◆
「ああ……、間に合う…間に合うに決まってる。静音ちゃんなら良い警察官なれる。」
「ほん、と…?」
「ほんとだ。俺が保証する。」
妻の葬式でも、人前で泣いたことなど無かったのだが、静音の精一杯の言葉に感極まり、篠宮は溢れ出る涙を抑えることが出来なかった。
暫くして………………、
ぐぅ~
「あ。」
「腹減ったな。朝飯まだだったな。」
「あははっ…そうだった。」
早く自分の気持ちを言いたかったので、静音は起きてすぐに話始めてしまった。
終わって、しかも良い方向に収まったことで安心し、思い出したように静音のお腹が限界だと知らせてきたのだ。
「トーストでいいか?」
「うん。」
本当はご飯派なのだが、妻が亡くなってからは、朝は食べないか出勤途中でコンビニへ寄るかだ。
今日は静音がいるので、簡単に出来るトーストを選択した。
「絣乂さんに言わないとな。要にも。2人とも喜ぶぞ。」
「ほんと?」
「ああ。今日でもいいが、せっかくの休みだからな。どこか行くか?」
「…!うん、行く!」
2人の心はもう、親子以上かもしれなかった。
◆
「シノさん、要さん、配属先決まったよ!」
篠宮と要という良いお手本がいたおかげか、静音が高校を首席で卒業してから1年後。
警察学校の課程も終え、晴れて正式な警察官として働けるようになった。
「地域課か。」
「この所轄は僕達と離れてるな……」
「要…残念がるとこはそこじゃない気がするぞ?」
静音は篠宮や要と同じ生活安全課を希望していたのだが、配属先は地域課になった。
しかも同じ所轄内ではなく少し離れてもいる為、勤務時間の関係で今までより会える時間が減ってしまうのが要を憂鬱にさせている。
「ふふっ!要さん、落ち込まないでよ。非番の日はシノさんのお弁当届けに顔出すから。後、慣れたら警らついでに会いに行けるかもしれないでしょ。」
「ああ、そうだな。それを楽しみに今は我慢しろ。」
静音は嬉しそうに、篠宮は苦笑いを浮かべながら、要を励ました。
「そうですね。…静音、これから同じ警察官としてよろしく。」
「一緒に頑張ろうな。」
「はい!こちらこそよろしくお願いします!頑張ります!」
『家族』は笑いあう。
ここから静音の警察官人生が始まった。
◆
静音が地域課に配属されて半年、法務教官から保護観察官へとなった翁から篠宮へ電話が入った。
「行方不明?!逢沢莉央と逢沢深緒がですか?」
『ええ。退院してから一応報告はきていたのですがね。それがパッタリ途切れたんで、家を訪ねたらもぬけの殻でして。』
2年前に退院予定だったが、騒動を起こして延期になったのだ。
ようやく退院し大人しくなったと思っていたら、これだ。と翁が電話の向こうで頭をかかえているのが声だけでよく分かる。
『絣乂さんから聞いていますが、静音ちゃん警察官になったそうで。大丈夫とは思ったんですが、接触するかもしれませんので連絡をと。』
「わざわざありがとうございます。静音にも気を付けるように言っておきます。」
少年院でのことは分からないが、相当酷かったのだろう。
そんな2人と静音を会わせるわけにはいかない。
「静音は頑張ってるんだ。今更、過去を蒸し返されてたまるか。」
静音は今警察の寮に住んでいて、要と共にたまに会うぐらい。
しかし、たとえ過保護と言われようとも、静音には前だけを見ていて欲しい。
そう願う篠宮の顔は、父親そのものだった。
◆
莉央と深緒の2人が行方不明になってから、1年半が経った。
しかし、その間に特に進展は無く、静音への接触も無い。
不気味なほどに、全くの音信不通であった。
そして、今日はひな祭り……の5日後。
ひな祭り当日が休みではなかった為、今日にしようということになったのだ。
「うわ~!毎年思うけど、豪勢。美味しそうっ!」
「先輩、年重ねるごとに上達してますね。」
机の上には、海鮮がのったちらし寿司に、鯛の塩焼き、蛤のお吸い物と並んでいる。
「まあだいぶ慣れたからな。さっ、食べるか。」
「ちょっと待って。食べる前に報告があります!」
静音はニンマリと含み笑いをする。
「報告?」
「報告って……、まさか彼氏とか!?」
「要さん違うから…、もっと良いこと。」
クスクスと笑いながら、静音は要らしい勘違いだなと思う。
「実は…、この春より刑事課に異動することが決まりました!」
「本当か!良かったな。」
「凄いじゃないか!」
先日、課長から内示があった。
正式に辞令が出るのは一週間後なのだが、静音は2人に言いたくてウズウズしていた。
◆
しかし、直接言いたかったので2人に会える今日まで我慢していたのだ。
「職質の仕方が上手いって課長が評価してくれて、それを刑事課で活かせって推してくれたんだ。その署の刑事課も女性が欲しかったから、ちょうど良かったって。」
莉央と深緒に一旦は悪の道に引きずり込まれたものの、元々の素直で礼儀正しい性格が篠宮と要に出会って天真爛漫に変わっていったのが課長には良かったらしい。
そして、幼い頃から大人の中で育ったせいか顔色や行動の変化には敏感で、それが職質から犯人検挙に繋がっているようだ。
「運も実力のうちって言うからね。」
「積み重ねてきたものも無駄じゃないということだな。」
我が子同然である静音の出世ともとれる大抜擢に、篠宮と要は嬉しさが込み上げる。
「柊静音、今まで以上に精進してまいります!…なんてね。」
「うむ、頑張りたまえ。…なんてな。」
いたずらっ子の様な顔をしながら、静音は敬礼をする。
それに便乗した篠宮は、まるで指導者の様な言葉で返した。
「先輩……、似合い、ません、よ…全く……」
普段とはかけ離れた篠宮の言動が、要のツボにまったようだ。
◆
一応後輩という立場上、篠宮に気を使って声をあげて大笑いするのを要は何とか堪えた。
しかし、話す声と体は震えていて、笑みを隠す為だろう、片手は口元を覆っている。
「わ、笑うな!というか、なんで俺だけなんだ!」
静音も同じ感じであった筈なのに、笑われた対象が自分だけだったのが、篠宮は気にくわない。
「静音は可愛いからいいんです!」
「それはどういう理屈だ…」
「え?私可愛いの?わーい、やったー!」
確かに可愛いが…と、21歳にもなって子供みたいに喜んでいる静音を見て篠宮も思う。
しかし、静音を可愛いと真顔で力説する要には、親バカを通り越してバカ親にならないかと心配になる。
「理屈なんてありませんよ。可愛い、それだけです。…でも、先輩、は…」
「あ~もういい!その話はもういい!」
また笑いそうになる要に、篠宮は強制的に話を終わらせようとする。
「静音から嬉しい報告もあったし、その気分のまま、食べるぞ!」
「そうですね。」
「食べよ、食べよ!」
少し冷めてしまった蛤のお吸い物を温め直して、家族3人、水入らずのひな祭りを始めるのだった。
◆
それから1年後、つまり現在から遡ること3年前。
