第3話 DVD上映会
嘘のように胡桃と須藤くんはきっぱり別れてしまった。
須藤くんに「他に気になる子」ができたのは本当のことで、胡桃はいろいろ言ったらしいけど傾いた心は戻らずに、最後は胡桃も納得してふたりは別れた。外から見ていても呆気なく終わってしまった恋だった。
わたしは。
わたしにもそんなふうにいつか、智樹くんと別れるときが来るのかなぁと近いのか遠いのかわからない未来について考えていた。ただただ、怖かった。
「あれ観に行こう」
「あれ?」
「『嘘つきな8月』、どう?」
「また混みそうだねー」
その前にふたりで行った映画も、話題の俳優が出ていたので、指定席なのに人が多くて揉みくちゃになった。ロビーから溢れる人もいた。パンフレットも売り切れだった。
「じゃあさ、香月は他のがいい?」
「それ観たいと思ってたよ?」
駅に近いチェーン店のカフェで、スマホで新しい映画の検索をする。やっぱり智樹くんの言っていた映画がいちばん面白そうだった。
「うちでその前にDVD上映会っていうのはどう?」
「智樹くんのうち?」
「やだったかな」
考えちゃって俯いてしまう。決して嫌なわけではなかった。むしろ、誘われてうれしかった。
こういうときに即答できないのがわたしの悪い癖だった。ただ一言、「うれしい」って言えばいいだけなのに。
覚悟して顔を上げると、智樹くんはこっちを見てにこにこしていた。
「な、なんでにこにこしてるの? まだ返事してないよ」
「香月がすぐに答えないときはOKのときだもん。でしょう? 何見るか決めて、借りて帰ろう」
「今日? 今から?」
「今日。親いないから」
そっと指を絡めてくる。……これは、恋人繋ぎだ。彼が本気なんだな、っていうことが伝わってくる。何故か、彼はすごく難しい顔をしていた。
「駅前のレンタルでいいよね?」
「あ。ああ、いいんじゃん?」
自分で誘っておいてそんなに緊張するなんて。そんな映画があったなぁと思う。
そうそう、映画なら夜にふたりっきりになって、上手くいくときもあるし、すれ違っちゃうときもある……。
これから起こることは想像がつかないでもないけど……すれ違うのは嫌だな、と思う。
「2枚も借りればいいかな?」
「そんなに見きれないよね? 帰るの遅くなっちゃ……」
目が合った。とても気まずかった。明日はよりによって土曜日で、外泊のために嘘をついてくれる友だちもいる。
「遅くなっちゃっても、たぶん大丈夫……」
「うん……明日また続き見に来てもいいしさ」
明日、今日の続きを観に、智樹くんの家を訪ねるなんてナンセンスなことはあるわけない。泊まりになるかもしれないことを、そっと、彼に気づかれないように胡桃にだけ連絡した。
『泊まりのアリバイ? OKだよ! てゆーか、上手くいってるんだね。がんばって』
と変な顔文字で応援してくれた。がんばる……と言われても、まだどうなるのか本当のところはわからないけれど。
彼は鍵を開けると無造作にドアを開けて、リビングにわたしを通した。
「ソファかその辺に座ってて。悪い、制服、着替えてくる」
「うん」
カバンをソファの脇に立てかけて、この後観るであろうテレビが良く見えそうな位置に座った。
知らない家の知らないソファは落ち着かなくて、浅く腰をかけた。
「ごめん。あ、お前そんなに緊張してどうすんの? やっぱり映画はリラックスして観なくちゃ」
「あ、はい」
「飲み物、アイスコーヒーでいい?」
「うん」
彼にはわたしが何にドキドキしているのかわからないのかもしれない。要するに、彼は何も意識していなくてただ映画を観るだけのつもりなのかもしれない。
そう思うとドキドキしている自分がバカらしくなって、アイスコーヒーに口をつけた。
「どっち観る?」
「えっとねー。確実に最後まで観たい方からだから……」
驚くほど唐突に抱きしめられた。物語のような何かの予兆はなく、無防備だったわたしは思わずソファから転げ落ちるかと思った。
「あー、ごめん。横顔がかわいくてつい……なんかスマートじゃなかった。香月は初めてのことに理想、あるでしょう?」
「理想は、あるかもしれないけど。……でも女の子として見てくれてるんだなって思うとうれしい」
「……泊まれる?」
「うん……緊張しちゃうけど」
「緊張して泣くなよ。涙腺弱いからな、香月は」
その後、わたしたちはおざなりに借りてきたDVDを観ていつも通り泣いて、それからコンビニで食べるものとデザートを買って帰ってきた。
智樹くんは始終、わたしを笑わせて、普段はこんなにしゃべらないのに珍しいなと思った。
「もう一本もすぐ観る?」
「ん? 食べ終わったら観ないの?」
「んー……」
珍しく不機嫌な感じがした。急に言葉数が少なくなって、難しい顔をして口も真一文字に結んでいる。そんなことは初めてだったので、どうしたらいいのかわからなかった。
「まだ食べ終わってないんだから、香月はゆっくり食べてて。オレ、シャワー浴びてくる」
「うん、わかった」
歯磨きセットくらいは買ってきた……んだけど、このデザートを食べてしまったら、何が起こるのか……?
