「……分かった。」



莉央と深緒の覚悟と想いが伝わったのか、強く頷き静音は承諾した。



「よし!じゃあシミュレーションを」


「でも、莉央にぃも深緒ねぇもお芝居出来るの?相手、警察官だよ?」



張り切っている莉央の言葉を遮って、静音は疑問を口にする。


サラリーマン相手とはまるで違う、警察官である相手は有る意味プロだ。



「何とかなるだろ。つか、静音の方こそどうなんだよ。」



「な、何とかなるよ。」




「……何とかで、なるの?」



莉央の演技力が無いのは知っているし、静音の動揺具合で深緒はかなり不安になる。



「だ、だからシミュレーションすんだよ。」



パトカーのルートは補導されないように、静音に会う前から把握しているから出会いの確率は問題ない。


3人はそれから何回もシミュレーションを重ねた。



「よし!こんなもんだろ。」


「結構何とかなるもんね。」



静音と一緒にしていたことで、知らない内に演技力がついたらしい。



シミュレーションだけなら、ばっちりだ。



どんな警察官が来るか分からないけれど、後はその場の雰囲気に合わせるしかない。

「あとな、静音。」


「うん?」



シミュレーションの雰囲気から一変して、真剣な顔をする莉央。



「警官のとこ行ったら、信頼出来る奴を探せ。」


「どういう意味?警察官なんて信じちゃいけないでしょ?私達を捕まえる方なんだから。」



未成年でこんなことをしている自分達の話を、まともに取り合う訳がないと静音は思う。



実際、母親の病気のことだって子供だからという理由だろう、担当医からも看護師からもあしらわれてきたのだ。



母親には、自分といる時ぐらい病気のことを忘れて欲しくてほとんど話題に出さず学校の話ばかりしていた。



亡くなってからの色々な手続きも、役所の職員が説明も無いまま知らず知らずの内に進めていて、いまだに詳しいことは分からない。



2人と離ればなれになるということ以外は。



「だからだ。警官じゃなくてもいい。静音の話、ちゃんと聞いてくれる奴だ。俺達が悪役になったところで、静音の話を信じてくれる奴じゃなきゃ、意味がない。」



「そうね。静音なら見付けられるから。」



素行の悪い自分達は無理だが、利用されていた無名の静音なら、大人は同情し信じてくれるはずだ。

しかし、物事の背景も見ず素行不良は全て悪だと決めつけてしまう警察官だとグルだと思われ無意味になってしまう。



2人はそれを防ぐ為にも、信頼出来る人を探せと言ったのだ。


そして、静音の観察眼ならそれが可能だと2人には自信があった。



「見付けたら、俺達のことを話せ。もちろん、シミュレーション通り俺達は悪役だ。それまでは何も話すな。」


「あたしらも静音が話すまでは話さないからさ。」



自分達は施設では厄介者。


居なくなっても問題ないことは分かっていた。



だから、自分達のことが知れる時は静音が信頼出来る人を見付けた時。



それが、前を向く合図だ。



「分かった。居るかどうかは分かんないけどやってみる。」



