◆
逝くも産むも情偽
◆
刻は静音の過去から現在に戻り、時計の針は午後9時35分を指している。
都澄がもう遅いからと追い出す形で、足取りの重い2係の面々を無理矢理帰路に着けた。
「話したこと、後悔してるか?」
「多少は…そう思わざるを得ません。」
「皆のあんな顔見てしまったら、余計にですよ。」
都澄の問いかけに、何となく帰るタイミングを失った篠宮と要は苦笑いで答える。
全員口を挟まず聞いてくれていたのだが、年齢が近いせいか耐えきれず橘と遁苺は涙を浮かべていた。
「季更津は確か、服役中だったな?」
「はい。季更津馨鶴亮以下、会鎌の経営兼店長の痴愚思留釣恣、店長補佐の箭蛙膏嗽の重役3名は、売春斡旋で逮捕起訴されましたから。」
客入りが良かった理由については、キャバ嬢達にお客を誘わせて美人局の要領でお金を巻き上げていたという確認が取れた。
キャバ嬢も自ら加担していた者も多少はいたが、季更津や痴愚思から脅されたり、借金等の為に仕方なくといった感じが大半であった。
内情を知らされていなかった拐袂苔駕を始めとした従業員は、情状酌量の余地があると認められ、それを含めた判決が下された。
◆
「柊の所在は割れてるんだ。逢沢兄妹の二の舞にならないようにしないとな。」
「はい。翁さんとも話して、連絡は密にするようにしました。」
季更津は12年前の時点で目障りだった莉央と深緒を特定していたが、施設に入ったことで所在が不明となり、3年前偶然2人を見かけたことで痴愚思に探させたようだ。
季更津や痴愚思は、逆恨みや報復といったことが容易に想像がつく人格をしていた。
莉央と深緒よりも逃げ場の無い静音は出所時期等に特に気を付けなければならないと、対策は講じているものの、要の頭の中に不安は尽きない。
「まぁ今は服役中だ。今すぐというわけではない。しかし、今回の件は、関係性もそうだが、なんだか全てが複雑なようだな。」
「ケア優先で思春期でしたし、中学以前のことは俺達も聞きませんでしたからね。3年前のように静音1人で片が付く話ではありませんが、あの様子じゃ素直に話すとも思えません。」
「柊のことは一旦様子見だ。周り次第、あいつらの受け止め方に期待しよう。」
「そうですね。」
明日、2係の雰囲気はどう変化するのか。
篠宮と要にとって、仕事以上に気になるのは確かだった。
◆
「おはよう。」
「お、おはよう…!」
「体調はどうだ。」
「おはようございます。もう大丈夫です。」
次の日静音が出勤すると、橘は見るからに挙動不審で、来栖には珍しく体調の心配をされた。
「おはよー。ペテン師夜鷹ってセンスないわよね。私ならもっと良い名前つけるわ。一晩考えたんだけどね、玉幸とかどう?」
「玉に幸せって…それの方がどうかと思うッス。さすがKY先輩。」
挨拶ついでにデリケートな話を振り、しかも一晩考えた割には、玉幸(タマユキ)という安直な名前に、轢夲らしいと羮芻は思う。
「名乗った覚え無いんだけどー?」
「い、痛い痛いっ!褒めたんスけど~」
いつもの余計な一言により、羮芻は轢夲の鉄拳制裁を食らっていた。
「聞いたんですか。」
「昨日ね。」
「篠宮さんと要さんから聞きました。何というか、その…」
「おはよう、柊!今日も1日頑張ろう!」
じゃれあっている(ように見える)轢夲と羮芻を横目に、静音の問いに答える幡牛と遁苺、更には元気良く椎名が出勤してきた。
皆、静音のことを気遣っているのだが、なにぶんあからさま過ぎる。
◆
「そんなに気を使ってくれなくて結構ですー。大体、今更気を使われたって気持ち悪いだけですよ。特に、来栖さんと椎名さんには。」
悲しげに一瞬笑って、静音はいつもの年下キャラを全開にした。
「お前に気を使った俺が馬鹿だった。」
「いつもの柊だ!」
苦笑いの来栖とその横で凄く嬉しそうな椎名。
なんとも対照的な2人である。
「楽しそうでなによりだな、柊。」
「厄塒さん!?どうして本部に?」
「俺が本部に居ちゃ悪いか?」
「別に悪くはないですけど…」
突然現れた厄塒に静音は驚く。
「厄塒さんって、昨日の話に出てきた柊さんの所轄時代の先輩ですよね?」
「そうね。でも所轄の人が何の用かしら。」
「まさか柊に告白…」
「んなのは絶対にないと思うッス…」
幡牛と遁苺は至極まともな会話なのに、椎名の発言には羮芻も突っ込むより先に引いてしまった。
「理由は事件だからだ。」
「仁科さん!…事件って?」
「悪い知らせだ。」
一課の第ニ強行犯捜査、殺人犯捜査第5係の仁科(ニシナ)警部34歳の後ろから、神妙な面持ちの都澄・篠宮・要が続いた。
◆
「氷室岨聚が意識不明の重体だ。」
「…………!!!」
都澄の言葉に、一瞬にして静音の顔色が変わる。
「意識不明って……何があったんですか?」
「階段から突き落とされたらしい。」
「突き落とされた?足を滑らした事故ではないんですか?」
「ああ。現場に争った形跡があった。」
上から順に、来栖、要、椎名、篠宮だ。
「何事も無く、家に帰ったんじゃなかったんですか?」
「家の中まで警護はしてないだろ。それに氷室岨聚が自らの意思で警備をすり抜け外出した可能性がある。彼女の携帯の履歴には公衆電話から着信があった。」
落胆する橘に、厄塒が見せたのは携帯会社から取り寄せた岨聚の電話履歴の一覧だ。
事件が起こったのは同窓会後、岨聚が家に帰り警備も一段落した21時前後。
岨聚が発見されたのは、家から程近い経営する銀行本店の外階段。
非常用の為、従業員も普段使うことのない階段で、ゲソ痕がはっきり採取出来た。
「鑑識からは、靴は量産品で特定は難しいが、大きさは27センチで種類は男性用。男の可能性が極めて高い。」
