真っ暗に近い室内で、一台のPCが静かに唸り上げていた。
この部屋の主であり、引き籠もりである咲崎(さきざき)秀一(しゅういち)は場面を凝視(ぎょうし)したまま動かない。凝視する先は所々に痛みの目立つ旧式のノートパソコンの画面であり、前に大きく乗り出した前傾姿勢はモニターと眼球の距離を数センチほどまでに縮めていた。接近した不健康そうな顔に青白いブルーライトの光が当たる。その情景は怪奇的な幽霊のようでもあった。
身じろぎ一つせず、見つめる視線の先には9×9に区切られたマス目が映し出されている。その上には立体的に表示された漢字がシンメトリーのように散らばっていた。
パソコンがこの場面に切り替わってから、一時間余。秀一はパソコンの画面を凝視したまま動かない。前のめりになった前傾姿勢は空間に磔(はりつけ)されたかように時を忘れて静止していた。
数分経過して銅像がふう~と大きく息を吐いた。
そこから先はまるで動きを止めていた時間が失くした分を取り戻すかのように、画面が目まぐるしく移り変わる。
マウスをクリックする音が部屋に響き続けた。
やがて……。
――パッパカパ~ン
『投了します』
画面上に映る吹き出しのような枠に、文字が浮かび上がった。それと同時にファンファーレに近いBGMが静寂に満たされた部屋に響き渡る。
パソコン画面には新たに【YOU WIN】という文字が表示された。
「くぅ~、疲れた……。久々の熱戦だったな」
微動だにしなかった秀一の身体は石化から解放されたように伸びをした。
伸びをした身体から、コキッと歯切れの良い音がする。
「久しぶりにワクワクされる将棋だった。最近、何かと物足りない将棋の方が多かったからな。今日のは新鮮だった……。今流行り『横歩取り』を採用している点も評価できるし、何より指し手が上級者向けのこの戦法で互角の攻め合いに持ち込まれたのは久しぶりのことだ」
強者に対する称賛を口にしつつ、再度伸びをする。
「最近は歯ごたえのない相手ばかりだったからな。……また、戦えたらいいし、一応アカウントぐらいは確認しておくべきか」
手慣れた手つきでカチカチとマウスを小刻みに動かす。すると、画面には新しいウィンドが出現し、苦戦させた相手のプロフィールが表示された。
【 アカウント名 《イエロー》
勝負数 1戦 勝敗 0勝1敗 】
「へえー。少し、意外だな……。相手さん、新人だったのか。じゃあ、これが初戦だったんだな」
ついでに表示されたレーティング情報なども閲覧しながら、相手が完全な新人であることを確認すると、少しだけ胸の奥がチクりとした。
確かに強い相手であったことは認めるが、あたった相手が悪かったとしか言わざる得ない。ゲームを始めたばかりの相手には悪いが、負けるのは新人の特権だと思って諦めてくれ。
「……許せ。顔は見えないが、無謀にも俺を指名した自分を恨め」
顔の見えない強豪に、不遜(ふそん)な追悼を呟いた後、再び視線を画面に戻した。
画面にはつい数秒前に終わった対局が自動再生で再現されていた。この将棋ゲームの特徴である自動感想戦機能だ。独自開発の人工知能プログラムが、形勢が傾いた箇所を分析・特定し、そこまで自動で最初から並べてくれる仕組みだ。これならば、初心者でも上達が早く、ゲームに対するユーザー評価では常に高評価を獲得している。ゲーム自体は昨年、新規参入したばかりの新参タイトルだが、前述した解析モードの優秀さも手伝って急激にユーザー数を増やしている、勢いのあるゲームタイトルの一つだった。
その解析モードによれば、序盤(じょばん)・中盤(ちゅうばん)はほぼ互角(ごかく)の接戦だったが、終盤に放った秀一の勝負手を境(さかい)に形勢はジワジワと傾いていき、そのまま押し切った形だった。
秀一は人工知能が指摘してきた指し手順の検討し終えると、付属しているチャット機能にお礼を書き込んだ。