2人の想いに応えたいから、静音はもう一度大人を信じてみようと思った。



「よし!それと分かってるとは思うけど、このことは誰にも秘密だからな。」


「3人だけの秘密ね。」



「うん。秘密!」



自分じゃない誰かを守る為の約束。


他人にはきっと分からない絆。


それでも良いと思えた。


この子が幸せになれるのなら。


どこかで笑っていられるのなら。

「そういうことだったのか……」



静音が話終えると、篠宮は止めていた息を吐き出す様に言う。



「うん。嘘を付いててごめんなさい。」


「…いや、よく話してくれた。」



一番身近にいた自分達にさえずっと隠してきたのだ。



本当の罪を償うことが出来ず、かといって言うことも出来ず。


悟られないよう振る舞うのはどれほど辛かっただろう。



罪悪感からか苦しげに、それでいて胸のつかえが取れたような表情の静音に、要は出会った頃を思い出し頭を優しく撫でた。



「だが、なんで俺達に言わなかったんだ?」



「先輩……まだ拘ります?」


「当たり前だ。」



篠宮はかなり気にしていたようで、この点だけは要の方が大人だ。


「だって……言ったら、今話したこと全部喋ってしまいそうだったから。翁さんから、シノさんと要さんに連絡あると思わなかったし。」



5年前の退院が延期になった騒動の原因は、他の人に静音のことを馬鹿にされたからということは翁から聞いた感じ間違いない。



翁は、見下している静音と自分達を同類にされたことでキレたと思ったらしいが、そこまで詳しい話を篠宮とはしていなかった。

だから今回も言わないだろうと思っていたのだが、現実には身元確認をした静音を心配して翁が話していたのだった。



「連絡くれるぐらい、翁さんも心配してたってことだよ。」


「そうだ。後で連絡しとくんだぞ?」



「うん、分かってる。」



仕事とはいえ、翁にも迷惑をかけてしまった。


謝るのと真実を報告しようと、静音は頷く。



「それにしても、意図的に隠していたとはいえ気付けませんでしたね。」


「ああ。すっかり騙された。」



警ら担当としては情けないと2人で苦笑する。



「だ、だって…!バレないように必死で!ドキドキし過ぎて途中から震えが止まらなかったんだから。」


「震えが止まらないって…怯えてたんじゃなかったんだ……」



自分の眼力も大したことがないと要は項垂れた。



しかし、必死だったのは自分だけではないと静音は思う。


篠宮と要には無視していたように見えても、莉央と深緒はボロが出ないよう日常会話を続けるぐらいしか時間の引き延ばしと悪役具合が思い付かなかった。



開きそうになる静音の口を閉ざし心を支えていたのは、パトカーの外から聞こえてくる2人の声だけだった。

「静音、2人については良く分かった。今話してくれたことは、今回の事件に何か関連性とかは見付かっているのか?」



「ううん、分からない。けど、先輩達曰く、ヤクザの組員が莉央にぃと深緒ねぇを探してたらしい。ヤクザのことなんて2人から聞いたこともないし、見たことだってなかったんだけど。」