現場には、岨聚とこの靴の足跡しかなかった。
◆
「なるほど。厄塒さんがいる理由分かりました。銀行本店の管轄は厄塒さんのとこでしたね。」
「良くできました。単純明快だろ。」
自分が元いた所轄だから、管轄の地域範囲は良く知っている。
「脅迫状のことも鑑みて、一課と共同で捜査本部をうちに立てることになった。幡牛、遁苺。準備を頼む。」
「任せてください。」
「分かりました。」
「轢夲と羮芻も準備を頼む。関係者は多いが、潜入捜査も兼ねる。」
「はい。腕がなるわね。」
「了解ッス。」
都澄の命で、4人はそれぞれ準備に取りかかる。
「俺達は?」
「今所轄に下調べしてもらっている。その中でアリバイがなく怪しい人物をピックアップするから、潜入してもらう。」
「私達、同窓会にいましたから、顔バレてるんじゃないですか?」
「柊と同じフリーターにでもしとけ。」
「それはいくらなんでもアバウトですよー」
「俺に言うな。それを考えるのもお前の仕事だろ。」
仁科の言う通りだと思うが、橘はむくれていた。
「話したんだね、私のこと。」
捜査について話す橘達から離れ、静音は篠宮と要に小声で話しかける。
◆
「ん……ああ。来栖が噂を知っていてな。」
「僕達から言うことではないと思ったんだけど、誤解されたままは嫌だったからね。」
「あからさまに気を使われたんだけど。潜入捜査もする部署の捜査官としてどうかと思うよ、あの不自然さは。」
思い返しても、不自然過ぎて違和感しかない。
「そう言うな。仲間内と仕事とは違うと思うぞ。それより静音、氷室岨聚のことだが…」
「まさか私が突き落としたとでも思ってる?」
「そうじゃないよ。ただ、同窓会でのこと」
「あれは別に何でもないから。シノさんや要さんが気にすることじゃないよ。」
遮るように早口でそう言って、橘達に加わろうと静音は離れようとする。
「静音。」
「柊!」
引き止めようとする篠宮の声と、呼ぶ椎名の声が重なる。
「何ですか?」
「昨日の同窓会に使用したホテルの総支配人から外線だって。」
「係長や要さんじゃなくて、私ですか?」
「うん。柊に繋いでくれって。」
岨聚と揉めた騒ぎのことは説明済で、係長達を飛び越えて聞かれることなど無いはずなのに。
と、静音は不思議に思いながらも電話に出る。
◆
「お電話代わりました、柊です。…え?玲斗がですか?はい…はい……。ご迷惑をお掛けしました。わざわざありがとうございました。」
不思議な顔から、驚きに変わり、最後には呆れた様なそれでいて嬉しい様な、しかし悲しげなそんな顔で、静音は電話を切った。
「どうした?」
「玲斗……織端玲斗が、私を探しに来たと。臨時で雇ったし個人情報だからと総支配人が言ってくれたんだけど納得してなかったみたいで、今朝も来たって。」
「今朝もってことは、昨日も?」
「同窓会が終わってみんなと帰った後、もう一度来たんだって。20時半頃に。」
時間的に考えて、二次会をした帰りだろうか。
「そういえば柊、名刺渡されてなかった?」
「貰いましたけど連絡してませんよ。」
「それで、だな。」
柔和な感じでそんなに押すタイプには見えなかったのだが、余程静音に執着があるらしい。
2係の面々とも問題なく篠宮達がホッとしたのも束の間。
静音の態度といい玲斗の告白といい、何かあるのは間違いないのだが。
ペテン師夜鷹の過去を知られても尚、静音は自身のことについてそれ以上話そうとはしなかった。
◆
「捜査方針と潜入対象が決まった。」
2日後、仁科と厄塒が資料片手に現れた。
「やはり氷室岨聚は突き落とされたことに間違いなかった。防犯カメラは運悪く故障中で、犯行時刻の映像はなかった。」
「銀行の防犯カメラが故障って……防犯意識低くありません?」
「故障が判明したのが帰る直前で修理屋に繋がらなかったらしい。非常階段だから、次の日でも良いと思ったんだと。」
橘の疑問は最もだが、修理屋が捕まらないのではどうしようもない。
「それで、潜入対象は?」
「同窓会にいたほとんどの者にアリバイがあった。二次会やら帰宅途中の新幹線やらでな。アリバイが不明なのは、織端玲斗、千影鏡鵺、蒜崖雅、伽虐琅提の4人だ。」
4人共、事件の時刻前後は家に居た等の曖昧なアリバイだった。
女の雅と琅提を含んでいるのは、偽装工作をした場合を考慮しての判断だ。
「氷室岨聚とはかなり親しい間柄のようだな。なぁ、柊?」
「ええ、まあ。」
「同級生達に聞き込んだんだがな、何か隠してんの丸わかりなんだよ。お前、何か知ってるだろ。」
いかにも何かあります、といった挙動不審な態度だった。
◆
「厄塒さんには関係ありません。」
「俺にじゃねぇだろ!事件に関係あるんだろうが!」
「ま、まぁまぁ。落ち着いてください。」
篠宮達に聞いた人物像より怒りやすい性格なんだと、なだめながら椎名は思う。
「柊、お前は織端玲斗を担当しろ。」
「私が?」
「一番まともに会話出来るだろ。」
「そりゃそうですけど……」
「決まりだ。」
否応なく、仁科によって決められてしまった。
玲斗も複雑なのだが、他の3人もやりにくいのは確かだった。
「支店長である千影鏡鵺には来栖、窓口業務の蒜崖雅と伽虐琅提には橘と椎名、篠宮には警備員になってもらう。要と仁科、厄塒にはそれぞれの代表として指揮と調整役だ。私は課長と共に全体の指揮と調整を行う。以上、捜査を開始する。」
「「了解!」」
それぞれが準備の為に動き始める中、静音は渡された名刺を見つめる。
「(間違ってるなんて分かってるのに……。ダメだね私達…。)」
切なく自問自答する。
誰の為と問われたら、きっと自分の為だと言うだろう。
弱虫で悪役になりきれず、不器用に無言を貫くしか出来ないのだから。