静音が刑事課にも慣れた頃。
篠宮と要が、合同捜査をした時に知り合った元組織犯罪対策課の都澄に誘われ、本部の新編成された2係に異動して少し経った頃。
静音の勤める所轄が管轄する地域のとある廃ビルの一画で、20代と思われる男女の他殺体が発見された。
司法解剖の結果、男女の死因は内臓破裂による失血死。
顔や体には複数の内出血の痕が見られ、長時間暴行を受けたのが死亡の原因と特定された。
死亡推定時刻は、午前12時~午前2時の間。
近くのクラブに勤めるボーイが第一発見者だ。
午前5時、烏がいつも以上に騒いでいたのと微かに普段とは違った異臭がした為、廃ビルへと足を踏み入れ遺体を発見した。
死亡推定時刻と発見時刻に開きがあるのは、廃ビルが歓楽街の一歩奥まったところに位置しており、華やかなそれとはかけ離れた雰囲気で人も滅多に近付かない場所だからだ。
この事件が、後に刑事課で静音がペテン師夜鷹として噂になる程有名になってしまうキッカケとなる。
しかしそれは噂などではない。
優しき嘘が招いた、紛れもない事実なのだから。
◆
「え?!逢沢莉央と逢沢深緒が殺された?!」
翁から、しかも勤務中にかかってきた電話の内容に篠宮は思わず声が裏返る。
丁度お昼を食べ終わったところなのに、食べたものが胃から逆流しそうな衝撃を受けた。
「何があったんですか?」
『詳しくは分かりませんが、暴行を受けたのが原因らしく喧嘩かリンチかということで私のところに刑事が来たんですよ。』
しかし翁も行方を追っていた一人の為、有力な情報は持っていなかった。
その際話を聞きに来た刑事に、保護観察官としての役目をちゃんと果たして下さいよ。と嫌味を言われたのは言うまでもない。
「分かりました。刑事課にそれとなく聞いてみます。静音も気になるでしょうし、私もあの時の当事者として」
『あ、いえ、それがですね…』
翁は篠宮の言葉を遮る。
それもかなり言いにくそうに。
「どうかしましたか?」
『その事件の担当している刑事課に、静音ちゃんがいるんですよ。』
先頃発見された男女の他殺体は、莉央と深緒だった。
2人は身元を証明するようなものは持っていなかったが、現場に静音がいたことで身元の特定に繋がったのだ。
◆
「……静音が、ですか…?あいつそんなこと一言も…」
『私もその刑事から聞いたんですけどね。静音ちゃん、自分から話したみたいです。』
知らないと嘘を付く必要は無いが、無関係ではない自分や要に何故連絡が来なかったのか理由が分からない。
『部外者が口を出すのもどうかと思ったんですが、気になってしまって。篠宮さんなら何か知っているのではないかとお電話したんですけど、静音ちゃん言ってなかったんですね。』
「ああ…はい。たまに会うぐらいですが、特段変わった様子は…。刑事課の仕事も、大変だけどやりがいあるし楽しいと言ってたんですけど。」
女性が少ない刑事課。
苦労もあるだろうが、静音が話す言葉の節々には楽しさを感じていた。
なのに。
『刑事課で色々あるみたいで。聞きに来たその刑事の印象は、あまり良いものとは言えませんから。これでも長年、悪ガキどもを見てきてますからね。ああいう目つきの奴は気を付けた方がいい。ことがことです、静音ちゃんと一度話された方がよろしいのではないかと。』
「ええ…はい。ありがとうございます。」
篠宮は今更ながら、静音のことが分からなくなった。
◆
「何?話って?」
篠宮は、静音を自宅に呼び出した。
同じくこの場にいる要にも、翁から聞いたことを話してある。
本部に異動してからバタバタしていて、3人が揃うのは久しぶりだ。
呼び出された理由が分からないのか、静音は不思議そうだ。
「翁さんから電話があった。逢沢莉央と逢沢深緒が殺されたらしいな。」
「その事件、静音が担当しているんだって?」
「……その…こと、ね。」
やはり意図的に隠していたようで、問い詰められても驚きはしなかった。
「なんで言ってくれなかったんだ?捜査には関係ないけど、言って欲しかったよ。」
「捜査情報はともかく、一応俺達は無関係じゃないんだ。報道されてる情報ぐらいは話せただろ?」
「そ、れは……」
責めるような言い方になってしまったが、静音ならば話してくれると思っていたからだ。
「刑事課、ゴタゴタしてるみたいだね。翁さん、心配してたよ。」
「それは、今回のことがあったから。あの時のこと話したらみんなの態度が変わっちゃって。」
特に、女性の進出に積極的でない者達からは、ここぞとばかりに嫌味のオンパレードだった。
◆
「でも、シノさん言ってくれたでしょ?色々言われても俺達がいるって。だから、気にしないことにしたの。心配しなくていいよ。」
重苦しい空気を変えようと、静音は努めて明るく言ったのだが…
「だったらなんで俺達に言ってくれなかった!?」
「先輩っ!落ち着いて下さい。」
凶悪犯にぐらいにしか怒鳴らない篠宮なのだが、静音のことでは抑えがきかなかった。
普段暴走しがちな要の方が今は冷静だ。
「……今まで親代わりを自負してきたが、今更ながらお前のことが分からなくなった。」
やりきれない思いが篠宮を支配する。
「先輩……静音、捜査中の忙しい時に呼び出して悪かった。とりあえず今日のところは…な?」
「………うん…」
怒鳴られたことで動揺しているだろう静音と冷静さを失っている篠宮、これ以上話し合いは無理だと判断し要は帰宅を促した。
「はぁ…………俺は何をやってんだ……」
静音と要が出ていった後、篠宮は一人になったことでいくらか気持ちが落ち着いた。
それと同時に、話も聞かず怒鳴ってしまったことの後悔が押し寄せ、親代わりという立場に甘んじていたんだと自覚した。
◆
「よう、柊。お仲間の弔合戦に参加させてくれてありがとよ。おかげで連日クタクタだ。」
「全くはた迷惑な話ですよねぇ。」
篠宮と一悶着あった翌日、静音が出勤してきて早々に嫌味を放ったのは、静音の指導役である厄塒(ヤクシ)巡査部長34歳と静音の先輩に当たる卍擽(バンリャク)巡査25歳。
まあ、この2人の嫌味は刑事課内でもマシな方だ。
「こいつ知ってるか?」
「いえ、知りませんけど。誰ですか?」
厄塒から見せられた写真には1人の男が写っていたが、静音には見覚えがなかった。
「季更津馨鶴亮。蝶笂組の幹部だ。」
蝶笂組(チョウツボグミ)。
大きくも小さくもなく、小競り合い程度が日常の中規模な暴力団だ。
季更津馨鶴亮(キサラヅ カズアキ)が40歳にして幹部といっても、さほど影響力は無い。
「その季更津がどうかしたんですか?」
「半グレ使って、若いガキを探してたって話があってよ。最近シメたって言ってたらしいぜ。」
「ガキ………?まさか…」
「そのまさか、かもな。だが、推測の域を出ない。」
シメた、イコール、死に至る程の暴行を加えたのだろか?
