深まる疑惑と募る焦り

「なに!?蘇芽が居ない?」



志麻と瀬羅が蘇芽に聴取しようと癒鼬組に赴くと、組員が慌ただしく動いていた。


烏田切曰く、蘇芽が行方不明らしい。



「いつからですか?」


「昨日の夕方、少し出てくると言って出掛けたらしいんですよ。」


「連絡もなく、こちらも探してるところだ。」



誘拐か拉致か、それとも報復か。

理由が分からない。



「こっちでも探してみましょう。人手は多い方がいいでしょう。」


「ああ、そうしてくれると助かる。」



志麻が申し出ると、余程困っているのか御方はあっさり受け入れる。


一方の烏田切は一瞬眉をひそめる。


警察の世話にはなりたくないのだろう、突っ込むのは無駄な争いだと判断し見逃しておくことにした。

「見事に撒かれましたね。」



癒鼬組の屋敷から出た瀬羅は、落胆の色を見せる。



皆さんお忘れかもしれないが、癒鼬組には張り込みの捜査員が付いていた。


にも関わらず、隙を付かれた結果になってしまった。



蘇芽が行方不明になったことは、御方と烏田切に会う前に捜査員から報告があった。

驚いてみせたのは、もちろん張り込みのことを気付かれない為だ。



「人間のやるこったぁ間違いがあるもんだ。気にするな、とにかく探すぞ!」


「そう…ですね。」



気にするな、という志麻の顔は怒りに満ち、今にも殴りかかりそうな勢いだ。


張り込んでいた捜査員が、電柱の陰で怯えた表情でこちらを窺っている。



「(御愁傷様です……)」



殴られないにしても、本部に戻れば大目玉だ。


後のことを想像した瀬羅は、心の中で捜査員を気の毒に思うのだった。

「蘇芽がっスか?」



提供者の状況が気になり煌と隼弥は所轄に来ていた。

反省もしているし素直に話している為、重い罪にはならないと担当から聞き安堵する。


問題もないので帰ろうとすると、志麻から電話が入った。

蘇芽の件だ。



「どうした?」

「蘇芽が行方不明だと。探すぞ。」

「おう。」



連絡を受けた周辺の所轄や本部の人間も含めた警察官と癒鼬組の構成員が、蘇芽の行きそうな場所や監禁されそうな場所など手当たり次第に探し始める。





………数時間経過。

お昼もだいぶ過ぎて、軽食を流し込みながらも捜索するが依然として見つからない。



「だぁーどこにいんだよー」


「うるせぇ。静かにしやがれ。」



報告の為、煌達は一度署に戻ってきた。

といっても、収穫がまるでないので捜索範囲の確認だが。



「というか、まだくっついてくるわけ?」



机に伸びている隼弥に呆れながら、瀬羅は煌に小声で尋ねる。

「断んのが面倒になった。それに鑑識に確認したら、働いてんならいいってさ。」


「どれだけ仕事してないのよ…」



隼弥が煌と一緒にいることも捜査していることも、もはや鑑識公認になってしまった。


普段の勤務態度が余程悪いのか、他の鑑識員が憐れである。



「一課に呼んでパシリにでもしたらいいんだよ。鑑識のお荷物よりはマシだと思うけどな。」


「雑用でも一課っていうのがマズイんじゃない?勤務態度とか…。特に志麻さんとの相性。」


「まるで犬と猿だな。」



煌は犬猿の仲と言いたいようだ。


だが、犬と猿もそこまで仲が悪いこともない。

もっといえば、昨日みたいな子供じみた喧嘩はしないだろう。


犬と猿を思い浮かべた煌は、比べて悪かった、と犬と猿に心の中で謝るのだった。

「捜索した場所はこれでよし。こっからどう広げていくかだな。」



地図に捜索済みの印として斜線を引く。


次は、思い当たる場所以外の捜索だ。

ただ、人海戦術とはいっても人数は限られている。


闇雲に捜索する訳にはいかない。



地図に引いた斜線にはまだ隙間がある。



「とりあえず間埋めて行くっスか?」


「そう…だな…。」



志麻は地図とにらめっこ状態だ。



「まだ癒鼬組には要求の電話とかきてないんスよね?」


「ああ、まだ音沙汰ねぇな。」



誘拐などなら何かしら要求があるはずなのだが…、それもない。



「報復か、もしかしたら自分からいなくなったってことっスかね?」


「可能性もなくはないな。だが、置き手紙すら無しに出ていったとなると探されると予想できるもんだがなぁ。」



疑問が疑問を呼ぶ。



ピリリリリ――――……


地図を見ながら思案していると煌の携帯が鳴る。

着信は紅葉からだった。

「どうかしたか?」


『姐…ん、たい……なん…よ!』



また情報提供者を見つけたのかと思いつつ出るが、何か様子が違う。

だいぶ焦っているようで聞き取りにくい。



「落ち着け。ゆっくり話せ。どうした?」



深呼吸でもしたのか、それとも煌の声に安心したのか、幾分か落ち着きを取り戻したらしい紅葉の声が聞こえてきた。



『それが春貴が行方不明なんスよ!!』



「春貴がか?!一体いつからだ?」


『今朝家から出たのは近所の人が見てたっス。だけど学校には来てないって電話がきたんスよ。家を出てからがまったく。』


「んで俺に言わない!?春貴が黙っていなくなるなんてねぇだろうが!!」


『すんません。秋さんが言うなって……』


「ちっ、兄貴のやつ。変な気使いやがって。」



心配かけたくない、というよくあるパターンだ。

『事故でもあったのかと思って探してたんスけど、見つからなくて。秋さんは姐さんには絶対連絡するなって。でも、見つからなくて。どうしたらいいか、もう分かんなくって。』


