第1話 恋愛映画
「ねぇねぇ、ドキドキしちゃうねー。わたし絶対泣いちゃうと思うー」
同じクラスの胡桃《くるみ》ちゃんが、ちょっと鼻にかかった甘えた声で彼氏の須藤くんの腕に絡まる。
「胡桃は絶対に泣くよなぁ。この前、うちに来た時だって『世界中の……』」
「ダメー! その話は恥ずかしいからしないで? ね?」
……リア充。
どうしてこんなところに来てしまったんだろう。しかも観るのは「恋愛映画」。いつものわたしだったら絶対観ないカテゴリーだ。
まだクラス替えしたばかりで、何となく誘われて断りづらかった。どうして誘われたのがわたしなのかも、よくわからなかったし。胡桃ちゃんと須藤くんの馴れ初めはまだ聞いていないけど、ふたりは別々の高校に通っているらしい。
「お、来た来た。中野ー!」
中野くん、と思しき男の子はきょろきょろしながらこっちへ向かって、目が合うとしっかりした足取りで歩いてきた。
「中野、遅いじゃん! 始まっちゃうだろう?」
「まだ始まってないじゃん」
「いや、あるだろう? ポップコーン買ったり、お互いに自己紹介したりさ」
中野くんは須藤くんの考えにピンと来てるようには思えなかった。
「ああ。オレは須藤の一応友だちの中野智樹(なかのともき)。よろしく。キミは?」
「あ、胡桃ちゃんと同じクラスの三枝香月(さえぐさかづき)です。よろしくお願いします」
急かされている感じがして、とりあえず相手の顔もよく見ずにぺこっと頭を下げた。
「『ともき』と『かづき』かー。仲良くなれそうだね」
胡桃ちゃんがにこにこ笑って、須藤くんが「単純だな」と彼女の頭をこつん、と軽く叩いた。
彼と彼女が率先してドリンクとポップコーンを買いに行っている間、気まずいことに中野くんとふたりきりになってしまった。大々的にCMしている、恋愛小説が原作の映画とあって映画館の中はがやがやと人で溢れていた。
わたしたちは、物販コーナーの脇の壁にもたれて言葉少なく並んで立っていた。
「嫌々来たんだろう? 誘われて」
「え? ……嫌々というか、同じクラスになったばかりだし断れなかったというか」
「悪い。オレのせいだ、たぶん。あんまりおしゃべりな子は嫌だって言ったから。三枝さん、余計なことはしゃべらないタイプに見えるもんな」
「そんなこと……」
それは暗そうに見えるということなのか、それとも良く取って大人しそうに見えるということなのか、頭の中で考える。確かに余計なことまでしゃべるのは好きじゃないし、他の女の子のようににぎやかなのは得意じゃないけど。
「申し訳ないけど今日はオレで我慢して、三枝さん」
「いえ、わたしこそできるだけ楽しくしたいと思ってるから」
「面白いなぁ。楽しくっていうのは、努力することじゃなくて自然にそうなるものでしょう?」
「あ、言われてみるとそうかもしれない」
話してみると中野くんはとてもフランクで、映画館に入ってきたときのテンションの低さとはまるで違い、和やかでよく笑う人だった。
映画は原作が原作だけあって、話題先行じゃないの、と穿った目をしてわたしは見始めた。タイトルは「映画みたいな恋をしたい」。月並みなネーミング。
思い合っていることに気がつかないふたり。時間が経つにつれてお互いの気持ちに寄り添い、もつれ合い、誤解や数々の困難を経て、ようやく気持ちが通じ合う。
「最初からひとつだったんだね」
そう言った彼女は思いがけない事故にあって……。
「ごめんねぇ、香月ちゃん。まさかそんなに涙腺が緩いタイプだと思わなくてぇ」
「いいの。自分でもびっくりしてて……映画で泣いたことなんてないし、しかもこんなベタな展開で……」
そう、あんまりにもベタすぎる。わたしが原作者の編集だったらもっとひねりを入れろと要求してしまうに違いない。
「いや、わかる。こんなベタな展開でじーんと来てる自分に驚いた」
「うわっ、中野、なんだよお前? 香月ちゃんの前だからって点数稼ぎか?」
男の子の瞳に涙が滲んでいるのを初めて見た。あ、この人、本気で感動してる、と思った。
「あのさ。……せっかくだから、連絡先、交換しない? ほら、同じ映画観て泣いた者同士」
「そうだね、泣いた者同士」
中野くんは真っ赤になって気まずそうに言いに来たので、わたしは思わずくすりと笑ってしまった。……同じ映画で……。
「そんな角で何やってんの?」
「あ、LINEの交換でしょう? 知り合ったばかりで話もほとんどしてないのに?」
「バカ、大きな声で言うなよ」
「言ったって知ってるやつなんかいないよ」
「……恥ずかしいだろう? オレも、三枝さんも」
あの映画を観てから、お互い最近観た映画や、読んだ小説についてLINEすることが多くなった。ほとんどが定型文のように、