篠宮と要に話している最中も何かあるかと気を付けていたものの、これといって新たに思い出したことも気付いたこともなかった。



「ヤクザか…係長に聞いてみようか。元組対だって言ってたから。」


「ほんと!?先輩達も探ってる最中だって言ってたけど、元組対なら情報源としては鬼に金棒だよ!お願いっ!」



一課経由より、都澄経由の方が何かと融通も顔も利く。



「ああ。それと静音、一つ提案があるんだけど。」


「提案?」



良からぬことではないだろうが、何か企んでいる顔の要。



「事件が解決したら、逢沢莉央と逢沢深緒のお墓造らないか?」


「お墓…?」


「なるほどな。それは良い考えだ。どうせなら親御さんと同じところにしようか。」



篠宮は要の提案に賛成するが、静音は考え付かなかったのか目が点になる。

「どうした?」


「なに固まってるんだ?」



驚きの表情のまま微動だにしない静音に、篠宮と要は不思議そうだ。



「いい、の…?」


「何がだ?」



「だって……私は……、私達は………」



手厚く葬られるなど。



考えもしなかった。


考えてはいけないと思っていた。



前を向いて今を生きても。


最期に逝き着くのは、それなりのところなんだと。


あらゆる人生の末路を見てきたから。



自分もそうなるんだろうなと、何となくの漠然とした思いはあった。



「法律がどうであろうと、静音の大切な2人だ。そういう事はちゃんとしなきゃいけないよ。」



「そうだぞ。静音の大切な人は、俺達の大切な人でもあるんだからな。」



ありきたりなセリフなのに、篠宮と要が言うとこうも違って聞こえるのか。


静音の心に響いて仕方がない。



「シノさん…要さん……ありがとう。」



微笑みながらも涙目になる静音。



「泣くな。まだ早いぞ。」


「そうだよ。犯人逮捕しなきゃね。」



「うん!」



静音は莉央と深緒に加え、信じられた篠宮と要の想いにも応えようと決めたのだった。

篠宮と要に本音を話し、翁に連絡を入れてから数日。



聞き込みから帰ってきた静音を、仏頂面の厄塒が待っていた。



「お前、本部に繋がりあったんだな。」


「なんですか、いきなり。」



「逢沢兄妹の件に関して、本部にいる元組対の都澄警部から連絡があったんだよ。ここに直接だぞ?お前によろしくって、どういう繋がりだ?」



元とはいえ、さすが組対。

期待していた以上に情報が早い。



「ほんとですか!都澄警部はなんて?」


「落ち着けよ。10年ぐらい前に蝶笂組だけじゃなく、組関係で噂になっていたらしいぜ。男女3人組の不良がシマを荒らしてるってな。逢沢兄妹は不良としては有名だったからすぐに分かったらしいが、もう一人の素性は分からなかったみたいでな、ペテン師夜鷹って組関係じゃ呼ばれてたらしい。」