「ああ、分かった。大丈夫だ。紅葉今一人か?どこにいる?」


『工場で一人っス。』


「兄貴と梓凪は?どの辺り探してるとか分かるか?」


『多分家か学校の辺りと思うっス。ある程度で折り返せって秋さんに言われたっスから。』


「分かった。とりあえず兄貴と梓凪に電話して工場に戻るように言え。俺がそっちに行く。」


『ホントっスか!?』


「ああ、だから待ってろ。」



安心させる様に力強く言い聞かせる。

「大変なことになったな。」



会話で分かったのか、その場にいた全員の顔が険しくなる。


春貴が秋達に黙ってどこかへ行くことはない。

そして、小学生を捲き込んだ事故の通報や報告も入っていない。

必然的に誘拐だ。



「早いとこ見つけねぇと。放置でもされてたら洒落にならねぇ。」


「とにかく兄貴達に話聞いてくるっス!」


「ああ、こっちは気にするな。それと、詳細分かったら知らせろ。1人探すのも2人探すのも変わらん。」


「了解っス。」



煌と隼弥は急いで工場へと向かった。

「金の要求とか何も無いんだよな?」


「ああ……」



工場に来た煌と隼弥は、状況を整理する。



「探した範囲は?」


「工場周りと家から学校周辺…」



秋は、いつもの覇気は消え憔悴しきっている。



「あたしらは、これからどうしたらいいんスか?」



梓凪と紅葉も動揺している。



「今先輩達が探してる。それにもうすぐ担当の捜査員が……」

「結灰!」



捜査員数人が機材を持って入ってきた。



「兄貴達はここで一緒にいろ。俺も探すから。」


「ああ、頼む。春貴を、春貴を見付けてくれ。」


「分かってる。」



秋・梓凪・紅葉を見て、煌は力強く頷く。



「探した範囲は……そうっス。今捜査員が…。俺達も捜索に加わるっス。」



志麻に連絡した後、煌と隼弥も捜索に乗り出した。

「くそっ……、なんで見つからねぇ!」


「志麻さん!目撃者出ました。」


「本当か!」



情報が上がってこないことに焦りを隠せない志麻に、捜査員が朗報を持ってきた。



「春貴君の学校から北西方向へ、若い男の後を追い掛けているのを見かけたそうです。」


「若い男?もしかして蘇芽か?」


「ええ、目撃者に写真を見せたところビンゴでした。」



ここにきて春貴と蘇芽が繋がる。



「よーし、北西を中心に徹底的に捜索だ。」


「了解です。」



志麻と瀬羅、それに指示を受けた捜査員達が北西へと向かう。



「北西?しかも蘇芽を?了解っス。」



捜査員から連絡をもらった煌と隼弥も、捜索していた学校付近から北西へと方向を変える。

2+1-2=1

学校から北西方面は、中小の工場地帯だったが少し前に廃業し、現在倉庫街となっている。

その為人通りは少なく、目撃情報もこの辺で途切れていた。



「そっちお願いします。隼弥はあっち。俺はこっちを探す。」


「「了解。」」



到着した煌は、隼弥や数人の捜査員と手分けをして探し始めた。



何故、蘇芽の手掛かりが春貴の捜索で見付かったのか。

それには理由がある。



志麻達は、警視庁を中心として南に癒鼬組があり、そこを重点的に捜索していた。



南や西方面は、ビルや呑み屋が建ち並び人通りは多いが土地柄は良くない。


逆に北や東方面は、学校や住宅地が広がっているので、通学通勤時間帯を過ぎると人通りは少なくなる。

扇崎が発見された河川敷も東にあり情報は主に住宅地の主婦だった。



蘇芽の行動範囲は、南にある癒鼬組と南西にある白雪、遠くに行っても西にある桐也が根城にしている廃ビル周辺。


因みに春貴の主な行動範囲は、北東にある家と秋の勤務先の工場、北にある学校である。



つまり、蘇芽の実際の行動と捜索していた範囲がまるで違っていた為手掛かりが掴めなかったのだ。

「はぁ…どうすりゃいいんだよ、これ。」



薄暗い空間で、目の前の状況を見て溜め息をつきながら頭を抱えている人物が1人。