『昨日、「明日会いにいくきみへ」観た。安定のベタな展開でオススメ』
的な文章だった。こんな世の中だから、わざわざ映画館に行かなくてもDVDもネット配信もある。LINEだけでつながっていても、それはそれでいいのかもしれないと思っていた。
「ねぇ! 香月、聞いてよ!」
「胡桃? また須藤くんとケンカ?」
結局、あれ以来胡桃とはクラスでいちばん仲のいい女ともだちになって、須藤くんの話も頻繁に聞かされた。
「中野くんから聞いてないの? あいつら、合コン行ったんだって。信じらんない」
「聞いてない」
「えー? 中野くんも秘密にしてたってこと? 香月も中野くんになんか言ってやんなよ」
そうは言われても。
わたしと彼は胡桃の思うような仲ではなくて、ただの趣味友だ。もし、彼から「今度、合コン行くんだけど、どう思う?」って聞かれたら……、それだけで感動してしまう。彼がわたしをそういう対象として見てくれているということだから。
現実にはないことだけど。
「やった! また中野くんも誘って4人で映画行こうって! わたし、あれ見たかったんだよねー。あ、また悲恋ものだけど香月、大丈夫?」
「……ダメって言っても連れて行くつもりでしょう?」
わたしは机に頬杖をついて堪忍する。
「じゃあさぁ、香月は中野くんが他の女の子と映画に行ってもいいんだぁ? まぁ、映画ならほとんどしゃべる時間もないけどね」
「え? ああ、まぁ……んー」
頬杖をついたまま、顔を背ける。それでも耳まで赤くなっていることに胡桃は気がついてしまったかな? この話題は良くない。そう、胸が締めつけられる。
「あ、香月、着信」
『胡桃ちゃんから聞いたと思うけど、あの映画、三枝も観たかったんじゃない? オレたちの好きな系統だもんな。楽しみ』
楽しみ……。映画が楽しみなんだよね? そして、話題について行けるから、わたしたちは「同じ系統」なわけで。
「香月、まだ『三枝』とか呼ばれてんの? つき合い始めてどんだけよ?」
「あ……」
「何?」
「……何でもない」
初めて会ったのはGWで、その後は胡桃と歩いてる時に須藤くんの隣にいるのを見てお互い挨拶しかしてないから……つまり、つき合ってない。
国語の阿蘇《あそ》先生が入ってきて、また頬杖をついて窓の外を見る。あのときの彼のように、困ったことに涙が滲んできた。
「ねぇねぇ、ドキドキしちゃうねー。わたし絶対泣いちゃうと思うー」
同じクラスの胡桃《くるみ》ちゃんが、ちょっと鼻にかかった甘えた声で彼氏の須藤くんの腕に絡まる。
「胡桃は絶対に泣くよなぁ。この前、うちに来た時だって『世界中の……』」
「ダメー! その話は恥ずかしいからしないで? ね?」
……リア充。
どうしてこんなところに来てしまったんだろう。しかも観るのは「恋愛映画」。いつものわたしだったら絶対観ないカテゴリーだ。
まだクラス替えしたばかりで、何となく誘われて断りづらかった。どうして誘われたのがわたしなのかも、よくわからなかったし。胡桃ちゃんと須藤くんの馴れ初めはまだ聞いていないけど、ふたりは別々の高校に通っているらしい。
「お、来た来た。中野ー!」
中野くん、と思しき男の子はきょろきょろしながらこっちへ向かって、目が合うとしっかりした足取りで歩いてきた。
「中野、遅いじゃん! 始まっちゃうだろう?」
「まだ始まってないじゃん」
「いや、あるだろう? ポップコーン買ったり、お互いに自己紹介したりさ」
中野くんは須藤くんの考えにピンと来てるようには思えなかった。
「ああ。オレは須藤の一応友だちの中野智樹(なかのともき)。よろしく。キミは?」
「あ、胡桃ちゃんと同じクラスの三枝香月(さえぐさかづき)です。よろしくお願いします」
急かされている感じがして、とりあえず相手の顔もよく見ずにぺこっと頭を下げた。
「『ともき』と『かづき』かー。仲良くなれそうだね」
胡桃ちゃんがにこにこ笑って、須藤くんが「単純だな」と彼女の頭をこつん、と軽く叩いた。
彼と彼女が率先してドリンクとポップコーンを買いに行っている間、気まずいことに中野くんとふたりきりになってしまった。大々的にCMしている、恋愛小説が原作の映画とあって映画館の中はがやがやと人で溢れていた。
わたしたちは、物販コーナーの脇の壁にもたれて言葉少なく並んで立っていた。
「嫌々来たんだろう? 誘われて」
「え? ……嫌々というか、同じクラスになったばかりだし断れなかったというか」
「悪い。オレのせいだ、たぶん。あんまりおしゃべりな子は嫌だって言ったから。三枝さん、余計なことはしゃべらないタイプに見えるもんな」
「そんなこと……」
