我執
今日は、仕事こそなんとかこなせたんですが、やっぱり体はまだ参ってしまっているようで、胸痛と咳のために、休み休みしていました。
明日、病院に行こうかなと思いましたが、明日は大雨になるようで、危ないからやめました。最近の雨は、降れば大災害になることが当たり前になっているからです。昔は穏やかだったとか、そんな言葉は聞いている暇がありません。雨が水曜まで続くらしいので、仕方ない、安全になるまで待ちます。
世間ではゴールデンウィークの最終日であり、皆さん行楽地から帰るとか、明日から仕事で嫌だなとか、そんな事をいっていますが、私には連休など必要ありません。連休など、三日くらいで十分だと思います。
学生時代は、長く休みがありすぎて、遊んでしまう人たちが多かったため、阻止するために、大量の宿題が課されてものすごく辛かった思い出があります。それ以降も、経済的なことで、出掛けている人たちを見ているしかできなかったり、大量の土産物を無理矢理受け取らされて、そのお返しを工面するのに非常に苦労したり、などの思い出しかないので、どうしても嬉しいとは思えないのです。連休の間はものすごく憂うつでした。そんなわけで、テレビで連休の映像ばかり流されるとたまらなく悲しくなり、やっぱりテレビは嫌いです。最近になってやっと国立劇場などに行けるようになり、少しばかり楽しめるようになった次第ですが。
病気をもっている人にとっては、一般的に言う、嬉しいことや楽しいことは、嫌なこと、悲しいことになるんです。
ただ、最近はスマートフォンのアプリでオンラインの小説などが読めるので、かなり救われます。
時に、自身の人生を扱った作品があります。一番の喜びは、平凡な人生を獲得できたことという結論が導き出されます。
普通の人たちと同様に自分達の心が楽しめることが、お金を得るよりも大きな喜びになるようです。
これを獲得できると、生き方もまた変わってくるようです。
それは、何十年という時を耐えないと獲得できません。
そして、自身に害を与えてきた人たちから自身を切り離す作業が必ず必要になります。
ものすごく苦しいけど。
そんなことが、必ず表現されてます。
私は、というと、この切り離しの作業を完遂しておらず、まだまだ恨みの言葉を持ち続けております。
ダメですね。
なんとも恥ずかしい我執のすさまじさです。