◆
『静音…?』
捜査用に支給された携帯で、静音は玲斗に電話をかけた。
「ホテルの人から電話があった。臨時に雇われてた応援のバイトなんだから、あまり騒ぎにしないでよ。」
『ごめん、つい。』
実際には、事情を知っている総支配人が対応したのでホテルでは騒ぎにはなっていない。
しかし、通常なら小さくも騒ぎになっているはずだと想定して話す。
『…今、どこで働いてるの?』
「今はフリー。探し中。」
『そっか。……岨聚のこと聞いた?』
「…うん。」
『警察が来てさ、アリバイ聞かれたんだ。鏡鵺達との二次会抜け出してホテルに行った後だから、アリバイ何も無くて疑われてるみたいなんだ。そっちは?』
「家に居た。一人だから私もアリバイはないよ。」
『だよね。鏡鵺達も酔ってて曖昧みたい。』
帰宅した岨聚以外の玲斗達4人の二次会。
他の3人曰く、玲斗が帰った後程なくして解散し帰宅途中で、しかも徒歩であった為に、犯行時刻のアリバイが曖昧なのだ。
同じ立場の方が合わせやすい為、静音は話ながらも素に近い、それでいて潜入とバレないように偽物の経歴を組み立てていく。
◆
『鏡鵺と雅と琅提の4人で、岨聚の見舞いに行ったんだ。静音もさ、見舞いに行かないか?あいつらとは顔合わせづらいだろから2人で。』
「…見舞いはいい。岨聚も来て欲しくないだろうし。特に、私と玲斗の組み合わせだと。」
これは、静音の本心だった。
岨聚は静音が嫌いだ。
その理由を静音は知っている。
いや、玲斗達4人も知っている。
自らの行いの動機も理由も、それによってどうなるのかも。
それが周りから見ればいじめでも、静音は何も言わなかった。
玲斗達も言わなかった。
純粋で純情で、気持ちに素直だったからこそ、ぶつかり合うことを恐れ上辺だけを取り繕った結果だ。
心は子供のまま身体だけが成長して、一向に等身大になれやしない。
『分かった。……話変わるけど、今フリーなら診療所で働かないか?今募集してるんだけどなかなかで。受付と事務だから資格が無くても大丈夫なんだけど。どうかな?』
「……ずっと出来るか分からないけど、それでもいいなら。」
『ありがと、助かるよ。』
半強制的に担当になってしまいどうしようかと思っていたから、玲斗の申し出は有り難かった。
◆
「つ~か~れ~た~」
「うるさい。」
潜入してから3ヶ月が経過した。
ぐったり机にのびる橘の疲労も、眉間に皺を寄せる来栖によって一蹴りされる。
「何か成果はあったか?」
「それが……」
要の問いに、椎名は困り顔で橘に目をやる。
「成果も何もあったもんじゃありませんよ!窓口っていったってお金扱うから超厳しいし、神経使うし。業務中に聞き込める状況じゃありませんよ~」
椎名は元総務課で会社員としても働いた経験がある為に、窓口業務もすんなりこなしている。
しかし、橘にとってはかなりの激務のようだ。
「蒜崖雅と伽虐琅提ですが、2人とも仕事は完璧、他の従業員ともトラブルもなく、仲良くやっています。仕事面で特に気になる点はありません。」
「仕事面、で…。仕事以外は何かありそうな口振りだが?」
「さっすが、要さん!厄塒さんと同じですよ。プライベート、特に氷室岨聚の件になるとみんな口が重くなって…。愛想笑いもいいとこです。」
「確かにな。警備員としても同じような感じだった。」
氷室岨聚に関しての銀行で働く者を含めた同級生達の反応は、一様に同じだった。
◆
「千影鏡鵺の方は?」
来栖は岨聚がいない間の補佐役として潜入している。
渋る総帥に窓口業務と同じく、犯人逮捕の為と協力を頼み込んだ。
「仕事は完璧です。支店長としても銀行内の上司としても。ただ女2人と違って、仕事の合間にも氷室岨聚の病室に足しげく通っています。」
「もしかして、内密に付き合ってるとか?」
「周りにさりげなく聞いたが、そっち方面の噂も事実もないみたいだ。まぁ、支店長と違って窓口は抜け出す訳にいかないし、面会時間もある。親しい間柄なだけかもしれないな。」
「そう、なんですか…」
橘はつまらなさそうな顔をしたが、見舞いに訪れている時間以外は仕事を全うしていて、心配している以外の様子は見られなかった。
「お前、織端玲斗とどういう関係なんだ?!」
「…聞こえてますから、そんな大声出さないでくださいよ。」
来栖達が報告し合っていると、廊下から卍擽の怒鳴り声と静音の鬱陶しそうな声が聞こえてきた。
「ど、どうかしましたか?」
「どうもこうもない!昨日、織端玲斗にプロポーズされてたんだ!俺はこの目でハッキリ見た。あれは間違いなく指輪の箱だった。」
◆
昨日、卍擽が地取りを終えて所轄に戻ろうとした時、目にしたのは静音に指輪の箱を差し出す玲斗の姿だった。
「え?ほんと!?」
「断ったから。大体見たって…、卍擽先輩に関係ないですから。」
興味津々の橘に対し、興味無さげに静音は返す。
卍擽が怒っている理由も意味が分からないと、バッサリ切り捨てた。
「柊、潜入してくれとは言ったが、付き合えと言った覚えはないぞー?」
「だから、付き合ってません。断りましたー」
「とか言って、裏で繋がってたりしてな。」
「卍擽、根拠の無いことは控えろ。」
仁科が書類を見ながら取って付けた様な疑いにも律儀に返す。
しかし卍擽はまだ納得がいかないのか、厄塒に釘を刺されてもひねくれた態度だ。
「柊、本当に何もないんだよね?織端玲斗とは何も……」
「何もないです。」
「本当だね?」
「しつこいです。」
面倒くさそうにする静音とは対照的に、椎名は両肩に手を置き向かい合う程真剣だ。
「だって心配で。僕は柊のこと好きなんだ。だから……同窓会の時のこともあるし、織端玲斗と柊とが……。それにもし、織端玲斗が氷室岨聚を」