癒鼬組から消えた蘇芽だ。


蘇芽の目の前には、気を失っている子供が1人。


そう、春貴だ。


目撃情報通り、春貴は蘇芽の後を追い掛けていたのだ。

何故かというと、歩いていた蘇芽が白い粉が入った小袋を落とした。

それを見ていた通学途中の春貴は、届けようと追い掛けたのだ。


ただ、両者には距離があり、蘇芽が早足で歩いていたこともあり春貴が走っても追い付けなかった。


倉庫街に来て歩くスピードを落とした蘇芽に、見失うことなく追い掛け続けた春貴は小袋を蘇芽に差し出した。



ところが、差し出された小袋に驚いた蘇芽が勢いあまって春貴の首を絞めてしまった。


しかし、蘇芽は何かを思い出したのか途中で手の力を緩めた為、春貴は気を失うだけで済んだのだ。



とりあえず倉庫に運んだはいいものの、春貴をどうするか決めかねていた。



「まだ殺ってないし、とにかく俺じゃ上手くやれない。」



蘇芽はそう呟くと、倉庫を出てどこかへ電話をかけ始めた。

「(ん?なんで開いてんだ?)」



倉庫街の西側を捜索していた煌は、扉が開いている1つの倉庫を見付けた。


倉庫は人の居ないときは閉めて鍵を掛ける。

もちろん中に置いてある物を盗まれない為だ。


西側は個人向けが多く人の出入りは休日が多い。

この辺りの倉庫は広さもかなりあり、家に置くと場所を取ってしまう大きい物専用だ。


大型トラックでも通れるぐらいの幅があるので、倉庫の入口までまで入れる。

倉庫街の広さも倉庫に比例して、車でないと移動は厳しいぐらい広大だ。


なので、開いているにも関わらず車両が周りに無いのはおかしい。



「(とりあえず誰かいないか確かめるか。)」



扉が開いているだけでは、蘇芽がそこにいるとは限らない。

倉庫の借り主が閉め忘れた可能性も無くはないからだ。


応援に捜査員を呼んでも、自分の勘違いであれば時間の無駄になってしまう。


煌は、人が居るか居ないか、報告の前にそれだけでも確かめることにした。

「何?!烏田切に撒かれただと?」



捜索中の志麻の携帯に着信が入ったと思ったら、残念な報告だった。


慌ただしい癒鼬組を、今度こそ蟻一匹でも見逃すまいと張り込んでいた捜査員。


そんな中、烏田切が構成員の隙を窺いながら静かに出ていったので、後をつけていた。


携帯でどこかに電話しながら、烏田切は北へと歩いていく。


人目を避けたかったのか、それとも尾行がバレたのか、はてまた張り込んでいたのが最初から分かっていたのか。


いずれにせよ、路地裏に入られ見失ってしまったのだ。



「張り込みはもういい。とにかく探せ!」



組にいる御方より、出ていった烏田切の方が怪しい。


志麻はそう考え、張り込みより烏田切の捜索を命じた。



「どうかしたんですか?」



志麻の大声を聞いて瀬羅は駆け寄る。



「烏田切まで姿を消しやがった。」


「本当ですか?ますます癒鼬組が怪しくなってきましたね。」


「ああ。蘇芽のところに行った可能性が高い。結灰にも連絡入れとけ。」


「分かりました。」



志麻が初対面より感じていた、刑事の勘は見事に当たっていた。

「(入口付近に人の気配は無いか。)」



開いている扉の隙間から倉庫の中を覗くも、薄暗く置かれている荷物の影ぐらいしか見えない。



「(中に入るしかねぇな。)」



物音を立てないように慎重に倉庫内へ入り、規則正しく積み上げられた物で身を隠す様に真ん中から進む。



「(やけに段ボールや荷物類が多いな。)」



倉庫内の光景は、どちらかというと個人用というより企業用に近かった。


しかし、個人で大きい荷物を扱っている人も居なくはないし、中身を見るのにも借り主の許可か令状が必要だ。

荷物より春貴と蘇芽を見付けるのが先だと、疑問を頭の隅に追いやる。



「(ん?あれは人か?でも小さいな、人形か?)」



倉庫内の左側の壁際に横たわる人影らしき影。