これが物語なら映画を観て、食事を食べて、シャワーを浴びたら。ホラー映画でもない限り、どうなるのかは決まっている。
はぐらかしてDVDを観てしまおうか。……彼は「善良な人」なので心の中ではそう思わなくても、たぶん何も無かったかのように一緒に観てくれるはずだ。
それとも。
これは勇気が相当いることだけど、彼にすべてお任せする。
正直なところ、彼の本当の気持ちはわからない。全部わたしの推測だし、本当はもう眠いとか、何か別のことで不機嫌なのかもしれない。それを考慮に入れると……。
「バタン」
と音がして、智樹くんがお風呂から出てきた。まだ濡れた髪をタオルで拭きながら。
「香月、食べた?」
「うん、ごちそうさま」
「シャワー、使う?」
「ありがとう、借りようかな?」
「着られそうな服、オレのでいいなら出しておくよ」
泊まるんだ……。
それは友だち同士で集まって盛り上がっちゃったから、みんなで雑魚寝しちゃうとかじゃなくて。
彼の家に、彼の部屋に泊まる。
シャワーを浴びて、買ってきたお泊まりセットを使う。丹念に歯を磨いて、鏡で自分をじっと見る。……智樹くんが嫌なわけじゃなくて、そういうことをするかもしれないのが嫌なわけでもなくて、ただ。
嘘のように胡桃と須藤くんはきっぱり別れてしまった。
須藤くんに「他に気になる子」ができたのは本当のことで、胡桃はいろいろ言ったらしいけど傾いた心は戻らずに、最後は胡桃も納得してふたりは別れた。外から見ていても呆気なく終わってしまった恋だった。
わたしは。
わたしにもそんなふうにいつか、智樹くんと別れるときが来るのかなぁと近いのか遠いのかわからない未来について考えていた。ただただ、怖かった。
「あれ観に行こう」
「あれ?」
「『嘘つきな8月』、どう?」
「また混みそうだねー」
その前にふたりで行った映画も、話題の俳優が出ていたので、指定席なのに人が多くて揉みくちゃになった。ロビーから溢れる人もいた。パンフレットも売り切れだった。
「じゃあさ、香月は他のがいい?」
「それ観たいと思ってたよ?」
駅に近いチェーン店のカフェで、スマホで新しい映画の検索をする。やっぱり智樹くんの言っていた映画がいちばん面白そうだった。
「うちでその前にDVD上映会っていうのはどう?」
「智樹くんのうち?」
「やだったかな」
考えちゃって俯いてしまう。決して嫌なわけではなかった。むしろ、誘われてうれしかった。
こういうときに即答できないのがわたしの悪い癖だった。ただ一言、「うれしい」って言えばいいだけなのに。
覚悟して顔を上げると、智樹くんはこっちを見てにこにこしていた。
「な、なんでにこにこしてるの? まだ返事してないよ」
「香月がすぐに答えないときはOKのときだもん。でしょう? 何見るか決めて、借りて帰ろう」
「今日? 今から?」
「今日。親いないから」
そっと指を絡めてくる。……これは、恋人繋ぎだ。彼が本気なんだな、っていうことが伝わってくる。何故か、彼はすごく難しい顔をしていた。
「駅前のレンタルでいいよね?」
「あ。ああ、いいんじゃん?」
自分で誘っておいてそんなに緊張するなんて。そんな映画があったなぁと思う。
そうそう、映画なら夜にふたりっきりになって、上手くいくときもあるし、すれ違っちゃうときもある……。
これから起こることは想像がつかないでもないけど……すれ違うのは嫌だな、と思う。
「2枚も借りればいいかな?」
「そんなに見きれないよね? 帰るの遅くなっちゃ……」
目が合った。とても気まずかった。明日はよりによって土曜日で、外泊のために嘘をついてくれる友だちもいる。
「遅くなっちゃっても、たぶん大丈夫……」
「うん……明日また続き見に来てもいいしさ」
