するとは思わなかったんだ。








 ♦







 俺の名前は安住祐一。
 平凡なサラリーマンをしている。
 趣味はない。特技もない。ほんと今まで何を楽しみに生きてきたのかすらよくわからない。

 朝早く起きて仕事へ、そして夜になると自宅へ帰る。
 何の面白みのない人生だったが、先輩と出会ってから少しは楽しいと思えていた。

 だけどその楽しみも今日、無くなってしまった。
 俺は自宅のアパートへ帰る途中、コンビニで缶ビールを買った。

 いつもは人と一緒じゃないと酒なんて呑まないのに、今日はなぜか一人で呑みたい気分だった。


「あー、周りが幸せそうに見えるな……」


 今までは何も感じなかったのに、急に周りの人達が幸せそうに見える。
 仲間だと思えるのは、疲れた表情をしてるサラリーマンの中年男性ぐらいか。急激に親近感が生まれる。同志よ、そう言って肩を叩いて一緒に酒を浴びるほど呑みたい気分だ。


「つっても、明日も仕事だしな」


 酒を呑んですぐに寝よう。
 明日も仕事だ。失恋した次の日に休んだら、変な噂が立ちそうだし。

 そんな事を考えながらアパートの階段を上る。
 鍵を開け、真っ暗な部屋に明かりを灯すようにスイッチに手を触れる。

 だが、


「……ん?」


 玄関から扉を隔て、その先にあるリビングから何か音がした。バタバタという、素足で何かが走る音。
 動物じゃない、これは人だ。
 だけど一人暮らし。誰かがいるなんて有り得ない。

 実家の両親が来てるのか?
 いや、鍵は渡してないからそれは有り得ないだろう。
 と、すれば、


「こんな日に泥棒かよ……」


 俺は疲れてるんだ。


「泥棒だとしたら、何をするかわからないぜ?」


 酒が入ってるからなのか。
 少し笑って、俺は置いてあった傘を手に、意気揚々とリビングへ向かう。

 ペタ、ペタ。
 バタバタ!

 俺が歩くと、向こうはなぜか走る。
 隠れるという考えはない馬鹿な泥棒のようだ。

 そして俺は、リビングへと続く廊下を抜け、その扉を開けてスイッチを叩く。


「誰だ!?」
「ヒィ!?」


 泥棒らしからぬ可愛らしい声が狭いリビングに響く。
 そしてソファーの後ろから、目を大きく見開いた幼い少女がこちらを見ていた。


「誰だ、お前……」


 クリーム色の髪の上に三角形の耳を付けた幼女は、ゆっくりとソファーの背から顔を出す。
 白い肌。年齢はおそらく十才満たないぐらいだろう。まだ小学生の低学年ぐらいに見える。
 そして白いワンピースを着た彼女は、背中から伸びてるっぽい大きな尻尾をぶんぶんと左右に振って、大きく目を見開く。


「メ、メアリー、だよ……?」
「……メアリー?」


 誰だ、それ?
 酔っておかしくなったかと思い、俺は頭を抱えてため息をつくが、メアリーと名乗る幼女は、少しだけ脅えていた。