◆
「今探ってる最中だけど、知らずにお前んとこに来ても困るしな。一応報告だ。」
「それはどうも。」
「おいおい、親切に教えてやってんだ。もっと感謝しろよ。」
「…それはどうも、ありがとうございましたっ!卍擽せ・ん・ぱ・いぃー!」
3歳しか違わないくせに偉そうな卍擽にカチンときて、静音はイーっと睨み付けてその場を後にした。
「なんだあれ。まるっきりガキじゃん。可愛くねぇー」
「(そうやっていじけてるお前もガキだって、いい加減気付け。)」
卍擽は静音の態度が気に食わず地団駄を踏むが、厄塒はそれを冷めた目で見つめる。
俺の部下はなんでこういう奴ばかりなんだ。と厄塒はヒッソリと溜め息をついた。
「蝶笂組……季更津馨鶴亮……、ヤクザがどうして…」
莉央や深緒といた時、ヤクザなどに関わりを持ったことは一度もなかった。
狙うのは、お金を持っていそうなのはもちろんだが、逃げれる相手でなければいけない。
いくら法律上相手に罪があるとはいえ、こちらが捕まればただでは済まないことぐらい莉央の頭にはあったはずだ。
静音には、2人が殺されるだけの理由が分からなかった。
◆
静音はとある線路脇にいた。
フェンスの向こうでいくらか電車が通り、背からは道を歩く人の声が聞こえる。
「莉央にぃ…深緒ねぇ…」
今でも鮮明に思い出せるあの時のこと。
「約束したのはこんなことじゃなかったよね?」
約束はきっと私だけの為だった。
「巻き込んだのは私なのに。」
笑顔で守ってくれた。
「会えなくてもどこかにいてるって思えたから我慢出来てたのに。」
今はどこにもいない。
「私、ヤクザなんて知らないよ?」
話してくれた中にもいなかったじゃない。
「犯人捕まえたい。罪償わせたいよ。」
私の大切な2人の命、奪ったんだから。
「全部言ったら怒る?」
誰にも秘密だって、3人だけの秘密だって。
「シノさんのあんな悲しい顔、初めて見たんだよね。要さんもきっと…」
怒鳴ってたけど、あれは怒りじゃない。
「シノさんと要さんならきっと分かってくれると思うんだ。2人が私のこと分かってくれたみたいに。」
私の親代わりだから。
「ねぇ、いいかな?」
その刹那、優しく背を押すように、風が一度だけ吹いた。
◆
「またそんなもの食べて。栄養偏るよ。」
「静音…!」
静音は2係を訪れた。
今から昼食を食べようとしていた篠宮と要は、突然現れた静音に驚いた。
所轄の静音が本部に来ることがそうそうあるものでもないし、あれから連絡すら取っていなかったからだ。
ただどちらかというと、後者の理由の方が2人の気持ちの度合いとしては強いのだが。
「ど、どうしたんだ?」
「これ。今からなら一緒に食べよ?」
困惑する要を尻目に、静音は2人分のお弁当を掲げて、休憩室へと移動した。
「はい。コンビニ弁当がいくら進化したからといって、塩気とか添加物とかあるんだから。」
「あ、ああ…」
要は愛妻弁当だから特に問題はないのだが、篠宮は自分だけの食事となると面倒になって料理の腕が上達した今でもコンビニのお世話になっている。
「ごちそうさまでした。」
「「ごちそうさま。」」
食べ終わって一息つくが、どうも落ち着かない。
静音の態度は今まで通り、何ら変わり無いのに。
いや、変わりがないから、落ち着かないのか。
「静音……、あのな、」
「ごめんなさい。」
◆
「静音……」
「いや、俺も怒鳴って悪かった…」
悲しげに謝る静音に、いたたまれなくなった。
「ううん。シノさんの言いたかったこと、何となく分かるから。私が話さなかったことが悲しかった……だよね?」
疑問系でも核心をつく言い方で。
表情を読み取る感覚は健在らしい。
「ああ…でも、理由も聞かずに一方的だった。それは謝らなければならないと思ってたんだ。」
静音が理由も無く、黙っている訳ではないと思えるようになった。
いや、何か理由があるからこそ黙っているのだと気付いた。
「シノさんらしいや。私の話、いつもちゃんと聞こうとしてくれる。」
大人の都合で子供だからと蔑ろにせず、いつも向き合ってくれた。
難しいから分からないだろうと投げ出さず、いつも分かるまで教えてくれた。
そんな2人だから、信じられたんだ。
「シノさん、要さん。私は嘘を付いてました。逢沢莉央と逢沢深緒は私の大切な人達です。脅されてなんかいません。私も共犯なんです。」
私は罪人です。
今からでも、償えますか?
あの2人は良い人達です。
今更でも、信じてくれますか?
◆
莉央と深緒に初めて出会ったのは、篠宮達に保護される2年前。
静音が11歳の時。
出会った場所は商店街などではなく、午後10時の、飲み屋街から少し外れた薄暗い小道だった。
「お前、こんなとこで何やってんだ?」
「あんた何歳?小学生…だよね?迷子?親とはぐれちゃった?」
自分達のことを棚に上げた14歳の莉央と深緒は、不釣り合いな時間と場所にいた静音へ問い掛ける。
「迷子じゃないし。どっかいって。」
ムッと、鬱陶しそうに言って静音は2人と距離を置く。
「おいおい。迷子じゃなかったら家出か?…にしては荷物がねぇな。」
「何でもいいでしょ。放っておいて。」
探る莉央に、静音はプイッと顔を背けた。
「もしかして親いないとか?」
「お父さんは死んじゃったけど、お母さんがいる。入院してるからお金がいるの。だからお金稼いでるの。」
「稼ぐって…、あんたまさか…?!」
「その歳で引っ掛かる男がいるのかよ?」
「いるよ。それに財布盗るだけだし。」
静音はしれっと言ってのけるが、実際はドラマで見た方法を真似てたまたま成功し、今まで失敗していないだけだ。
◆
「はぁ~…小学生がカツアゲ紛いかよ。世も末だな。」
「莉央、それ言うならあたしらも一緒だって。」
カツアゲ紛いではなく完全なる窃盗なのだが、窃盗という言葉を知らないので莉央の中ではカツアゲ紛いになる。
それに、14歳が世も末と言ってしまうのもどうかと思う。
そんな莉央の言い種に、自分達も結構ヤバイことをしてきていると深緒は笑った。
「つかさ、周りに誰もいないってことは、お前一人でやってんだよな?危なくね?」
「だよね。捕まったらどうするとか考えてんの?」
「捕まる…?そんなこと考えたことない。」
静音の見たドラマは、悪役から奪い貧しい人達に配るいう所謂、義賊物語。
義賊が捕まるという描写は全く無かった。
「やっぱりな。詰めが甘いんだよ、詰めが。」
「もう止めな。殴られたり、最悪ヤられるよ?」
「ヤられる?何それ?」
小学生の静音にヤられる、の意味が分かる訳が無かった。
予想通りというかなんというか。
莉央と深緒は、自分達の知ってる限りの知識を静音へ話した。
何となく放って置けなかったのは、自分達と同じにおいがしたからなのか。
◆
「そうなんだ。知らなかった。」
静音は自分が今までどれだけ危険なことをしてきたか、やっと自覚出来た。
「そう。だから止めな。」
「…でも、お金無いとお母さん入院出来ないから、私が稼がなきゃ。お母さん、治療頑張ってるから。ずっとずっと頑張ってるから。」
止めるように促しても、危険を知っても尚、静音は母親の為にと言う。
「あ~も~っ!分かった、分かったよ。俺が見張りやればいいんだ。深緒、お前、化粧とかしてやれ。髪型変えりゃ少しは大人っぽくなるだろ?」
「莉央がいいならオッケー。腕の見せどころってね。」