それは暗そうに見えるということなのか、それとも良く取って大人しそうに見えるということなのか、頭の中で考える。確かに余計なことまでしゃべるのは好きじゃないし、他の女の子のようににぎやかなのは得意じゃないけど。
「申し訳ないけど今日はオレで我慢して、三枝さん」
「いえ、わたしこそできるだけ楽しくしたいと思ってるから」
「面白いなぁ。楽しくっていうのは、努力することじゃなくて自然にそうなるものでしょう?」
「あ、言われてみるとそうかもしれない」
話してみると中野くんはとてもフランクで、映画館に入ってきたときのテンションの低さとはまるで違い、和やかでよく笑う人だった。
映画は原作が原作だけあって、話題先行じゃないの、と穿った目をしてわたしは見始めた。タイトルは「映画みたいな恋をしたい」。月並みなネーミング。
思い合っていることに気がつかないふたり。時間が経つにつれてお互いの気持ちに寄り添い、もつれ合い、誤解や数々の困難を経て、ようやく気持ちが通じ合う。
「最初からひとつだったんだね」
そう言った彼女は思いがけない事故にあって……。
「ごめんねぇ、香月ちゃん。まさかそんなに涙腺が緩いタイプだと思わなくてぇ」
「いいの。自分でもびっくりしてて……映画で泣いたことなんてないし、しかもこんなベタな展開で……」
そう、あんまりにもベタすぎる。わたしが原作者の編集だったらもっとひねりを入れろと要求してしまうに違いない。
「いや、わかる。こんなベタな展開でじーんと来てる自分に驚いた」
「うわっ、中野、なんだよお前? 香月ちゃんの前だからって点数稼ぎか?」
男の子の瞳に涙が滲んでいるのを初めて見た。あ、この人、本気で感動してる、と思った。
「あのさ。……せっかくだから、連絡先、交換しない? ほら、同じ映画観て泣いた者同士」
「そうだね、泣いた者同士」
中野くんは真っ赤になって気まずそうに言いに来たので、わたしは思わずくすりと笑ってしまった。……同じ映画で……。
「そんな角で何やってんの?」
「あ、LINEの交換でしょう? 知り合ったばかりで話もほとんどしてないのに?」
「バカ、大きな声で言うなよ」
「言ったって知ってるやつなんかいないよ」
「……恥ずかしいだろう? オレも、三枝さんも」
あの映画を観てから、お互い最近観た映画や、読んだ小説についてLINEすることが多くなった。ほとんどが定型文のように、
『昨日、「明日会いにいくきみへ」観た。安定のベタな展開でオススメ』
的な文章だった。こんな世の中だから、わざわざ映画館に行かなくてもDVDもネット配信もある。LINEだけでつながっていても、それはそれでいいのかもしれないと思っていた。
「ねぇ! 香月、聞いてよ!」
「胡桃? また須藤くんとケンカ?」
結局、あれ以来胡桃とはクラスでいちばん仲のいい女ともだちになって、須藤くんの話も頻繁に聞かされた。
「中野くんから聞いてないの? あいつら、合コン行ったんだって。信じらんない」
「聞いてない」
「えー? 中野くんも秘密にしてたってこと? 香月も中野くんになんか言ってやんなよ」
そうは言われても。
わたしと彼は胡桃の思うような仲ではなくて、ただの趣味友だ。もし、彼から「今度、合コン行くんだけど、どう思う?」って聞かれたら……、それだけで感動してしまう。彼がわたしをそういう対象として見てくれているということだから。
現実にはないことだけど。
「やった! また中野くんも誘って4人で映画行こうって! わたし、あれ見たかったんだよねー。あ、また悲恋ものだけど香月、大丈夫?」
「……ダメって言っても連れて行くつもりでしょう?」
わたしは机に頬杖をついて堪忍する。
「じゃあさぁ、香月は中野くんが他の女の子と映画に行ってもいいんだぁ? まぁ、映画ならほとんどしゃべる時間もないけどね」
「え? ああ、まぁ……んー」
頬杖をついたまま、顔を背ける。それでも耳まで赤くなっていることに胡桃は気がついてしまったかな? この話題は良くない。そう、胸が締めつけられる。
「あ、香月、着信」
『胡桃ちゃんから聞いたと思うけど、あの映画、三枝も観たかったんじゃない? オレたちの好きな系統だもんな。楽しみ』
楽しみ……。映画が楽しみなんだよね? そして、話題について行けるから、わたしたちは「同じ系統」なわけで。
「香月、まだ『三枝』とか呼ばれてんの? つき合い始めてどんだけよ?」
「あ……」
「何?」
「……何でもない」
初めて会ったのはGWで、その後は胡桃と歩いてる時に須藤くんの隣にいるのを見てお互い挨拶しかしてないから……つまり、つき合ってない。
国語の阿蘇《あそ》先生が入ってきて、また頬杖をついて窓の外を見る。あのときの彼のように、困ったことに涙が滲んできた。