「それって、私のことですよね……」


「だろうな。ただそのもう一人は、逢沢兄妹と同じぐらいの年齢で見られてたんだと。俺も話聞いてなきゃ、そいつとお前が同一人物なんてぜってぇ思わねぇからな。」



ヤクザとはいえ、検討違いを調べていても見つかるはずがない。


深緒がした化粧の効果は絶大だった。

「でも荒らした覚えなんて、全くないんですけどね。」


「美人局か売春でもやってたんじゃねぇか?10年前とはいえ、組対が把握してたぐらいだからな。」



静音達の行動が邪魔になるとすれば、それくらいしか思いつかない。


組対情報なら尚更だ。



「で。お前は本部と、どうなんだよ。」


「どうって……それ、厄塒さんに関係ないじゃないですか。」


「ある。俺はお前の先輩で、指導係だ。」


「意味が分かりません。」



「ちっ。」


「(舌打ちって……)」



厄塒達所轄と本部の仲は、あまりよろしくない。



本部は、所轄の捜査がぬるいだの甘いだのと言ったり、手柄を横取りしたり、所轄だからと見下したり。


所轄は所轄で、本部は現場を分からないエリートだからと端から敬遠したり、聞き込みで本部の上からの物言いに対して地元住民からの苦情を処理したり。



お互い様なのだが、噛み合わない。



そんな本部の人間が、すんなりと所轄である静音の頼み事を聞き、しかも調べて直接報告をくれるなど、厄塒には信じ難かった。



まあ、静音の過去話を聞いた時も、同じぐらいの心境だったが。

「古くからの知り合いがいるだけです。」



都澄はともかく、篠宮と要はそうなのだから嘘ではないが微妙に濁した。



話したところで問題はないと思うのだが、当時の年齢と現役警察官という立場上あまり公にするなと課長から言われている。


一課の皆にした過去話も、事件に関係ありそうな部分しか話していない。



「ま、そういうことにしといてやるよ。」


「そういうことって何がですか?」



「おう、卍擽。何でもねぇよ。何か分かったか?」



「季更津が使ってた半グレ、分かりましたよ。」



聞き込みから帰ってきた卍擽は、静音への追及を諦めた厄塒の問いかけに明るく答える。



「痴愚思留釣恣(チグシ トツジ)、29歳。都内で小さいキャバクラをやってる、まあ言うなれば季更津の……、ひいては蝶笂組の手足みたいな奴ですね。」



13年前、中学を卒業してからチンピラとしてフラフラ暴れ回っていた痴愚思を季更津が拾った。


季更津はチンピラ風情を拾っては、半グレとして裏で自らの手足として利用しているらしい。



中規模な蝶笂組の資金源は、主に半グレにやらせている店からのようだ。

「だが、痴愚思以外にも手足はいるんだろ?嗅ぎ回ってたのは痴愚思なのか?」


「それに、痴愚思が探してたのが2人とは限らないんじゃないですか?」



「間違いありません。季更津と一番信頼関係のある半グレは痴愚思だと、複数のチンピラが証言してんだよ。だから柊、黙って聞いてろ。」



卍擽は厄塒に報告していたのに横から口を出されたので、語尾は静音への文句となってしまった。



「痴愚思の線で追うか。そのキャバクラ、明日聞き込みに行くか。柊、お前は面が割れてるかもしれん。逢沢兄妹の行動を探れ。」



「分かりました。」



「痴愚思に面が割れてるってどういう意味だよ?!」


「説明してやるから、突っ掛かるな。」



静音へ噛み付く卍擽を引きずるようにして、厄塒は会議室へと消える。



「なにあの態度。疑問を言っただけじゃない。っていうか、それまで黙って聞いてたし!」



卍擽に言われた言葉が、今沸々と怒りに変わる。


厄塒は引き際を知っているが、卍擽は引くなんてことはせず、押せ押せとばかりに静音に向かってくる。



静音と卍擽、本部と所轄同様、目指すところは同じなのになかなか噛み合わない。

「痴愚思はいない?!」


「あ、はい。痴愚思さんはいつもフラッと来ていつの間にかいなくなってるだけッスから。」



「じゃ、今日来るかも分からないってことか?」


「あ…はい、まあそうッスね。」



アルバイトだろうか、気のない返事のボーイ。



厄塒と卍擽は、痴愚思の経営するキャバクラ会鎌(アレン)に赴いたのだが、本人がいないのではどうしようもない。


しかも、いつ現れるか分からないとは。



「とりあえず行きそうな場所聞き込むか。」


「そーですね。」



ボーイに痴愚思が来たら連絡をもらう様に取り付け、会鎌を後にした。



「おう、柊。何か分かったか?」



「いーえ、特には。」



翁にもう一度、莉央と深緒について、判明した季更津や痴愚思のことも含めて聞いてみたが、新たな収穫は無かった。



「明日、昔3人でいたとこを回ってみます。」


「ああ頼む。こっちも痴愚思と会えず仕舞いだからな。」



「そういえば卍擽先輩は?一緒じゃなかったんですか?」


「帰り同期の奴に会ってな。盛り上がってたから、放ってきた。」



無駄にはしゃぐ卍擽が脳裏に浮かんで、静音は呆れた。

「そうですか、ありがとうございました。」



静音は莉央や深緒と行った場所を回り聞き込むが成果は無い。


2人と男によく声をかけていた路地裏、今ではホテル街になっているところへ差し掛かる。



「よう、ペテン師夜鷹。」



静音は、後ろから声をかけられた。



「バカかお前は!いくら聞かれたからと言って、同期とはいえ、柊の過去や捜査情報、話すか普通!?しかも外で!噂は回ってるし、尾ひれがかなりついてるぞ。デリケートな事案だから気を付けろと、課長からも言われただろうが。」