◆
「玲斗が犯人だとでも?私と共謀して岨聚を突き落としたとでも?」
「あ、いや……そこまでは言ってないけど…」
先程までとは違い、怒って責める様な雰囲気に椎名はたじろぐ。
無意識だろう、名前の呼び方も刑事としてではなくなっている。
「静音。椎名は心配してるだけだ。同窓会でのこと、俺もまだちゃんと聞いてなかったしな。」
「そうだね。同級生の人達とも何かあるようだし、事実関係を教えてくれないか?」
岨聚との関係が悪いと分かりきっている静音を容疑者リストから外し、なおかつ捜査に加わっているのにはもちろん理由がある。
銀行の防犯カメラの故障を知らなかったこと、最も疑われる立場にも関わらずアリバイが曖昧なこと、偽装工作をするならば警察官の静音なら靴だけでなくもっと巧妙にするはずということ。
そして、一番は篠宮と要の感じた違和感だ。
3年前の莉央と深緒以上のことを隠している。
それは、静音や岨聚だけでなく同級生達全員にいえること。
容疑者リストから外した、というより事件の全容を解明する為に静音を捜査に加え泳がしている、といった表現の方がこの場合正しいのかもしれない。
◆
「事実関係も何もない。そういう関係でもないし、椎名さんにも関係ない。玲斗は犯人じゃないし、私達には何もない。何もないから。」
拒絶する様に低く、最後は静かに呟く。
「診療所の仕事あるんで行ってきます。」
「柊!」
両肩に置いたままだった椎名の手を振りほどき、静音は部屋を出ていった。
「…しまった、またやってしまった。」
「どんな言い方をしても結果は同じだと思います。状況が3年前と似ているのに、話そうとしないのは……」
「同級生、ニオイますよ。」
聞くタイミングを間違えたかと、落ち込む篠宮とそれでも冷静な要。
そんな2人を尻目に、厄塒は推論を口にした。
「同級生?私と椎名さんの対象の蒜崖雅と伽虐琅提ですか?」
「いや、その2人だけじゃない。聴取に行った同級生全員だ。アリバイについてはハッキリ言うくせに、氷室岨聚やそれらの関係性についての話題になると、皆一様に口が重い。」
特に、静音と岨聚、潜入対象の4人に関しては。
「柊が語らないのは、その辺が絡んでるんじゃないかと。3年前は蓋を開けてみれば、柊自身と死亡した逢沢兄妹の問題だけでしたし。」
◆
「厄塒さん、柊を庇うんですか?柊が捜査に加わってるのだって、俺は納得してないんですよ。」
都澄が静音の隠し事と事件とが繋がっていると感じ、静音が捜査出来るようにと、課長に許可を取り付けたのだ。
「庇う訳ではないが、厄塒の言うことにも一理ある。」
「係長。」
少なくとも静音が出ていった後だろうが、どこから聞いていたのか都澄が現れた。
「柊個人の話で済まない気がしてな。現に、同級生が揃えて口を閉ざしている以上、捜査が先に進めないことは確かだ。この3ヶ月、これといった報告はあがっていない。氷室岨聚の容態は安定しているが、目を覚ます気配はない。そろそろ次の段階に行かなければならないと、課長と話していたところだ。」
岨聚が入院して静音達が潜入していること以外、前と変わったことすらなかった。
岨聚に届いた脅迫状についても同じ。
入院中と発表済だが、病室…病院にすらコンタクトはない。
「次の段階…」
「どうします?」
悩む要と仁科。
「そのことだが。柊を重要参考人とする。」
「「え?」」
都澄の思いもよらない言葉に、一同の思考と動作が止まった。
◆
人気の無い夜の小さな公園。
琅提と雅は焦っていた。
「どうしよう……静音が警察に捜されてる。」
「どうもこうもないでしょ!…私達のこと、警察になんて言えるわけないし。」
「だけどこのままじゃ、静音が捕まっちゃうよ……」
静音は大切な友達だ。
岨聚も鏡鵺も玲斗も。
大切だ。
「静音を診療所に誘うだなんて、まったく玲斗は何を考えてるの!?岨聚が目を覚ましたら大変なことになるの分かってるはずなのに。っていうか、鏡鵺も鏡鵺よ。見舞い、一人で行ってるみたいだし。訳分かんない。」
「玲斗は信じるって言ってたけど、鏡鵺は電話に出てくれないし………どうすればいいかな…?」
「ほんと、どうすればいいのよこの状況。……どうすればよかったのよ、私達…」
助けたくて、状況を変える術はいつだってあるのに。
実行出来なかった、……いや、実行しなかったのは、自分の為。
偽りは、誰の為でも無かった。
「雅……同窓会、楽しかった。静音がいればもっと楽しかったよ。」
「そうだね。」
上辺だけの醜い同窓会よりも、きっと。
覚悟は要らない。
勇気だけだ。
◆
玲斗は帰宅しようとした矢先に飛び込んできた親子の診療を無事に終え、改めて帰宅しようとしていた。
準備を進めながら思い返すのは昼間小耳に挟んだ、静音が重要参考人として事情を聞かれているらしいとの事。
琅提から電話があって、信じると答えたものの、憶測だけで真実が分からない。
ただ、言えるのは。
「(僕達は間違ってたってことだ。気付いているのに逃げて、楽な道を選んだ。その行為が傷付けているのを分かってて。)」
渡した指輪は填められることなく、箱に入ったまま返された。
勇気は要らない。
覚悟だけだ。
「………………。」
機械音が響く病室。
ベッドに横たわる岨聚を見つめるのは、仕事帰りに立ち寄ることが常の鏡鵺だ。
「(俺は、俺達はもう……後戻りなんて出来ない。だったら、いっそのこと……)」
いつも思い出すのは、天国と地獄。
戻れるならと何度思ったことだろう。
けれど、戻ったとしても結局は同じになるのだろうとも思う。
今がそうなのだからと、玲斗は静かに病室を後にした。
勇気も覚悟も要らない。
総ての事を終わらせるだけだ。
