浴槽側の蛇口がうまく捻られなかった莉依子は、シャワーのノズルを浴槽に突っ込んでお湯をため始めている。

「おしりくらいは入れるかな?」

 思っていたよりお湯がたまっているのを確認して、莉依子は浴槽へと身を沈めた。
 膝を抱えてもまだ腰まですら入っていないぬるま湯。
 熱いお湯よりも落ち着いて、膝をもっと抱え込んだ。

『ほーら、このくらいなら気持ちいいでしょう?』

 瞼を伏せると、また蘇ってくる。
 厳しくて優しい、お母さんの声。
 莉依子に向かって伸ばされる、あたたかくて大きな手。ほんの少しガサガサしているのは、毎日毎日、働いているからだ。

 全部全部、まるで昨日の事のように思い出せる。

『風呂嫌いだからって、別に死ぬわけじゃないし。そんなカリカリせんでもいいだろ』
『またお父さんはそんな事言って』
『母さんが細かいんだろう?』
『清潔にしておくことは悪いことではないんだから、いいの』
『まったく……』

 莉依子の身体がぬるま湯に浸りはじめウトウトし始めた時には、お父さんまで登場してきた。
 どれもこれも全てが優しくて、莉依子の目元に水や湯ではないものが流れてきた。