ただ、大きさがあまりにも小さいので人形かと思うが暗すぎてこの距離では判別出来ない。


しかし、人影の見える壁と煌のいる荷物の間は車2台分ぐらいあり、出てしまうと身を隠す場所が無くなってしまう。



「(仕方がねぇ。他に人の気配もねぇし、確かめてみるしかねぇな。)」



人だった場合に備え、襲われるのを覚悟で人影に近付く。

「!!春貴!!!」



煌が人形だと思っていた人影は、春貴だった。



「春貴!おい、春貴!目を開けろ!」



触れた体はコンクリートの上にいたせいか少し冷えてはいるが温かく、見たところ外傷もないようだ。



「春貴!!」


「…ぅ……ぅん………」


「春貴!」


「煌姉ちゃん……??」


「良かった、気が付いたか。」



目を開けた春貴に煌はホッとする。



「煌姉ちゃん、どうして……」


「話は後でゆっくりな。とりあえずここから出るぞ。」


「…ぅ、うん。」



まだ意識のはっきりしない春貴を抱き起こし立たせる。



「……!!煌姉ちゃん、うしろ!!」


「!?」



煌は春貴の声に、反射的に振り向いてしまった。



ガンッ



「ぃっっ…………――――」



煌の頭に降り下ろされたのは、入口付近にあった木の角材。


春貴に気を取られて、近付いてきた人の気配に煌は気付くことが出来なかった。

「蘇芽……、やっと見付けた。」



もう一人の捜索対象が見付かって笑う煌とは対照的に、角材を降り下ろした蘇芽本人は怯えた表情だ。



「な、なんで……こうも次々と問題が……」


「(問題……?何が問題なんだ?それに何で怯えてる?)」



蘇芽の態度が煌には分からない。



「煌姉ちゃん……」


「心配するな、大丈夫だ。」



後ろにいる春貴は恐怖からか、煌の腕を掴んでいる手が震えている。



「(やべぇな……)」



安心させる為に春貴にああ言ったものの、実際はまずい状況だ。


横たわる春貴に駆け寄った為、煌は必然的にしゃがみ込んだ体勢だ。

振り向いた時も片膝を付いた状態だったので、立っていた蘇芽から降り下ろされた角材の威力は相当なもの。



しかも、この間冬架から受けた傷も治りきってはおらず、傷口が開いたのかその時よりも出血が多いように感じる。


蘇芽の姿も少し霞んでいる。


春貴を抱えつつ入口方向にいる蘇芽をかわして逃げるなど、この状態では不可能だ。

「隼弥?結灰さん傍にいる?」


『いや、いねぇけど。どうしたの?』



瀬羅は隼弥に電話をかけていた。

受けた隼弥は、煌とは分かれて捜索しているので現在1人だ。



「烏田切が出掛けたから尾行してたんだけど、撒かれたらしいのよ。」


『はぁ?烏田切も!?』



烏田切まで姿を消したと言われ、これ以上捜索対象者増やすなよ…と隼弥は開いた口が塞がらない。



「結灰さんに連絡しようとしたんだけど繋がらなくて。コールはするから、電源は入っていると思うんだけど。」



瀬羅の説明に、煌を飛び越えて自分のところに連絡がきたのか合点がいった。


捜索中ではあるが鑑識の自分に瀬羅から連絡がくるなど、急を要する事態に他ならない。



『了解。結灰の探してる場所まで行ってみるわ。』


「お願い。」



隼弥は、電話を切るとすぐさま煌が捜索しているであろう場所へと向かう。

「(なんとか春貴だけでも逃がしてぇな。見たところ蘇芽は1人のようだし、東に行けば隼弥達もいるから、いけるか…)」



回らない頭で、この状況を打破する方法を考える。

幾多の現場を潜り抜けてきた煌であっても、今の状況は非常に不利だ。


何故なら怪我を負っている上に、今は捜索中心で拳銃携帯命令は出ていない為、煌は武器という武器は持っていないからだ。



それに現役時代ならともかく、今は警察官だ。

被疑者とはいえ、殴るわけにはいかない。



「(拳銃携帯許可、取っとくんだったな…)」



後悔しても後の祭りだ。

春貴を一刻も早く見つけ出そうとそっちに気がいってしまって、そこまで頭が回らなかった。


