ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 静かな車内には俺の他には数人しかおらず、定期的に刻まれるリズムが響き渡っていた。

 日はだいぶ傾いており、オレンジ色の光が車内を照らす。

 窓の外にはのどかな田園風景。
 その景色には見覚えが全くなく、時の流れと、遠くに来てしまったという実感が湧いてくる。

 電車に揺られること6時間。

 旅の疲れと、流れてくる暖かい空気、柔らかいオレンジ色に包まれて目を閉じる。

 ……少しだけ。
 少しだけ眠ろう。

 意識はゆっくりとまどろみの奥深くへと溶けていき……持ってきていた大きなカバンを枕に、眠りに落ちた。



 ○



『次はー柏木ー柏木ー。北陽線にお乗り換えの方はー次でお降りください』

「……うわっ……あぶねぇ、寝過ごすところだった……」

 車掌さんのアナウンスを聞いて目を覚ます。
 柏木、というのが俺の目的地だ。
 朝早くに出発したというのに、すでに太陽は真上まで登ってきていた。

 窓の外には、再開発の進んだ街並みが見える。

 かつて住んでいた土地で、馴染みのある場所だったのだが……記憶にある風景とは全く合致しない。
 たった数年でここまで変わるものなのか。

 列車はゆっくりとスピードを落とし、止まる。

 駅のホームに降り立ち、深く深呼吸をする。
 吹いてくる風は涼しく、森の香りがうっすらと漂う空気は、都会とは違って気持ちが良い。
 高層ビルの類はほとんどなく、少し向こうには山が見える。
 照りつける日差しさえも、都会とは違ってどこか温かみを感じていた。

 駅の改札を抜け、小綺麗なロータリーへ出ると、親戚のおじさんの乗っているという軽トラを探す。

 チリン。

 不意に聞こえた鈴の音は、僕の鼓膜を震わせると、全ての音を消し去り、視線を音の鳴る方へ誘導する。

 どこかで、聞いたことのある音。
 でも、どこで聞いたのか覚えていないし、思い出すことも出来ない。
 こう……すっぽりと記憶が抜け落ちているような、そんな感覚。

 視線を向けた先にうつる透き通る黒髪。太陽の光を受けて、宝石のように輝いている。
 対照的に肌は白い陶器のようで、薄いピンクの唇と、くりっとした大きい瞳が印象的だ。

 すっごい美人だ……

 どこかの制服だろう、セーラー服に身を包んだ彼女に思わず俺は見とれてしまっていた。

「久しぶりだね、ゆうくん」

 鈴のなるような可愛らしい声は俺の脳天を揺さぶって離さない。
 きっと、彼女があまりにも美人で、一目惚れしてしまったからだろう……

 いや、違う。

 さっきから感じるこのざわざわとした感じ。これはきっと焦りだ。
 彼女から目が離せない。
 俺は彼女を間違いなく知っているからだ。
 でも、俺は彼女を知らない。俺の記憶は、そう訴えている。

 目が、耳が、肌が、彼女のことを知っていると言っている。
 だから、無意識に焦っているのか。

「……君は……?」

 やっとの思いで絞り出した声は明らかに震えていた。
 それでも彼女は微笑んだ。

 ……どこか、寂しさを含んだ微笑みだった。

「あはは……やっぱり覚えてないか。でもしょうがないよね、小さい頃のことだし」

 そして、今度は満開の花のように笑って言った。

「私は叶恵!紺野叶恵!今度は忘れないでねっ、ゆうくん!」

「えっ? ちょっと!」

 一瞬で、彼女の姿は雑踏の中へと溶けて消えていってしまった。

 彼女は……一体……?

「おう!裕太!」

 がしっと強い力で肩を掴んで来る。
 振り向くと、ガタイのいい浅黒い肌の男性が立っていた。
 気がつくと、音は元に戻っており、話し声や車のクラクション、電車の走る音などが聞こえてくる。

「どうした?具合でも悪いんか?」

「……いいえ、大丈夫です」

 僕が返事をしなかったことや、暗い表情をしていたことで心配させてしまったらしい。
 これから1ヶ月お世話になるんだ。迷惑はかけないようにしないと。

「そうか?ならいいけどよ。んじゃ、荷物よこしな、荷台にのせっから」

 そう言って僕の持ってきたキャリーバックを、茣蓙のひかれた荷台に置き、助手席に僕を座らせる。

「さぁて、もうちょっと頑張ってな。うちに着いたら風呂沸かしてやっから」

 そう言ってニヤッと笑い、車を走らせた。