意地でも止めそうに無い静音に、半ばやけくそになりながら莉央は協力することにした。
深緒は深緒で、莉央が~などと言っているがその顔は楽しそうだ。
「え?えっ?どういうこと?」
「つまり俺達も協力してやるってこと。お前一人じゃ危なっかしいからな。」
「一緒にお母さん助けよ。」
助けたいというより、親を一途に想う静音の心が羨ましかった。
自分達にはそんな親など、いなかったのだから。
「あ、そうだ。まだ名前聞いて無かったな。」
「ほんとだね。」
◆
「よし、確認するぞ。まず深緒か静音が男に声かけて、食事かホテルに誘う。ホテルに行ったら男に先にシャワーを浴びろと言って、その間に財布を持って逃げて来る。俺はその間後ろから見張り。何か言われたら逃げるか未成年って言え。男はビビるから。」
静音が莉央と深緒の2人と一緒にいるようになってから、1年が過ぎた。
「莉央にぃ、毎回毎回言わなくても分かるよ。何回も聞いたから。」
「だって心配じゃんか。」
「このやり取りも毎回ね。」
莉央は誘う対象の男から見えないようにしないといけないので、ある程度離れなければならない。
いざというときの距離感が心配らしい。
ただ、静音も深緒も耳にタコができるほど何回も聞かされてきた為、今では面倒この上ない。
しかし、この教訓が役に立つ時が訪れる。
20代ぐらいの、とあるサラリーマンを誘おうとした時のことだ。
「お兄さん、今から帰るの?私と食事しない?」
「……キミ、未成年だよね?まさか小学生?どんな事情があるかは僕には分からないし知らないけど、こんなこと、しちゃいけないよ。今すぐ止めるなら見逃してあげるから、お家に帰りなさい。」
◆
片腕へ纏わり付き大人びた視線で見上げる静音を離し、目線を合わせるように屈んでサラリーマンは複雑な表情を浮かべながらも優しく諭した。
「!!!(こういう時は………、逃げるっ!)」
「あ、待ちなさい!…行っちゃった……」
誘いに乗ってこず、至極まともに返されたので静音は一瞬動揺してしまう。
しかし、しつこいぐらいに聞かされた莉央の言葉を思い出し、一目散に莉央と深緒が隠れている路地裏へと逃げ込んだ。
「ぅおっ!どうした?バレたか?」
遠目からは会話の内容までは聞こえないので、駆けてきた静音に莉央は小声ながらも驚き尋ねた。
「バレたし注意までされちゃった。」
「早くここから逃げた方がいいね。探しに来られても困るし。」
サラリーマン1人ならまだしも、警察にでも通報されたら捜索されかねない。
そうなれば逃げるに逃げられなくなってしまう。
立ち去っているならいいが、鉢合わせするとマズイので静音の逃げてきた方向を覗いてはいない。
なので、3人はサラリーマンに見つからないように暗く込み入った細い路地を通ることにして、周囲を警戒しながら静かに路地裏を後にした。
◆
それから更に1年後。
静音が13歳になり、そして篠宮と要に保護される年。
母親である船絵が治療の甲斐も無く亡くなり5年の闘病生活に終止符を打った。
言い換えれば、静音はもうお金を稼ぐ必要が無くなったのだ。
「お母さん、頑張ったよ。凄くね。」
「ああ、凄くな。静音は晴れて金を稼がなくて良くなった訳だな。」
静音を慰めながらも、静音を通して自分の親のように感じていた莉央と深緒。
悲しくないわけがない。
しかし、静音がこれ以上男を誘わなくてよくなるのは2人にとっては嬉しいことだった。
「そのこと、なんだけど……ね。莉央にぃ、深緒ねぇ。私、自首しようと思うの。」
「は?」
「自首?!」
口数が少ない静音に、てっきり母親のことを考えているのかと思っていた2人は自首という単語に驚きを隠せない。
「もちろん莉央にぃ深緒ねぇのことは言わないよ。元々私がしてたことだし。2人のことがバレないように警察の人には私1人でしてたことにするから。何も心配しないで。」
肩の荷が下りたような、それでいて少し寂しそうな表情で静音は2人にニッコリと笑いかける。
◆
悪い事をしているという、罪の意識は芽生えていた。
でも、母親に治療に専念して欲しくて、心配させたくなくて。
母親が死んで親戚もいない自分はきっと今の生活は出来ないことは何となく理解出来た。
その証拠に、役所の職員が生活の状況を聞きに来ていたから。
どうせ莉央と深緒と離ればなれになって、今の様に会えなくなるのならば…………
考えた末に静音の行き着いた答えは、警察への自首だった。
「ちょっと待って。自首って…しかも、静音一人だけなんてさせられない!」
「当たり前だ!俺達は一心同体、つまりは一緒なんだよ。」
「でも2人は私を助けてくれただけだし。」
年下であり大切な静音が一人で背負おうとしている姿に、莉央と深緒は心配から口調が強くなる。
しかし、静音も譲らない。
「……あのさ、静音。」
「うん?」
「静音はさ、俺達を巻き込んだって思ってるだろ?けど、それは違うぞ?」
自分が巻き込んだのにこれ以上迷惑はかけれないと、確かに静音は思っていた。
「そうだよ、それ全く違うからね。あたしらは静音と居たいから居たんだ。だから静音は悪くない。」
◆
「でも……」
2人に言われても、静音の中で決まった答えを変える気はないようで。
「……はぁ。分かったよ、静音。自首しよう。」
「え、いいの?」
「仕方がないだろ。静音が頑固なの知ってるだろ?」
「確かに。最初に会った時も頑固だったっけ。」
誰かの為なら自己犠牲もいとわない、静音の意志の固さは筋金入りだ。
莉央と深緒は呆れながら笑う。
「静音、自首するのはいいけどな、約束がいくつかある。守れるか?」
「約束?なに?」
莉央には、静音に願うように言う。
「今までの全部、俺達に脅されてしたことにしろ。」
「え?どういうこと?私、脅されてないよ?っていうか、元々私が」
「良いんだ、俺達を悪役にしろ。」
「悪役って……」
「なるほど。そうすればまだマシね。」
静音の家庭事情と自分達に対しての周りの評価。
これを利用すれば、静音だけなら何とかなるはずだと莉央は考えた。
深緒も、莉央の考えに納得する。
「でもそれじゃ、莉央にぃと深緒ねぇだけが悪いみたいじゃない!私だって同じなのに……」
自分だけ罰を受けないなんて。
◆
「同じじゃねぇよ。俺達と静音は天と地ほどの差があるんだよ。けどな、俺達は静音と会って変われたんだ。静音と一緒に居たいから変わろうと思えたんだよ。」
親にさえ見捨てられた自分達。
自暴自棄になっていたのを救ってくれたのは、紛れもなく静音の母親を助けたいと思う純粋な気持ちだった。
「あたしらはさ、ただムカついてたんだ、世の中に。ガキみたいで幼稚だって分かってたけど、止められなかった。それを静音が止めてくれたんだよ。」
だから今、静音の為に悪役にだってなれる。
「莉央にぃ……深緒ねぇ………」
2人の優しさに気付けないほど、静音は鈍感ではない。
「会えなくてもあたしらはそばにいるよ。いつも静音を想ってる。」
「そうだ。どこかに必ずいてやるから、我慢しろ。気が向いたら探してやるよ。気が向いたらだけどな。」
探す気が有るのか無いのか。
優しく笑う深緒も、軽く笑う莉央もきっと後者だと、静音は分かっている。
二度と会わない方がお互いの為だなんて。
未来の為に今を棄てる。
馬鹿だと笑われるのだろうか?