逝くも産むも情偽
◆
刻は静音の過去から現在に戻り、時計の針は午後9時35分を指している。
都澄がもう遅いからと追い出す形で、足取りの重い2係の面々を無理矢理帰路に着けた。
「話したこと、後悔してるか?」
「多少は…そう思わざるを得ません。」
「皆のあんな顔見てしまったら、余計にですよ。」
都澄の問いかけに、何となく帰るタイミングを失った篠宮と要は苦笑いで答える。
全員口を挟まず聞いてくれていたのだが、年齢が近いせいか耐えきれず橘と遁苺は涙を浮かべていた。
「季更津は確か、服役中だったな?」
「はい。季更津馨鶴亮以下、会鎌の経営兼店長の痴愚思留釣恣、店長補佐の箭蛙膏嗽の重役3名は、売春斡旋で逮捕起訴されましたから。」
客入りが良かった理由については、キャバ嬢達にお客を誘わせて美人局の要領でお金を巻き上げていたという確認が取れた。
キャバ嬢も自ら加担していた者も多少はいたが、季更津や痴愚思から脅されたり、借金等の為に仕方なくといった感じが大半であった。
内情を知らされていなかった拐袂苔駕を始めとした従業員は、情状酌量の余地があると認められ、それを含めた判決が下された。
◆
「柊の所在は割れてるんだ。逢沢兄妹の二の舞にならないようにしないとな。」
「はい。翁さんとも話して、連絡は密にするようにしました。」
季更津は12年前の時点で目障りだった莉央と深緒を特定していたが、施設に入ったことで所在が不明となり、3年前偶然2人を見かけたことで痴愚思に探させたようだ。
季更津や痴愚思は、逆恨みや報復といったことが容易に想像がつく人格をしていた。
莉央と深緒よりも逃げ場の無い静音は出所時期等に特に気を付けなければならないと、対策は講じているものの、要の頭の中に不安は尽きない。
「まぁ今は服役中だ。今すぐというわけではない。しかし、今回の件は、関係性もそうだが、なんだか全てが複雑なようだな。」
「ケア優先で思春期でしたし、中学以前のことは俺達も聞きませんでしたからね。3年前のように静音1人で片が付く話ではありませんが、あの様子じゃ素直に話すとも思えません。」
「柊のことは一旦様子見だ。周り次第、あいつらの受け止め方に期待しよう。」
「そうですね。」
明日、2係の雰囲気はどう変化するのか。
篠宮と要にとって、仕事以上に気になるのは確かだった。
◆
「おはよう。」
「お、おはよう…!」
「体調はどうだ。」
「おはようございます。もう大丈夫です。」
次の日静音が出勤すると、橘は見るからに挙動不審で、来栖には珍しく体調の心配をされた。
「おはよー。ペテン師夜鷹ってセンスないわよね。私ならもっと良い名前つけるわ。一晩考えたんだけどね、玉幸とかどう?」
「玉に幸せって…それの方がどうかと思うッス。さすがKY先輩。」
挨拶ついでにデリケートな話を振り、しかも一晩考えた割には、玉幸(タマユキ)という安直な名前に、轢夲らしいと羮芻は思う。
「名乗った覚え無いんだけどー?」
「い、痛い痛いっ!褒めたんスけど~」
いつもの余計な一言により、羮芻は轢夲の鉄拳制裁を食らっていた。
「聞いたんですか。」
「昨日ね。」
「篠宮さんと要さんから聞きました。何というか、その…」
「おはよう、柊!今日も1日頑張ろう!」
じゃれあっている(ように見える)轢夲と羮芻を横目に、静音の問いに答える幡牛と遁苺、更には元気良く椎名が出勤してきた。
皆、静音のことを気遣っているのだが、なにぶんあからさま過ぎる。
◆
「そんなに気を使ってくれなくて結構ですー。大体、今更気を使われたって気持ち悪いだけですよ。特に、来栖さんと椎名さんには。」
悲しげに一瞬笑って、静音はいつもの年下キャラを全開にした。
「お前に気を使った俺が馬鹿だった。」
「いつもの柊だ!」
苦笑いの来栖とその横で凄く嬉しそうな椎名。
なんとも対照的な2人である。
「楽しそうでなによりだな、柊。」
「厄塒さん!?どうして本部に?」
「俺が本部に居ちゃ悪いか?」
「別に悪くはないですけど…」
突然現れた厄塒に静音は驚く。
「厄塒さんって、昨日の話に出てきた柊さんの所轄時代の先輩ですよね?」
「そうね。でも所轄の人が何の用かしら。」
「まさか柊に告白…」
「んなのは絶対にないと思うッス…」
幡牛と遁苺は至極まともな会話なのに、椎名の発言には羮芻も突っ込むより先に引いてしまった。
「理由は事件だからだ。」
「仁科さん!…事件って?」
「悪い知らせだ。」
一課の第ニ強行犯捜査、殺人犯捜査第5係の仁科(ニシナ)警部34歳の後ろから、神妙な面持ちの都澄・篠宮・要が続いた。
◆
「氷室岨聚が意識不明の重体だ。」
「…………!!!」
都澄の言葉に、一瞬にして静音の顔色が変わる。
「意識不明って……何があったんですか?」
「階段から突き落とされたらしい。」
「突き落とされた?足を滑らした事故ではないんですか?」
「ああ。現場に争った形跡があった。」
上から順に、来栖、要、椎名、篠宮だ。
「何事も無く、家に帰ったんじゃなかったんですか?」
「家の中まで警護はしてないだろ。それに氷室岨聚が自らの意思で警備をすり抜け外出した可能性がある。彼女の携帯の履歴には公衆電話から着信があった。」
落胆する橘に、厄塒が見せたのは携帯会社から取り寄せた岨聚の電話履歴の一覧だ。
事件が起こったのは同窓会後、岨聚が家に帰り警備も一段落した21時前後。
岨聚が発見されたのは、家から程近い経営する銀行本店の外階段。
非常用の為、従業員も普段使うことのない階段で、ゲソ痕がはっきり採取出来た。
「鑑識からは、靴は量産品で特定は難しいが、大きさは27センチで種類は男性用。男の可能性が極めて高い。」