春貴を守り通すことが出来ないと判断した煌は、自分が囮になって逃がす道を選ぶ。



先程から定期的に鳴っている携帯のバイブレーション。

その向こうにいる仲間達が、この異常に気付いてくれることを信じて。

「春貴、俺があいつの気を引くからお前はその隙に逃げろ。」



蘇芽は、いまだに何かブツブツと独り言を呟いている。

気付かれないように蘇芽に目線を向けたまま、小声で春貴に話しかける。



「煌姉ちゃんは?」


「大丈夫だ。お前を庇いながらじゃ動けねぇ。外に出たら走って東に行け。警官いるから。私服だから、分からなかったら隼弥を探せ。俺と工場に来た男、覚えてるな?」


「うん。わかった。」



自分が傍にいれば足手まといなのは、今までの煌や秋を見て理解していた春貴は素直に頷く。



「よし。春貴は左な。」


「うん。」



煌から見て左側は、煌が来た方向で広さもありたとえ追い掛けられても積み上げられた荷物が阻んでくれる。

一方右側は、春貴がいた方向で壁際。角材を避けて右方向へ体当たりすれば勢いのまま壁にぶつかってくれるはずだ。



「よし、行くぞ。いち、にの…」

黒幕は真相と犯人を連れてくる

パシュ



「!」


「ぐゎっ…………―――」



春貴を逃がそうとした時、軽い破裂音がした。


数秒して、右の脇腹辺りの服を赤く染め蘇芽が崩れ落ちる。



「まったく…次々と厄介事を増やしてくれますね…」



「烏田切……!!」



倒れた蘇芽の後ろから現れたのは烏田切だった。

その手には拳銃が握られており、ご丁寧に消音器(サイレンサー)付き。

そのせいで発砲音が小さく、蘇芽が倒れるまで烏田切の存在に気付かなかった。



「セリの兄貴……なんで……」



自分が撃たれた理由が分からないのか、腹を押さえながら烏田切の方へ這いつくばる。



「私の忠告も聞かずに、勝手な行動をとるからですよ。」


「俺はただ…見られたから……」


「見られたからといって、小学生に中身が分かるわけないでしょう。それに、外には持ち出すなと言ったはずですが?」


「す、すんません……」



「(一体何がどうなってんだ?)」



烏田切が蘇芽を怒っているのは、何かやらかしたからだと推測できるが、撃つ意味が分からない。

「(内輪揉めの理由はこの際置いておいて、この状況どうすりゃあいいんだよ…)」



角材だけならば、素手でも対処できなくはない。

だが、拳銃となれば話は別だ。

遠距離攻撃が出来る拳銃は、近距離のナイフより始末が悪い。


しかも、射程距離内にいるので下手に動けない。



「はじめまして、結灰煌さん。私は、烏田切芹檜と申します。といっても、もうご存知…ですよね?」



「あぁ、もちろんご存知だ。だけど、なんで俺の名前知ってんだ?まぁそれも含めて、銃刀法違反で署まで来てもらおうか。」



強気に出てみるものの、銃口は蘇芽の延長線上にいた煌に向いたままだ。



「そんなに、死に急がなくてもいいではありませんか。余程、あの方の後を追いたいようですね。」


「あの方?」


「ええ。なんていいましたかね……。ああ、そうそう。思い出しました。扇崎!扇崎吉信さんですよ。」



「!なんで、お前の口からおやっさんの名前が出てくる…?」



有力な容疑者候補である烏田切の口から扇崎の名前が出てきたことに、煌は驚き目を見開く。

そして、後を追うという言葉に声は自然と低くなる。

「同じことを仰ったので。扇崎さんの方は覚せい剤取締法違反でしたけど。」


「証拠があるから言ったんだろ。」


「ええ、まあ。ですが、知られてしまってはこちらとしても不都合でしてね。」



烏田切は困ったように言う。



「大変だったんですよ。事が終わった後にノブから電話もらったので。無能な警察とはいえ、今の技術は侮れませんからね。でもご心配には及びません。なにせ私は参謀。完璧に仕事をこなします。何人たりとも分からないくらいにね。」



