その後、私達は眠りについた。

隣には、賢人。

私に、腕枕をしてくれている。


一方の私は、眠れなかった。

ずっと、賢人の寝顔を見ていたかった。

安心しきった顔で寝ている賢人を、一瞬でも見逃したくなかったのかもしれない。


「珠姫?……眠れないの?……」

目を瞑ったまま、寝言のように賢人は呟いた。

「ううん……」

「さっきから、やたら視線を感じる。」


ごめんなさい。

心で呟きながら、笑いを堪えた。


「おかげで、目、覚めた。」

賢人は笑いながら、仰向きになった。

「珠姫って、寝付き悪いんだっけ?」

「ううん。ものの数秒で寝るわ。賢人も知ってるでしょう?」

「だよね。今日に限って、何で寝ないの?」

そう言って、大きな欠伸をした。
「なんだか、久しぶりに賢人の寝顔見てたら、寝れなくなっちゃって……」

「そんな、面白い顔してる?僕。」

半分寝ながら、笑みを浮かべている賢人。

さすがに申し訳なく思えてきて、今、考えている事を、言ってしまおうと思った。

「ねえ、賢人。」

私の心臓が、ドキドキしてきた。

「なに?」

「……この家で、一緒に住まない?」

急に振り向く賢人に、声が震える。

「もちろん、賢人が嫌じゃなければだけど……」

「そんな事、ないよ。」

完全に起きてしまったのか、賢人は少し体を起こして、私を見下ろした。

「嬉しいな。珠姫もそう思ってくれてたなんて。」

「もしかして、賢人も同じ事、考えてたの?」

「うん。」
この人と、生きて行く。

この人がいれば、生きて行ける。


そう思えてならなかった。


「珠姫、愛してるよ。」

「私も。賢人の事、愛してる。」

唇が腫れるまで、一晩中囁き合った。
賢人と一緒に暮らし初めて、半年が過ぎた。

私のリハビリも既に終わり、私は多少足を引きずるけれども、松葉杖無しで歩けるようになった。

「仕事、探さなくちゃ。」

以前働いていた、市役所の仕事は退職した。

「焦んないでさ。アルバイトから始めたら?」

「うん。そうする。」

毎朝、ここから出勤して、夕方ここに帰ってくる賢人。

まるで、新婚夫婦のようだ。


「朝ご飯、できたよ。」

今日の朝食は、フレンチトーストにした。

「おお!美味しそう。」

向かいの席に座る賢人。

美味しそうに食べてる姿を見て、頭に痛みが走る。

「痛っ!」

「大丈夫?」

賢人は直ぐ、私の心配をしてくれる。

だがこの頃、こうやって痛みが走っても、一瞬の痛みで終わる事が多かった。

「うん、大丈……」
目の前にいる賢人を見て、目眩がする。

景色がクラクラと、回り出す。

そして、治まりかけた頃、私の前に賢人によく似た人が、座っている。


「賢人?」

よく目を凝らすけれど、なんとなく違うような気がする。

髪型は似てるかも……

でも、雰囲気が、

「珠姫?」

賢人の呼び掛けに、ハッとする。

「どうしたの?」

「……ううん。ちょっと、頭が痛くなっただけ。」

「そう……」

賢人はそれ以上、深く聞いたりしない。


そして、しばらく食器の音だけが、鳴り響く。

「ねえ、珠姫。」

手が跳び跳ねる程、驚いた。

「今まで珠姫が、過去の事を思い出す時って……」

「う、うん。」

「頭が痛い時だよね。」

賢人の微笑みに、私も微笑んだ。

「そう……かな……」

自分でも、ちょっと信憑性がない。
「だから、頭が痛いって少し辛いけど……過去の事を思い出す、きっかけになってるんじゃないかな。」


胸の奥が、ジーンときた。

こんな辛い事でさえ、賢人は前向きに考えようと、私に伝えてくれている。

「うん。そうだね。」


朝食を食べ終え、賢人を玄関で見送った。

「じゃあ、行ってくるよ。」

「はーい。」

おきまりの、いってらっしゃいのキス。

それも、いつもと一緒だった。


唇を重ねた瞬間。

昨日と同じ唇の感触なのに、脳裏には違う人の顔が、思い出された。

ハッとして、唇を離す。

「珠姫?」

賢人の顔を見ると、脳裏に浮かんだ人と、同じ顔だ。


どうして?

どうして、違う人だと思うのだろう。


「もしかして、疲れてる?」

「えっ?」

「珠姫は仕事人間だからね。仕事してないと、ストレスになっちゃうのかな。」
“ああ”っと返事をして、賢人から離れた。

「ごめんなさい。」

「いや、気にしなくていいよ。」

私がちらっと、賢人を見ると、彼は何もかも受け入れてくれているかのように、笑ってくれる。

「じゃあ、仕事行ってくる。」

「うん……いってらっしゃい。」

私は、賢人に手を振った。


賢人の車が、駐車場から出て行った事を確認して、私はソファに腰かけた。

引きずっている足。

何かを思い出そうとする度に、痛くなる頭。

賢人は、私は仕事をしていないと、ストレスになるっ言って言った。

でも、こんなんじゃ。

反って、周りのお荷物になってしまう。


私はため息をつきながら、ソファに置いてあった求人雑誌を、テーブルの上に投げ捨てた。
生活費は、医療保険や傷病手当てで、なんとか生活していけているけれど、いつまでもこんな生活、続けていいわけがない。

“焦らないで”


賢人や主治医の先生に、必ず言われる言葉。

頭では分かっているのだけど、心の奥が“早く!早く、大事な事を思い出して!”と、叫んでいる気がする。

「痛っ!」

また、頭が痛くなる。

静かに目を閉じるけれど、今度は何も見えない。

「あ~~!」

イラついて、ソファに横になった。

直ぐに痛みは収まったけれど、何も思い出さない頭痛は、本当に勘弁してほしい。


天井を見ると、光っている蛍光灯が、やけに大きく見えた。

今日は朝から少し雲っていて、暗いと目が悪くなるよと、賢人が朝、電気をつけたのだ。

「だけど、私一人だからいっか。」
私は起き上がって、蛍光灯のスイッチをOFFにした。

スッと消える灯り。

自然の明かりが、部屋の中に入ってくる。

とは言っても、曇りだからやはり暗い。

目は悪い方ではないと思うけれど、これ以上悪くはなりたくない。

「やっぱり、人の言う事は、聞いた方がいいわね。」

私は、もう一度蛍光灯のスイッチを、ONにした。


チカチカと、ついたり消えたりを繰り返す蛍光灯。

いつもはスイッチに手を伸ばすのに、その時だけは、そのチカチカしている蛍光灯を、見入ってしまう。

「うっ!」

また頭痛がする。

フラッとして、その場に膝を着いた。

回る景色。


誰かが脚立に昇って、蛍光灯を取り替えてくれている。

『珠姫、取り替えたよ。』

取り替えた蛍光灯を、受けとる私。

『有り難う、……人。』