現場には、岨聚とこの靴の足跡しかなかった。
◆
「なるほど。厄塒さんがいる理由分かりました。銀行本店の管轄は厄塒さんのとこでしたね。」
「良くできました。単純明快だろ。」
自分が元いた所轄だから、管轄の地域範囲は良く知っている。
「脅迫状のことも鑑みて、一課と共同で捜査本部をうちに立てることになった。幡牛、遁苺。準備を頼む。」
「任せてください。」
「分かりました。」
「轢夲と羮芻も準備を頼む。関係者は多いが、潜入捜査も兼ねる。」
「はい。腕がなるわね。」
「了解ッス。」
都澄の命で、4人はそれぞれ準備に取りかかる。
「俺達は?」
「今所轄に下調べしてもらっている。その中でアリバイがなく怪しい人物をピックアップするから、潜入してもらう。」
「私達、同窓会にいましたから、顔バレてるんじゃないですか?」
「柊と同じフリーターにでもしとけ。」
「それはいくらなんでもアバウトですよー」
「俺に言うな。それを考えるのもお前の仕事だろ。」
仁科の言う通りだと思うが、橘はむくれていた。
「話したんだね、私のこと。」
捜査について話す橘達から離れ、静音は篠宮と要に小声で話しかける。
◆
「ん……ああ。来栖が噂を知っていてな。」
「僕達から言うことではないと思ったんだけど、誤解されたままは嫌だったからね。」
「あからさまに気を使われたんだけど。潜入捜査もする部署の捜査官としてどうかと思うよ、あの不自然さは。」
思い返しても、不自然過ぎて違和感しかない。
「そう言うな。仲間内と仕事とは違うと思うぞ。それより静音、氷室岨聚のことだが…」
「まさか私が突き落としたとでも思ってる?」
「そうじゃないよ。ただ、同窓会でのこと」
「あれは別に何でもないから。シノさんや要さんが気にすることじゃないよ。」
遮るように早口でそう言って、橘達に加わろうと静音は離れようとする。
「静音。」
「柊!」
引き止めようとする篠宮の声と、呼ぶ椎名の声が重なる。
「何ですか?」
「昨日の同窓会に使用したホテルの総支配人から外線だって。」
「係長や要さんじゃなくて、私ですか?」
「うん。柊に繋いでくれって。」
岨聚と揉めた騒ぎのことは説明済で、係長達を飛び越えて聞かれることなど無いはずなのに。
と、静音は不思議に思いながらも電話に出る。
◆
「お電話代わりました、柊です。…え?玲斗がですか?はい…はい……。ご迷惑をお掛けしました。わざわざありがとうございました。」
不思議な顔から、驚きに変わり、最後には呆れた様なそれでいて嬉しい様な、しかし悲しげなそんな顔で、静音は電話を切った。
「どうした?」
「玲斗……織端玲斗が、私を探しに来たと。臨時で雇ったし個人情報だからと総支配人が言ってくれたんだけど納得してなかったみたいで、今朝も来たって。」
「今朝もってことは、昨日も?」
「同窓会が終わってみんなと帰った後、もう一度来たんだって。20時半頃に。」
時間的に考えて、二次会をした帰りだろうか。
「そういえば柊、名刺渡されてなかった?」
「貰いましたけど連絡してませんよ。」
「それで、だな。」
柔和な感じでそんなに押すタイプには見えなかったのだが、余程静音に執着があるらしい。
2係の面々とも問題なく篠宮達がホッとしたのも束の間。
静音の態度といい玲斗の告白といい、何かあるのは間違いないのだが。
ペテン師夜鷹の過去を知られても尚、静音は自身のことについてそれ以上話そうとはしなかった。
◆
「捜査方針と潜入対象が決まった。」
2日後、仁科と厄塒が資料片手に現れた。
「やはり氷室岨聚は突き落とされたことに間違いなかった。防犯カメラは運悪く故障中で、犯行時刻の映像はなかった。」
「銀行の防犯カメラが故障って……防犯意識低くありません?」
「故障が判明したのが帰る直前で修理屋に繋がらなかったらしい。非常階段だから、次の日でも良いと思ったんだと。」
橘の疑問は最もだが、修理屋が捕まらないのではどうしようもない。
「それで、潜入対象は?」
「同窓会にいたほとんどの者にアリバイがあった。二次会やら帰宅途中の新幹線やらでな。アリバイが不明なのは、織端玲斗、千影鏡鵺、蒜崖雅、伽虐琅提の4人だ。」
4人共、事件の時刻前後は家に居た等の曖昧なアリバイだった。
女の雅と琅提を含んでいるのは、偽装工作をした場合を考慮しての判断だ。
「氷室岨聚とはかなり親しい間柄のようだな。なぁ、柊?」
「ええ、まあ。」
「同級生達に聞き込んだんだがな、何か隠してんの丸わかりなんだよ。お前、何か知ってるだろ。」
いかにも何かあります、といった挙動不審な態度だった。
◆
「厄塒さんには関係ありません。」
「俺にじゃねぇだろ!事件に関係あるんだろうが!」
「ま、まぁまぁ。落ち着いてください。」
篠宮達に聞いた人物像より怒りやすい性格なんだと、なだめながら椎名は思う。
「柊、お前は織端玲斗を担当しろ。」
「私が?」
「一番まともに会話出来るだろ。」
「そりゃそうですけど……」
「決まりだ。」
否応なく、仁科によって決められてしまった。
玲斗も複雑なのだが、他の3人もやりにくいのは確かだった。
「支店長である千影鏡鵺には来栖、窓口業務の蒜崖雅と伽虐琅提には橘と椎名、篠宮には警備員になってもらう。要と仁科、厄塒にはそれぞれの代表として指揮と調整役だ。私は課長と共に全体の指揮と調整を行う。以上、捜査を開始する。」
「「了解!」」
それぞれが準備の為に動き始める中、静音は渡された名刺を見つめる。
「(間違ってるなんて分かってるのに……。ダメだね私達…。)」
切なく自問自答する。
誰の為と問われたら、きっと自分の為だと言うだろう。
弱虫で悪役になりきれず、不器用に無言を貫くしか出来ないのだから。