恍惚と話す烏田切だが、その内容は簡単に聞き流せるものではない。



「危険な芽は早めに摘んでおくのが私の性分なんですが。私が完璧な計画を立てる前にノブが早まったことをしてくれまして。仕方がなかったのですよ。」



ペラペラと話す烏田切のおかげで、パズルの様にバラバラなピースが組合わさる。



「覚醒剤を知られた。だから、殺した。そういうことだな。」



事件の全容が見えた煌が、怒りを覚えながらも冷静でいられたのは、離すタイミングを失い自身の腕を掴んだままの、震える小さな手のおかげだった。

「ええ。白雪で色々ノブが口走ったみたいで、組にまで来られたんで大変でしたよ。そのせいでノブが早まったことをしたんですがね。」



核心に迫っても、烏田切の表情は変わらなかった。



整理すると、事件の真相はこうだ。



白雪で覚醒剤が横行していることを不良から知った扇崎が、白雪で張り込むこと数日。

癒鼬組と猿組との癒着・癒鼬組が裏で糸を引いていると、蘇芽が酔った勢いで自慢気にバーテンと話していた。


それを聞いた扇崎は、真相を確かめに単身癒鼬組に出向く。


烏田切が否定したのを盗み聞いてはいたが、扇崎が納得していないのは見てとれた。


それから日に日に自分が捕まるのではないかと恐れるあまり焦った蘇芽が、常時護身用で持っているナイフで扇崎を刺して殺してしまった。


刺してから事の重大さに気付いた蘇芽は、すぐさま烏田切に助けを求めたのだ。



「処理も偽装も完璧に出来ました。だからもう私の邪魔はしない、私の言うことだけ聞いていなさい、とあれほど言いましたよね?」


「ぐぁ………ずみまぜ……」



蘇芽の体を蹴りあげ仰向けにすると、烏田切は撃った場所を踏みつける。

「ここも違うか……」



隼弥は、連絡の取れない煌を必死に探していた。


誘拐ではないものの、犯人、つまり蘇芽に気付かれない様に捜査員は全員私服の警官。

煌と同じく拳銃携帯命令が出ていないので丸腰だ。


なので、探り探りの捜索。

大声で呼べば蘇芽に気付かれるおそれもある。


時間がかかって仕方ないが、方法がそれしかない。


携帯のGPSも辿ってみるものの、倉庫街を指しているだけで、詳細な位置までは分からない。



「やっぱ出ないか……」



数分置きに煌の携帯へかけてはいるが返答はない。



「隼弥!」



倉庫街に志麻と瀬羅も到着した。



「こっから西は全て捜索しましたけどまだ。なんせ広すぎ。」


「気付かれて春貴君を人質に取られでもしたら厄介だから仕方ないよ。」



「生きてりゃいいがな。」


「縁起でも無いこと言わないで下さいよ。」


「あ―すまん。結灰と連絡がとれなくなること、今までなかったからな。」



頭に思い浮かんでは消える最悪の事態。


こんな嫌な予感は外れるべきだ。


捜査員全員がそう願う。

「(覚醒剤を知ったから癒鼬組行った…?何故だ?)」



真相を知ってもなお、煌は納得がいかないことがあった。


それは、扇崎が覚醒剤の事を聞きに癒鼬組へ行ったということだ。

人数が多いと分かっている上に、武器など持っていたら…と考えるのが普通だ。


いくら元警察官とはいえ、丸腰でしかも一人で暴力団のところへ行くような真似はしない。



「シャブのこと、頭に知られたらどうするんです?私がこれまで積み上げてきたものを壊す気ですか?」



蘇芽に怒りをぶつけている烏田切の言葉に、煌は引っ掛かる。



「頭って、御方だろ?組の頭に知られてなんで困るんだよ?」



これ以上蘇芽の傷が広がってはまずいと、烏田切に話し掛ける。



「殺人ぐらい、お前らはなんとも思わねぇだろ。捕まりたくないだけでな。」



煌の問いかけに烏田切の動きが止まる。

「シャブは買って売るもの。それなのに、ノブは手を出して。薬漬けにするのはカモだけで十分事足りるんですよ。」



心底嫌そうに蘇芽を見やる。


扇崎の遺体に覚醒剤が付着していたのは、殺害した蘇芽からのようだ。



「シャブはビジネスです。殺人などビジネスを邪魔するものでしかない。だからそうなる前に消し去る。それもこの世から完全に。私の完璧なビジネスプランにアクシデントは似合いませんから。」



