夜中、ベッドの中で目を閉じ、私は岸谷のことを思い返す。
岸谷と交際していたころ、彼は私にときどき物を贈った。お菓子だったこともあるし、海外出張のお土産にと機内販売で手に入る化粧品類だったこともあった。何をもらったかひとつひとつは正確には覚えていないが、「いわゆる女の子」が好みそうな類であったことは覚えている。いい香りのするハンドクリーム、やたらとキラキラしたスワロフスキーのボールペン、どこかの夢見るプリンセスが使いそうな銀色の装飾が施された手鏡。それらを受け取り、その都度、ありがとうとにっこり微笑みながら、この男は、これを買うとき本当に私を思い浮かべたのだろうか、と頭のどこかで疑っていた。「深田由加里」ではなく「若い女の子」を相手にしているつもりなのだろうな、ともわかっていた。結局私は、ひとりの人間として愛されたのではなく、岸谷の自己肯定感を満たすための道具でしかなかったのかもしれない。
あの騒動のさなか、岸谷の妻は会社に乗り込んできて、私たちは人事の偉い人と一緒に会議室で話し合いをした。岸谷は妻に土下座した。お前と別れるくらいなら死ぬ、と言った。今まで私に繰り返してきた「愛している」のフレーズよりも、確かな重量感のある言葉だった。床に頭を何度も擦り付ける岸谷を見て、あ、わたしもういいです、と自然に口に出していた。もういいです。別れます。ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした。
全く私の趣味でなかったプレゼントたちは、一年前にすべて捨ててしまった。
沙織だったらそういう選び方はしないんだろうな、とふと考える。今日大倉のプレゼントを選んだときの沙織は、大倉に関して自分が持っている知識をフル稼働させていた。これは喜ぶと思う。これはちょっと趣味じゃないと思う。そう言いながら。誰かを思い浮かべながら物を贈るというのは、本来そういうことなのだろう。