「す、すみません………」



現役警察官の、しかも後輩の事件。



週刊誌などのかっこうのネタになるのにも関わらず、最近の進捗状況を聞いてきた同期に、久しぶりと軽くなり過ぎた卍擽の口が色々と話してしまった。


その同期が後輩へ言ったことがきっかけでここまで広まってしまったようで、同期も平謝りだった。



「ったく……とりあえず他のところは刑事課内で済んでる。これ以上触れ回るなよ。」


「はい……」



噂を耳にした課長にこの後こっぴどく言われるだろうからこのくらいにしとくかと、厄塒は溢れ出る怒りをなんとか収めた。

「あ、お疲れ様ッス。」


「おう。店はどうだ?」



会鎌にフラりと痴愚思が顔を出す。


会鎌のアルバイトボーイで一番の新入り、21歳の拐袂苔駕(ゲタモト タイガ)は痴愚思にも軽い口調だ。



「入りはまあまあだと思うッス。コウ先輩はまだッスよ。」



痴愚思がいない間を任されているのは、苔駕の先輩、27歳の箭蛙膏嗽(カワズヤ コウガイ)だ。


痴愚思は揉め事が起きた時に出るぐらいで、ほとんど膏嗽に会鎌を任せていた。



会鎌はキャバクラとしては小さいながらも、同規模に比べて客の入りは良かった。


もちろんそれには、それなりの理由があるのだが。



「あ、そういえば痴愚思さん。なんか刑事が探してたッスよ。聞きたいことがあるとかで。ほら俺、入ってまだ2週間だし、よく分からなくて。だから」


「バカヤロウ!!何でそれを早く言わねぇ!俺はしばらく来ねぇってコウに言っとけ。」


「あ、はい……」



怒鳴りながら捲し立てるように言うと、痴愚思は会鎌を出て行った。


意味が分からないと不思議に思いながらも、苔駕は約束したからと厄塒に連絡を入れた。


妙なところで律儀な性格らしい。

「卍擽!出るぞ!」


「どうかしたんですか?まさか、痴愚思が見付かったとか?」


電話に出たと思ったら、厄塒の顔色が変わる。


内容からして痴愚思の件のようだ。



「分かったには分かったが……あのボーイ、痴愚思に俺達のこと話やがった。」


「え゛…?それって……」



「慌ててどっか行ったとよ。俺は車回して来るから、組対に連絡しとけ。証拠隠滅でもされたらシャレにならん。」



見付かった連絡と同時に、痴愚思は行方不明だ。



それはそうだろう。


やましい事をしている人間に、警察が自分を探しに来たなどと知らせれば、身を隠すに決まっている。



ありがたいやら、迷惑やら。


厄塒と卍擽は、とても複雑な気分だ。



「あ、コウ先輩。お疲れ様ッス。」


「お、タイガ!精が出るねぇ~」


「オヤジ臭いこと言わないで下さいッスよ。」



キャバ嬢が続々出勤し、開店準備に追われる中、膏嗽も出勤する。



「あ、そういえば…昼間、痴愚思さんが来たッスよ。刑事が探してるって言ったら、慌てて出て行っちゃったッスけど。」


「あ゛?刑事だと?!」



刑事と聞いて、膏嗽の顔色も変わる。

「コウ先輩には、しばらく来ないって伝言が。なんかマズかったッスか?」



「マズいもなにも…!!あ~お前は入ったばっかりだったな。とりあえず、女共帰せ。今日は休業だ。」


「え?休業ッスか…?」


「理由なんか適当に言っとけ!とにかく早く…」



「その理由、我々も是非聞きたいんだが、聞かせてくれないか?」



「あんたら…」



またしても不思議な顔の苔駕と、聞き慣れない声に驚き青ざめる膏嗽。



「君の予想は当たっていると思うぞ?箭蛙膏嗽?」



ニッコリ不敵な笑みを浮かべる強面集団。


一番先頭にいる汀原帥(ミギワ ゲンスイ)の手には、家宅捜索令状があった。



「痴愚思っ!!」


「待てコラっ!」



「待てって言われて待つ奴がいるかよ!」



中学生のような言い分で逃げる痴愚思を発見し追い掛ける。



「手間かけさせんじゃねーよ!」


「やましい事があるから逃げんだよな、痴愚思?」



「クソがっ!」



