エレベーターはゆっくりと上昇した。

作動音は静寂であり、たとえ耳を澄ましたところで僕の耳には届かないだろう。
階数が印字されているボタンは十三階に、行け、と示している。

ボタンが光っているのだ。僕が押したわけではない。

既に押されていたのだ。
だからといって僕は普段は着用しないチャコールグレーのスーツを着て、ワイシャツにはストライプがさりげなく浮かび、さらにはよく磨かれたダークブラウンの革靴を履いている。

普段の僕からすれば、到底考えらない服装であり、髪の毛をくしゃくしゃとしようものなら、ぴっちりと髪に整髪料が撫でつけられていることに気づく。 


僕は髪の毛に触れた手を嗅いでみた。無味無臭だった。おっと、無味とはいっても舐めてはいない。言葉というのは勢いで発してしまうが、可愛さ余って憎さ百倍、そう訂正だ。まあ、そんな時があってもいいだろう。
 そんな時。
 チン。
 僕に階数表示を見上げ、扉を見た。扉は引き締めた唇のように閉まったままだ。蛾がこの場の状況を楽しんでいるかのように弧を描きながら僕の頭上で旋回していた。イメージを膨らませれば天使の輪でもあり、さらなるイメージを湧き起こせば、こんにちは、と蛾が円を描く度に言っている気がした。
 

 僕はいつもの癖で、右ポケットに右手を入れ、さらには左ポケットにも左手を入れた。両手の感覚は研ぎ澄まされコインのシャリンという音が宇宙誕生のビックバンのように思考をクリアにし現在の状況を受け入れる態勢が整った合図と勝手に解釈をする。むしろ、人生なんて、勝手、という二文字が背中を後押しする。選択やら決断やらというが、自分が勝手に決めた事象と現象に過ぎない。後で、ああしとけば、こうしとけば、という人によっては過酷で、または些細な悩みや行き違いは、時の経過が癒し、また別の過酷で些細な日常に上書きされる。脳はコンピューターと対比され、場合によっては類似されるが、デリート機能が脳にはないのが悲しいところだ。忘れたくても忘れらない物事が世の中には多々あり、不思議なことが無数に存在と混在を示し、僕らを困惑させる。
 
 不思議。
 
 久方ぶりに、不思議、という単語を使ってしまった。いつ以来だろう。いつ、を問うのは時間の無駄でもある。すぐに出ない解答は、いくら考えても出てこない。胃奥から解答を導きだせそうなとき、うっ、となり言葉を紡ぎそうな瞬間でも、やはり解答は出ない。しかし、なにかの点と点がある日に結びついたとき、忘れかけていたあのときあの日の解答が生み出される。だが、解に辿り着いたときには、時は無情にも過ぎ去りこめかみにうっすら白髪を埋没させる。
 
 僕は階数表示を見上げた。十三階まではゆったりとしたスピードで向かっていた。まだ八階だ。人によっては、もう八階というかもしれない。元来がせっかちな性格であり、それでいて几帳面で、やや潔癖性な嫌いがある。よく研がれた包丁でサンドウイッチ用の食パンをカットすることを好む。かつて交際していた女性に、「サンドウイッチと私、どっちが大事なの」と問われ、「君だよ」と答えたにも関わらず、「偽善者」と平手打ちを食らわされた日には、人生とサンドウイッチを呪ったものだ。が、当時はそれでよかったのだ。サンドウイッチの(主にタマゴサンド)美味しい作り方を模索し、あらゆる角度から観察する度に、女性の扱いが疎かになってしまったことは確かだ。執着と集中力は諸刃の剣であり、一歩間違えば破滅が待っている。少しばかり前の僕はそうだった。
 

 この空間、つまりは直方体のエレベーター内というのは思考が走馬灯のように降り注ぎ、いらぬことまで思い起こさせる。思い起こすのはいいが、女性の顔や名前や、または知人や友人や両親の顔は輪郭は伴うが表情は曖昧模糊としている。残像がぼやけ記憶の画質はうつろで暗い。僕の心の投影だろうか。
 