◆
『静音…?』
捜査用に支給された携帯で、静音は玲斗に電話をかけた。
「ホテルの人から電話があった。臨時に雇われてた応援のバイトなんだから、あまり騒ぎにしないでよ。」
『ごめん、つい。』
実際には、事情を知っている総支配人が対応したのでホテルでは騒ぎにはなっていない。
しかし、通常なら小さくも騒ぎになっているはずだと想定して話す。
『…今、どこで働いてるの?』
「今はフリー。探し中。」
『そっか。……岨聚のこと聞いた?』
「…うん。」
『警察が来てさ、アリバイ聞かれたんだ。鏡鵺達との二次会抜け出してホテルに行った後だから、アリバイ何も無くて疑われてるみたいなんだ。そっちは?』
「家に居た。一人だから私もアリバイはないよ。」
『だよね。鏡鵺達も酔ってて曖昧みたい。』
帰宅した岨聚以外の玲斗達4人の二次会。
他の3人曰く、玲斗が帰った後程なくして解散し帰宅途中で、しかも徒歩であった為に、犯行時刻のアリバイが曖昧なのだ。
同じ立場の方が合わせやすい為、静音は話ながらも素に近い、それでいて潜入とバレないように偽物の経歴を組み立てていく。
◆
『鏡鵺と雅と琅提の4人で、岨聚の見舞いに行ったんだ。静音もさ、見舞いに行かないか?あいつらとは顔合わせづらいだろから2人で。』
「…見舞いはいい。岨聚も来て欲しくないだろうし。特に、私と玲斗の組み合わせだと。」
これは、静音の本心だった。
岨聚は静音が嫌いだ。
その理由を静音は知っている。
いや、玲斗達4人も知っている。
自らの行いの動機も理由も、それによってどうなるのかも。
それが周りから見ればいじめでも、静音は何も言わなかった。
玲斗達も言わなかった。
純粋で純情で、気持ちに素直だったからこそ、ぶつかり合うことを恐れ上辺だけを取り繕った結果だ。
心は子供のまま身体だけが成長して、一向に等身大になれやしない。
『分かった。……話変わるけど、今フリーなら診療所で働かないか?今募集してるんだけどなかなかで。受付と事務だから資格が無くても大丈夫なんだけど。どうかな?』
「……ずっと出来るか分からないけど、それでもいいなら。」
『ありがと、助かるよ。』
半強制的に担当になってしまいどうしようかと思っていたから、玲斗の申し出は有り難かった。
◆
「つ~か~れ~た~」
「うるさい。」
潜入してから3ヶ月が経過した。
ぐったり机にのびる橘の疲労も、眉間に皺を寄せる来栖によって一蹴りされる。
「何か成果はあったか?」
「それが……」
要の問いに、椎名は困り顔で橘に目をやる。
「成果も何もあったもんじゃありませんよ!窓口っていったってお金扱うから超厳しいし、神経使うし。業務中に聞き込める状況じゃありませんよ~」
椎名は元総務課で会社員としても働いた経験がある為に、窓口業務もすんなりこなしている。
しかし、橘にとってはかなりの激務のようだ。
「蒜崖雅と伽虐琅提ですが、2人とも仕事は完璧、他の従業員ともトラブルもなく、仲良くやっています。仕事面で特に気になる点はありません。」
「仕事面、で…。仕事以外は何かありそうな口振りだが?」
「さっすが、要さん!厄塒さんと同じですよ。プライベート、特に氷室岨聚の件になるとみんな口が重くなって…。愛想笑いもいいとこです。」
「確かにな。警備員としても同じような感じだった。」
氷室岨聚に関しての銀行で働く者を含めた同級生達の反応は、一様に同じだった。
◆
「千影鏡鵺の方は?」
来栖は岨聚がいない間の補佐役として潜入している。
渋る総帥に窓口業務と同じく、犯人逮捕の為と協力を頼み込んだ。
「仕事は完璧です。支店長としても銀行内の上司としても。ただ女2人と違って、仕事の合間にも氷室岨聚の病室に足しげく通っています。」
「もしかして、内密に付き合ってるとか?」
「周りにさりげなく聞いたが、そっち方面の噂も事実もないみたいだ。まぁ、支店長と違って窓口は抜け出す訳にいかないし、面会時間もある。親しい間柄なだけかもしれないな。」
「そう、なんですか…」
橘はつまらなさそうな顔をしたが、見舞いに訪れている時間以外は仕事を全うしていて、心配している以外の様子は見られなかった。
「お前、織端玲斗とどういう関係なんだ?!」
「…聞こえてますから、そんな大声出さないでくださいよ。」
来栖達が報告し合っていると、廊下から卍擽の怒鳴り声と静音の鬱陶しそうな声が聞こえてきた。
「ど、どうかしましたか?」
「どうもこうもない!昨日、織端玲斗にプロポーズされてたんだ!俺はこの目でハッキリ見た。あれは間違いなく指輪の箱だった。」
◆
昨日、卍擽が地取りを終えて所轄に戻ろうとした時、目にしたのは静音に指輪の箱を差し出す玲斗の姿だった。
「え?ほんと!?」
「断ったから。大体見たって…、卍擽先輩に関係ないですから。」
興味津々の橘に対し、興味無さげに静音は返す。
卍擽が怒っている理由も意味が分からないと、バッサリ切り捨てた。
「柊、潜入してくれとは言ったが、付き合えと言った覚えはないぞー?」
「だから、付き合ってません。断りましたー」
「とか言って、裏で繋がってたりしてな。」
「卍擽、根拠の無いことは控えろ。」
仁科が書類を見ながら取って付けた様な疑いにも律儀に返す。
しかし卍擽はまだ納得がいかないのか、厄塒に釘を刺されてもひねくれた態度だ。
「柊、本当に何もないんだよね?織端玲斗とは何も……」
「何もないです。」
「本当だね?」
「しつこいです。」
面倒くさそうにする静音とは対照的に、椎名は両肩に手を置き向かい合う程真剣だ。
「だって心配で。僕は柊のこと好きなんだ。だから……同窓会の時のこともあるし、織端玲斗と柊とが……。それにもし、織端玲斗が氷室岨聚を」