路地裏に逃げようとしてゴミ箱を引っ掛け、よろめいた拍子に放置自転車にぶつかり、痴愚思は倒れ込んだ。



そのおかげで距離が縮まり、捕まえることが出来た。

「季更津……!」


「お前のことだったんだな、柊静音。」



ニヤリと笑う季更津が、静音の目の前に佇んでいた。



「なんで私の名前、知ってるの?」



「男が面白可笑しく話してたの聞いてよぉ。ペテン師夜鷹は、実は警察官だってな。そこからは容易かったぜ。」


「(あのお喋り先輩っ…!!)」



季更津の言う男は十中八九、卍擽のことだろう。


呆れと共に怒りが沸いて、静音は頭が痛くなる。



「私に何の用?自首するなら手を貸すけど。」


「自首ねぇ…。それは俺のセリフじゃねぇのか、ペテン師夜鷹?俺のシマを荒らしやがってよ。」



「荒らした?取り締まりのこと?貴方達のことは担当外だけど、警察官なら当たり前だと思うけど。」


「しらばっくれんなよ、同業者。おかげで商売あがったりなんだよ。」



「それはお気の毒様。」



静音も季更津も、落ち着いた口調で話す。


しかし、思惑は言葉とは裏腹だ。


その証拠に、季更津は話ながらもどんどん間合いを詰めて来て、その度に静音は下がるが、何せ場所が悪い。



ホテルの裏手に当たるこの道の幅は狭く、季更津の横をすり抜けることが出来ないのだ。

「ああ……気の毒だろ?だから責任取れよ、このアマっ!!」


「っつ………!!!」



季更津の攻撃をギリギリで静音は避ける。



大通りから離れ人少ないホテル街とはいえ、拳銃を持っていたとしても後処理のことを考えて発砲はしないだろうと、静音は思っていたのだが。



季更津が静音に放ったのは弾丸ではなく、右ストレートだった。



「ヤクザがタイマン?珍しい。」


「俺はこっち派なんだよ。拳から感じる肉や骨の感触……ああ、堪らねぇよ。だからよぉ、早くお前のも感じさせてくれよ?」



季更津にとって殴ることが快感らしく、拳の間から見えるその表情は恍惚としている。



痴愚思は分からないが、季更津の身勝手な言動からみて、季更津が莉央と深緒を殴ったのは間違いない。



「おら!どうしたよ?避けてばっかじゃ面白くねぇよ。あいつらみたいにもっと抵抗しろよ!」



殺り甲斐がねぇ。



そう言いながらも振るい続ける拳の勢いは止まらず、心底楽しそうに季更津は笑う。



静音が警察官ということを考慮しても、男女の体格差がある為、狭いこの道では避けるだけで精一杯。


静音にとってはかなり不利な状況だ。

「柊っ!!!」


「あ?ぐっ……がはっ!!」



「ば、卍擽先輩………!」



大声で名前を呼ばれたと思ったら、季更津が吹っ飛んで来た。



「卍擽っ!お前、やり過ぎだ!!加減考えろ!」


「厄塒さん………」



静音が壁際に張り付いてなんとか避けると、後ろから厄塒も現れた。


季更津を取り押さえている2人を見ながら、今起こった状況を整理すると………



季更津の背後から卍擽が飛び蹴りをかまし、季更津を吹っ飛ばした。


結果として捕まえられたはいいが、狭い道と静音と季更津の距離感も考えずに卍擽が蹴り飛ばした為、厄塒は怒っているのだ。


しかし、当の卍擽は満足気だ。



「お前ら……どっから涌いて出た?!」


「うるせーな!どこでもいいだろうが!」



卍擽と他の捜査員によって、吠え続ける季更津を引きずるようにしてパトカーへと押し込んだ。



「大丈夫か柊?主に卍擽が原因の。」


「大丈夫です、なんとか。」



卍擽のやり過ぎ感に、静音も引きぎみで答える。



「でも、どうしてここが?」



曖昧な聞き込み場所をピンポイントで探し当てて来たような感じが静音にはしたからだ。

「汀さん…組対で都澄警部の元部下な。その人経由で都澄警部に、蝶笂組のシマ周辺でお前の行きそうな場所聞いたんだよ。痴愚思からお前のことが季更津にも漏れてるのも分かったからな。お前に会いに行くと思って。」



