「優芽、早くしなさい! そろそろ行くわよ!」

「はーい! ちょっと待って!」

今年も一夏を過ごした部屋の荷物をどうにか鞄にしまい込み、慌ててドアに向かう。

振り返れば、窓から入り込んだ湖畔の風がレースのカーテンをふわりと膨らませた。

「また、来るね」

一年後に再び来るであろうこの部屋に、お別れの挨拶をする。
まるで私の声に答えるかのように、もう一度カーテンが柔らかく揺れた。

一階に降りれば響が来てた。
高一の時から付き合ってる、私の彼氏だ。

東京の大学を受験するって言ってたから、来年でやっと田舎と東京の遠距離恋愛も終わりを迎える。

「優芽、途中まで俺が送るよ」

響が、私の手から鞄を奪った。

「送るって、どういうこと?」

お母さんの車で来たのに。

「俺が自分の車を運転するんだ。おばさんとは駅で待ち合わせてるから、そこで優芽はおばさんの車に移ればいい」

「えっ? 響って、車の免許持ってるの?」

「俺、四月でもう十八になったから、春休みに取りに行ったんだよ。自分の運転する車に優芽を乗せたいって言ったら、おばさんが駅まで乗せればいいって提案してくれたんだ」

そんな私たちの会話を、響の後ろでお母さんがニヤニヤしながら聞いている。

「それじゃ、最後の時間を、たっぷり楽しんでね~」

おばさんらしいおせっかいな発言をしたあとで、スーツケースを手に私たちに背を向けたお母さんは、何かを思い出したかのように再びこちらを振り返った。

「そうだ、優芽。あの金魚、どうするのよ」

「金魚?」

「縁日で、いっぱいとって来たじゃない」

お母さんが指さした先、ダイニングテーブルの上には、小さな金魚鉢があった。

そこでは、四匹の赤い金魚と一匹の黒い金魚が、窮屈そうに泳いでいる。

「響くんにとってもらったんでしょ? ずっと抱えるのはしんどいかもしれないけど、大事に持って帰りなさいよ」

そう言い残すと、お母さんはスーツケースを転がして、先に家の外に出て行った。

私はゆっくりとダイニングテーブルに近づくと、身をかがめて金魚鉢を覗き込んだ。

「この金魚、響がとったの? 響、金魚すくい苦手じゃなかったっけ?」

「そうなんだよ。そうなんだけど……」

首を傾げながら、響も金魚鉢の中の金魚を見つめている。

「今年は奇跡的に、とれたみたいだな」

「ふうん。やるじゃない」

ちょんちょん、と金魚鉢をつつけば、数匹の金魚がぱくぱくと口を動かした。

かわいい。

東京に戻ったら、大きな水槽やポンプを買って、大事に育ててあげよう。

そんなことを思いながら微笑んでいると、黒の出目金が私の方をじっと見た。
そして優雅に水の中を泳ぐと、他の金魚と戯れる。

「この金魚たち、仲いいわね」

「うん。たくさんいると、普通は喧嘩するのにな」

「ねえねえ、なんか私たちみたいじゃない? 私と響と、あのしっぽだけ白いよく似た二匹が日方と彼方」

「はは。じゃあ、あの黒いのは誰だよ」

「黒いのは……」

じっと、尾ひれをしならせて優雅に泳ぐ黒い金魚を見つめる。

「黒いのは、見えない私たちの仲間、とか?」

冗談めかして、笑ってみせた。