沙織は俺に「花の名前の呪い」の知恵を授けたけれど、特定の花の名前は教えてこなかった。集団行動とはいえあれだけの時間を一緒に過ごしたにもかかわらず、俺は彼女が何の花を好きだったかも知らなかった。
由加里の話も、沙織とはほとんどしたことがなかった。一度だけ、由加里が教室に花を飾っている話をしたことがある。誰も見ていないのにそういうことするのって、なんか、いいよな。奥ゆかしいっつーか。そう言った俺に沙織は冷ややかな目と嫌味をぶつけた。そういうあざとい女が好きなんですか?と。俺の記憶のなかの沙織は、いつもちょっとかわいげがなくて、いつもちょっと面倒くさかった。
最後に会った一年前のことも、まったくもって美しい思い出ではない。酔っ払いと若者の喧騒、ビニール袋や空き缶の転がったコンクリート、人目をはばからずにいちゃつきながらホテルに吸い込まれていく男女、それをバックに号泣する沙織、立ちすくむ俺。どうしていいかわからなかった。流されてもいいか、とも思った。鬱陶しいな、とも思っていた。

由加里を送った帰り道、ひとりになってから、カランコエの手入れについて調べた。水やりの頻度、日の当て方。かつてのペットボトルの花のように、枯らしてしまわないように。
「カランコエ、大事にしてね」と別れ際に由加里は言った。沙織もきっと喜ぶからと。俺はなんて返して良いかわからず、ああ、とだけ答えた。
あの沙織が好きだったとは思えない小さくて控えめな花。由加里は、沙織のほうが花に詳しかったと言っていた。
いつも元気で華やか、をテンプレート化したようだった沙織。彼女は俺に、好きだと言ったことはなかった。好かれていたと思うのは俺の思い込みかもしれない。ただきっと、部員に囲まれて大笑いしている彼女も、俺とふたりきりのときはため口でちょっと面倒くさい絡み方をする彼女も、カランコエを好きだという彼女も、俺が知らないだけですべてが本当の沙織だったのだろう。
あのとき、もっとしっかり終わりにしてやるべきだったと、今は思う。カランコエの小さな花びらに、あの日震えていた沙織の小さな肩を思い出して、俺は少しだけ泣いた。