四月
遂に新年度の始まりでもある、四月がやってきました。
春は、別れもあれば出会いの季節。
うれしい季節でもありますけれども、私には、悲しい季節でもあります。
真剣に勉強しよう!と望んで生きてきたのに、それを得られる環境にたどり着けず、大学でも、中学校、高校で味わった落胆を三度味わいました。
式典の時はまだいいです。いざ、授業が開始されると、化けの皮がはがれ、もう、学校とは言えず、動物園状態。汚い声で騒ぎ立てる生徒たちを、やくざの親分のような声でがなりたてる先生。これが毎日ですから、耳はつぶれる寸前。もう、最悪でした。
そしてまた、その人たちのせいで、私まで怒鳴られなければならなくて。こちらは、ちゃんと宿題こなしてきたけど、どうせ誰かの写したんだろ!と怒鳴られてしまうのです。私は怒鳴り返すことはしなかったけど、そればかりは、屈辱でたまらなかったですね。全員、宿題をやってこないと解釈したほうが、先生方も楽なのかな。
これには、どうしても慣れることはできませんでした。
大学へ行けば、すべて個人主義になるから、そういう事は問われなくなるので、三年間の間だけ我慢しろ、という変な励ましを家族にいただいて、頑張って三年間通いましたが、今思えば、そこまでする必要はなかったと感じています。むしろ、逃げたほうが、自分にとっては、救いでした。まだ、私のころは、通信制などもなかったし、何より情報がなかったので、高校選びも少数のお年寄りに聞くしかできなかったから故の悲劇だったのですが、高校選びは口コミでも何でもいいから、大量に情報を仕入れてからいかないと、こういう悲劇的な結果を生み出すことになるので、本当に注意してください。確かに学校をやめることは、非常に恥ずかしいことであるというのが、私の時代では当たり前だったけれど、今はそうでもありません。受け皿はいろいろありますので、思い切って逃げてしまうことが、勝利へ導いてくれることもあります。
まあ、そんなわけで、四月はちょっと、センチメンタルな気持ちが続く時期でもあります。春は鬱になりやすいというけれど、明暗を分ける時期でもあるなあと感じています。
とにかく、真剣に勉強したかった。それだけです。他には何もいりません。それなのに、そういう事ができる場所という物は、全く得ることはできませんでした。逆に言うと、悪事か?と考えなおさないと。
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