「なるほど。全部先輩のせいですね。」



静音は冷めた目だ。



「まあ、そう言うな。痴愚思から聞いて一番ショックを受けてたのはあいつだ。」


「厄塒さん、季更津を」


「ああ。」



厄塒を呼びに卍擽が来る。



「なんとかしろよ。」



小声で言いながら卍擽の肩を軽く叩き、入れ替わるように厄塒はパトカーへと戻った。



「おう……」


「どうも。……まぁ、なんと言うか……、助けてもらってありがとうございました。」



拳銃を携帯していなくて良かったと静音は思う。



季更津に直接会い今まで以上に逮捕しなければと強すぎる思いと莉央と深緒の想いとの間で、威嚇射撃だけで済むとは自分でも思えなかったからだ。



「いや、俺こそ悪かったな…、色々と。」


「…別に。私達も戻りましょうか。」


「そう…だな。」



静音と卍擽は、お互い珍しく大人な会話をしてパトカーへと移動した。

『今回の件、すまなかったな。色々口まで出して。』


「いえいえ。都澄さんの頼みですから。それに小物が大物になりましたからね。こちらとしてもお礼を言わなくては。」



裏取りと取り調べの合間をぬって、汀は都澄へ電話をかけていた。



組長はお飾りだったらしく、季更津と痴愚思の逮捕により蝶笂組は事実上解体、会鎌を含む蝶笂組が運営するキャバクラもガサ入れ後閉店に追い込まれた。



莉央と深緒の殺害と死体遺棄だけでなく、厄塒が睨んだ通り美人局や売春斡旋の余罪も含めた捜査を開始した。



『さすが、手際よく厳密に物事を遂行する汀原帥だ。』


「止めてくださいよ。今じゃ部下にまで言われる始末なんですから。」



名前をもじって都澄が付けた、あだ名のようなもの。


43歳にもなって恥ずかしいからあまり広まって欲しくないのだが、あだ名通りのきっちりとした仕事をする為、汀本人の知らぬところで有名になっている。



『柊は大丈夫か?』


「ええ。噂も落ち着きましたし、仲直りもしたみたいですしね。」


『そうか、それは良かった。実はな…』



今回の件で思い付いた都澄のある考えを、汀は流石だと同意した。

季更津達の逮捕から数ヶ月。



一課や組対に断りを入れ捜査中だが、篠宮・要・翁の3人と一緒に莉央と深緒のお墓を建てた。



約束通り、静音の希望通り、両親の隣へ。


季更津達の逮捕と、嬉しいある報告を兼ねて。



「静音、帰ろうか。」


「うん。」



篠宮に促され帰ろうとして、一瞬だけ振り返る。



ほら、ちゃんと見付けられたじゃない。


ああ、これでいつでも会えるな。



深緒と莉央はそう言ってそうだ。


お墓に微笑みながら、静音は何となくそんな気がした。



「んで昇進の推薦がお前なんだよ!」


「知りませんよ。普段の態度じゃないんですか?」



「普段……も、俺の方が良いに決まってる。季更津も痴愚思も、逮捕したのは俺だぞ?」


「手錠掛けただけじゃないですか。刑事として普通なこと威張らないでください。」



季更津の逮捕時は息を潜めていた小競り合いも、今ではすっかり元通りだ。



「確かに。それは柊の言う通りだな。」


「ちょっと厄塒さん!俺の味方じゃないんですか?!」


「俺は被害者の味方だ。それより卍擽、課長が呼んでたぞ。」


「げ……い、行ってきます。」

課長という言葉に過敏に反応し、卍擽は早足に出ていった。


静音の情報を漏洩した件で課長に叱られてからというもの、卍擽は課長恐怖症だ。



「被害者の味方って……似合わないし、格好つけ過ぎですよ。」


「うるせぇ。…俺より先に出世しやがって。」


「課長から聞いたんですか。」



多大な情報提供と蝶笂組解体という功績から、静音は課長の推薦により巡査部長への昇進と本部2係への異動が決定した。



異動理由については、篠宮達から静音の実績を聞いた都澄が思い付いた考えに他ならない。



課長も、本部から声がかかり引っ張って貰えるなど光栄だと嬉しそうだった。



正式な辞令は後日だが、課長は厄塒には言ったようだ。



言わずもがな、卍擽の昇進は情報漏洩で相殺どころかマイナスの評価になったのは当然だろう。



「お仲間の弔いも済んだし、これで気兼ね無く本部勤務だな。知り合いがいるからって気を抜くなよ。」


「そんなこと、言われなくても分かってますよ。」



なんだかんだ言っても、嫌味だけで済んだのは、様々な悲しみを知っている人達だからだろうか。


厄塒達を見てきて、静音はそう感じたのだった。