 僕が僕自身に投げかけた問いは何十年後かに解決されるのではないだろうか。予感が体内を循環し、直感が脳内を刺激する。もしくは、トーストにマーガリンを塗り桜の花を愛でるかのように苺ジャムを垂らした時にふと解決されるのかもしれない。が、すぐ解決される問いに面白みがあるのだろうか、あるのだろう。早く解決された方が気分はいいし血圧は正常を維持される。医療費問題は解決し、増税の悪影響である所得の目減りの被害を最小限に食い止められる。ある者は、散歩の最中に、ある者は、キャンディーを舐めながら、ある者は、ブランコに乗りながら、ある者は、セックスの最中に。なにかしらの解決のアクションを引き起こしていることだろう。
 
 ああ、いけない。くどくどと考えるのは悪い癖だ。昔、読んだ、ドストエフスキー『罪と罰』の影響もあるかもしれない。心の葛藤をえぐり、無理に整え、また解き放つ、その作業工程に己自身で満足し、笑みをこぼし、また日常を繰り返す。BGMは、落ち着いたクラシック曲がいい。モーツァルト『魔笛』がいいだろうか、おいおい、全然落ち着かないじゃないか。落ち着くどころか、目を見開いて、硬直状態を促す作用は否めない。
 チン。
 僕の思考停止と同じくしてエレベーターの動作が止まった。それでも強き意志の塊のような扉は開かない。僕は階数表示を見た。しっかりと十三階部分が黄金色に光っていた。今、僕がいる場所は十三階で間違いないし、間違っても他の階ではないことが推察できる。僕の他には誰もいないし、チン、という音以外は、この空間で音らしきものを知らない。先ほどから妙に都会の雑音が恋しいのはこのためか、田舎の長期滞在を余儀なくされたときに物足りなさを感じるのとどこか似ている。人間というのは慣れ親しんだ中での刺激を欲している生き物なのかもしれない。
 
 が、それが一番難しい。
 
 僕の意思とはもちろん関係なく、エレベーターの扉が焦らすようにゆっくりと開いた。光が漏れだす。光は強さを増し、僕は手の甲で目を覆わなければならなかった。農夫が作業を終え太陽を見上げるシーンが頭を過ぎった。実際に自分が体験すると、ドラマのようなワンシーンが無意識的に会得できるのだな、と思った。新しいパラダイムが開けた気がし、少しばかり嬉しかった。しかし、光の強さが薄まり、人型のシルエットが浮き彫りになったところで、僕の目は見開きを余儀なくされた。シルエットの輪郭が明確になることで、女性だということがわかった。セミロングの髪、表情はわからない。くびれがあり、ぴっちりとしたデニムを履いてることがわかった。

「遅いよ」

 女性はいった。声には親しみがこもっていた。少なからず、初めて会った人間に対して放つ声音ではない。より緊密で親密な間柄の声音である。
 僕は目の前の女性を知っている?
 言葉を考えて放つのは、ビジネス現場やPTAとモンスターペアレントと政治論争と相場は決まっている。となると、僕の次に放つ言葉はこれしかない。

「君は誰?」
 
 考えていない流れの中から放つ言葉は自然だ。まあ、僕の場合は自然すぎたが。自然すぎて目の前の女性は言い返す言葉が見当たらないようだ。困惑しているのは双方一緒なのかもしれない。異性間の会話というのはスムーズにいくというのが稀ではないだろうか。スムーズにいっていると思い込んでいるのは当人だけであれ、客観的に見たり聞いたりしていると、何かしらの違和感が生じている。考えすぎだろうか、ああ、間違いなく考えすぎだろう。考えすぎの影響か、はたまた女性の機嫌を損ねたのか、何も返答らしきもが帰ってこない。女性という生き物は上中下どのランクをとってもプライドが高い。目の前の女性がどのランクに属していようがプライドという鎧を装着し、言葉という弾丸を撃ちこんでくることだろう

「最低」
 
 ほらね、言わんこっちゃない。僕は女性から言葉の弾丸を胸に撃たれ、撃たれたショックで目の前が暗くなった。