それでも、道を変えるなら今しかないのだ。
「ああ……、間に合う…間に合うに決まってる。静音ちゃんなら良い警察官なれる。」
「ほん、と…?」
「ほんとだ。俺が保証する。」
妻の葬式でも、人前で泣いたことなど無かったのだが、静音の精一杯の言葉に感極まり、篠宮は溢れ出る涙を抑えることが出来なかった。
暫くして………………、
ぐぅ~
「あ。」
「腹減ったな。朝飯まだだったな。」
「あははっ…そうだった。」
早く自分の気持ちを言いたかったので、静音は起きてすぐに話始めてしまった。
終わって、しかも良い方向に収まったことで安心し、思い出したように静音のお腹が限界だと知らせてきたのだ。
「トーストでいいか?」
「うん。」
本当はご飯派なのだが、妻が亡くなってからは、朝は食べないか出勤途中でコンビニへ寄るかだ。
今日は静音がいるので、簡単に出来るトーストを選択した。
「絣乂さんに言わないとな。要にも。2人とも喜ぶぞ。」
「ほんと?」
「ああ。今日でもいいが、せっかくの休みだからな。どこか行くか?」
「…!うん、行く!」
2人の心はもう、親子以上かもしれなかった。
◆
「シノさん、要さん、配属先決まったよ!」
篠宮と要という良いお手本がいたおかげか、静音が高校を首席で卒業してから1年後。
警察学校の課程も終え、晴れて正式な警察官として働けるようになった。
「地域課か。」
「この所轄は僕達と離れてるな……」
「要…残念がるとこはそこじゃない気がするぞ?」
静音は篠宮や要と同じ生活安全課を希望していたのだが、配属先は地域課になった。
しかも同じ所轄内ではなく少し離れてもいる為、勤務時間の関係で今までより会える時間が減ってしまうのが要を憂鬱にさせている。
「ふふっ!要さん、落ち込まないでよ。非番の日はシノさんのお弁当届けに顔出すから。後、慣れたら警らついでに会いに行けるかもしれないでしょ。」
「ああ、そうだな。それを楽しみに今は我慢しろ。」
静音は嬉しそうに、篠宮は苦笑いを浮かべながら、要を励ました。
「そうですね。…静音、これから同じ警察官としてよろしく。」
「一緒に頑張ろうな。」
「はい!こちらこそよろしくお願いします!頑張ります!」
『家族』は笑いあう。
ここから静音の警察官人生が始まった。
◆
静音が地域課に配属されて半年、法務教官から保護観察官へとなった翁から篠宮へ電話が入った。
「行方不明?!逢沢莉央と逢沢深緒がですか?」
『ええ。退院してから一応報告はきていたのですがね。それがパッタリ途切れたんで、家を訪ねたらもぬけの殻でして。』
2年前に退院予定だったが、騒動を起こして延期になったのだ。
ようやく退院し大人しくなったと思っていたら、これだ。と翁が電話の向こうで頭をかかえているのが声だけでよく分かる。
『絣乂さんから聞いていますが、静音ちゃん警察官になったそうで。大丈夫とは思ったんですが、接触するかもしれませんので連絡をと。』
「わざわざありがとうございます。静音にも気を付けるように言っておきます。」
少年院でのことは分からないが、相当酷かったのだろう。
そんな2人と静音を会わせるわけにはいかない。
「静音は頑張ってるんだ。今更、過去を蒸し返されてたまるか。」
静音は今警察の寮に住んでいて、要と共にたまに会うぐらい。
しかし、たとえ過保護と言われようとも、静音には前だけを見ていて欲しい。
そう願う篠宮の顔は、父親そのものだった。
◆
莉央と深緒の2人が行方不明になってから、1年半が経った。
しかし、その間に特に進展は無く、静音への接触も無い。
不気味なほどに、全くの音信不通であった。
そして、今日はひな祭り……の5日後。
ひな祭り当日が休みではなかった為、今日にしようということになったのだ。
「うわ~!毎年思うけど、豪勢。美味しそうっ!」
「先輩、年重ねるごとに上達してますね。」
机の上には、海鮮がのったちらし寿司に、鯛の塩焼き、蛤のお吸い物と並んでいる。
「まあだいぶ慣れたからな。さっ、食べるか。」
「ちょっと待って。食べる前に報告があります!」
静音はニンマリと含み笑いをする。
「報告?」
「報告って……、まさか彼氏とか!?」
「要さん違うから…、もっと良いこと。」
クスクスと笑いながら、静音は要らしい勘違いだなと思う。
「実は…、この春より刑事課に異動することが決まりました!」
「本当か!良かったな。」
「凄いじゃないか!」
先日、課長から内示があった。
正式に辞令が出るのは一週間後なのだが、静音は2人に言いたくてウズウズしていた。
◆
しかし、直接言いたかったので2人に会える今日まで我慢していたのだ。
「職質の仕方が上手いって課長が評価してくれて、それを刑事課で活かせって推してくれたんだ。その署の刑事課も女性が欲しかったから、ちょうど良かったって。」
莉央と深緒に一旦は悪の道に引きずり込まれたものの、元々の素直で礼儀正しい性格が篠宮と要に出会って天真爛漫に変わっていったのが課長には良かったらしい。
そして、幼い頃から大人の中で育ったせいか顔色や行動の変化には敏感で、それが職質から犯人検挙に繋がっているようだ。
「運も実力のうちって言うからね。」
「積み重ねてきたものも無駄じゃないということだな。」
我が子同然である静音の出世ともとれる大抜擢に、篠宮と要は嬉しさが込み上げる。
「柊静音、今まで以上に精進してまいります!…なんてね。」
「うむ、頑張りたまえ。…なんてな。」
いたずらっ子の様な顔をしながら、静音は敬礼をする。
それに便乗した篠宮は、まるで指導者の様な言葉で返した。
「先輩……、似合い、ません、よ…全く……」
普段とはかけ離れた篠宮の言動が、要のツボにまったようだ。
◆
一応後輩という立場上、篠宮に気を使って声をあげて大笑いするのを要は何とか堪えた。
しかし、話す声と体は震えていて、笑みを隠す為だろう、片手は口元を覆っている。
「わ、笑うな!というか、なんで俺だけなんだ!」
静音も同じ感じであった筈なのに、笑われた対象が自分だけだったのが、篠宮は気にくわない。
「静音は可愛いからいいんです!」
「それはどういう理屈だ…」
「え?私可愛いの?わーい、やったー!」
確かに可愛いが…と、21歳にもなって子供みたいに喜んでいる静音を見て篠宮も思う。
しかし、静音を可愛いと真顔で力説する要には、親バカを通り越してバカ親にならないかと心配になる。
「理屈なんてありませんよ。可愛い、それだけです。…でも、先輩、は…」
「あ~もういい!その話はもういい!」
また笑いそうになる要に、篠宮は強制的に話を終わらせようとする。
「静音から嬉しい報告もあったし、その気分のまま、食べるぞ!」
「そうですね。」
「食べよ、食べよ!」
少し冷めてしまった蛤のお吸い物を温め直して、家族3人、水入らずのひな祭りを始めるのだった。
◆