明日、今日の続きを観に、智樹くんの家を訪ねるなんてナンセンスなことはあるわけない。泊まりになるかもしれないことを、そっと、彼に気づかれないように胡桃にだけ連絡した。
『泊まりのアリバイ? OKだよ! てゆーか、上手くいってるんだね。がんばって』
と変な顔文字で応援してくれた。がんばる……と言われても、まだどうなるのか本当のところはわからないけれど。
彼は鍵を開けると無造作にドアを開けて、リビングにわたしを通した。
「ソファかその辺に座ってて。悪い、制服、着替えてくる」
「うん」
カバンをソファの脇に立てかけて、この後観るであろうテレビが良く見えそうな位置に座った。
知らない家の知らないソファは落ち着かなくて、浅く腰をかけた。
「ごめん。あ、お前そんなに緊張してどうすんの? やっぱり映画はリラックスして観なくちゃ」
「あ、はい」
「飲み物、アイスコーヒーでいい?」
「うん」
彼にはわたしが何にドキドキしているのかわからないのかもしれない。要するに、彼は何も意識していなくてただ映画を観るだけのつもりなのかもしれない。
そう思うとドキドキしている自分がバカらしくなって、アイスコーヒーに口をつけた。
「どっち観る?」
「えっとねー。確実に最後まで観たい方からだから……」
驚くほど唐突に抱きしめられた。物語のような何かの予兆はなく、無防備だったわたしは思わずソファから転げ落ちるかと思った。
「あー、ごめん。横顔がかわいくてつい……なんかスマートじゃなかった。香月は初めてのことに理想、あるでしょう?」
「理想は、あるかもしれないけど。……でも女の子として見てくれてるんだなって思うとうれしい」
「……泊まれる?」
「うん……緊張しちゃうけど」
「緊張して泣くなよ。涙腺弱いからな、香月は」
その後、わたしたちはおざなりに借りてきたDVDを観ていつも通り泣いて、それからコンビニで食べるものとデザートを買って帰ってきた。
智樹くんは始終、わたしを笑わせて、普段はこんなにしゃべらないのに珍しいなと思った。
「もう一本もすぐ観る?」
「ん? 食べ終わったら観ないの?」
「んー……」
珍しく不機嫌な感じがした。急に言葉数が少なくなって、難しい顔をして口も真一文字に結んでいる。そんなことは初めてだったので、どうしたらいいのかわからなかった。
「まだ食べ終わってないんだから、香月はゆっくり食べてて。オレ、シャワー浴びてくる」
「うん、わかった」
歯磨きセットくらいは買ってきた……んだけど、このデザートを食べてしまったら、何が起こるのか……?
これが物語なら映画を観て、食事を食べて、シャワーを浴びたら。ホラー映画でもない限り、どうなるのかは決まっている。
はぐらかしてDVDを観てしまおうか。……彼は「善良な人」なので心の中ではそう思わなくても、たぶん何も無かったかのように一緒に観てくれるはずだ。
それとも。
これは勇気が相当いることだけど、彼にすべてお任せする。
正直なところ、彼の本当の気持ちはわからない。全部わたしの推測だし、本当はもう眠いとか、何か別のことで不機嫌なのかもしれない。それを考慮に入れると……。
「バタン」
と音がして、智樹くんがお風呂から出てきた。まだ濡れた髪をタオルで拭きながら。
「香月、食べた?」
「うん、ごちそうさま」
「シャワー、使う?」
「ありがとう、借りようかな?」
「着られそうな服、オレのでいいなら出しておくよ」
泊まるんだ……。
それは友だち同士で集まって盛り上がっちゃったから、みんなで雑魚寝しちゃうとかじゃなくて。
彼の家に、彼の部屋に泊まる。
シャワーを浴びて、買ってきたお泊まりセットを使う。丹念に歯を磨いて、鏡で自分をじっと見る。……智樹くんが嫌なわけじゃなくて、そういうことをするかもしれないのが嫌なわけでもなくて、ただ。