竹でできた屋根に守られた石造りの手水舎は、清らかな水に満ちていた。神社に参拝するとき、まずは両掌を清めなければならないことは、いつ誰に教わったのか忘れたけど当たり前のように知っている。

柄杓で水を汲み、左手、右手と順に注いでいく。柄杓から手に移した水で口をすすげば、上から視線を感じた。

皐月は自分の掌を清めることなく、私の動きをじっと見ていた。あんまりにもひたむきに見ているから、また顔に熱が集まる。

「皐月は清めないの?」

「僕は、さっき済ませたから」

皐月はそう答えると、「濡れてる」と言って私の黒髪を手に取った。皐月の言うように、サイドの髪の先がいつの間にか湿っていた。どうやら、柄杓で水をすくうときに水に浸ってしまったようだ。

「なんか、はじめて優芽に会ったときのこと思い出すな」

皐月が、昔を思い出すように目を細める。

「そうだね」

私も目の前の皐月に初めて会ったときの面影を重ねて、微笑んだ。

私は子供の頃、ひどく引っ込み思案だった。なかなか友達が作れなくて、五年生になる前までは、響や彼方や日方と一緒に遊ぶことすらなかった。
 
その代わり、夜にこっそり家を抜け出して、湖に出かけるのが好きだった。
 
夜の湖は、昼間とは違って怖いほどに静まり返っている。静寂の中、水面に月がゆらゆらと漂う情景は、幻想的で美しかった。誰も知らない湖の姿を私だけが知っているようで、わくわくしたものだ。

皐月に初めて会ったのは、小五の夏のはじめだった。日光に当たることのできない皐月は、夜に湖で泳ぎの練習をしていたらしい。

夜の湖に人がいるのに驚いた私が『きゃっ』と叫ぶと、驚いた皐月は早急に泳ぎをやめた。

だが、その弾みで水しぶきが私に降りかかったのだ。

『ごめん、濡らしちゃった』

そう言って皐月は湖から上がると、私のサイドの髪を濡らした水滴を、申し訳なさそうに手で仰いだ。それから、人懐っこい笑顔で優しく言った。

『僕、皐月っていうんだ。君の名前は?』

皐月を見て、すぐに気づいた。皐月も、私と一緒でひとりぼっちなんだって。

笑っているのに、瞳には深い哀しみが沈んでいたから。

だから、私と皐月が仲良くなったのは自然なことだった。

気づけば、皐月と湖で遊べる夜が来るのが楽しみになっていた。

孤独な目をした少年は、私にだけは心を開いてくれたから。

皐月の笑った顔が、もっと見たい。

皐月の声が、もっと聴きたい。

あの頃はこの感情が何を意味するものなのか、子供だった私はわかっていなかったのだと思う。