それから1年後、つまり現在から遡ること3年前。
静音が刑事課にも慣れた頃。
篠宮と要が、合同捜査をした時に知り合った元組織犯罪対策課の都澄に誘われ、本部の新編成された2係に異動して少し経った頃。
静音の勤める所轄が管轄する地域のとある廃ビルの一画で、20代と思われる男女の他殺体が発見された。
司法解剖の結果、男女の死因は内臓破裂による失血死。
顔や体には複数の内出血の痕が見られ、長時間暴行を受けたのが死亡の原因と特定された。
死亡推定時刻は、午前12時~午前2時の間。
近くのクラブに勤めるボーイが第一発見者だ。
午前5時、烏がいつも以上に騒いでいたのと微かに普段とは違った異臭がした為、廃ビルへと足を踏み入れ遺体を発見した。
死亡推定時刻と発見時刻に開きがあるのは、廃ビルが歓楽街の一歩奥まったところに位置しており、華やかなそれとはかけ離れた雰囲気で人も滅多に近付かない場所だからだ。
この事件が、後に刑事課で静音がペテン師夜鷹として噂になる程有名になってしまうキッカケとなる。
しかしそれは噂などではない。
優しき嘘が招いた、紛れもない事実なのだから。
◆
「え?!逢沢莉央と逢沢深緒が殺された?!」
翁から、しかも勤務中にかかってきた電話の内容に篠宮は思わず声が裏返る。
丁度お昼を食べ終わったところなのに、食べたものが胃から逆流しそうな衝撃を受けた。
「何があったんですか?」
『詳しくは分かりませんが、暴行を受けたのが原因らしく喧嘩かリンチかということで私のところに刑事が来たんですよ。』
しかし翁も行方を追っていた一人の為、有力な情報は持っていなかった。
その際話を聞きに来た刑事に、保護観察官としての役目をちゃんと果たして下さいよ。と嫌味を言われたのは言うまでもない。
「分かりました。刑事課にそれとなく聞いてみます。静音も気になるでしょうし、私もあの時の当事者として」
『あ、いえ、それがですね…』
翁は篠宮の言葉を遮る。
それもかなり言いにくそうに。
「どうかしましたか?」
『その事件の担当している刑事課に、静音ちゃんがいるんですよ。』
先頃発見された男女の他殺体は、莉央と深緒だった。
2人は身元を証明するようなものは持っていなかったが、現場に静音がいたことで身元の特定に繋がったのだ。
◆
「……静音が、ですか…?あいつそんなこと一言も…」
『私もその刑事から聞いたんですけどね。静音ちゃん、自分から話したみたいです。』
知らないと嘘を付く必要は無いが、無関係ではない自分や要に何故連絡が来なかったのか理由が分からない。
『部外者が口を出すのもどうかと思ったんですが、気になってしまって。篠宮さんなら何か知っているのではないかとお電話したんですけど、静音ちゃん言ってなかったんですね。』
「ああ…はい。たまに会うぐらいですが、特段変わった様子は…。刑事課の仕事も、大変だけどやりがいあるし楽しいと言ってたんですけど。」
女性が少ない刑事課。
苦労もあるだろうが、静音が話す言葉の節々には楽しさを感じていた。
なのに。
『刑事課で色々あるみたいで。聞きに来たその刑事の印象は、あまり良いものとは言えませんから。これでも長年、悪ガキどもを見てきてますからね。ああいう目つきの奴は気を付けた方がいい。ことがことです、静音ちゃんと一度話された方がよろしいのではないかと。』
「ええ…はい。ありがとうございます。」
篠宮は今更ながら、静音のことが分からなくなった。
◆
「何?話って?」
篠宮は、静音を自宅に呼び出した。
同じくこの場にいる要にも、翁から聞いたことを話してある。
本部に異動してからバタバタしていて、3人が揃うのは久しぶりだ。
呼び出された理由が分からないのか、静音は不思議そうだ。
「翁さんから電話があった。逢沢莉央と逢沢深緒が殺されたらしいな。」
「その事件、静音が担当しているんだって?」
「……その…こと、ね。」
やはり意図的に隠していたようで、問い詰められても驚きはしなかった。
「なんで言ってくれなかったんだ?捜査には関係ないけど、言って欲しかったよ。」
「捜査情報はともかく、一応俺達は無関係じゃないんだ。報道されてる情報ぐらいは話せただろ?」
「そ、れは……」
責めるような言い方になってしまったが、静音ならば話してくれると思っていたからだ。
「刑事課、ゴタゴタしてるみたいだね。翁さん、心配してたよ。」
「それは、今回のことがあったから。あの時のこと話したらみんなの態度が変わっちゃって。」
特に、女性の進出に積極的でない者達からは、ここぞとばかりに嫌味のオンパレードだった。
◆
「でも、シノさん言ってくれたでしょ?色々言われても俺達がいるって。だから、気にしないことにしたの。心配しなくていいよ。」
重苦しい空気を変えようと、静音は努めて明るく言ったのだが…
「だったらなんで俺達に言ってくれなかった!?」
「先輩っ!落ち着いて下さい。」
凶悪犯にぐらいにしか怒鳴らない篠宮なのだが、静音のことでは抑えがきかなかった。
普段暴走しがちな要の方が今は冷静だ。
「……今まで親代わりを自負してきたが、今更ながらお前のことが分からなくなった。」
やりきれない思いが篠宮を支配する。
「先輩……静音、捜査中の忙しい時に呼び出して悪かった。とりあえず今日のところは…な?」
「………うん…」
怒鳴られたことで動揺しているだろう静音と冷静さを失っている篠宮、これ以上話し合いは無理だと判断し要は帰宅を促した。
「はぁ…………俺は何をやってんだ……」
静音と要が出ていった後、篠宮は一人になったことでいくらか気持ちが落ち着いた。
それと同時に、話も聞かず怒鳴ってしまったことの後悔が押し寄せ、親代わりという立場に甘んじていたんだと自覚した。
◆
「よう、柊。お仲間の弔合戦に参加させてくれてありがとよ。おかげで連日クタクタだ。」
「全くはた迷惑な話ですよねぇ。」
篠宮と一悶着あった翌日、静音が出勤してきて早々に嫌味を放ったのは、静音の指導役である厄塒(ヤクシ)巡査部長34歳と静音の先輩に当たる卍擽(バンリャク)巡査25歳。
まあ、この2人の嫌味は刑事課内でもマシな方だ。
「こいつ知ってるか?」
「いえ、知りませんけど。誰ですか?」
厄塒から見せられた写真には1人の男が写っていたが、静音には見覚えがなかった。
「季更津馨鶴亮。蝶笂組の幹部だ。」
蝶笂組(チョウツボグミ)。
大きくも小さくもなく、小競り合い程度が日常の中規模な暴力団だ。
季更津馨鶴亮(キサラヅ カズアキ)が40歳にして幹部といっても、さほど影響力は無い。
「その季更津がどうかしたんですか?」
「半グレ使って、若いガキを探してたって話があってよ。最近シメたって言ってたらしいぜ。」
「ガキ………?まさか…」
「そのまさか、かもな。だが、推測の域を出ない。」
シメた、イコール、死に至る程の暴行を加えたのだろか?