◆
「玲斗が犯人だとでも?私と共謀して岨聚を突き落としたとでも?」
「あ、いや……そこまでは言ってないけど…」
先程までとは違い、怒って責める様な雰囲気に椎名はたじろぐ。
無意識だろう、名前の呼び方も刑事としてではなくなっている。
「静音。椎名は心配してるだけだ。同窓会でのこと、俺もまだちゃんと聞いてなかったしな。」
「そうだね。同級生の人達とも何かあるようだし、事実関係を教えてくれないか?」
岨聚との関係が悪いと分かりきっている静音を容疑者リストから外し、なおかつ捜査に加わっているのにはもちろん理由がある。
銀行の防犯カメラの故障を知らなかったこと、最も疑われる立場にも関わらずアリバイが曖昧なこと、偽装工作をするならば警察官の静音なら靴だけでなくもっと巧妙にするはずということ。
そして、一番は篠宮と要の感じた違和感だ。
3年前の莉央と深緒以上のことを隠している。
それは、静音や岨聚だけでなく同級生達全員にいえること。
容疑者リストから外した、というより事件の全容を解明する為に静音を捜査に加え泳がしている、といった表現の方がこの場合正しいのかもしれない。
◆
「事実関係も何もない。そういう関係でもないし、椎名さんにも関係ない。玲斗は犯人じゃないし、私達には何もない。何もないから。」
拒絶する様に低く、最後は静かに呟く。
「診療所の仕事あるんで行ってきます。」
「柊!」
両肩に置いたままだった椎名の手を振りほどき、静音は部屋を出ていった。
「…しまった、またやってしまった。」
「どんな言い方をしても結果は同じだと思います。状況が3年前と似ているのに、話そうとしないのは……」
「同級生、ニオイますよ。」
聞くタイミングを間違えたかと、落ち込む篠宮とそれでも冷静な要。
そんな2人を尻目に、厄塒は推論を口にした。
「同級生?私と椎名さんの対象の蒜崖雅と伽虐琅提ですか?」
「いや、その2人だけじゃない。聴取に行った同級生全員だ。アリバイについてはハッキリ言うくせに、氷室岨聚やそれらの関係性についての話題になると、皆一様に口が重い。」
特に、静音と岨聚、潜入対象の4人に関しては。
「柊が語らないのは、その辺が絡んでるんじゃないかと。3年前は蓋を開けてみれば、柊自身と死亡した逢沢兄妹の問題だけでしたし。」
◆
「厄塒さん、柊を庇うんですか?柊が捜査に加わってるのだって、俺は納得してないんですよ。」
都澄が静音の隠し事と事件とが繋がっていると感じ、静音が捜査出来るようにと、課長に許可を取り付けたのだ。
「庇う訳ではないが、厄塒の言うことにも一理ある。」
「係長。」
少なくとも静音が出ていった後だろうが、どこから聞いていたのか都澄が現れた。
「柊個人の話で済まない気がしてな。現に、同級生が揃えて口を閉ざしている以上、捜査が先に進めないことは確かだ。この3ヶ月、これといった報告はあがっていない。氷室岨聚の容態は安定しているが、目を覚ます気配はない。そろそろ次の段階に行かなければならないと、課長と話していたところだ。」
岨聚が入院して静音達が潜入していること以外、前と変わったことすらなかった。
岨聚に届いた脅迫状についても同じ。
入院中と発表済だが、病室…病院にすらコンタクトはない。
「次の段階…」
「どうします?」
悩む要と仁科。
「そのことだが。柊を重要参考人とする。」
「「え?」」
都澄の思いもよらない言葉に、一同の思考と動作が止まった。
◆
人気の無い夜の小さな公園。
琅提と雅は焦っていた。
「どうしよう……静音が警察に捜されてる。」
「どうもこうもないでしょ!…私達のこと、警察になんて言えるわけないし。」
「だけどこのままじゃ、静音が捕まっちゃうよ……」
静音は大切な友達だ。
岨聚も鏡鵺も玲斗も。
大切だ。
「静音を診療所に誘うだなんて、まったく玲斗は何を考えてるの!?岨聚が目を覚ましたら大変なことになるの分かってるはずなのに。っていうか、鏡鵺も鏡鵺よ。見舞い、一人で行ってるみたいだし。訳分かんない。」
「玲斗は信じるって言ってたけど、鏡鵺は電話に出てくれないし………どうすればいいかな…?」
「ほんと、どうすればいいのよこの状況。……どうすればよかったのよ、私達…」
助けたくて、状況を変える術はいつだってあるのに。
実行出来なかった、……いや、実行しなかったのは、自分の為。
偽りは、誰の為でも無かった。
「雅……同窓会、楽しかった。静音がいればもっと楽しかったよ。」
「そうだね。」
上辺だけの醜い同窓会よりも、きっと。
覚悟は要らない。
勇気だけだ。
◆
玲斗は帰宅しようとした矢先に飛び込んできた親子の診療を無事に終え、改めて帰宅しようとしていた。
準備を進めながら思い返すのは昼間小耳に挟んだ、静音が重要参考人として事情を聞かれているらしいとの事。
琅提から電話があって、信じると答えたものの、憶測だけで真実が分からない。
ただ、言えるのは。
「(僕達は間違ってたってことだ。気付いているのに逃げて、楽な道を選んだ。その行為が傷付けているのを分かってて。)」
渡した指輪は填められることなく、箱に入ったまま返された。
勇気は要らない。
覚悟だけだ。
「………………。」
機械音が響く病室。
ベッドに横たわる岨聚を見つめるのは、仕事帰りに立ち寄ることが常の鏡鵺だ。
「(俺は、俺達はもう……後戻りなんて出来ない。だったら、いっそのこと……)」
いつも思い出すのは、天国と地獄。
戻れるならと何度思ったことだろう。
けれど、戻ったとしても結局は同じになるのだろうとも思う。
今がそうなのだからと、玲斗は静かに病室を後にした。
勇気も覚悟も要らない。
総ての事を終わらせるだけだ。