残念なこと
今日は、またピアノを練習しました。またベートーベンのファンタジーです。いつまでたってもうまくはなりませんが、なぜかベートーベンに魅了されてしまうのです。やっぱり理由はわからないですけれども。
私の回りにはわからないことだらけです。
最近思うんですが、日本は発達障害大国ともいい、発達障害がずば抜けて多いとききます。ベートーベンももしかしたらそうなのかも知れないけど、発達障害ときいて大体感じさせられる迷惑さは感じません。やっぱりそれは、西洋人だったからでしょうか。そもそも発達障害という人は、西洋的な見方をすればかなり減るのではないかなと思います。
どういうことかといいますと、西洋では、ルールではそうかも知れないけど私はこう考えている、というような個人認証が認められています。ところが日本では、それがありません。代わりに集団にはいって皆同じというのが基軸にある。ですから、集団にちょっとでも順応できないそぶりをみせれば、もう変なやつになってしまいます。そして、迷惑な人、嫌な人、ダメな人というレッテルがはられていき、障害者の称号が与えられるのです。
個人的な認証が認められていれば、あいつはすこしばかり変なやつであるが、自分に直接どうのというわけではないから大丈夫、というおおらかな考えも自然に生じてくるのでしょう。そして、そういうことができて、変わり者が初めて本領発揮することが可能になり、ベートーベンのような人が登場してくるのです。
西洋音楽は、非常に作曲家の個性を打ち出すことができますが、日本の古典箏曲は、みんな同じパターンになっています。これも、そういう理由でしょう。
ちなみに私は、音楽学校時代の短い間でしたけど、ドイツから来た(正確に言えばイスラエル人の方でしたが)先生にピアノを習ったことがありました。その先生が他の先生方と違うのは決してみんなと同じ演奏をしろとは、言わなかったことでした。でも、私が出たあとすぐに、他の教授方と折り合いがつかなくて、辞めてしまったということです。本当に残念な気がしてならない、事実でした。
今日は、またピアノを練習しました。またベートーベンのファンタジーです。いつまでたってもうまくはなりませんが、なぜかベートーベンに魅了されてしまうのです。やっぱり理由はわからないですけれども。
私の回りにはわからないことだらけです。
最近思うんですが、日本は発達障害大国ともいい、発達障害がずば抜けて多いとききます。ベートーベンももしかしたらそうなのかも知れないけど、発達障害ときいて大体感じさせられる迷惑さは感じません。やっぱりそれは、西洋人だったからでしょうか。そもそも発達障害という人は、西洋的な見方をすればかなり減るのではないかなと思います。
どういうことかといいますと、西洋では、ルールではそうかも知れないけど私はこう考えている、というような個人認証が認められています。ところが日本では、それがありません。代わりに集団にはいって皆同じというのが基軸にある。ですから、集団にちょっとでも順応できないそぶりをみせれば、もう変なやつになってしまいます。そして、迷惑な人、嫌な人、ダメな人というレッテルがはられていき、障害者の称号が与えられるのです。
個人的な認証が認められていれば、あいつはすこしばかり変なやつであるが、自分に直接どうのというわけではないから大丈夫、というおおらかな考えも自然に生じてくるのでしょう。そして、そういうことができて、変わり者が初めて本領発揮することが可能になり、ベートーベンのような人が登場してくるのです。
西洋音楽は、非常に作曲家の個性を打ち出すことができますが、日本の古典箏曲は、みんな同じパターンになっています。これも、そういう理由でしょう。
ちなみに私は、音楽学校時代の短い間でしたけど、ドイツから来た(正確に言えばイスラエル人の方でしたが)先生にピアノを習ったことがありました。その先生が他の先生方と違うのは決してみんなと同じ演奏をしろとは、言わなかったことでした。でも、私が出たあとすぐに、他の教授方と折り合いがつかなくて、辞めてしまったということです。本当に残念な気がしてならない、事実でした。