◆
「今探ってる最中だけど、知らずにお前んとこに来ても困るしな。一応報告だ。」
「それはどうも。」
「おいおい、親切に教えてやってんだ。もっと感謝しろよ。」
「…それはどうも、ありがとうございましたっ!卍擽せ・ん・ぱ・いぃー!」
3歳しか違わないくせに偉そうな卍擽にカチンときて、静音はイーっと睨み付けてその場を後にした。
「なんだあれ。まるっきりガキじゃん。可愛くねぇー」
「(そうやっていじけてるお前もガキだって、いい加減気付け。)」
卍擽は静音の態度が気に食わず地団駄を踏むが、厄塒はそれを冷めた目で見つめる。
俺の部下はなんでこういう奴ばかりなんだ。と厄塒はヒッソリと溜め息をついた。
「蝶笂組……季更津馨鶴亮……、ヤクザがどうして…」
莉央や深緒といた時、ヤクザなどに関わりを持ったことは一度もなかった。
狙うのは、お金を持っていそうなのはもちろんだが、逃げれる相手でなければいけない。
いくら法律上相手に罪があるとはいえ、こちらが捕まればただでは済まないことぐらい莉央の頭にはあったはずだ。
静音には、2人が殺されるだけの理由が分からなかった。
◆
静音はとある線路脇にいた。
フェンスの向こうでいくらか電車が通り、背からは道を歩く人の声が聞こえる。
「莉央にぃ…深緒ねぇ…」
今でも鮮明に思い出せるあの時のこと。
「約束したのはこんなことじゃなかったよね?」
約束はきっと私だけの為だった。
「巻き込んだのは私なのに。」
笑顔で守ってくれた。
「会えなくてもどこかにいてるって思えたから我慢出来てたのに。」
今はどこにもいない。
「私、ヤクザなんて知らないよ?」
話してくれた中にもいなかったじゃない。
「犯人捕まえたい。罪償わせたいよ。」
私の大切な2人の命、奪ったんだから。
「全部言ったら怒る?」
誰にも秘密だって、3人だけの秘密だって。
「シノさんのあんな悲しい顔、初めて見たんだよね。要さんもきっと…」
怒鳴ってたけど、あれは怒りじゃない。
「シノさんと要さんならきっと分かってくれると思うんだ。2人が私のこと分かってくれたみたいに。」
私の親代わりだから。
「ねぇ、いいかな?」
その刹那、優しく背を押すように、風が一度だけ吹いた。
◆
「またそんなもの食べて。栄養偏るよ。」
「静音…!」
静音は2係を訪れた。
今から昼食を食べようとしていた篠宮と要は、突然現れた静音に驚いた。
所轄の静音が本部に来ることがそうそうあるものでもないし、あれから連絡すら取っていなかったからだ。
ただどちらかというと、後者の理由の方が2人の気持ちの度合いとしては強いのだが。
「ど、どうしたんだ?」
「これ。今からなら一緒に食べよ?」
困惑する要を尻目に、静音は2人分のお弁当を掲げて、休憩室へと移動した。
「はい。コンビニ弁当がいくら進化したからといって、塩気とか添加物とかあるんだから。」
「あ、ああ…」
要は愛妻弁当だから特に問題はないのだが、篠宮は自分だけの食事となると面倒になって料理の腕が上達した今でもコンビニのお世話になっている。
「ごちそうさまでした。」
「「ごちそうさま。」」
食べ終わって一息つくが、どうも落ち着かない。
静音の態度は今まで通り、何ら変わり無いのに。
いや、変わりがないから、落ち着かないのか。
「静音……、あのな、」
「ごめんなさい。」
◆
「静音……」
「いや、俺も怒鳴って悪かった…」
悲しげに謝る静音に、いたたまれなくなった。
「ううん。シノさんの言いたかったこと、何となく分かるから。私が話さなかったことが悲しかった……だよね?」
疑問系でも核心をつく言い方で。
表情を読み取る感覚は健在らしい。
「ああ…でも、理由も聞かずに一方的だった。それは謝らなければならないと思ってたんだ。」
静音が理由も無く、黙っている訳ではないと思えるようになった。
いや、何か理由があるからこそ黙っているのだと気付いた。
「シノさんらしいや。私の話、いつもちゃんと聞こうとしてくれる。」
大人の都合で子供だからと蔑ろにせず、いつも向き合ってくれた。
難しいから分からないだろうと投げ出さず、いつも分かるまで教えてくれた。
そんな2人だから、信じられたんだ。
「シノさん、要さん。私は嘘を付いてました。逢沢莉央と逢沢深緒は私の大切な人達です。脅されてなんかいません。私も共犯なんです。」
私は罪人です。
今からでも、償えますか?
あの2人は良い人達です。
今更でも、信じてくれますか?
◆
莉央と深緒に初めて出会ったのは、篠宮達に保護される2年前。
静音が11歳の時。
出会った場所は商店街などではなく、午後10時の、飲み屋街から少し外れた薄暗い小道だった。
「お前、こんなとこで何やってんだ?」
「あんた何歳?小学生…だよね?迷子?親とはぐれちゃった?」
自分達のことを棚に上げた14歳の莉央と深緒は、不釣り合いな時間と場所にいた静音へ問い掛ける。
「迷子じゃないし。どっかいって。」
ムッと、鬱陶しそうに言って静音は2人と距離を置く。
「おいおい。迷子じゃなかったら家出か?…にしては荷物がねぇな。」
「何でもいいでしょ。放っておいて。」
探る莉央に、静音はプイッと顔を背けた。
「もしかして親いないとか?」
「お父さんは死んじゃったけど、お母さんがいる。入院してるからお金がいるの。だからお金稼いでるの。」
「稼ぐって…、あんたまさか…?!」
「その歳で引っ掛かる男がいるのかよ?」
「いるよ。それに財布盗るだけだし。」
静音はしれっと言ってのけるが、実際はドラマで見た方法を真似てたまたま成功し、今まで失敗していないだけだ。
◆
「はぁ~…小学生がカツアゲ紛いかよ。世も末だな。」
「莉央、それ言うならあたしらも一緒だって。」
カツアゲ紛いではなく完全なる窃盗なのだが、窃盗という言葉を知らないので莉央の中ではカツアゲ紛いになる。
それに、14歳が世も末と言ってしまうのもどうかと思う。
そんな莉央の言い種に、自分達も結構ヤバイことをしてきていると深緒は笑った。
「つかさ、周りに誰もいないってことは、お前一人でやってんだよな?危なくね?」
「だよね。捕まったらどうするとか考えてんの?」
「捕まる…?そんなこと考えたことない。」
静音の見たドラマは、悪役から奪い貧しい人達に配るいう所謂、義賊物語。
義賊が捕まるという描写は全く無かった。
「やっぱりな。詰めが甘いんだよ、詰めが。」
「もう止めな。殴られたり、最悪ヤられるよ?」
「ヤられる?何それ?」
小学生の静音にヤられる、の意味が分かる訳が無かった。
予想通りというかなんというか。
莉央と深緒は、自分達の知ってる限りの知識を静音へ話した。
何となく放って置けなかったのは、自分達と同じにおいがしたからなのか。
◆
「そうなんだ。知らなかった。」
静音は自分が今までどれだけ危険なことをしてきたか、やっと自覚出来た。
「そう。だから止めな。」
「…でも、お金無いとお母さん入院出来ないから、私が稼がなきゃ。お母さん、治療頑張ってるから。ずっとずっと頑張ってるから。」
止めるように促しても、危険を知っても尚、静音は母親の為にと言う。
「あ~も~っ!分かった、分かったよ。俺が見張りやればいいんだ。深緒、お前、化粧とかしてやれ。髪型変えりゃ少しは大人っぽくなるだろ?」
「莉央がいいならオッケー。腕の見せどころってね。」