愉快そうに自身の持論を語る烏田切。



「頭はそれが分からない。シャブがどれだけの金を生むのか。組の合併で今までより大量に仕入も出来るようになって、白雪も作らせたのに。表だけでタラタラいくつもの企業を運営して。細々金を回して。それで一体何の得があるというのか!」



覚醒剤の出所が判らなかったのは、仕入が癒鼬組の烏田切で、捌いていたのが猿組だったからの様だ。


そして余程不満が溜まっていたのか、これが烏田切の素なのか。

先程から丁寧な物腰とは打って変わって、口調は荒い。



「金だって、頭がいなきゃ裏ですんなり動かせるのに。普通に経営して、収支報告書作って。ペーパーカンパニーの方がまだマシだ。」

「マネーロンダリングも楽じゃないってか?だったら表で儲けりゃいいじゃねぇか。お前だったら簡単だろ?」


「マネーロンダリング?そんなことしてませんよ。」



マネーロンダリングとは、不正に得たお金を架空口座に数回出し入れして出元を判らなくすることである。



「頭は、一般企業と同じことを私にさせているだけです。儲けだってそれほどありませんよ。」


「御方は一体なにがしたいんだ?暴力団が儲けねぇでどうすんだよ。」


「組が食えればいいって言ってましたからね。」



癒鼬組の中では、緒方は異質らしい。



「じゃあその銃も御方は知らないってか?」


「ええ。なにせ頭は癒鼬組のきっての穏健派。こういうものにはまったくの無縁。興味もありません。」



合併する前から覚醒剤に手を染めていた渋鷺組は、合併してからも猿組と繋がりを持ち白雪を運営させていた。


ただそれを緒方は知らない、烏田切の独壇場ということの様だ。


あれが頭として成り立ってるんですから世の中おかしいですよ、などと烏田切は愚痴り始める。

「大体、仁義だの、人情だの、鬱陶しい。私の頭脳と金があれば何も不自由しないんですよ。」


「出来ないことはないってか?」


「ええ、もちろん。お嬢が頭に惚れなきゃ今頃私が頭になっていたはずなのに。そこだけは計画が狂いました。」



「出来ねぇことあるじゃねーか。」



冷笑気味に煌がそう言った途端、烏田切の表情が変わる。



「ええ。私の人生の計画は台無しです。でも、ここで終わるような計画ではありません。アクシデントは似合いませんが、それを修正して元に戻すことも私には出来るんですよ。」



