健太郎先輩は私の高校時代の先輩だった。高校に入ったら部活も恋も充実するような学校生活を送ろうと思っていた私は、勧誘期の校内でマネージャー募集と声を掛けられ、男子バスケ部の見学に足を運んだ。
女子だ、かわいー、と浮足だつ先輩たちをなだめながら、まぁよかったら入ってよ、といたってクールに微笑んだのが、当時部長だった健太郎先輩だ。なんの飾り気もなく短く切りそろえられた黒髪、きりっと整った太めの眉、力強い目元、すっと通った鼻筋に、軽薄そうにも見える色素の薄い唇。その要素すべてに魅入られてしまったわたしは、即答で入部します、と宣言したのだった。私にとって一目ぼれで、初恋だった。
マネージャー業は順調だった。私は可愛い。そして努力家だ。小さいころから、どこに行ってもだいたいは可愛がってもらえた。それは才能ではなく、ひとえに私の努力によって成り立っている。身だしなみを整えることだけではない。馬鹿だと思われないようしっかり勉強だってするし、そのうえで出過ぎた真似はしない。出会った人の特徴や話をしっかり覚えて、次に会ったときにそれを小出しにして覚えているアピールをする。「あなたと私の近さ」を演出する。「あなたへの好意」を演出する。いつも笑顔で元気な、愛される女子マネージャー。私がその立ち位置につくまでに、そう時間はかからなかった。
健太郎先輩も私を可愛がってくれていた、と思う。距離を詰めて腕に軽く触れ、上目遣いで顔を覗き込めば、照れたように笑い返して私の頭をくしゃりと撫でた。いかにも安いテクニックだったと、自分でも思う。それでも高校生の私にとっては最大限の愛情表現で、彼の顔を見ただけでたまらなく幸せになるくらいときめいたのだ。
そのときめきに黒い染みを垂らしたのは、それまで全く脅威に感じたことのなかった、姉の存在だった。
「沙織って、姉ちゃんいる?三年に」
部活の休憩時間、ドリンクを配る私にそう尋ねてきたのは、健太郎先輩と同じ三年生のバスケ部員だった。
「いますよー。深田由加里」
どうぞ、とドリンクを手渡しながら私が答えた。
「ああーやっぱり。名前似てるもんな」
深田って誰だっけ、とほかの部員が声を上げる。「健太郎と同じクラスだろ」とまたほかの誰かが答えた。
「あんまり顔は似てないよな。な、健太郎?」
最初に声を上げた男が問いかけた。問いかけられた本人は、ああ、とタオルで無造作に汗を拭きながらそっけなく答えた。
「顔っつーか、性格もあんまり似てないけど」
そう言った健太郎先輩は、日も差していないのにまぶしそうに目を細め、何かを思い出すように微笑んだ。
そのときの彼の表情は、私の心をすっと凍り付かせた。知っている。私はあの表情を知っている。母が食卓に飾った花を見るとき、その母を父が見守るとき、彼らは同じように、まぶしそうに目を細めるのだ。
姉に似ていないとされることは、私にとって褒め言葉だった。いつでも私が優れていたから。容姿も、成績も、すべて。平均で平凡であることに迎合する姉と比べて、私が努力していることの証明でもあると思っていた。それなのに、似ていないと言われたことでざわざわした気持ちになるのは、あれが初めてだった。