意地でも止めそうに無い静音に、半ばやけくそになりながら莉央は協力することにした。
深緒は深緒で、莉央が~などと言っているがその顔は楽しそうだ。
「え?えっ?どういうこと?」
「つまり俺達も協力してやるってこと。お前一人じゃ危なっかしいからな。」
「一緒にお母さん助けよ。」
助けたいというより、親を一途に想う静音の心が羨ましかった。
自分達にはそんな親など、いなかったのだから。
「あ、そうだ。まだ名前聞いて無かったな。」
「ほんとだね。」
◆
「よし、確認するぞ。まず深緒か静音が男に声かけて、食事かホテルに誘う。ホテルに行ったら男に先にシャワーを浴びろと言って、その間に財布を持って逃げて来る。俺はその間後ろから見張り。何か言われたら逃げるか未成年って言え。男はビビるから。」
静音が莉央と深緒の2人と一緒にいるようになってから、1年が過ぎた。
「莉央にぃ、毎回毎回言わなくても分かるよ。何回も聞いたから。」
「だって心配じゃんか。」
「このやり取りも毎回ね。」
莉央は誘う対象の男から見えないようにしないといけないので、ある程度離れなければならない。
いざというときの距離感が心配らしい。
ただ、静音も深緒も耳にタコができるほど何回も聞かされてきた為、今では面倒この上ない。
しかし、この教訓が役に立つ時が訪れる。
20代ぐらいの、とあるサラリーマンを誘おうとした時のことだ。
「お兄さん、今から帰るの?私と食事しない?」
「……キミ、未成年だよね?まさか小学生?どんな事情があるかは僕には分からないし知らないけど、こんなこと、しちゃいけないよ。今すぐ止めるなら見逃してあげるから、お家に帰りなさい。」
◆
片腕へ纏わり付き大人びた視線で見上げる静音を離し、目線を合わせるように屈んでサラリーマンは複雑な表情を浮かべながらも優しく諭した。
「!!!(こういう時は………、逃げるっ!)」
「あ、待ちなさい!…行っちゃった……」
誘いに乗ってこず、至極まともに返されたので静音は一瞬動揺してしまう。
しかし、しつこいぐらいに聞かされた莉央の言葉を思い出し、一目散に莉央と深緒が隠れている路地裏へと逃げ込んだ。
「ぅおっ!どうした?バレたか?」
遠目からは会話の内容までは聞こえないので、駆けてきた静音に莉央は小声ながらも驚き尋ねた。
「バレたし注意までされちゃった。」
「早くここから逃げた方がいいね。探しに来られても困るし。」
サラリーマン1人ならまだしも、警察にでも通報されたら捜索されかねない。
そうなれば逃げるに逃げられなくなってしまう。
立ち去っているならいいが、鉢合わせするとマズイので静音の逃げてきた方向を覗いてはいない。
なので、3人はサラリーマンに見つからないように暗く込み入った細い路地を通ることにして、周囲を警戒しながら静かに路地裏を後にした。
◆
それから更に1年後。
静音が13歳になり、そして篠宮と要に保護される年。
母親である船絵が治療の甲斐も無く亡くなり5年の闘病生活に終止符を打った。
言い換えれば、静音はもうお金を稼ぐ必要が無くなったのだ。
「お母さん、頑張ったよ。凄くね。」
「ああ、凄くな。静音は晴れて金を稼がなくて良くなった訳だな。」
静音を慰めながらも、静音を通して自分の親のように感じていた莉央と深緒。
悲しくないわけがない。
しかし、静音がこれ以上男を誘わなくてよくなるのは2人にとっては嬉しいことだった。
「そのこと、なんだけど……ね。莉央にぃ、深緒ねぇ。私、自首しようと思うの。」
「は?」
「自首?!」
口数が少ない静音に、てっきり母親のことを考えているのかと思っていた2人は自首という単語に驚きを隠せない。
「もちろん莉央にぃ深緒ねぇのことは言わないよ。元々私がしてたことだし。2人のことがバレないように警察の人には私1人でしてたことにするから。何も心配しないで。」
肩の荷が下りたような、それでいて少し寂しそうな表情で静音は2人にニッコリと笑いかける。
◆
悪い事をしているという、罪の意識は芽生えていた。
でも、母親に治療に専念して欲しくて、心配させたくなくて。
母親が死んで親戚もいない自分はきっと今の生活は出来ないことは何となく理解出来た。
その証拠に、役所の職員が生活の状況を聞きに来ていたから。
どうせ莉央と深緒と離ればなれになって、今の様に会えなくなるのならば…………
考えた末に静音の行き着いた答えは、警察への自首だった。
「ちょっと待って。自首って…しかも、静音一人だけなんてさせられない!」
「当たり前だ!俺達は一心同体、つまりは一緒なんだよ。」
「でも2人は私を助けてくれただけだし。」
年下であり大切な静音が一人で背負おうとしている姿に、莉央と深緒は心配から口調が強くなる。
しかし、静音も譲らない。
「……あのさ、静音。」
「うん?」
「静音はさ、俺達を巻き込んだって思ってるだろ?けど、それは違うぞ?」
自分が巻き込んだのにこれ以上迷惑はかけれないと、確かに静音は思っていた。
「そうだよ、それ全く違うからね。あたしらは静音と居たいから居たんだ。だから静音は悪くない。」
◆
「でも……」
2人に言われても、静音の中で決まった答えを変える気はないようで。
「……はぁ。分かったよ、静音。自首しよう。」
「え、いいの?」
「仕方がないだろ。静音が頑固なの知ってるだろ?」
「確かに。最初に会った時も頑固だったっけ。」
誰かの為なら自己犠牲もいとわない、静音の意志の固さは筋金入りだ。
莉央と深緒は呆れながら笑う。
「静音、自首するのはいいけどな、約束がいくつかある。守れるか?」
「約束?なに?」
莉央には、静音に願うように言う。
「今までの全部、俺達に脅されてしたことにしろ。」
「え?どういうこと?私、脅されてないよ?っていうか、元々私が」
「良いんだ、俺達を悪役にしろ。」
「悪役って……」
「なるほど。そうすればまだマシね。」
静音の家庭事情と自分達に対しての周りの評価。
これを利用すれば、静音だけなら何とかなるはずだと莉央は考えた。
深緒も、莉央の考えに納得する。
「でもそれじゃ、莉央にぃと深緒ねぇだけが悪いみたいじゃない!私だって同じなのに……」
自分だけ罰を受けないなんて。
◆
「同じじゃねぇよ。俺達と静音は天と地ほどの差があるんだよ。けどな、俺達は静音と会って変われたんだ。静音と一緒に居たいから変わろうと思えたんだよ。」
親にさえ見捨てられた自分達。
自暴自棄になっていたのを救ってくれたのは、紛れもなく静音の母親を助けたいと思う純粋な気持ちだった。
「あたしらはさ、ただムカついてたんだ、世の中に。ガキみたいで幼稚だって分かってたけど、止められなかった。それを静音が止めてくれたんだよ。」
だから今、静音の為に悪役にだってなれる。
「莉央にぃ……深緒ねぇ………」
2人の優しさに気付けないほど、静音は鈍感ではない。
「会えなくてもあたしらはそばにいるよ。いつも静音を想ってる。」
「そうだ。どこかに必ずいてやるから、我慢しろ。気が向いたら探してやるよ。気が向いたらだけどな。」
探す気が有るのか無いのか。
優しく笑う深緒も、軽く笑う莉央もきっと後者だと、静音は分かっている。
二度と会わない方がお互いの為だなんて。
未来の為に今を棄てる。
馬鹿だと笑われるのだろうか?
それでも、道を変えるなら今しかないのだ。