自信たっぷりにニヤリと笑う烏田切に、嫌な予感がする。



「貴女が私に色々質問したのは時間稼ぎでしょうかねぇ?ノブを探して、サツがウロウロしていましたから。」



煌が逮捕した後、取り調べでいくらでも分かる様なことを長々と聞いていたのは、蘇芽の為だけではない。


春貴を逃がせない状況で頼れるのは、外にいる隼弥だ。


携帯が取れない状況にある、と分かれば何かあったと思ってくれるはずだと考え、烏田切の言う通り時間稼ぎをしていたのだ。

「単純ですね、貴女も。頭そっくりだ。」

「あ?」


「図星でしょう?私が何も知らないと思っているのですか?」



そう言う烏田切の後ろの入口から、男5人の外国人が入ってきた。



「たまたま運が悪かったと思って下さい。貴女もノブもね。」

「え……。俺?」



突然話を振られ、蘇芽は唖然とする。



「ええ。貴方には重要な役割があるんですよ。扇崎吉信を殺しそれを知ったこの2人も殺し、全ての罪を被って自殺する、というね。」



烏田切が話す計画は、とんでもないものだった。



「猿組と繋がってたのも貴方ってことにしましょうか。白雪に出入りしてましたし、体内からもシャブが出てくる。信憑性も高いでしょう。」


「セリの兄貴、なんで……」



烏田切の言うことに、蘇芽は驚きを隠せない。



「犯人がいないとサツはいつまでも嗅ぎ回わりますからね。犯人役が必要なんですよ。」


「なんで、俺なんスか……」



「たまたまですよ、たまたま。しかし、私の完璧な計画の一部になれるんですよ。こんないいことはないでしょう。」



まるで名誉なことだとでもいう様に、烏田切は言い切る。

スケープゴートで万事休す

「(ったく、何やってんだ隼弥の奴……)」



少し前に着信しなくなった携帯。


1回目の着信から大分時間が経っている。

時間稼ぎもこれ以上は限界だ。

だから、何かしら対策を練っていて欲しいのだが。


しかし、外国人達がすんなりこの倉庫へ入れたということは、少なくとも倉庫への周りには誰もいないということだ。


隼弥が今どの辺りにいるかなど、この状態では知る術が全くない。



「(あの外国人達は烏田切が呼んだみたいだな。俺達の始末要員か?)」



入ってきた外国人達は、見たところアジア系の顔立ちだ。



「(五課が言ってた、中国系のマフィアの可能性が高いな。)」



服装はポロシャツにジーンズと軽装で、武器は持っていなさそうだ。



「(やるしか、ないか……)」



烏田切に知られた以上、引き延ばしは無理に等しい。

それならば、捕まる前に先手を打つしかないのだ。


震えが止まらない春貴の為にも、怪我をしている蘇芽の為にも。



烏田切に、殺される訳にはいかない。

「遺書はどうしましょうかね?自殺には必要ですよね。自責の念っていうのはありきたりですが、サツなら簡単に騙されてくれるでしょう。」



テレビドラマの様に、小道具も用意するつもりらしい。



「ノブは銃痕が目立たない様に焼死にしましょうか。あの2人はこのナイフで刺殺。扇崎さんの血痕もついていますから、証拠としては十分ですね。」


「それ、処分してくれるって………」


「有効活用ですよ。」



烏田切が懐から出したのは、布にくるまれた何か。

なんとその中身は、扇崎を刺した凶器のナイフである。


烏田切は処分するからと、蘇芽から受け取っていた。

しかし、処分せず隠し持っていたのだ。



蘇芽が扇崎を殺したのが、午前2時頃。

白雪にガサが入ったのは、その4時間後の午前6時。



どう処分したら一番いいかと方法を検討していた矢先のガサに、烏田切はナイフの活用方法を閃いたのである。


白雪にガサが入ったことで煌のことがなくても、結局烏田切は全ての罪を被せ蘇芽を殺す気でいたようだ。

「どーすんだよ、これ。」


「早まるなよ。今、五課が拳銃持って向かってる途中だ。」



「だけど、このままじゃ結灰が……」


「武器も無しに突っ込めるか。」



コソコソと周りを窺いながら移動する外国人達を隼弥が発見し、後を付け煌達のいる倉庫をようやく突き止めた。


隼弥・志麻・瀬羅の3人を含む一課の捜査員達は、倉庫一帯をすぐさま固めていた。


しかし、何回も言うが捜査員達は丸腰である。

人数で勝っていても、銃を乱射されたら怪我だけでは済まない。


その為、署にいた五課に応援要請を兼ねて、拳銃を携帯して向かってもらっているところだ。



だが、いよいよ煌と烏田切の攻防の均衡も崩れようとしている。



「(結灰…無茶すんなよ……)」



自分達が周りを固めていることを伝えたくても伝えられない。

歯がゆい思いを抱えながらも隼弥は、煌が無茶な行動を起こさないことを願うしかなかった。

「(蘇芽は除外して、春貴はこのまま……烏田切に突っ込んだら後ろの5人の内、何人かには届くよな……)」



目で確認出来る人物の位置関係・暗い中感覚で掴んだ倉庫の構造を頭に描く。

仕掛けるのは形勢逆転の大勝負。
その為に立ち回りの予想を立てる。



「(銃押さえて奪えりゃ、なんとかなるだろ。)」



武器は拳銃だけ。後は力業で押し切る。



そう結論付けた煌は、服を掴んでいる春貴の手に自らの手を重ねる。

大丈夫だという意味を込めて強く握った後、そっと外した。



そう、大丈夫だ。

現役時代に比べればなんてことない。


今は守るものがある。
必要としてくれている人がいる。
迎えてくれる場所がある。


だから、こんな状況なんかすぐ制圧出来る。



言い聞かせて、深呼吸を1回。



蘇芽に意識がいっている烏田切に向かって駆け出した。